第5話 二度目の出会い

 清二にお願いをされた次の日。人のあまり来ないベンチで昼食を終えた海斗は、廊下を歩いていた。


「はぁ……。これから寒くなるし、外で時間を潰す訳にもいかないよなぁ。昼寝も出来なくなるのは大問題だっての」


 バイトに明け暮れ、帰ってから必死に勉強する海斗にとって、昼休みは貴重な睡眠時間だ。

 ぼっちの自覚はあるが、流石に昼休みの教室で寝る図太い精神は持っていない。

 なのでこれまでは人の来ない外で昼食を摂り、ついでに昼寝していたのだが、これからはそうもいかなくなる。

 まだ温かいうちに良い場所を探さなければと、大切な時間を削って校舎をうろついていれば、ふとある表示が目に入った。


「図書室、か……」


 そういう場所があるのは知っていたが、本を読む習慣のない海斗にとっては無縁だと候補から消していた。

 しかし、ある意味では一番都合が良い場所ではないだろうか。

 本を読む為に訪れる人にとって、海斗の思考はあまりにも本を侮辱しているに違いないと理解しつつも、表示に従って歩く。

 現れた扉を開けると、紙の匂いであろう何とも言えない特有の匂いが鼻孔を満たした。


「失礼します」


 海斗の高校は学業に力を入れており、こういう場所も充実させているらしい。 

 そのせいで海斗は家に帰って勉強に明け暮れる事になっているのだが、図書室が広いのは嬉しい事だ。

 いっそ図書室、というよりは図書館と言ってもいいかもしれない。

 昼休みという事もありそれなりに人が居るものの、海斗の想像を超える多さではなかった。

 それでも出来る限り寝ている姿を見られたくないので、奥へと進んでいく。

 すると、日の光が差し込んだ絶好の昼寝スポットと言える丸テーブルに、銀色の髪をした先輩がいた。

 人が居る事に気付いたようで、先輩――凪が海斗へ視線を向ける。


「……」


 アイスブルーの瞳が僅かに見開かれたものの、すぐに視線が本へと移った。

 たった一回会話しただけなので、その反応をされる事に傷付きはしない。

 しかし、このまま凪を無視して別の席に向かうのも気まずい。


「ここ、座っていいですか?」


 断られたらどうしようかと不安を抱きながらも告げれば、再び凪の視線が海斗へ向けられた。

 何の感情も浮かんでいない瞳は、少なくとも嫌悪感を抱いていないのが分かる。


「どうぞ。というか私専用じゃない」

「じゃあ失礼しますね」


 図書室は広く、ここで海斗と凪が一緒に居ても誰にも知られないはずだ。

 仮に知られたとしても、単に相席しているだけだと言えばいい。

 意外にもあっさり承諾しょうだくしてくれた凪に感謝し、丸テーブルの彼女から一番遠い席に座った。

 いきなり寝るのも何だか悪い気がして、黙々と読書をし始めた凪へ断りを入れる。


「ここで寝たら怒りますか?」

「別に。昼休みくらい好きにすればいい」

「ありがとうございます」


 意外にも昼寝には寛容らしく、あっさりと許可が出た。

 すぐにテーブルへ突っ伏し、何とはなしに凪へ視線を移す。

 全国模試で一位を取る人が何を読んでいるのか気になっただけなのだが、そのタイトルに思わず頬が引きった。


(異世界転生したら悪役令嬢に……? 何か、イメージと違ってるなぁ)


