第6話

 屋敷に戻ると、何やら美味しそうな匂いが漂っていた。もしやと思い厨房を覗くと、案の定ディサエルが夕飯の支度をしていた。

「何作ってるの?」

「クォルポ・ラァプァだ」

「クォ、ル……何?」

 またしても知らない名前の料理を作っている、という事だけは分かった。

「クォルポ・ラァプァ。アプソラル語で『悪魔よ去れ』という意味だ。昔、アプソラル王国へ行った時、丁度悪魔払いの儀式の期間中だったんだ。悪魔払いは三日間行われ、三日目の夜に皆でクォルポ・ラァプァを食べる。身を清める神聖な食べ物を使っているから、これを食べると体の中に住み着いた悪魔が追い払われる。そう信じて皆食べていた」

 そう言っている間、ディサエルは大量のタマネギを炒めていた。

「タマネギが神聖な食べ物?」

「ああ。臭いの強さとか、切ると出てくる涙とか。そういうので悪魔を払えると信じていたんだろう」

「吸血鬼退治みたいだね」

「そうだな」

 じゅうじゅう、とタマネギの焼ける音。そこにソースを加える音が重なる。何の香辛料を使っているのかは知らないが、食欲をそそる匂いがたちまち立ち込める。

「何でクォ……えーっと、悪魔払いの食べ物を?」

「アプソラル王国は、カタ王国と敵対してたんだ。それもあってか、カタ王国と戦争する前にはクォルポ・ラァプァを食べる、という人も多かった。戦う前に身を清めようとしたんだろうな」

 どこの世界のどこの国のことを話しているのかはさっぱりだが、何かをする前に神社にお参りに行くのと同じようなものなのだろう。私も高校や大学受験の前に願掛けをしに行ったものだ。だがそれより気になるのは……。

「カタ王国って、さっき美香ちゃんに見せてもらったノートに書いてあった、あのカタ王国?」

「そのカタ王国。近いうちに相まみえることになるんだから、その前に食べといた方がいいだろ。お前も願掛けするタイプのようだしな」

「あのさ、心が読めるの……?」

「オレを信仰してる奴の心ならな。別に四六時中心を読んでる訳じゃないから安心しろ」

 鼻で笑いながらそう言った。私はいつの間に信者になっていたんだ?

「出会った時からだよ。オレが神だと言ったら、お前は疑いもしたが、多少なりとも信じてみようと思う心もあった。そのおかげでオレは魔法が使える。ありがとな」

「ああ、そう。どういたしまして……?」

 信仰心というものを深く考えたことは無かったが、そんな簡単な事でいいのか。

「オレが神であると分かっていてくれればそれでいい。お前が今まで何を信仰していたのかは知らないが、たとえそれが作り話だと理解していても、そういう名前の神様がいるんだなと思ってくれるだけでオレ達の力になるんだ。深く考えすぎる必要はない。まぁ、その神様にどんな力があるのかも知っておいてくれると助かるがな」

「神様の、力……?」

 雷神なら雷を、風神なら風を操れる、とか……そういう力の事だろうか。

「そう、その力だ。オレの魔法も力の一つだが、一応創造と太陽を司る神でもある」

「一応?」

 妙に引っ掛かる言い方だ。

「初めて会った時に好き勝手言われたりするって言っただろ。エルニクトの後に新しい世界を創造した時、仲間の神達と何を司るか相談して決めたんだ。だが、人間達と関わって、オレ達の話が広まっていくうちに、神の数が増えたり減ったり、何を司っているのか内容が変わったりしたんだ。人種や肌の色の違いで変わる事もあったな」

 何やら聞きなれない言葉が出てきたが、聞きなれなさ過ぎて名前が頭に入ってこなかった。だからそれは無視して、他の事を聞く事にした。口に出していいのかどうか悩む所ではあるが、心を読まれて答えられるよりは、声に出す方が誠実だろう。

「もしかして、破壊神だとか魔王だとか言われるようになったのって、白人から……とか?」

 ディサエルの肌は浅黒い。神であるなら、何千年も生きている可能性がある。黒人差別がいつから行われているのかはさておき、肌の色の違いで神話の内容が変わる事もあるのであれば……多数派にとって都合のいいように変えられる場合もあるのかもしれない。

「どうだったかな。まぁ……少なくともカルバスは白人だったな。んで、妹は誰よりも肌が白い。髪も白い。眼はオレと同じ色だがな」

 無表情でタマネギを炒めながらディサエルは答えた。何だかまた気まずい雰囲気になる話題を出してしまった気がする。昼間と同じ轍を踏みたくはなかったのだが……。いや、だが収穫もあった。今まで妹について詳しい話は何も聞いていなかった。肌も髪も黒いディサエルとは違い、妹のスティルは肌も髪も白い。そう言われると血が繋がっているのか疑わしいが、きっと神なら何でもアリなのだろう。深く考える必要はない。そういう神様なのだと思っておけばいい。

「考え方が身についてきたな」

 フッ、と鼻で笑われた。

「それじゃあついでに妹の力……何を司っているのかも教えてやろう。破壊と月だ」

「破壊……本当はスティルさんが破壊神って事?」

 今までヤバい神様が家に来てしまったと思っていたが、もしかして本当にヤバいのはスティルの方なのか?

