第5話

 その後、まだ授業時間内だから帰りづらいという美香を、放課後になるまで事務所内に留まらせる事となった。初めこそは今日受けられなかった午後の授業分の勉強をする、と息巻く美香だったが、ディサエルがスコーンを焼いて持ってきた時からその勢いは弱まり、いつの間にか談笑が始まっていた。

「さっきのゼリーも、このスコーンも、ディースくんの手作りなの?」

 スコーンにイチゴジャムを塗りながら美香が聞く。

「はい。このジャムもボクが作ったものですよ」

「えっ⁉ ジャムまで手作り⁉ 凄い……こんなに美味しいものを手作りだなんて、プロの域だよ」

「いえそんな、趣味で作っているだけなので、お菓子作りを生業としている人達の足元にも及びませんよ」

「いやいや及びすぎだよ!」

 そんな会話をするディサエルと美香の姿は、仲の良い友人同士のようにも見えて微笑ましい。もはや“ディサエル”の方が演技で“ディース”が素なのではないか、と思うほどだ。

(騙されるな……騙されるな翠……。こいつは相手が魔法使いであれば、初対面だろうが神だと自称し不遜な態度をとる奴だぞ……)

 まぁ実際に神らしいのだが。

「翠さんも遠慮せずに食べて下さい」

 美香に表情が見えるか見えないかのギリギリな角度でこちらを向いたディサエルが、ニヤリと唇の端を吊り上げながらスコーンを載せた小皿を差し出してきた。

「あ、ありがとう」

 対する私はぎこちない笑みを浮かべて小皿を受け取る。

(やはり“ディサエル”が素か。……というか今、心を読まれたのか?)

 なんとも恐ろしい神である。

「翠さんはどうして探偵になられたんですか?」

「んっ⁉」

 美香からの突然の質問に、私はスコーンを喉に詰まらせかけた。どうしよう。何て答えよう。

「ん~、何て言うか……その、向いてるんじゃない? って勧められたから、かな」

 どうだ? はぐらかせたか?

「誰に勧められたんですか?」

 駄目だった。

「先生に……と言っても学校の先生じゃなくて、その……塾の先生に。ところで、どうしてこんな質問を?」

 これ以上質問されてボロを出すのは防ぎたい。大人気ないが質問に質問を返す事にした。すると美香は存外真面目な顔をして答えた。

「それが……進路に迷ってるんです。大学に行った方がいいんだろうな、というのは分かるんですが、どうやって大学を選んだらいいのか分からなくって。将来この職に就きたい、とかそういうのも特にないですし……」

 なるほど。高校生らしい悩み故の質問だったのか。であればふざけていないで、こちらも真面目に答えてやらねばなるまい。

「何か好きなものとかある?」

「好きなもの、ですか? そうですね……本を読んだり、アニメを見たりするのが好きです」

 ふむふむ。このくらいの年齢なら一般的な趣味だろう。私も好きだ。

「それなら、出版関係とか、アニメだと声優、アニメーター、脚本、音響、プロモーション……多分その他諸々」

 好きとは言え、それに関する職業がどれだけあるのかはよく知らない。調べれば出てくるだろうが、パッと思いつくのはこのくらいだ。

「好きなものを仕事にしたいと思うかどうかは人それぞれだけど、どんな職業の人が携わっているのか調べて、それを手掛かりにするのもアリなんじゃないかな」

 なるほどです。と言って美香は私が言ったことをノートの端に要約して書いた。謎の臨時講師の授業内容もノートに書いていたし、勤勉な子なのだろう。

「今通っている学校はどうやって選んだんですか?」

 ディサエルが口を挟んだ。

「うーん、学校見学に行った時に先輩方が楽しそうにしているのを見て、ここなら楽しい学校生活を送れそうだなって思ったから。あと、制服! デザインが可愛いし、何よりスカートだけじゃなくて、スラックスも選べる!」

「へえ。華桜高校ってスラックスもあるんだ」

 これはなんとも羨ましい。中学、高校の六年間問答無用でスカートを穿かされた身としては、スラックスを選ぶ事ができるのは本当に羨ましい。

「そうなんですよ! 今日は暖かいのでスカートを穿いてますが、冬場の寒い時期はずっとスラックスを穿いてました。他にもそういう子いますし、毎日スラックス穿いてくる子もいます」

「いいなあ」

 本音が駄々洩れするくらい羨ましい限りである。私ももう少し遅く生まれたかった。

「話がズレちゃいましたね。こんな感じで高校を選んだので、大学も同じように、とはいかないですよね」

 えへへ……と力なく美香は笑う。確かに大学を制服で選ぶのは無理だろう。

「ですが、前半の学校見学に行って先輩方の姿を見て、というのは参考にできますよ。色々な大学のオープンキャンパスへ行って、そこに通う先輩方の姿を見て考えるのはいかがですか?」

