第2話 偶然の出会い

 天音海斗あまねかいと西園寺凪さいおんじなぎと出会ったのは、夏休みが明けた九月上旬だ。

 夏休みはバイトに明け暮れていたので昼夜逆転生活にはならなかったが、それでも久しぶりの学校生活にようやく慣れてきた頃。

 偶々だったのか、それとも授業は真面目に聞いていたからか、原因は分からないが海斗は教師に雑用を頼まれてしまった。


「ここに置けばいいですか?」

「おう。ありがとなー」

「いえいえ」


 埃っぽい資料室に教師と共に入り、先程まで授業で使っていた資料を置く。

 生徒に資料を運ばせるのが当然だとでも言わんばかりの形だけのお礼を流し、資料室の出口へと向かった。


「それでは失礼します」


 海斗に頼まれたのはここまでだ。例え内申点が上がるとしても、貴重な昼休みの時間をこれ以上浪費するつもりはない。

 流れ作業のように挨拶を口にして、資料室を出た。


「何でこのタイミングで頼むんだよ。最悪じゃねえか」


 心まで優等生を気取るつもりはないので、口から遠慮なく非難の言葉が出る。

 教室まで戻って弁当を取るのは時間の無駄だと、多少無理にでも弁当を持って来ていて正解だった。


「はぁ……。終わった事を気にしても仕方ないな。どこで昼飯を食べようかな……」


 気持ちを切り替え、周囲を見渡す。

 資料室は普段海斗達が居る校舎とは別棟にあり、食堂から離れてもいるので周囲に人は居ない。

 静かな場所は好みだが、わざわざ毎日ここまで来るのは大変だ。とはいえ、折角なので今日はこの周辺で昼飯を摂ってもいいだろう。

 校舎から外に出て、更に人気のない場所へ。

 どこかの運動部が使っているであろう倉庫の裏に回ろうとすると、突然人が出て来た。

 まさかこんな場所に人が居るとは思わず、反応が遅れてしまう。


「っ!」

「あうっ」


 まずい、と思った時には既にぶつかっており、相手が小さな悲鳴を上げて尻餅をついた。

 一昔前の漫画のような光景だが、実際自分で経験すると冷や汗ものだ。

 急いでぶつかってしまった相手である女子生徒の様子をうかがう。


「大丈夫か――ですか!?」


 言葉を敬語に変えたのは、ぶつかった人が二年生の証明である青色のネクタイをしていたからだ。

 海斗は赤のネクタイをしており、これは一年生が着けるものなので、彼女は海斗の先輩になる。


「……ん。大丈夫」


 彼女がゆっくりと立ち上がり、スカートについた埃を払った。

 どうやら怪我はないようだが、声色が平坦なせいで本当に平気かどうか分からない。

 とはいえ過剰に心配しても余計なお世話だろう。

 ホッと胸を撫で下ろし、改めて彼女の姿を眺めた。


(綺麗な人だな……)


 顔立ちは芸術品と思える程に整っており、体つきは華奢きゃしゃで背は女性として見ても小さい方だと思うが、胸元の膨らみはきちんとある。

 ショートカットの銀髪が風になびき、アイスブルーの澄んだ瞳は静かにいでいた。

 小さな背からは庇護欲をそそられそうなものなのに、彼女の持つ冷ややかな空気がそれを打ち消している。

 可愛い、というよりは美人という言葉が合う女性だと思った。

 

