第3話 唯一の友人

 凪との出会いはあったものの、それ以降は特に代わり映えのない学校生活だった。

 そして放課後になると、そそくさと帰る準備をし始めた海斗の元へ、唯一の友人である女子生徒が近付いてくる。


「今日の昼休みはどしたん? 珍しく遅刻しそうになってたけど」


 小首を傾げる仕草は可愛らしく、くりくりとしたブラウンの瞳には海斗への純粋な心配が浮かんでいた。

 教室で声を掛けられた事に動揺で心臓が跳ねたが、必死に平静を取り繕う。


「資料を運んだ後に外で昼寝してたら、遅れそうになっただけだよ」

「なぁんだ、そうだったんだ。んじゃね」


 大した事ではないと肩を竦めて誤魔化せば、海斗が休憩時間の度に寝ているからか、あっさりと信じてくれた。

 話は終わりとばかりにひらひらと手を振り、教室の一角でお喋りに興じている女子の一団に向かっていく。


「相変わらず美桜みおはよく気が付くねー」

「お人よし過ぎでしょ」

「んー? そんな事ないけどなぁ。普通だよ普通」


 海斗に声を掛けた女子生徒――一ノいちのせ美桜が女子達に揶揄からかわれつつもあっさり会話の輪に入るのは、もはやいつもの光景だ。

 なぜなら彼女は誰とでも分け隔てなく接する、クラスの人気者なのだから。

 それどころか、学校内では昼に会った凪と同じくらい有名人だったりする。

 体調不良のクラスメイトだったり、困っている人を率先して気遣う性格の良さだけではない。

 肩まで伸ばされた明るい茶色の髪は艶やかで、非常に整った顔立ちとメリハリのついた体。

 これで美桜も凪と同じく実家がいくつもの会社を経営しているお嬢様らしいのだから、もはや完璧超人と言ってもいいだろう。

 クラスメイトや廊下ですれ違う人が、凪だけでなく美桜の噂をするのも納得だ。

 

(まあ、なれるとは思わないし、なりたいとも思わないけど)


 うらやんだ所で急に豊かな暮らしが出来る訳でもないし、あの立場に居続けるのは海斗には無理だ。

 苦労をよく聞かされているからこそ、余計にそう思う。

 今日も頑張ってくれと内心で応援し、未だに盛り上がる女子達から遠い扉を目指す。

 空気と化してクラスメイトからの挨拶をかわしながら、美桜が遊びに誘われているのを横目に教室を脱出した。

 間違いなく彼女は気付いていただろうが、海斗を気遣って声を掛けないでくれたのだろう。

 そして校舎を出て歩く事三十分。海斗のバイト先である喫茶店に着いた。

 住宅街にひっそりと佇む店の中には、夕方の稼ぎ時にも関わらずちらほらとしか人が居ない。


「こんにちは、清二せいじさん」

「やあ海斗くん。学校お疲れ様」


 店に入った海斗を、この店の店長である西園にしぞの清二が柔らかな笑顔で迎えた。

 髪は白く染まっているが、とても初老とは思えないぴんと背筋を伸ばした姿に、黒の給仕服がとても似合っている。

 

「早速入りますね」

「急がなくても大丈夫だよ。今日も閑古鳥が鳴いてるからね」

「それを清二さんが言っちゃ駄目でしょうに……」


 清二は利益を出す為に喫茶店を営業している訳ではないらしく、人が来なくて困っている所を見た事がない。

 とはいえ、気にしていない風な微笑で店長が自虐するのはいかがなものかと思うが。

 肩を竦めながらいつものやりとりを行い、更衣室へと向かう。

 海斗が居なくなるからか、カウンターに座っている常連の女性が清二へと甘さを帯びた笑みを向けた。 

 

