第13話
「うっふふふふふふふ! あはははははははははははははは!」
スティルが腹を抱えながら大声で笑った。
「あなたって素直でとっても良い子だね! 怖い目に会いたくないなら、信じなきゃいいのに!」
壁が崩れた事にまず驚き、そんな中で突然笑い出したスティルにも驚き、呆然としている私を笑っているのだと気づくまでには少々時間が掛った。
「あははっ。でもたぶんディサエルからは信じるように言われてるんだよね。そうじゃないと魔法が使えないもん」
ひとしきり笑った後、スティルは呼吸を整え魔法で壁を元に戻した。
「驚かせちゃってごめんね。人の驚いた顔って大好きだから、わたしという存在を分からせる為に信じさせて力を使うのが楽しすぎて、ついやっちゃうの。ディサエルもこういう事やってなかった?」
……やっていた。ここに来る前、コダタにディサエルが魔王である事を知らしめる為にやった。それと同じ事を、私は今スティルにやられたのか。
「信じる事と、何を司る神なのかを知る事の大切さが……神にとっての大切さが、よく分かりました」
悔しさや怒りだけではない、何とも形容し難い複雑な感情を胸に抱いた。ああ、なるほど。対等に接するなど、元から無理なのだ。存在の在り方が違い過ぎる。神と公平である事など、最初からありえない。ロクドトは何故こんなのの使徒になる契約をしたんだ。こちらに利益があるとは到底思えない。
「別に一方的に信仰心を与えてもらってるだけじゃないよ? 力を貰う代わりに、この子のお願いも聞いてあげてるもん。あなたとディサエルだって、あなたがディサエルを信仰する代わりに、ディサエルも何かあなたにしてあげてるんじゃないの?」
ディサエルが私に何かしてくれている事と言えば……。
「ご飯作ってくれたり、掃除してくれたりとかしてますけど……それって事ですか」
私が知らない間にそういう契約になっていたのか。たぶん信仰する事だけじゃなくて、妹探しや屋敷に住まわせる事も契約内容に入ってるんだろうな……。依頼を上手い事契約に入れ込んだんだな……。
「あ~、ディサエルってば世話焼きだから、そういう事しそう」
スティルは納得した顔をしてうんうん頷いた。
「スティルさんは、ロクドトさんに何をしてあげてるんですか?」
これを聞いたら、視界の端でロクドトが明らかに狼狽しているのが見えた。流石にこの質問は他人のプライバシーを侵害していたか。
「わたしは別に喋ってもいいんだけど、この子が嫌がってるから内緒にしておくね」
とスティルが言うと、ロクドトは安堵した表情を——いや、表情はよく見えないから雰囲気だけで勝手に想像しただけだが——見せた。そんな反応をされると寧ろ気になって仕方がない。後でこっそり聞けないだろうか。
「ねぇ、ところであなたはどうしてここに来たの? 用も無しにこんな所まで来ないよね」
ディサエルに似た所作で優雅に紅茶を飲みながら問うスティル。彼女の言う“ここ”がこの部屋を指すのか、教会自体を指すのかははっきりしないが、成り行きでここまで来たとは言え当初の目的を忘れていた。
どこから説明したものか迷ったが、事の始まりはディサエルの「妹を探すのを手伝ってほしい」という言葉だ。そして今私の目の前にいるこの少女こそがディサエルの妹だ。ならばその始まりから説明するべきだと感じ、ディサエルとの出会いから今に至るまでの話をスティルに聞かせた。今日はよく事の成り行きを人に説明する日だ。途中途中でスティルが質問してきた為少し時間は掛かったが、話し終える頃にはスティルはすっかり感心したような表情をしていた。
「それじゃあ、わたしをここから出してくれる為に、あなたはここまで来てくれたんだね。ありがとう、翠」
柔和な笑顔を浮かべながらスティルはまた私を抱きしめてきた。だが先程とは違って恐ろしさを感じない、優しい抱きしめ方だったので私も抱きしめ返した。彼女の身体の柔らかさや体温、甘い匂いを感じ、心が浄化されていく。ディサエルもだったが、スティルも同様に第一印象の悪さ故に勘違いをしていただけで、本当は良い神様なのかもしれない。種族や生きた年数、思想の違いから齟齬が生じてしまうのは仕方のない事だ。ちゃんと話し合えば、分かり合う事ができるのだ。
