第4話 突然の提案

「あー、天音と話してちょっとスッキリしたらお腹減ってきちゃった」

「どうせ今日もここで晩飯を摂るんだろ? 何がいい?」

「うーん」


 美桜に注文をうながしつつ、悩む彼女から離れて他の客へ向かう。

 今までの距離の近い会話は彼女の愚痴を聞く為だったので、ここからは一店員として振る舞わなければ。

 他の客に一言声を掛けて飲み終えたコーヒーのカップを回収し、再び美桜の前に戻った。


「ご注文はいかがいたしましょうか?」

「オムライス、半熟のやつで」

「かしこまりました」


 きちんと腰を折って挨拶し、キッチンに引っ込もうとする。

 すると、清二と和やかに会話していた常連が美桜の注文を聞いていたのか、目を輝かせて海斗を見つめた。


「海斗くん。私にも同じのをいいかしら?」

「かしこまりました」


 料理が二つになる程度、何の問題もない。

 清二には客の様子を見るのを優先してもらい、今度こそキッチンに引っ込む。

 使い慣れたコンロの前に立ち、大きく深呼吸。

 客に出す以上、失敗は許されない。


「……よし、やるか」


 フライパンを火に掛けているうちに調味料を用意し、十分に温まったらフライパンに鶏肉、玉ねぎ、マッシュルームを入れて炒める。

 更にトマトケチャップにオイスターソース、塩胡椒を混ぜ合わせ、そこにライスを入れて混ぜればケチャップライスは完成だ。

 そして次はオムレツだが、注文通り半熟でなければならない。

 解きほぐした卵に牛乳を少し混ぜ、フライパンに流し込む。

 素早くかき混ぜつつ端から折り返すようにしてオムレツの形を作っていき、半熟の卵を閉じ込めれば完成だ。

 オムレツだけは二人分を別々に作らなければいけないものの、師匠である清二に散々叩き込まれたので動きに淀みは無い。

 そうして時間を掛ける事なくオムライスは完成した。


「どうぞ、オムライスです」

「ありがとう、海斗くん」

「ひゃー! 美味しそー!」


 常連と美桜が目を輝かせ、オムレツをフォークで割る。

 とろりと蕩けた卵がケチャップライスに掛かる瞬間が、この料理の一番の目玉だろう。

 満足のいく出来に頬を緩めつつ、空になった美桜のグラスに水を注いだ。


「いただきます! ……んー! やっぱり天音の料理は最高だね!」

「ホント、海斗くんの料理は美味しいわねぇ」


 頬を緩めて食べてくれたり、味を褒められるのは作り手冥利に尽きる。

 胸に沸き上がる歓喜に内心で震えていると、他の客もオムライスの匂いに食欲をそそられたらしい。

 別の客が海斗を呼び出す。


「オムライス一つ」

「かしこまりました」


 慌てる程に忙しくはなく、けれど充実したバイトの時間を過ごすのだった。





 時計の針が九の数字を差す頃、バイトは終わった。

 海斗としてはもっと働きたいのだが、清二曰く「学生なんだからバイト一辺倒では駄目だよ」との事で、これ以降のバイトは許されていない。

 それでも無理を言ってこの時間まで働かせてもらっているので、実質的にバイトに明け暮れているのだが。

 また、美桜はというと、オムライスを平らげてとっくの昔に帰っている。

 普段ならここからはバーに近い形で営業するのだが、なぜか清二が入り口に『close』の看板を掛けた。


「今日は早いですね。何かあるんですか?」

「あるというか、海斗くんにお願い事があってね。ゆっくり話す時間が欲しかったんだよ」

「俺に、ですか?」


 穏やかな微笑はいつも通りだが、清二の目は真剣そのものだ。

 彼が海斗に頼る事はあまりなく、相談の為だけに時間を作るとなれば際に珍しい。

 簡単に済ませて良い話ではないと、気を引き締める。


「何でしょうか」

「このお店、金曜日は定休日にしているだろう? 実は、その日に親戚の子のお世話をしに行ってるんだ」

「そうだったんですか。……もしかして」


 極論を言うなら、定休日に清二が何をしているかなど海斗は知らなくてもいい。

 にも関わらず言ったという事は、次の言葉にある程度予測はつく。

 どうやら予測は合っているらしく、清二が小さく頷いた。


「話が早くて助かるよ。これからは海斗くんにその子の世話をして欲しい」

「それは金曜日だけですか?」

「いや、最初からは流石に無理だろうけど、出来るなら毎日だね。その分バイトには来れないか勤務時間が減るのは分かってるし、世話が終わったらこっちに来いとも言わない」

「バイト代はどうなりますか?」

「これまでと同じ金額を出すよ」

「……その人は、初対面の俺が世話をしなければならない程に問題があるんですか?」


 あまり人が来ないとはいえ、喫茶店で相手をするのは一人ではない。

 それが一人に絞られ、しかも世話を終えたら帰って良いというのは好条件過ぎる。

 しかし、懸念けねんすべき事が山程あるのは確かだ。

 いくらバイト先の店長とはいえ、何も考えずに頷く事は出来ない。


「問題というか……。うん、まあ、取っ付き難いのは確かだね。悪い子ではないのは保証するよ」


 清二とてかなり無茶苦茶な事を言っているのは理解しているのだろう。

 穏やかな表情が苦々し気に歪められた。

 それでも譲れないのか、ゆっくりと彼の口が言葉を紡ぐ。


「初対面の海斗くんが世話をする事に関しては、その子に変化をうながしたいからだ。僕が世話をするだけでは駄目だと思ったんだよ」

「それが俺でいいんですか? もっと良い人が居ると思いますけど」

「いいや、むしろ海斗くんでなければ駄目だ。僕が様々な事を叩き込んだ君だからこそ、こうしてお願いをしている」


 海斗にとって清二とは単にバイト先の店長というだけではない。

 恥ずかしいので口にはしないが、恩人、もしくは父親と言っても良いだろう。

 彼には料理のノウハウや喫茶店での振る舞い、それ以外にも様々な事を叩き込まれたのだから。

 勿論、優しいだけでなく厳しい時もあったが、それでも頭が上がらないくらいに感謝しているので、出来る事なら引き受けたい。

 しかし清二の期待に応えられる自信が海斗にはない。


「そう言ってくれるのは嬉しいですが……」

「頼む。まずは顔を合わせて話を聞くだけでいい。そこから判断してくれないかい?」


 渋る海斗をどうしても説得したいのか、清二が頭を下げた。

 何が彼をここまで動かすのか分からないが、すぐに決めなくて良いというのは有難い。

 いくら清二が許可したと言えど、海斗とその子の性格が合わなければ上手くいかないはずだ。

 ならば、最終的な決定はその時までとっておく。


「分かりました。会って話を聞いてから判断していいなら引き受けます」

「本当にありがとう。タイミングは追って連絡するよ」

「お願いします」


 高校に入学してからバイトを始めて約六か月。

 突然の変化に戸惑いつつも、清二の提案にしっかりと頷いたのだった。

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