第8話

 結局この日は誰も来なかった。事務所でダージリンティーを入れ、ディサエルが焼いたチョコチップクッキーを食み、読みかけの小説を読み終えた頃には、窓の外が夕焼けで赤く染まっていた。

「買い物行かなきゃ」

 昼食の時にディサエルが「食材が減ってきた」と言っていたのを思い出した。ディサエルはもう夕飯を作り始めている頃合いだろうが、思い立ったが吉日。今からスーパーマーケットへ行こう。

 その前に食器を洗うために厨房へ行くと、案の定ディサエルがいた。料理をする時は、いつもジャケットを脱いで腕まくりをしている。

「今からスーパーに行くんだけど、何か買ってきてほしいものある?」

 人参の皮を包丁で丁寧に薄く切っていたディサエルが、手を止める事なく口を開いた。

「お前が食べられるものなら何でも好きなもの買ってこい。お菓子の材料もな」

「……了解」

 冷蔵庫の中身から、私の苦手な食べ物を推察していてもおかしくはないだろう。あれこれ要望を言えば、その中に私の苦手なものも含まれる可能性を考慮して先程のような返答になったのだ。なんてお優しい事だろう……と勝手に思っておく。ああ、分かっているさ。そんな事一ミリも考えてないって。どうせ答えるのが面倒だったんだろう。

「何が置いてあるか知らないんだから、仕方ねぇだろ」

「あ……はい」

 また心を読まれた。おまけに確かにそうだと納得するしかない回答だったから、こんな返事しかできなかった。

 食器を洗ってから冷蔵庫を開けて何が少ないかを確認。読んでいた小説を書斎の本棚に戻し、買い物へ行く準備をする。財布、鍵、スマートフォン、折り畳み式の保冷バッグ。それらを全部ポシェットに入れて、持ち物はオッケー。ディサエルに「行ってきます」と声を掛け、玄関脇に置いてある自転車と一緒に外に出る。

 五分程自転車を走らせた先に、目的のスーパーマーケットがある。この『はしもとスーパー川上店』は屋敷から一番近いスーパーマーケットである。その為屋敷に住み始めてから何度も利用している。それなりの広さを持つ店舗内に、それに見合う数の商品が並べられている為、欲しい物は大体手に入る。

 自転車を停め、買い物カゴを持って入店。色とりどりの野菜や果物が並べられた青果コーナーから順に見て回る。キャベツにレタス、キュウリ、ジャガイモ、その他諸々。昨日沢山使ったからタマネギは少し多めに。果物も何種類か買っておけば、ディサエルがそれで何か作るだろうか。でも果物って高いんだよな……。とりあえず一番安いイチゴを一パック……ああ、でもディサエルの作るイチゴジャム美味しいんだよな。二パックにしよう。それとオレンジを一個カゴの中へ。

 鮮魚コーナーへ来て、ディサエルが魚料理を作った事が無い事を思い出した。と同時に、そもそも魚を買っていない事も思い出した。無いなら作れるはずもない。もしや私が魚嫌いだとでも思われているのだろうか。別に魚を買っていなかったのは嫌いなのではなく肉の方が腹が膨れるからであり火が通っていれば大抵の魚は食べられるのだ。

(脳内で言い訳して何になる……)

 一パックに二切れ入っている鮭を手に取った。

 肉は幾つあっても多すぎる事はない。が、買い過ぎると財布にダメージを食らう。値段をよく見て、慎重に選ぶべし。牛肉……は高いから見送って、豚小間肉、挽肉、鶏もも、鶏むね、鶏ささみをカゴにイン。鶏肉が多いって? 好きなんだからいいだろう。

 ディサエルに食費を請求する事は可能なのか考えながら、お菓子作りの材料が並んでいる場所へ。私としてはこっちの方が楽だからホットケーキミックスを使うが、ディサエルはどうなのかしらん。薄力粉の方が好みだろうか。だが私に一任させたのはディサエルである。ホットケーキミックスをカゴに入れた。あ、でも小麦粉も少なかったからそれも買おう。

 他にも必要そうなもの、私が食べられるものをカゴに入れてレジで精算した。二人分の食費はそれなりにお金が掛かる。ディサエルはこの世界のお金を持っているのだろうか。帰ったら聞いてみよう。

