第15話

「いつまで俺を待たせる気だ⁉ 俺がここにいると分かっていてずっと扉を開けずにいただろう!」

 カルバスは苛立ちを隠そうともせずに大声で怒鳴った。

「部下の前でヒステリー起こすの止めた方がいいよー。職場内に怒鳴る人がいると、仕事のパフォーマンスが下がっちゃうんだって。あ、前じゃなくて後ろか」

 若干馬鹿にしたような笑い声をスティルが上げた。

「俺は女みたいにヒステリーなんぞ起こさな……おお! これは我が妻、スティルではないか! 忠告ありがとう! 次からは気をつけるとしよう!」

 険悪な表情から一転、スティルが言ったのだと分かると急に朗らかな笑みを見せた。反対にスティルの目が据わり、「誰もお前の妻なんかになった覚えは無いっての」と舌打ちを交えて呟き私の背筋を凍らせた。本当に私の願いを聞いてくれるのだろうか……。

 だがまたカルバスはすぐに表情を険しくさせた。

「その後ろにいるのはロクドトだな! お前の治癒魔法の腕を見込んでディカニスの一員としてやったのに、魔王に下るとは愚かなり! 度々我が妻の部屋へ訪れていたそうだが、それも魔王の手先として我が妻を洗脳させる為だろう!」

「いや、それは違」

「言い訳を聞く気は無い!」

 ロクドトの事だから、言い訳ではなくただ普通に事実を述べようとしたのだろう。だが聞く耳を持たなさそうなカルバスに一喝された。

「そこの君!」

「はい⁉」

 カルバスは突然私を指差した。この流れからして私にも何か言ってくるかもしれないとは思ったが、大きな声で呼ばれるとビックリして返事をする声が裏返ってしまった。

「君とは昨日会ったな。何故あの時、本当の事を教えてくれなかったのだ?」

「あ、それは……」

 鋭い眼光で射竦められ、言葉が出てこない。そんな私を見てカルバスは、ふ、と口元に笑みを浮かべた。

「見たところ君も魔王の手先のようだが、俺には分かるぞ! 君も魔王に洗脳された被害者なのだろう?」

「……は?」

「今まで怖い思いをしてきただろうが、この俺、カタ神話の最高神であり戦神カルバスが来たからにはもう安心だぞ! 俺の元に来るがいい! 魔王の洗脳を解き、今後一切魔王が近寄れぬよう保護してやろう! それともし君が望むのであれば、君をクリアドラ・シャリムに連れていき、俺の側室にしてやろう! 正室のスティルとはもう知り合っているようだから、共に行けば寂しい思いをする事もないだろう!」

「……」

 駄目だ。理解できない。と言うよりも脳が彼の言葉を理解する事を拒んでいる。最初は呆気に取られていたが、だんだんと怒りの感情が湧いてきた。スティルの気持ちがよく分かる。洗脳だの側室だのと勝手に決めつけられて、大人しく黙っていられるか。強大な敵を相手にするのは怖いが、それでも言い返さなければならない。奴の言っている事を否定しなければ、肯定したと受け取られてしまう。

 私は大きく息を吸い、声を震わせながらもこう言った。

「私は洗脳されてないし、お前の側室なんかにもならない。スティルさんだってお前の妻じゃない」

 この言葉を聞いて、扉を取り囲んでいる騎士達が俄かにざわめきだした。己の神に失礼な口を利かれたのだから、無理も無いだろう。私の知った事ではないが。だがカルバスは動じず、怒るどころか寧ろ悲しむような顔をした。

「ああ、何という事だ。ここまで洗脳が酷いとは。魔王! 我が妻だけでなく、いたいけな少女までも洗脳させるとは非道の極み! 誇り高きディカニスの騎士達よ! 我が妻達を保護し、魔王ディサエルと悪に堕ちたロクドトを捕らえるのだ!」

 ここまで言われてはもう我慢できない。迫り来る騎士達を押し退け、自分勝手でわがままな、神を騙るあの男に一発食らわせなければ気が済まない。双子が騎士達と交戦しようと私の前に出てきたが、私は構わず杖を取り出しカルバスのいる方へと向けて叫んだ。

「散れ!」

 杖の延長線上にいた騎士達が、まるでモーセの海割りのように横に退けられカルバスへと続く道が出来た。

(わ……ヤバ……)

