第2話
この世界にも魔法が存在する。私がそれを知ったのは、小学六年生の頃だった。
物心がついた時から、他人には見えていないものが見えていた。見えているから「あれ見て」と言っているのに、家族も、友達も、先生も、誰も彼もが何も見えないと顔をしかめる。どうやらこれは見えてはいけないものらしいと悟った時には、周囲の人間からは見えないものとして扱われるようになっていた。
小学六年生の修学旅行で京都に行った時の事。班ごとの自由行動で京都市内をぶらぶら歩いていると、今まではぼんやりとした靄のように見えていたそれが、突然くっきりと見えた。驚いた私は、瞬きして、目をこすって、もう一度それを見てみると、やっぱりはっきりくっきり見える。
「どうかしたかい?」
誰かに話しかけられはっとして我に返ると、目の前に着物姿の女性が立っていた。話し掛けてきたのはこの人らしい。
「修学旅行生かい? 着物好きなの?」
「あ……えっと……」
言われてここが呉服屋である事に気がついた。周りを見ると、自分とこの女性しかいない。同じ班のクラスメイト達はとっくにどこかへ行っていた。きっと私が呉服屋の前で立ち止まった事にも気づいていないだろう。
「はい。修学旅行で来ました。着物は、その……綺麗なので好きです」
何か言わねばと思った私は、先の質問に答えた。
「そうかい、嬉しいねぇ。それじゃあ魔法も好き?」
「え……?」
予想外の質問に、私はぽかんとした表情を浮かべた。幼少期に魔法少女が出てくるアニメを見たり、魔法使いが主人公の映画を見たりしていたのもあって、魔法は好きだ。だが何故今そんな質問をするのだろう?
「おや、気づいていないのかい? 見えたからここで立ち止まったものだと思ったんだがねぇ」
見えたから……?
「あの、お姉さんも見えるんですか?」
今までずっと、これが見えるのは自分一人だと思っていた。まさか他にも見える人がいるというのか!
「ああ、よく見えているよ。まだ時間は大丈夫かい? よかったら中に入って、美味しいお茶とお菓子を食べながら、君と私が見えているものについて話をしようじゃないか」
そう言って着物の女性は私を店内へ招き入れた。色とりどりの着物が飾られた店内は、心が落ち着く香りで満たされていた。
それが私に魔法を教えてくれた恩師、篠原桃との出会いだった。
「君に見えているものは、魔力と呼ばれるものだよ」
私を店内の座敷に案内し、急須に入ったお茶を湯呑に注ぎながら、桃はそう言った。
「魔力は大気中に存在しているから、魔力が見える人はいつも視界に薄い靄が掛っているように見えるんだ」
君もそうだろう? と言いながら、桃は湯呑を差し出した。お茶は綺麗な薄緑色をしている。いただきますと言って私はそれを一口飲んだ。美味しい。
「魔法を使うと魔力がそこに集中するから、散らばっていたものが一気に集まって、それで濃くはっきりと見えるようになる。たとえば、あそこの兎の置物」
桃は部屋の隅に置かれている古めかしい戸棚の上の、可愛らしい兎の置物を指さした。
「あれを魔法でここまで持ってくると……」
兎の置物はひとりでに宙に浮き、ふわふわと漂いながらこちらにやってきて机の上に着地した。
「通った所に魔力が集まって、線を描いたように見えるのが分かるかい?」
桃の言う通り、兎の置物が置かれていた場所から机の上まで線を引いたようにそれが——魔力が見えていた。そしてその線は、少し細くなってはいるが桃にも繋がっていた。
「凄い……!」
生まれて初めて目の前で見た魔法。物を動かす、という単純そうな魔法ではあるが、魔法が現実に存在する事、今まで見えていたものは魔力である事を知り、私はいたく感動していた。
「そんなに目を輝かせてくれるとは嬉しいねぇ」
桃は朗らかに笑いながらそう言った。
「あの、私にも魔法が使えるようになれますか? 両親が魔法使いじゃないのでマグル生まれなんですけど……」
私の言葉に桃は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにまた笑い出した。
「大丈夫だよ。私もマグル生まれだけど、こうして魔法が使える。魔法を使うのに大事なものが何か知っているかい?」
「えっと……魔法の杖、ですか?」
桃は頭を振った。
「それじゃあ、呪文?」
またしても桃の頭は左右に振られる。
「ううん……」
杖でも呪文でもないのなら、一体何が大事なのだろう。私は頭を悩ませたが、何も思い浮かばない。
「ちょっと難しかったかな。でも、答えは簡単なものだよ。君は魔法を信じているのかい?」
「はい」
「ほら、簡単だろう? それが答えだよ」
「?」
「正解はね、魔法を信じる事」
「魔法を、信じる? 魔法を信じれば、魔法が使えるんですか?」
首を傾げる私に、桃は頷きを返した。
「そう。今やったみたいな物を動かす魔法であれば、その物が今ある場所から別の場所まで動く事を信じたから、魔法で動かす事ができた。魔法を使って何をするか。これをイメージして、それができる、と信じるだけで魔法は発動する。まぁ、魔法使いの家系に生まれたなら魔法の存在は当たり前だから、そういうのを意識していない人もいるみたいだけどね。でも、信じることは、本当に大切な事だよ」
桃は私の目を見据えて言った。信じれば魔法は使える。魔法使いになれる。桃の目はそう物語っていた。
私でも、魔法使いになれるんだ!