 てっきり海斗には理解も出来ない高尚こうしょうな本を読んでいるかと思ったが、俗っぽいものだった。

 確か休憩中に教室で寝ている際に、近くの男子生徒がそんなタイトルの本の話をしていた気がする。

 凪が読みそうにない本ではあるものの、流石にそれを口にするのは押し付けだろうと口をつぐんだ。

 本には触れないでおこうと、彼女とは反対の方を向いて目をつぶる。


「ふわぁ……」


 室内の温かさに加え、日差しも差し込んできており、すぐに睡魔が襲ってきた。

 偶に聞こえる凪のページをめくる音も、海斗を眠りに誘う要因の一つになっている。

 ここなら冬になっても大丈夫だろうと安堵し、眠りにつくのだった。





「どうも」

「ん」


 図書室に来るようになって数日。凪のテーブルに来るのが当たり前になっていた。

 あれから会話をするような仲にはなっていないし、座る際に断りを入れるくらいしか言葉を交わさない。

 それでも、ここに来ても良いのだと言われているみたいで、海斗の胸が温かいもので満たされる。


「「……」」


 相変わらずの無言の時間だが、決して気まずさは感じない。

 来てからすぐ机に突っ伏す海斗と本を読む凪では、会話など起きるはずがないというのもある。

 それでも、海斗はこの静かな空気を気に入っていた。


(というか、別に俺を排斥してる訳じゃないんだよなぁ……)


 クラスメイトの会話から、凪が周囲と距離を取っているのは知っている。

 それは初めて話した時の言葉からも明らかだ。

 けれど、こうして毎日凪のテーブルに足を運んでも、一度も文句を言われた事はない。

 例え、すぐ傍で爆睡していてもだ。

 そのお陰で、海斗の中での凪のイメージは単に無口な先輩というものになっている。

 ただ、相変わらず読んでいる本は意外なものだ。


(今日は聖剣使いの……? ファンタジーかな)


 ここ数日、凪の読んでいる本のタイトルを見ていたが、小難しいものは一切無かった。

 いくら頭が良いとはいえ、昼休みくらいは難解な本を離れたいのだろう。

 そもそも彼女が読書家だという話は一切聞いていないので、勝手に想像しただけだが。


「……よく見てるけど、何か用?」


 テーブルの上で組んだ腕に頭を乗せて凪の本を眺めていると、初めて彼女から声が掛かった。

 予想外の事に動揺で心臓が跳ね、思わず体を起こす。


「気になったのならすみません。ジロジロ見られるのは嫌ですよね」

「うん。だから何かあるなら言って」

「用っていうか、先輩がそういう本を読むのは意外だなって思っただけです」

「……私がラノベを読んだら変?」


 どうやら凪が読んでいるのはラノベというものらしい。

 ここで誤魔化した所で得はないと正直に告げれば、アイスブルーの瞳がすうっと細まり、苛立ちを宿した。

 慌てて手を振り、海斗の考えを口にする。


「そういう訳じゃないです! 誰がどんな本を読んでも自由ですから!」

「でも、気になったんでしょう?」

「いや、まあ、すみません。先輩はもっと難しい本を読んでるもんだと思ってました」

「そういうのは必要になったら読む」

「……そう、ですか」


 難しい本が必要になるのか、それはどんな時なのかと気になる事はある。

 けれど、親しい関係でもない海斗が触れては駄目だろう。


「先輩がその本を面白いと思って読んでるなら良かったです」


 知識を詰め込む為に本を読む人もいるはずだし、凪も難しい本を読む時はそうなのかもしれない。

 けれど、どんな人でも単純に楽しむ為に本を読む権利はあるはずだ。

 凪はずっと無表情なのでいまいち楽しんでいるか分からないが、海斗の言葉に苛立ったという事は、少なくとも思い入れがあるのだろう。

 微笑みながら告げれば、凪が呆けたように目を丸くする。


「……天音は、変」

「そうですかね。……そうかもしれませんね」


 小さな呟きに苦笑を零し、再び机に突っ伏した。

 海斗とて、自分が一般的な学生から逸脱しているのは分かっている。

 けれど変えようとは思わないし、変えられるとも思っていない。

 襲ってくる眠気に身を任せようとすれば「あの」という小さな声が耳に届いた。

 体は起こさないまま、凪へと顔を向ける。


「どうしました?」

「ごめんなさい」


 突然謝られて疑問が浮かぶが、おそらく海斗が怒ったと勘違いしたのだろう。

 まだまだ清二のようにはなれないなと反省し、凪へと笑みを向ける。


「先輩が謝る必要なんてありませんよ。気を悪くした訳じゃないですから、気にしないでください」

「……うん。分かった」


 他人を拒絶する割には申し訳なさそうに眉を下げる凪に、いまいち距離感を掴めず困惑する海斗だった。

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