「……?」


 海斗が見つめていたせいで、彼女がこてんと首を傾げる。

 無垢な仕草に心臓が僅かに跳ね、その鼓動でハッと我に返った。


「な、なら良かったです。ぶつかってすみません」

「私の方こそ、ぶつかってごめんなさい」


 こういう時は男である海斗が責任を持つべきだと思うが、両成敗にしてくれるというのは有難い。

 初対面の人とこれ以上話をする事もないので、倉庫の裏に向かおうとする。

 しかし彼女が唐突に周囲を見渡し、振り返って「あ……」と途方に暮れたような声を上げた。


「何かあったんですか? ……あ」


 海斗も彼女の後ろを見て同じ声を出してしまったが、仕方ないだろう。

 先程まで彼女が尻餅をついていた場所には、無残にも潰れたサンドイッチがあったのだから。


「あーっと……」

「……」


 海斗とぶつかった拍子に、手に持っていたサンドイッチを落としてしまったのだろう。

 しかも潰してしまうとはあまりに運が無い気がするが、その原因である海斗にそんな事を言う資格はない。

 呆然としたままサンドイッチを眺める少女の背中が、あまりにも哀愁あいしゅうを漂わせている。

 その姿を見ていられず、自らの弁当を差し出した。


「お詫びに俺の弁当を食べますか?」

「どうして?」

「俺が潰したようなものですし、食べるならこっちの方が良いと思っただけですよ」

「必要ない。お昼くらい抜いても――」


 平気だ、と言おうとしたのだろう。

 けれど、彼女の腹が無情にも空腹を訴えた。

 流石に恥ずかしかったのか、白磁の頬にさっと朱が混じる。


「ぅ……」

「そ、そういう訳で、はいどうぞ。水筒も」

「あ、え、えぇ?」


 半ば無理矢理弁当と水筒を持たせると、彼女は蒼の瞳を瞬かせた。

 混乱しているうちに、潰れたサンドイッチと傍に落ちている紙パックの牛乳を拾う。

 潰れて見た目は悪く、しかも一度地面に落ちているのだ。こんなものを女性に食べさせる気はない。もちろん飲み物も。

 こういう時こそ男の見せどころだろう。


「俺はここで食べてるんで、先輩が食べ終わったら弁当箱だけ返してください。サンドイッチと飲み物代は――すみません、手持ちがないです。食べ終わったら教室に取りに戻りますね」


 流石に弁当箱ごと彼女にあげるつもりはない。新しく買うくらいなら返してもらった方が効率的だ。

 残念ながらサンドイッチ等の代金はすぐに払えないので、後で払う事にする。

 一緒に食べる提案など乗らないはずだし、さっさと言い切って倉庫の壁にもたれた。


「……? ……!?」


 あっという間に話が進んだせいで、頭が追い付いていないらしい。

 彼女が目をぱちくりとさせ、顔を困惑に彩らせた。

 とはいえそれもすぐに収まり、海斗と同じように倉庫の壁に凭れる。

 違う場所で食べるかと思ったが、どうやら一緒に食べるらしい。

 それでも、海斗と彼女の間はかなり空いているのだが。


「……お金は、いい。お弁当、ありがとう」

「なら遠慮なく」


 お金払わなくていいと言うのなら、これ以上あれこれ言っても意味が無い。

 弁当を先輩に渡して、海斗は潰れたサンドイッチを食べる。

 何だかおかしな光景だなと思いながら、昼飯を口に含んだ。

 コンビニのサンドイッチを食べるのは久々だが、それなりに美味しい。

 けれど海斗の腕も負けてはいないはずだ。そんな風に内心で無駄な対抗意識を燃やしていると、彼女が弁当を開いて綺麗な所作で手を合わせた。


「いただきます」


 今日の弁当は昨日の晩飯の余り物であるハンバーグに、朝食の残りである卵焼きだ。

 もちろん、ほうれん草等の野菜もバッチリ入れてある。

 自慢出来るものではないが、人に見せられないくらい悲惨な弁当でもない。

 とはいえ、心配になって横目でチラチラと彼女の様子を窺う。

 まずは卵焼きのようでおずおずと口に含めば、アイスブルーの瞳が驚きに見開かれた。


「この味……」

「えっと、口に合いませんでしたか?」

「そうじゃ、ない。……多分、気のせい」

「……そうですか」


 どうやら不味い訳ではないらしく、彼女の箸は止まっていない。

 海斗の料理から何かを感じ取ったようだが、踏み込む必要はないと口をつぐむ。

 それ以降は無言で食事を行い、お互いに腹を満たした。


「ごちそうさまでした。お弁当、本当にありがとう。えっと――」


 彼女が僅かに眉を下げ、言い辛そうに口をもごもごさせる。

 ぶつかった事が始まりとはいえ、自己紹介すらしていなかった事に苦笑を零した。


「ああ、忘れてました、すみません。一年の天音海斗です」

「ん。天音海斗だね。私は二年の西園寺凪」

「西園寺先輩、ですか?」


 その名前は海斗の高校ではちょっとした有名人だ。

 とはいえ海斗は興味などなく、クラスメイトがよく話しているのが耳に入っただけなのだが。

 凪の家がいくつも会社を経営しており、お嬢様である事。

 既に有名大学を卒業出来るだけの知識を持っているらしく、全国模試では堂々の一位である事。

 美少女と断言出来る容姿だが、全く表情が動かず声も平坦で、誰とも仲良くしない事。

 そんな人が、まさか目の前の少女だとは思わなかった。

 おそるおそる確認を取れば、無機質な硝子彫刻のような顔が縦に揺れる。


「うん。よろしく――はしなくていいよ。改めてありがとう。お弁当箱返すね」

「は、はい」


 どうやら、他人を拒絶しているのは本当の事らしい。それでも一緒に昼飯を摂ったのは、弁当箱を気にしたからだろう。

 凪の声には相変わらず抑揚がないので、予想でしかないが。

 何と返事をすればいいか迷っていると、タイミングが良いのか悪いのか予鈴が鳴った。


「それじゃあさよなら、天音」

「……はい」


 挨拶はしてくれたものの、その後はまるで海斗が始めから居なかったかのように、あっさりと凪が立ち去る。

 掴み所のない先輩に戸惑うが、このままでは授業に間に合わないと海斗も倉庫の裏を後にするのだった。

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