「あ、でも、杖って必要じゃないんですか?」
魔法を信じる事が大切だと言われても、やっぱり杖は欲しい。私は昔から杖を振って魔法の呪文を唱える事に憧れを感じていた。
「魔法の杖が欲しいのかい?」
こくこく、と興奮しながら首を縦に振る。
「私は杖を使わないから持ってなくてねぇ……。持ってそうな人に電話するから、ちょっと待ってて」
桃は立ち上がって座敷を後にしようとし、あ、と何かに気づいたような声を出して振り返る。
「ごめんごめん。お菓子出してなかったねぇ。生八ツ橋はニッキとチョコ、どっちが好きだい?」
「えっと、チョコが好きです」
「チョコだね」
さっと桃が手を振ると、机の上にチョコレート味の生八ツ橋が出てきた。
「魔法って便利だろう?」
桃はウインクをして、今度こそ座敷を後にした。
「凄い……」
その後ろ姿に尊敬の眼差しを向けながら、私はいつか自分もああなるんだ、と強く願った。
お茶を飲み、生八ツ橋を食べながら待っていると、一つ食べ終えた頃に桃は笑顔を浮かべながら座敷に戻ってきた。
「お待たせ。私に魔法を教えてくれた人が魔法道具を作る職人でね、その人が自分で作った魔法の杖をあげてもいいって言うから、今からその人の所に行こうか」
この知らせを聞いて、私は興奮して立ち上がりながら返事をした。
「はい! 行きます!」
遂に自分の杖が手に入るんだ!
「うん。いい返事だ。それじゃあ先生のお店はこの近くだから、一緒に歩いていこうか」
桃に連れられ店を出る。先生のお店、とやらに着くまでの短い時間の中でも、桃は色々な事を教えてくれた。防犯用の魔法を掛けているから店の周りの魔力が濃く見える事、魔法使いは大抵の場合魔法使いの家系に生まれる事、そういう魔法使い達は魔法使いだけが暮らす街に住んでいる場合が多い事、生まれつき魔力が見える魔法使いはそう多くない事、両親が魔法使いじゃないのに魔力が見えるのは、先祖に魔法使いがいる場合がある事、等々。
「さぁ、着いたよ」
辿り着いたのは、老舗の二文字が似合いそうな、いかにも京都っぽい雰囲気を醸し出す古めかしい建物の店だ。『篠原道具店』という看板が掛かっている。そしてやっぱり建物の周りの魔力が濃く見える。ここも防犯用の魔法が掛けられているのだろう。
桃が戸を開けながら挨拶をする。
「先生、こんにちは。お邪魔しますよ」
「お、お邪魔します」
私も後に続いて入っていく。魔法道具を作る職人、と言っていたが、店内に並べられた品物は箪笥や茶道具や何に使うのか分からないが昔から日本にありそうな道具等であり、魔法っぽさはどこにもない。
「やあ桃、いらっしゃい」
店の奥から低い声がした。暗がりから出てきた声の主は、白髪交じりの髪と作務衣の似合う男の人だ。この人が桃の言う先生だろう。
「その子がさっき言ってた子?」
「ええ、そうです」
先生は私の目線の高さまで屈み、優しそうな笑顔をこちらに向ける。
「初めまして。僕は篠原聡です」
「あ、は、初めまして。えっと、翠です」
緊張して苗字を言い忘れたが、先生は気にする事なくゆっくりと頷いた。
「ミドリさんだね。名前はどんな漢字で書くのかな」
「羽の下に卒業の卒です」
「なるほど。翡翠のスイの字だね。カワセミとも読む。なるほどなるほど。参考になったよ。ありがとう」