暫しの抱擁を終え、身体を離してからもスティルは私の手を握っていた。不思議と悪い気はしない。彼女に触れられていると、多幸感が湧いてくる。これもある種の彼女の力なのだろうか。
握った指を絡ませながら、スティルは赤い瞳で私を見つめてきた。
「ねぇ、翠。わたしはずっとここから出る事を願ってきたけど、力が足りなくて、それは叶わなかったの。でもディサエルが来てくれるなら、それは今日にでも叶う。ロクドトが言ったように、そういう計画のはずだから。だってディサエルがわたしを見捨てるはずがないもん。それに、きっとディサエルはあなたの事を信じてる。ディサエルが信じているなら、わたしも信じたい。だから……ねぇ、翠。あなたにもわたしを信じてほしいの。ここから出るには、上にいる子達が邪魔でしょう? あの子達を追い払う為の力が欲しいの。あなたがわたしを信じてくれたら、わたしはそれができる。翠、わたしを信仰して。わたしの使徒になって」
いつの間にか息遣いが感じられる程、スティルの顔が近づいていた。その薔薇の様に赤く美しい双眸から目が離せない。胸の鼓動が高鳴る。スティルの使徒。嗚呼、何て甘美な
「目を覚ませ」
「わっ」
突然後ろからぐいと服を引っ張られた。その拍子にスティルと繋いでいた手も離れた。
「突然何するんですか! 首が締まるじゃないですか!」
服を引っ張った張本人、ロクドトに苦情を言いながら後ろを振り向くと、彼は鬱陶しい程長い前髪の奥からスティルを睨んでいた。
「そうだよ、何邪魔してるのロクドト。折角いい所だったのに」
(……?)
先程までとは違い、スティルの声に何か嫌なものを感じた。
「キミはそうやって人を誑かすのをやめろ。キミは神に対してもっと警戒心を持て」
ロクドトは最初の「キミ」をスティルに、次の「キミ」を私に向けて言った。
「ええ~。翠は素直で良い子なんだから、警戒心なんて持ったらその良さが無くなっちゃうよ」
まただ。何なんだ、この違和感は。
「それはキミが彼女を面白がれなくなるからだろう。いいか、紫野原翠」
「は……はい」
突然フルネームで呼ばれて背筋が伸びた。
「キミは今、スティルに魔法を……早い話が催眠術を掛けられていた」
「……はい?」
「彼女に触れられている間、安心感だとか、幸福感といったものを感じていただろう。顔を見れば分かる。それが何よりの証拠だ。そうやってキミを安心させ、信じさせて使徒となる契約を結ばせようというのが彼女の魂胆だ。キミは……スティルが言ったように、素直で良い子だ。そんなキミがスティルの、破壊を司る神の使徒になるのは、荷が重すぎる」
「っ……」
言われ、気づいた。私を取り巻く白い靄に。この部屋自体が白すぎて分かりにくいが、スティルに触れられていた部分に、彼女の魔力が漂っている。同時に違和感の正体も判明した。スティルと接触している間は、彼女に対して不快感や嫌悪感といった悪い感情は一切起きなかった。それは彼女と触れ、目を合わせている間だけ催眠術を掛けられていたからで、離れた途端にそれが解けた。だから彼女の内に潜む恐ろしい部分に気づけるようになったのだ。
(ああ、そうだ……)
これだって、目的は違えど似たような事をディサエルが美香にやっていたではないか。
「もう。種明かししちゃつまらないでしょ」
悪びれる様子もなく、スティルは頬を膨らます。
「あなたの信仰心だけでもそれなりの力にはなるけど、もっと力がある方がいっぱい壊せるでしょ? だからこの子からも信仰心を貰いたいのに」
「あ……」
そうだ。スティルは月を司る神でもあるが、破壊を司る神でもある。そんな彼女に、月が輝いている時間帯の今、更に力を与えたらどうなる? 誰かを攻撃しても生きていれば問題ないと思っているような彼女にだ。たとえすぐに死人は出なくとも、瀕死の人が続出するのではないか? そんな光景は……見たくない。それはきっと、命を奪い奪われるのが好きではないと言ったロクドトも同じなのだ。
「やっとキミも気づいたか。ならば無暗に神に力を与えるような事をするな」
「……はい」
ケチ。とスティルが呟いた。
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