 買ったものを保冷バッグに詰めてさあ店を出ようとしたその時、ふと違和感を覚えて立ち止まると、店内に一人の外国人男性客が入ってきた。そりゃ男性だって買い物に来るしこの街に住む外国人だっているが、この違和感の正体はそれではない。その男性の周りに魔力が漂っているのが見えるのだ。魔力の見え方も人によっては多少の違いがあるのだが、私には色のついた靄の様に見える。ディサエルなら黒色で、この人は黄色。この辺りに私以外の魔法使いも住んではいるが、それでも片手で数えられる程度だ。屋敷に越してきた時にその全員に挨拶しに行ったが、この男性はその中の誰でもない。少し離れた所に住んでいる魔法使い、という可能性もあるが、魔法を掛けられた一般人という可能性も……。

(あ、ヤバッ……)

 男性と目が合って、彼がこちらに近づいてきた。今更避けようがない。

「こんにちは」

 白い肌に金髪碧眼の美丈夫という、誰もが思い描く様なイケメン外国人といった風貌のその男性が、流暢な日本語で挨拶してきた。

「あ、こ、こんにちは……」

 対する日本人である私は、どもりながら挨拶を返した。しっかりしろ。

(でも、ちょっと怖い……)

 外国人なだけあって、そんじょそこらの日本人男性とは背丈も体格も違う。でかい。威圧感がある。自分よりも一回りも二回りも大きい動物を目の前にすると、小動物は萎縮するしかないのだ。いや、私の背が小さいという意味ではない。私は平均的な背の高さだ。

 彼は少し頭を下げ、声のトーンも落として言った。

「もしかして君も……魔法使い?」

「……!」

「ああ、やっぱり。少し困っている事があるんだ。話を聞いてくれ。一緒に外に出よう」

(ひぃ……)

 彼は私の肩を掴み、問答無用で外に連れ出した。肩にかかる彼の手の力は強く、周囲からの視線は痛い。

(怖いよぉ……)


「実は、とある魔法使いを探しているんだ」

 建物の陰の、人目につきにくい場所まで彼は私を連れ出して話し始めた。魔法関連の話をするならこういう所の方が話しやすいだろうが、見知らぬ男性にこんな所に連れてこられるのは怖い。せめて事務所まで来てほしい。あそこなら防犯魔法も掛けてあるし。

「あ、えっと……その魔法使いというのは、この街にいるんですか?」

 しかし困っているらしい魔法使い仲間を見捨てる訳にもいかず、渋々話を聞く。

「きっとそのはずだ。一緒にこの街に来たんだが、はぐれてしまってね。ここに来た時点で大分魔力を消耗していたから、そう遠くへは行けない」

 ふむふむ。話を聞く限り、これは魔法探偵としての出番だろう。

「そうですか。何か、その人の特徴とかありますか? 背の高さとか、服装とか。あと、その人の名前は何ですか?」

 上手い事いけばこのまま依頼として受け、報酬だって貰えるかも……と、若干の下心を芽生えさせつつ聞くと、彼の答えは私を驚かせた。

「名前はディサエル。背丈は君と同じくらいだ。いつも黒い服を着ていて、髪も肌も黒いから、全身真っ黒だ」

「あー……そうですか」

 ディサエルを探している。という事は、

(カルバスの手下、かな)

 ディサエルは双子の妹、スティルと共にこの世界にやってきた。だからディサエルの仲間である可能性は無いと断言していい。この人がスティルである可能性も無いだろう。外見の特徴も、そもそも性別も違う。だから……依頼人を守る為なら、嘘をついたっていいだろう。

「全身真っ黒なファッションの人もいますから……見つけるのは難しそうですね」

「でも肌は白くないんだ。少しでも黒ければそこで違いが分かるだろう」

 どこか嘲りを感じるような声で言ってきた。少しでも黒ければ、の部分を。

(嫌な感じだな)

 褐色肌だって綺麗だろうが。

 こっちの気も知らずに彼はまた私の肩を掴んで、強く揺さぶってきた。ちょっと痛い。力加減というものを知らないのか?

