第12話

 壁も床も天井も白く、調度品は差し色として金色や銀色が使われていたりもするが、それ以外の殆どが白。白くないのは本棚に並べられた本や、出された紅茶とクッキー等の白くできないものくらいだ。勧められるがままにふかふかの白いソファに座った私は、つやつやとした白いテーブルに置かれた紅茶を一口飲んだ。暖かい紅茶が幾分か私の心を和らげた。

「初めまして。わたしがスティルです。ディサエルの妹だって言った方が分かりやすい?」

 テーブルを挟んで向かい側にある、真っ白いソファにゆったりと腰かけてスティルが言った。その柔らかい笑みの後ろでは、魔力が円形の幾何学的な模様を描いてゆっくりと回っており、見る者に畏怖の念を抱かせた。彼女は間違いなく神であり、ひれ伏すしかない。そんな気持ちにさせられる。ディサエルとは別の意味で恐ろしい。

「私は、紫野原翠です。あなたの事は、ディサエルから伺いました。あの……ロクドトさんは、大丈夫なんですか?」

 ぶつけられた頭を抑えながら重い扉を閉めようと奮闘しているロクドトを指差しながら聞くと、スティルはきょとんとした顔でこう言った。

「何が?」

「っ……」

 私は絶句した。自分であの状態にさせながら、何食わぬ顔で「何が?」と言うような奴とはまともに会話ができる気がしない。

「あなたを怯えさせた相手の心配をするなんて、優しい子なんだね。でも心配する必要は無いよ。生きてるから」

 いや、生きてるから大丈夫だとかいう話ではない。首を掴まれ頭を何度もぶつけられたのだ。そんな状態の人を普通は大丈夫とは言わない。

「怪我とか、首を絞められたので呼吸器官に損傷はないかとか……そういう心配をしているんです。あと、部屋の外で何があったか知ってるんですか?」

 言葉にすれば少しは理解してもらえるだろうかと思ったが、願いは虚しく去った。スティルは首を傾げている。

「ああ、この子が来る時って大体見張りとひと悶着起こすんだよね。だから今日は何するのかな~っていつも聞き耳立ててるの。で、そのロクドトの事だよね。生きてるのに、何でそんなに心配するのか分かんないな。もしかしたらディサエルから聞いてるかもしれないけど、わたし達って人間を殺すのは禁止されてるんだよね。だから死んじゃう様な事は何もしてないよ」

 ディサエルから聞いたのは、人間に危害を加える事は禁止されているという話だ。殺す事も危害を加える内に入るだろうが、規模が違い過ぎる。だがそのディサエルだって、コダタに危害を加えたではないか。言い方の違いなのか、解釈の違いなのか、どちらかが正解なのか、どちらも間違っているのか、もう何も分からない。

 そこへふらふらとした足取りでロクドトがやってきて、スティル側のソファの横に腰を下ろした。どちらのソファも三人掛けだから余裕はあり何故床に座ったのか疑問だが、きっと彼なりの遠慮とか配慮とか、もしくは恐れとか、そういうものだろう。

「キミがワタシの事を心配する必要は無い。全面的に悪いのはワタシだ」

 ロクドトは出会った時からボロボロな格好をしていたが、今はボロボロの前に〝心身ともに〟という言葉を付け加えた方がいいくらいの満身創痍っぷりである。

「ほら、この子もこう言ってるし、心配しなくていいよ。それよりもあなたの話を聞かせて! ここまで来たならもう分かってると思うけど、ここって男の子ばっかりでしょ? 久しぶりに女の子と会ったんだもん、あなたとの会話を楽しみたいの!」

 あまりの話の通じなさに困惑して、私はロクドトに助けを求めるように視線を向けたが、諦めろとでも言うように首を横に振られて終わった。会話を楽しみたいと言われても、これっぽっちも楽しめる気がしない。まともな会話の内容さえも思い浮かばない。恐怖心と疑問符で頭がいっぱいだ。

「えーっと、あの……何でロクドトさんを、あんな、何度も……ぶつけたんですか?」

「この子の事がそんなに気になるの? そんなに心配性なら教えてあげるけど、わたしって女の子を酷い目に合わせる人が嫌いなんだよね。だから、女の子を酷い目に合わせたら、自分も酷い目に合うんだって事を教えてあげたんだよ。この子はさっきあなたを怖がらせたんだよね? だったら、当然の報いを受けただけでしょ?」

 因果応報にしては、行いと報いのバランスが悪すぎる。それにロクドトは何故あのような行動を取ったのか説明して、私はそれに納得した。確かにビックリしたし、その前から騎士たちを怖がっていたのもあって余計に恐怖心を抱いたが、だからと言って頭をぶつけられるのは当然の報いだとは思わない。報いを受けるにしても、限度がある。

「私がディサエルから聞いたのは、人を殺すどころか、そもそも危害を加える事を禁止されている、という話です。それに、私は……人が理不尽に傷つけられる所を見たくはありません」