 なるほど。ディサエルの言うことも一理ある。百聞は一見に如かず。実際に見て考えるのも一つの手だ。

「オープンキャンパスかぁ。うん。それもアリかも」

 そう言って美香は、ノートの端にまたメモ書きをした。

「あ、もう授業終わるくらいの時間だ。お二人とも、色々と相談に乗ってくださりありがとうございます」

 なんと、もうそんな時間なのか。高校の授業が何時に終わるかなんて、すっかり忘れてしまった。もっと遅かったような気がしたが、それは部活が終わる時間だったか。

「こちらこそ、協力してくださりありがとうございます。明日はよろしくお願いします」

「ボクからも、そして妹の分も、ありがとうございます」

「はい。明日は臨時講師に話をつけられるよう頑張ります!」

「お願いします。あ、途中までお見送りしますね」

 荷物をまとめた美香と一緒に玄関を出て、庭の通路を歩く。庭には色とりどりの花が咲き乱れており、中には魔法薬の材料として使える植物も混ざっている。

「ここのお屋敷もお庭も、全体的に可愛いですね。なんだかヨーロッパにでも迷い込んだみたいで。探偵というよりも、魔法使いが住んでいそうな雰囲気ですよね」

「え⁉ あ、そう?」

 まさかバレていたのか⁉ こちらの緊張感が伝わらないことを祈りつつ隣を見ると、美香は若干俯きつつ頬を僅かに赤らめさせていた。バレてはいないっぽい……?

「こういうの憧れてて。ちょっと言うのは恥ずかしいんですけど、魔法とか、ファンタジーとか、好きなんです。魔法使いになれたらいいのになって、ずっと思ってて……。でも、高校生にもなって魔法使いになりたいなんて、子供っぽすぎますよね」

 この言葉を聞いて得心が行った。なりたいものが無いから悩んでいるのではない。なりたいものがあっても、それが現実的ではないから悩んでいるのだ。まぁ、それに加えて魔法使いとして言うと、魔法使いは職業ではない。聡先生は古道具屋、桃先生は呉服屋を営んでいるように、生活するためにはお金を稼ぐ手段が必要なのだ。この探偵業もそれなりに稼ぐ事ができればいいのだが……。

 しかしそんな事を美香に言っても仕方がない。それに同じように魔法に憧れ、そして魔法を使えるようになった身として、ガッカリさせるような事を言いたくはない。

「魔法使いになりたいなんて、素敵な事だと思うよ。私も、その……ファンタジー好きだし。魔法の力を信じていれば、きっとなれるよ。魔法使いに」

 ここで「実は私は魔法使いなんだ」と言うべきなのか。「魔法の使い方を教えてあげる」と言うべきなのか。それだけは分からなかった。今彼女に手を差し伸べるべきなのか。ガッカリさせたくないくせに、上辺だけでしかものを言えない自分にガッカリした。

「ありがとうございます。魔法使いになりたいって気持ちを肯定してくれる事ってなかなかないので、そう言ってくださると嬉しいです」

 こちらに向ける笑顔を見るのが心苦しい。

 そうこうしているうちに、魔法の結界の外、普通の人間社会の街並みの中に出た。

「こんな所にあんなお屋敷があるの、初めて知りました。本当に魔法の世界に迷い込んだみたい……」

「そ、そうなんだよね。意外と見つかりにくい場所で、でもファンタジーっぽい雰囲気があって、それでここを事務所にしようって思ったんだよね。そのせいで全然依頼人は来ないけど……」

 今度こそ本当にバレたのかと焦り早口でまくし立てたが、美香は納得したようだった。

「探偵って大変そうですね」

「うん、そうなんだよ。……あ、そうだ。これどうぞ」

 私は懐から『紫野原魔法探偵事務所所長 紫野原翠』と書かれた名刺を差し出した。この名刺を持っていれば、いつでも用は無くとも魔法使いでなかろうとも、事務所に来る事ができる。そういう魔法が掛かっている。

「連絡先が書いてあるから、何かあったらここに連絡してください」

「わかりました。本当に今日は色々とお世話になりました。ありがとうございます。それでは明日、臨時講師と話をしたら連絡します」

「お願いします」

 美香は一礼すると、街中へと消え去っていった。その背中を見送った私は、元来た道を戻る。

「……あ」

 名刺の肩書き、美香にも『魔法』の二文字が見えていただろうか。

「自分じゃ確認できないんだよなぁ……」

 看板と同様、名刺の『魔法』部分も魔法の存在を知らない人には見えないように魔法を掛けてあるが、今の美香には見えるのだろうか。しかしその正解を知る人物の姿はもうどこにも見えない。名刺についた魔力を辿る事もできるが、そんな確認をする為だけに追いかけては、変に思われるだろう。

「ま、いっか」

 魔法に憧れを抱く彼女に、魔法を信じる力を与える一助となるのであれば、それは……怪しまれなければだが、悪い事ではないだろう。いつかきっと、本当の事を言おう。魔法は存在するのだと。

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