第4話

 時に、一瞬が永遠と思われるような時間を過ごす事がある。その一瞬の永遠には、張り詰めた空気が流れる。緊張感が高まり、息が詰まる。海の中で水を掻き分け、もがき、足掻き、やっとの事で海面にたどり着いて空気を吸う。

 何故こんな事を書いたかって? たった今、そんな時間を過ごしたからだ。

 美香も同じような時間を過ごしたのか、口をパクパクさせている。二の句が継げないのだろう。無理もない。変な宗教絡みの相談でここに来たと言うのに、来たら来たで神は存在すると言われたのだ。明らかにディサエルを見る目が変わっている。ここは私が何か言うべきだろう。

「美香さん。信じられないかもしれないけど、本当にいるようなんです。その……神が。ディサ……ディースさんはそのカルバスという神に実際に会ったそうで、しかも追われていると言うので、それもあってここで匿っています」

 魔力が蓄えられるまで住まわせろと言うからでもあるのだが、それは黙っておいた。

「それじゃあ……ディースくんは、別に、その……洗脳されているわけでは、ないんですね……?」

 恐る恐る口を開いた美香は、強張った顔でディサエルを見る。その目には疑惑の色が浮かんでいる。

「そのように思われるのも無理はありませんが、ボクは事実を言ったまでです。カルバスはこの街のどこかにいます。今もなお、妹を捕らえたまま……」

 ディサエルは悔しそうな顔で歯噛みする。それを見た美香ははっとした表情を浮かべ、申し訳なさそうに俯いた。

「あ……妹ちゃんが攫われてるんだったね。ごめんなさい。心配だよね、妹ちゃんの事」

「いえ、いいんです。ボクも妹から話を聞いた時は信じられなかったので。でも、この目で本物を見たら、信じるしかなくって……。妹の心配をしてくださり、ありがとうございます」

 ディサエルは口元に微かな笑みを浮かべてそう言った。何だか私まで心を痛め、ディサエルのこの発言を全て信じきってしまいそうになる。そんな笑みだ。危ない危ない。妹から話を聞くも何も、その妹も、このディサエルも、本物の神なのだ……多分。

 とりあえず美香が相談しに来た話と、ディサエルの依頼内容に共通点が存在する事が判明したのだ。話を先に進めよう。

「美香さんが聞いた話と、ディースさんの妹さんが聞いた話が同じなら、美香さんの学校に来た臨時講師が妹さんの事を、何か知っている可能性がありますね。きっとその臨時講師はカルバスの信者でしょうし、何の為かは分かりませんが、妹さんが捕らえられている拠点から送り出されたのかもしれません」

 相手も信仰心を力に変える神なのだ。ならば送り出された理由は、信仰心を集める為だろう。だがそれを美香のいる前で言う訳にもいかず、はぐらかした。しかしそんな私の気持ちを知ってか知らずか、ディサエルが口を開く。

「妹は、神には信仰心が必要なんだと言っていました。なので、信仰心を集める為に来たのではないでしょうか」

 折角言わないでいたのに、言われてしまった。でも私が言うよりは、ディサエルなら「妹がそう言っていた」という一言を加えるだけで自然に聞こえるからいいのかもしれない。

「信仰心? それを集めてどうするの?」

 魔法や神のことを知らない一般人の美香は、当然のように疑問を口にする。

「信仰心の強さが、神の強さに繋がるんだそうです。信じる力が強い程、神も強くなる、と」

「はぁ……そういうものなんだ。でも、何でうちの学校なんだろう。他にも学校あるのに」

「それはボクも分かりません。他の学校にも来ているかもしれませんが、わざわざ一校一校訪ねて変な教師が来ていませんか、と聞く訳にもいきませんし……あ、そうだ」

 何か思いついたのか、ディサエルが目を輝かせ、唇の端を吊り上げる。

「美香さんの学校へ行って、その臨時講師に会わせていただけませんか?」

 ディサエルの思いつきに、私と美香は目をぱちくりさせた。

「直接会って話を聞けば、詳しいことが分かるじゃありませんか! 授業を聞いてカタ神話に興味を持ったからもっと詳しく知りたいとか、本物のカルバスに会いたいとか言えば、きっと奴らの拠点に連れていってくれますし、拠点に入っちゃえば妹を探し出して連れ出す事もできます!」

 自信満々に言い切るディサエル。だがしかし、危なくないのか? まだディサエルの魔力は十分じゃない。それなのに拠点とやらに行っても、返り討ちに合ってしまうのではなかろうか。

「でも、それって……ミイラ取りがミイラに、って感じにならない?」

 美香もごく一般的な視点で心配している。自分たちまで変な宗教に染まらないか心配するのは、当然の事だろう。

「大丈夫です。ボクを信じてください!」

「……!」

 そうか。そうじゃないか!

 ディサエルも神だ。信仰心を力に変える神なのだ。ディサエルには奴らの拠点に行って妹を連れ出すことができる。そう信じればそれが力となり、本当にその通りになるかもしれない!