 ここまで言ってやっと少しは理解したのか、スティルははっとした表情を浮かべた。

「そっか……わたしもあなたを酷い目に合わせてたんだね。ごめんね。気がつかなくって」

 スティルは立ち上がり、私の横に来てそっと抱きしめながら囁いた。

「ごめんね。今度からはあなたのいない所でやるね」

 いや、違う。そうではない。やっぱり理解していない。背筋に悪寒が走った。

「あの、できれば人を傷つけない方向でお願いします」

 恐ろしい神の腕に抱かれた身体を強張らせながら言うと、スティルはころっとした笑顔で返した。

「う~ん、それは残念。わたしの楽しみを奪われる事になっちゃうな。でもいいよ。あなたはディサエルの使徒だから。あなたが悲しむとディサエルも悲しむもんね」

 漸く腕を離したスティルは、そのまま私の隣に座り直した。ところで使徒って何だ。

「あれ? あなたはディサエルの使徒じゃないの? ディサエルの事だから、一先ず使徒だけわたしの所に送り込んで、それからわたしをここから出す為に自分も乗り込んでくるのかな~って思ってたんだけど……。もしかして全然違う用事で来た人?」

「いえ、おそらくはそういう計画なのかもしれませんが……私が聞きたいのは、使徒の意味です。ディサエルの使徒、というのはどういう意味ですか?」

 この話に関しては合点がいったらしい。私にも理解できるような解説をしてくれた。

「わたし達……つまり、わたしとディサエルは、時々二人で色んな世界を旅するの。わたし達を神と崇めてくれる世界に行くのが殆どだけど、たまにこの世界みたいに、わたし達という神が存在しない世界に行く時もあるんだ。そういう世界では信仰心が得られないから、簡単な魔法を使うのがやっとってくらいの魔力しかないんだよね。そうなると別の世界に移動する事も難しいから、魔力、つまり信仰心を得る為に、その世界にいる人間にわたし達を信仰してもらう必要があるの。それで、そのわたし達を信仰して魔力を与えてくれる人の事を、わたし達は使徒と呼んでいるってわけ。あなたはディサエルを信仰して、魔力を与えてるんだよね? だからあなたはディサエルの使徒。使徒との結びつきが強いと、魔力と一緒に使徒の思考とか感情が流れ込んでくる時もあるんだよ。あなたとディサエルの結びつきがどれ程のものかは知らないけど、強さによってはあなたが感じた喜怒哀楽を、ディサエルも一緒に感じ取る事ができるの。逆も然りだけどね。ちなみにわたしの使徒はこの子」

 そう言ってスティルはロクドトを指した。だがロクドトはこの世界の人間ではないはずだ。

「ああ、別に元からこの世界にいる人間じゃないと駄目って訳でもないの。今この世界にいて、信仰してくれればいいだけだから」

「そうなんですか。それならロクドトさんだけじゃなくて、ここにいる騎士の皆さんもあなたの使徒なんですか?」

 それを聞いたスティルは一気に不満そうな顔をした。

「あ~ダメダメ。あの子達は全然ダメ。あの子達が信仰してるのはカルバカだけで、わたしの事は綺麗な置物程度にしか思ってないもん。ほんっと失礼だよね。わたしが何者なのかも全然分かってないし。何がバカの妻だっての。結婚した覚えもなければ、そもそも誰とも結婚する気すらないのに」

 スティルは不貞腐れながらそう言った。カルバスの事をバカ呼ばわりしたのは空耳かと思ったが、そうでもなかった。勝手に妻呼ばわりされたら、罵りたくもなるよな……。

「何でロクドトさんだけ使徒になったんですか?」

 この質問にはロクドト本人が答えた。

「野蛮人共が保護だとか言ってスティルを捕らえた時、彼女は魔力不足もあって疲弊していた。原因も分からない愚か者共が、魔王に捕らえられていたせいで調子が悪いようだから、とスティルをワタシの所へ連れて来たんだ。その時、魔力を供給する為に彼女の使徒となる契約を結んだ」

「そう。だからこの世界にいる間、この子はわたしに魔力を与える為にわたしを信仰する、わたしだけの奴隷なの」

 可愛い顔をして物騒な事を言ってきた。

「奴隷って……だからあんな酷い事をしてもいいと言うんですか。それって、凄く……不公平だと思います」

「そんなに酷い事したかな。あなたは今日初めてわたしと会ったから知らなくても無理はないけど、わたしは破壊を司る神なの。そしてこの子はただの人の子。格が違うんだから、公平な扱いを受けるだなんて身の程を弁えてなさすぎる。それを思い知らせてあげないと、正しく信仰できないでしょ?」

「思い知らせるだなんて……そんな……」

 あまりにも理不尽だ。

「いいんだ。ワタシはそれを承知の上で使徒になったのだから」

「ね。この子は賢いから、わたしと会った時から、わたしが何を司る神なのかちゃんと知ってたの。だから破壊神としての威厳を見せつけてあげないと、可哀想でしょ」

 その神が何を司っているのか。それを知る事は大切だとディサエルは言っていた。だがこうも言っていた。

「あなたは月を司る神でもあり、破壊よりも月の方が大切だと聞きました」

「そう。ディサエルからそう教えてもらったんだね。それじゃあ月の力が何か、知ってる?」

 それは知らない。潮の満ち引きだとか、スピリチュアル的なパワーくらいしか思い浮かばない。

 悩む私に月の光のように柔らかな笑みを見せ、スティルは言った。

「分からなくても大丈夫だよ。月のイメージって、国や宗教、神話によっても様々だからね。不老不死だったり、成長だったり、死だったり。でもわたしとしてはそんな細かい事どうでもいいの。今この瞬間、わたしの頭上で月が輝いているかどうか。そっちの方が大切」

「はぁ……どうしてですか?」

 ふふっ、とスティルは笑い声を漏らした。

「月が輝いている時間の方がわたしの力が強まるから」

 今はもう月が夜を照らしている時間だと気づいた途端、廊下側の壁が音をたてて崩れ落ちた。

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