「とにかく、大切な仲間とはぐれてしまったからとても心配なんだ。もし見つけたら教えてほしい」

「あ、わ、分かりました。あの、連ら」

「ありがとう! 恩に着るよ!」

 私の話を最後まで聞かずに、男性は去っていった。

「連絡先……」

 どうやって教えてもらう気でいたんだ。こちらとしても、連絡先を教えてもらえればカルバスの拠点が分かったかもしれないのに。

(……)

 とりあえず、去りゆく彼の背中を写真に撮った。


「で、これがその人」

 屋敷に帰ったらディサエルが夕飯の支度を済ませていた。買ってきたものを一緒に仕舞い(その時ディサエルが「魚食えたのか」と小さく漏らしたのは聞き逃さなかった)、それから夕飯を食べながらスーパーマーケットでの事をディサエルに話した。

「後ろ姿じゃ誰か分かんねえよ」

 撮った写真を見せたが、これだけでは大した反応は得られなかった。

「魔力が黄色かったんだけど、そういう魔法使いに心当たりある?」

 他の事を問うて、出掛ける前にディサエルが薄く切っていた人参の入ったサラダを食べた。どれだけの時間を掛ければこんなに薄く切れるようになるんだろう。

「それを聞かれても、似たような色の奴だって沢山いるからな」

「そっか……」

 今夜のメインディッシュ、メリンバとかいう豚肉と野菜を一緒に炒めた料理——肉野菜炒めによく似ている——を二人してつっつく。

「そいつが誰にせよ、カルバスの部下か何かである事は間違いないだろう」

「やっぱりそう思う?」

「ああ。そうじゃなきゃオレを探してるなんて言わねえだろ」

「まぁ、そうだよね」

 そうとしか考えようがない。

「学校以外の場所でも活動してるのなら、お前も出掛ける時は気をつけろよ。お前がオレを匿っていると奴らに知られれば、お前の身も危ない」

「……そんな危険なの?」

「いいか、あいつらにとってオレは倒すべき敵、魔王だ。お前は殺人事件の犯人を匿ってるようなものだ。バレればただでは済まないだろう」

「マジか……」

 何て危ない人物を匿ってしまったんだ。

「あの、もしもの時は守ってくれたりとか……」

「オレだって魔力が無くて、自分一人で逃げるのに精いっぱいだったんだ。なるべく奴らに見つからないよう頑張ってくれ」

「そんなぁ……」

 というか明日はその“奴ら”の一人に会いに行く訳なのだが……大丈夫だろうか。

「戦闘にはならないように何とかするさ」

 そうは言われても。戦闘て。

「相手がカルバスじゃなければただの人間だ。今のオレには大した力は無いが、それでも神が人間に危害を加える事は基本的に禁止されてる」

「……基本的に?」

 何だか引っ掛かる言い方だ。

「相手がオレを攻撃しない限りは、って事だ。それにオレだって首を捻れば死ぬ様な奴を相手にしても、何も面白くない」

「それは……私も見たくない」

 グロテスクなものは苦手だ。

「だろ? それにオレは一度負けてる。だから戦闘は避けたい」

 それもそうなのだが……。

「戦闘、戦闘って言うけど、そういう状況になる可能性でもあるの?」

「可能性はいつだってゼロじゃない。オレ達が戦いたくなくても、相手は戦いたいかもしれないだろ。だからその場合は、戦闘にならないように何とかする」

「……どうやって?」

 ディサエルは唇の端を吊り上げた。

「オレが相手よりもずっと強いと信じるだけでいい」

「……?」

 それがどう戦闘を避ける方法に繋がるのか全く分からず、私は首を傾げた。

「自分じゃ絶対に勝てないような相手に挑みたくはないだろ? だから、オレの魔王としての強さを相手に見せつけてやればいいんだ」

「なるほど?」

 戦いの事はよく分からないが、さっきカルバスの手下と会った時だって、体格からして明らかに相手の方が強そうだった。おまけに普通の街中だと魔法を使いづらいのもあって、下手に抵抗できなかった。そのような状況をこちらが作ればいい、という事か。

「納得してもらえたようでなにより。それじゃあ、明日は頼んだぜ」

「いや頼んだぜと言われても」

 しかしディサエルはもう聞く耳を持たず、メリンバをがっつき始めた。

(そう簡単に言われてもな……)

 モヤモヤした気分を抱えながらも、私も残りのご飯を食べ始めた。

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