 怒りに任せて魔法を放ってしまったが、まさかここまでなるとは思いもせず、ふと我に返った。今や怒りの感情よりも、自分のした事への驚きが大きい。障害も何も無く真正面に立つカルバスも、驚いた顔をしている。

「キミ意外とやるな」

 後ろでロクドトがぼそりと呟いた。

「あ、えと……」

 どうしよう。確かに騎士達を押し退けたいとは思ったが、本当にそうなるとは予想していなかった。倒れた騎士達はもう起き上がっているが、ただのか弱い少女だと思っていた人物が実はそれなりの強さを持つ魔法使いだとでも思ったのか、剣の切っ先をこちらに向けて警戒している。マジでどうしよう。

 そこへスティルとディサエルが、私にだけ聞こえるような声でこう言ってきた。

「早速願いが一つ叶ったね」

「カルバスに一発食らわせるんだろ? だったらもっと堂々としろよ」

「……!」

 願いを何でも聞いてあげる、というのはこういう事か! 今の私はもうディサエルだけでなく、スティルの使徒でもある。それはつまり、スティルにも私の心が読めるという事だ。私が騎士達を押し退けたいと願ったから双子がそれを叶えた。魔法を放ったのは私の意思ではあれど、その魔法に使われた魔力は私のものだけではない。杖の先から始まる魔力の痕跡には、ディサエルとスティルの白黒の魔力も混ざっている。双子が直接攻撃すると大惨事が起きるから、私の願いを叶える、という形で力を使っているという訳だ。最終的にはカルバス他ディカニスのメンバーを元の世界に戻すのだろうが、それまでの間にも私が何か願えばそれを叶える気だ。まったく。この神様達には敵わない。

「我が側室は少々お転婆のようだな。まさか君もそのように強い魔法が使えるとは。だが君のような少女が、魔王の命令により人を傷つけるのはさぞ辛かろう。さあ、こちらに来るがいい! 君の苦しみを取り除いてあげよう!」

 カルバスが何かほざいている。それでまた私の怒りが沸々と湧き出てきた。うるさい。私の事を何も知らないくせに、ごちゃごちゃと。だが私はこいつに一発食らわせると願ったんだ。その為にも奴の側に行かねばなるまい。神の加護があろうがなかろうが、それが私の意思である事に変わりはない。ああ、行ってやるさ。お前の元に。

 覚悟を決めて一歩踏み出た私の肩を、ディサエルが掴んできた。

「行く必要はない」

 ——何発でも食らわせてやれ。

 口から出た言葉とは裏腹なディサエルの声が、私の脳裏に響いた。驚きはしたが、それをおくびにも出さず私は返した。

「私は行く」

 ディサエルが手を離し、私は一歩、また一歩と前に出た。

「そうだ。いいぞ。こちらに来い」

 その先ではカルバスが手を広げて待っている。まさかこいつ、私が抱きつくとでも思っているのか? 気持ち悪い。

「翠、待って。わたしも行く」

 スティルが私の手を掴んできた。そこから彼女の魔力が流れ込んでくるのを感じ、横を見ると悪巧みを考えている子供の様な笑みで見返してきた。しかしそんな彼女の表情にも気づかず、カルバスは嬉しそうに高笑いした。

「おお、スティル! 我が妻よ! 君も来てくれるのか! こんなに嬉しい事はないぞ! さあ、皆でクリアドラ・シャリムに行こう!」

 だからクリアドラ・シャリムって何だ。

 剣を構えた騎士達が後ずさりする中、私達は手を繋いだまま歩き、とうとうカルバスの前まで来た。昨日も思ったが、改めて間近で見ると大分背が高い。おまけに派手な鎧を着ているものだから、威圧感も他の騎士より高い。