「私は信じるよ、ディースの事。私達なら、その拠点に行って妹さんを助ける事ができるって信じる」

 己の言わんとする事が私に伝わって嬉しいのか、満足したようにディサエルは頷いた。その顔は美香向けのディースのものではなく、何だか鼻につくディサエルのものだった。

「本当に大丈夫なんですか? そんな簡単に信じろと言われても……」

 美香は疑いの眼差しで私達を見つめる。美香は何も知らない一般人なのだ。疑うのも無理はない。だが件の臨時講師に会うには美香の助けが必要だ。彼に直接会って拠点まで連れていってもらえれば、カルバスやその手下達を探す手間が省ける。

「そうですよね。いきなり信じろと言われても無理ですよね……。美香さんまで拠点に行く必要はありません。ボクの妹を助けるために、その先生に会わせていただくだけでもお願いできませんか?」

「私からもお願いします。妹を探してほしい、というのがディースさんの依頼です。美香さんの学校に来た臨時講師がディースさんの妹さんと関りがあると判明した以上、この機会を見逃すわけにもいきません。それに、美香さんの依頼……あれ? そういえば、美香さんの依頼は聞いていませんでしたね。変な臨時講師が来たという話だけ聞いて、具体的にどうしてほしいかは何も伺っていません……よね?」

 誰かに話しを聞いてほしいだけ。というならそれはもう済んだ気もするが、ディサエルが入ってきた事でその辺りが有耶無耶になってしまっている。その事に自分でも気がついていなかったのか、美香も間の抜けた表情をしている。

「あー、そうですね。とりあえず誰かに話しを聞いてもらいたかった、というのもありますし、あの先生が何者なのか気になる、というのもありますし……」

 う~ん、と悩み始める美香。具体的な事は何も考えていなかったらしい。だが知らないうちに魔法絡みの事件に巻き込まれ、来ようと思って来たわけでもないこの事務所に辿り着いたのだ。依頼内容は? と聞かれてすぐ答える方が難しいだろう。ディサエルのように、最初からはっきりと依頼内容を答えるほうが珍しいのかもしれない。

 暫く悩んだ末、美香は口を開いた。

「私の依頼は、臨時講師の正体を突き止める……で、いいでしょうか。何をしにきたのか、何で他の先生は臨時講師の事を知らないのか、気になる事ばかりですし。それに……」

 そこで言葉を区切って、美香はディサエルをじっと見つめた。

「こうして話を聞いた以上、ディースくんの妹ちゃんの事も心配です。あの先生が何者なのか、その背後には何があるのか。それを突き止めてください。お願いします」

「それじゃあ……」

「はい。妹ちゃん探しのお手伝いをさせていただきます! お二人があの先生に会えるように、交渉してみます!」

「ありがとうございます!」

 あまりの嬉しさに、私は思わず立ち上がってお辞儀をした。

「ボクからもお礼を言わせてください。妹のために協力してくださり、ありがとうございます」

 ディサエルも立ち上がり、胸に手を添えながらお辞儀をした。やっぱり執事っぽい。

「そ、そんな大袈裟な事しないでください! まだお手伝いすると言っただけで、何もしてないんですから」

「全然大袈裟なんかじゃないですよ。その気持ちだけですっごく嬉しいんですから」

 何もしてない、なんて事はないのだ。じっくり考え、決断を下した。それだけで十分に事を成している。その事が嬉しいから感謝の意を述べたいのだ。

「そうですよ。ありがとうくらい言わせてください。美香さんのおかげで手掛かりを得る事ができたんですから」

 ディサエルも毒気の無いにこやかな笑顔で返す。その顔を見るだけで、喜んでいるのが伝わってくるほどだ。

「ど、どういたしまして……。手伝うと言っただけでこうも感謝されると、ちょっと恥ずかしいです……。けど、喜んでいただけると、なんだか私も嬉しいです」

 頬を上気させ目を逸らしながら美香はそう言った。

 とりあえず、まずは件の臨時講師に会う事が決まった。次の問題はどうやって会うか、だろう。どんな口実で会うのか。また、こちらの正体を隠すために身分を偽る必要もある。学校内で会うとしたら、そもそもどうやって学校に入るのか。美香とどういう関係にあたる人物として学校へ行くのか。考える事は沢山ありそうだ。

「それでは、どうやって私達がその先生と会うか。その手段を考えましょうか。いつ会うのか、何故会いたいのかという理由も必要ですね」

「理由はボクがさっき言った、カタ神話に興味を持ったとか、本物のカルバスに会いたいとかでもいいかと思います。ですが、どうやって美香さんからその話を聞いたのかもでっち上げないといけませんね。事務所に相談に来たから、では怪しまれて終わりです」

「そうですね。探偵さんとその助手の方です、と紹介するわけにもいかないですよね。うーん、塾の先生と、そこで知り合った子、とか……でも私、塾に通ってないから、この手は駄目かな」

 三人であれやこれやと時間をかけて話し合いをした結果、以下の事が決まった。


・臨時講師と会う日時は今週木曜日又は金曜日の放課後。

・場所はできれば学校内(何故他の教師が臨時講師の存在を知らないのか調査する為)

・まずはより詳しくカタ神話の事を聞き、後日カルバスに会えないかと相談する。

・翠と美香は従姉妹、ディースはホームステイに来ている留学生で翠はそのホスト、という設定。

・学校に入る時はディースに日本の学校を紹介させる為に来た、と言えばいけるか?


「とりあえずは……これでいけるかな」

 最後の「?」に不安が表れているが、上手くいくかどうかなんてやってみなければ分からない。

「まずはその先生がボク達に会ってくれるかどうかが問題ですからね」

 それもその通り。臨時講師が私達に会ってくれなければ、計画した意味が無くなってしまう。

「う……責任重大ですね。頑張ります!」

 この計画は、美香が臨時講師に私達と会う約束を取り付けてくれるかどうかに掛かっている。その責任を感じた美香は、自分を鼓舞するように拳を握りしめた。

「美香さん、お願いしますね」

「はい!」

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