「暇なら私の相手をしてもらおうかしら、マスター?」

「喜んで」


 清二が非常に穏やかで包容力があるからか、常連の中には彼女のように清二と会話する為に通っている人もいる。

 店員と客の距離が近く、受け入れられない人も居るだろうが、海斗はこの空気が好きだ。

 和やかな雰囲気に微笑を落とし、更衣室に入って清二と同じ黒の給仕服に着替える。

 店に戻れば、カウンターには先程まで教室でお喋りをしていた唯一の友人が居た。


「やほ、天音」

「…………」


 へらりと気の抜けた笑みを見せる美桜は一旦置いておき、視線だけで周囲を見渡す。

 清二と会話している女性は、いつもの事だと言わんばかりに海斗達に無関心だ。

 他の客も同じらしく念の為に清二へ確認を取ると、彼は「静かにね」という風に唇に人差し指を当てた。

 小さく会釈えしゃくを返し、美桜へと向きなおる。


「今日は遊びに行くんじゃなかったのか?」

「習い事があるって断ってきた」

「さいですか」


 学校での溌剌はつらつとした雰囲気は鳴りを潜めており、頬杖をつく姿は仕事で疲れきった社会人を彷彿とさせる。

 クラスメイトが美桜のこんな姿を見れば別人だと思うかもしれないが、海斗にとってはこれが本来の美桜の姿だ。

 海斗も学校では薄く幕を張っているものの、今は取り繕う必要がないので口調が少し荒くなる。


「はぁ……。何で放課後に他人の恋バナを延々と聞かなきゃならないんだか……」

「それってどうせ言外に応援しなきゃならないやつだろ? 人気者は辛いな」

「実際は私への牽制だからねぇ。本気で付き合いたいならアプローチすればいいのに。というか人気者言うな」

「はいはい。にしても、女子ってやっぱり怖いなぁ……」


 散々愚痴を言っているが、美桜はクラスメイト全員を嫌ってはいない。

 単に女子特有のねちっこい言い回しや同調圧力のような空気が嫌いなだけで、分け隔てなく接するのも本心からだ。

 とはいえ美桜の周囲には彼女の容姿や立場を利用する人もそれなりに居るので、今回はそういう人が相手だったのだろう。

 海斗が揶揄からかったというのもあるが、可愛らしい顔には嫌悪がありありと浮かんでいた。


(それでも辞めないんだから、ホント凄い人だよ)


 本人の性格からか、それとも何か理由があるのか。彼女と知り合ってから既に約半年が経っているものの、人気者の立場を続ける理由を海斗は知らない。

 それでも一向に構わないし、言いたくないのなら詳しく聞かないのが友人というものだろう。


「それはそうと、何で今日は俺に話し掛けたんだよ。邪推されたらどうすんだ」

「えー。あの程度なら大丈夫でしょ。放課後ってのもあって、皆気にしてなかったし」

「……確かにそうだけど」


 美桜は男子とも会話するものの、それは基本的に相手から話し掛けれられた場合だ。

 今日のように、自分から軽い世間話をするような男子は海斗以外に居ない。

 今回は昼休みの事を理由にしていたが、万が一にでも美桜と海斗が付き合っていると邪推されれば、彼女に迷惑が掛かってしまう。

 美桜は良くも悪くも有名人であり、男子にとっては理想と言ってもいい異性なのだから。

 

「天音の考え過ぎだって。まあ、私の普段の行いが良かったからってのはあるかもしれないけど! いやー、私って凄い!」

「うわ出た。めんどくさ」


 鼻息を荒くして胸を張る美桜の姿に、思いきり悪態をついた。

 学校での魅力的な異性の姿を台無しにするような自画自賛は、これまでに散々見せられている。

 こんな姿すら様になっているのだから、美少女は狡い。

 それに、素を見せてくれているようで海斗も何だかんだで嬉しかったりする。

 友人という感覚が強いし、恋愛感情を抱くのが馬鹿らしい程に立場が違うので、心が揺れ動きはしないのだが。


「何よー、事実でしょ?」

「否定はしない」

「ならよし。それで、午後の授業に遅れた本当の理由は何なのさ?」

「黙秘権を行使する」


 言葉は軽かったが、澄んだ瞳には海斗を本当に心配する気持ちが込められている。

 絶対に言えない訳ではないものの、あれは海斗の不注意から始まった事だ。

 情けないので言いたくないと言葉でしっかり示すと、美桜がジッと海斗を見つめた。


「……そ。ならいいわ」


 ねちっこい空気が嫌いだからこそ、美桜はこちらが線を引けば踏み込まない。

 探るように見られたのは、彼女にとっての一番の心配事を払拭したいからだろう。

 心配し過ぎだと肩を竦めて苦笑を落とす。


「授業に遅れそうになった程度でバイトを辞める訳ないだろ」

「それはそうなんだけどね。なーんか引っ掛かったの」

「何だそりゃ」


 女の勘、というのが働いたのかもしれないが、凪とは一緒に昼飯を摂っただけだ。

 既に接点など無くなっているし、下手をするともう二度と会話しないだろう。

 唯一の友人である美桜であっても、海斗には彼女が何に気付いたのか分からない。

 そういうものは、触れない方が良い。

 とはいえ学校、喫茶店と二度聞かれたので相当気にしているようだが。


「ここで天音に愚痴をぶつけるのが私のストレス発散方法だからね。無くなられちゃ困るのよ」

「分かってはいたけど、本人の前で言うなよ」

「分かってるならいいじゃない」


 軽口の叩き合いに、二人して笑みを零すのだった。 

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