「よく来てくれた。我が妻スティル、そして我が側室よ。君達はもう安全だ。あの魔王はこの俺が倒してくれよう」

 そう言って私達の肩を抱こうとするカルバスの手を、スティルは魔法で、私は杖で叩いて振り払った。

「おい……どうした。何故拒否する。これも魔王のせいか?」

 二人共に拒否された事がよっぽどショックだったのか、カルバスは困惑した表情を見せた。

「そうやって何でもかんでも魔王のせいにするの、本当によくないよ。思考停止しすぎ。何処に、誰に原因があるのか考えた事ある?」

 真顔でスティルが答えた。

「何を言っているんだ我が妻よ。全ての悪い事は魔王に原因があるのだから、魔王を責めるのは当たり前の事だろう」

「そう。じゃあこれも魔王のせいだね」

 スティルが腕を高く上げると、そこだけ天井が吹き飛び、その風の影響で蝋燭に灯っていた火も消えた。穴の開いた天井からは月の光が差し込み、スティルにスポットライトが当たる。月光に照らされたスティルの姿はとても神々しく見える。

「これも」

 彼女の美しさに目を奪われていた騎士達が一斉に宙に浮く。

「な、何をしているのだ我が妻よ。君なら魔王の洗脳だって自力で」

「ああ、ごめんなさいカルバス。わたしにはもう魔王に抗う力が無いの。全ての原因は魔王にあるんでしょう? だったら早く魔王を止めて」

 悪戯っぽい笑みを浮かべながら、スティルが上げた腕を前に突き出すと、騎士達がカルバス目掛けて飛んでいった。カルバスは咄嗟に魔法の防護壁を作ったが、数が多いのか、それともスティルの力の方が上なのか、防護壁は破られ押しつぶされた。

「この——ッ!」

 埋もれながらもカルバスは罵声の言葉をスティルに浴びせた。

「我が妻、我が妻って言っておいて、結局これなんだもん。やっぱり人間の三大欲求って、支配欲、自己顕示欲、攻撃欲の三つだと思うんだよね~」

 そう言ってスティルは冷めた目で騎士の塊を見た。その塊はスティルの魔力で固められ、呻き声は聞こえども誰も動けずにいる。

「あの、スティルさん。これ……」

「ん? ああ、大丈夫大丈夫。死んでないから。声もしたでしょ? あ、そっか。翠も一発ぶん殴りたいんだったね」

 殴るとは言っていないが、訂正する前にスティルが塊の中からカルバスを引っ張り出した。スティルの魔法でか口は塞がれているが、怒りに満ちた彼の目に射竦められた私は思わず目を伏せた。私がカルバスに一発——どんな方法かはさておき——食らわせられるのだろうか。

「ねえ、ドクズ。お前が勝手に側室だと言ったこの子、お前に言いたい事があるんだって。ね、翠! 言わなきゃいけない事があるんだよね?」

「え、それは……」

 そう言ったのはスティル自身ではなかったか? だが……ああ、この神の事だ。あの時点から既にこうなる事を予想していた、と言われても不思議ではない。

「ええ、そうですね。言わなきゃいけない事があります」

 男性相手では物理的な力では敵わない。神相手では魔法の力も及ばない。でも言葉なら……!

「私は、お前とは……いや、誰であろうが、絶対に結婚なんかしない」

 人差し指を突き付けるように、杖を構える。

「スティルさんも、お前の、誰の、妻でもない」

 カルバスとディカニス全員を元の世界に送り返す事をイメージする。

「私も、スティルさんも、洗脳なんかされてない」

 双子の神の魔力が体内に流れ込んでくる。

「ディサエルは、魔王なんかじゃない」

 私は信じる。

「勝手に決めつけるな」

 私はできる。

「魔王が近寄れないようにする? 違う。私達に近寄れなくなるのはお前の方だ! 失せろ!」

 杖の先が光を放ち、眩しさに目を細める。白と黒の魔力が迸り、一瞬でモノクロ映像の様な景色になった。力の奔流に飲みこまれそうになるのを必死で堪える。あの双子は何処にこんな力を隠し持っていたんだ?

 ——嘘ついててごめんね?

 ——もう少し辛抱してくれ。

 そうは言われても。

「うっ……」

 強すぎる魔力に押しつぶされそうだ。

 膝をつきそうになる私を、後ろからディサエルが支えた。

「お前は大丈夫だ。オレがついてる」

「……うん」

 最後のお見舞いとでも言わんばかりに杖の先の光が破裂し、辺り一面を太陽の様な光で満たした。思わず目を閉じたがすぐに光は収まり、恐る恐る目を開くと、カルバスの姿も、騎士達の姿も見えなかった。

「やっ……た……」

 一気に気の抜けた私はそのまま崩れ、遠のく意識の奥で私の名前を叫ぶ声が聞こえた。

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