「何を司るか相談して決めたって言っただろ。妹だけが破壊神という訳じゃない。国を滅ぼしたのだって、オレと妹の二人でやった事だしな。他にも破壊を好む神はいる。あと重要なのは破壊じゃない。月だ」

「月? 何で?」

 肌や髪の白さが月の光を連想させるとか? でも何故それが重要なのだろう。

「オレ達が生まれた国は、太陽の国と呼ばれていた。太陽の国の民は、皆オレみたいな色の肌をしていたんだ。だが妹は真っ白だから、太陽の国の民ではないと忌み嫌われていた。これは生まれる前に、母親が毎日、太陽が真上に昇る時間と真下、つまり月が昇っている時間にお祈りをしていたから、月の民が生まれたのだと言われていた。だから月に祈りを捧げた事で生まれ、月の民と言われた妹は、月の力が使える。だから元々妹は月を司っていたんだ」

「ふうん」

 話の理解が追い付かず、月の力というのが何なのかもわからず、生返事をするに留めた。

「月の力の説明は省くが、まずここで大切なのは、オレが太陽で妹が月だという事だ。これは分かったな?」

「うん」

 こくり、と頷く。

「だが話が伝わる過程でこれが逆になった。オレが月で妹が太陽に」

「逆になると、どうなるの?」

「雷神に風を操ってほしいと願っても、願う力の内容が違うんだから、雷神本来の力は発揮できないだろ?」

「うん。……あ、ディサエルに月の力を使ってほしいと願っても、ディサエルは月の力を使えないし、スティルさんに太陽の力を使ってほしいと願っても、太陽の力は使えない……って事?」

 そういう事だ。と言ってディサエルは頷いた。

「だから本来の力が発揮できるように、その神様が何の力を使えるのか知っておいてほしい。という訳だ」

 なるほど。確かに魔法を使う時だって、火を出そうとするのに水を思い浮かべたりはしない。それは神の力であろうと同じ、という訳か。

 私がディサエルの話に納得したその時、オーブンの鳴る音が聞こえてきた。

「鶏肉が焼けたな。皿に盛るのを手伝ってくれ」

「うん。この鶏肉とタマネギ炒めを合わせたものがクォ……えーっと、悪魔払いの料理?」

「いや、タマネギだけだと物足りないから鶏肉を足した。ガッツリ食いたいだろ?」

 うん。と言う代わりに、お腹の音が返事をした。ディサエルの言う通り、タマネギだけでは物足りない。

 鶏肉とタマネギを皿に盛り付け食堂へ運び、夕飯の時間となった。


「美香ちゃんが来た時さ、何であんな……全然違うキャラだったの?」

 覚えづらい名前の料理を食べ終えた頃、昼間ずっと抱いていた疑問を口にした。

「宗教勧誘を受けたと言ってる奴相手に「オレは神だ」なんて言うのはマズいだろ」

 それは至極当然のように聞こえた。だが、私相手に神だと言うのは何の問題も無いのかよ。

「それに今あいつに良い印象を抱かせておけば、もし奴らに「あいつの正体は魔王だ!」なんて言われても、そう簡単には信じないだろ? 美味しいお菓子を作ってくれた礼儀正しく良い子なディースくんが魔王なはずない、ってなる確率の方が高い」

確かにディサエルの作る料理もお菓子も美味しいが、自分で礼儀正しいとか良い子とか言うなよ。

「だがそう思っても不思議ではないだろ」

「うぅ……」

 心を読まれた事への若干のムカつきと反論しづらい事が重なって、何も言えなくなってしまった。ディサエルが美香に良い印象を与えていた事は確かなのだ。

「奴らが行動を起こしたのは、信者を増やして力を得る為でもあるが、オレをおびき寄せる為でもあるだろう」

「え?」

 そんな事まで考えていたの?

「妹を捕られたオレが、そのまま諦めるはずがないと踏んだんだろうな。だから何か目立つ事をすれば、必ずオレが妹を取り戻す為に現れる。だったらお望み通り、奴らのアジトに乗り込んでやろうぜ」

 悪戯っぽい笑みでディサエルは言う。まるで今の状況を心底楽しんでいるかのように。

「それで臨時講師に会わせろって言ったのか」

 初めは突拍子もない話に聞こえたが、そこまで考えていたのであれば納得はいく。それに直接連れていってもらった方が、探す手間が省ける。

「そういう事だ。だから……さっきの話も絡めるが、オレが魔法も使えて創造と太陽を司る神でもある、という事を信じて、一緒に奴らをぶちのめそうぜ」

 そう言ってディサエルは拳を突き出した。

「創造を司ってるのに、破壊神みたいな事言うね」

「破壊神と言われる事もあるからな」

 その答えに私は小さく笑みを漏らし、突き出された拳に自分の拳を合わせた。

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