参考? 何の参考にするのだろうか。私が首を傾げていると、先生は立ち上がりながら説明した。
「桃から聞いたかもしれないけど、僕は魔法道具を作る仕事をしていてね。依頼されて作る時もあれば、自分の気の向くままに作る時もある。依頼されて作る時にも、気の向くままに作る時にも、大切にしている事があってね。それは、どんな人がこの道具を使うのか想像する事なんだ。大人か子供か。男か女か。背が高いか低いか。大人しい人なのか溌剌とした人なのか。こんな人に使ってほしいと思いながら作ると、良い道具が出来上がるんだ」
こっちに来てくれるかな。と言って先生は店の奥へと歩いていった。私と桃はその背を追いかける。歩いている間も先生は説明を続けた。
「実は名前も大切でね。その名前に込められた想いや意味、それは魔法を使う時にも重要な役割を果たす。火を出す魔法を使うのに、水よ出ろ、なんて言わないだろう?」
なるほどな、とぼんやり思いながら聞いていると、先生は大きな扉の前で足を止めた。その扉は普通の人が見れば何の変哲もない木製の扉だが、私の目には魔力で出来た模様が描かれているのが見えた。
(どんな魔法が掛かっているんだろう)
小さな花のような美しい模様に、私は少しの間見とれていた。
「君は魔力が見えるんだってね。これは魔除けの魔法なんだ。ちょっと矛盾してるけどね。この扉に使われている木材も、描かれているのもナナカマドだよ」
先生はそう説明してくれたが、ナナカマドがどんな花を実らせる木だったか覚えがない私は「そうなんですか」としか返せなかった。家に帰ったら調べてみよう。
「表向きには古道具屋だから店内にはそうした商品を並べているけど、魔法使い向きには魔法道具屋だからね。そうしたお客にはこの中に入っている魔法道具をご案内するんだ。君にぴったりな杖もあるから見てくれるかい?」
柔和な笑みを向けてくる先生に、私は頷きを返した。私にぴったりな杖! どんな杖なんだろう!
さあ、どうぞ。と先生は扉を開けて私をその中へと案内した。室内は三人入ると狭く感じるくらいの広さで、窓は無い。だが天井に色とりどりのランプがあり、そのお陰で暗く感じる事はない。しかも驚いたことにそのランプは全て浮かんでいる。だが私がもっと驚いたのは、長さや太さ、形状や色は実に様々であるが、ランプを除けば杖だけが所狭しと置かれているという事だ。
私が驚きのあまりにぽかんと口を開けて入口付近で突っ立っていると、後ろから桃の忍び笑いの声が聞こえた。
「先生、ちゃんと説明してあげないと、びっくりしちゃうでしょう。翠ちゃん、この部屋はね、杖が欲しいと思えば杖だけが出てくるし、鍋が欲しいと思えば鍋だけが出てくる。そういう部屋なんだよ」
「ああ、ごめんよ。初めて来る人の驚いた顔を見るのが大好きで、つい何も言わずに案内しちゃうんだ。いい顔をしてくれてありがとう」
見ると先生も笑っている。なんだか狐につままれたような気分だ。
「いや本当にごめんね翠さん。悪気は無い……とは言えない辺りが僕の悪い癖だね。反省しない所もだ。でも桃も何も言わずに笑ってたから悪い子だよね。それじゃあ気を取り直して、君の杖を探すから少し待ってて」
少し変わったおじさん、という印象を私に与えた先生は杖の山へと向かう。同じものが一つもない杖の中から自分で好きな杖を選べ、と言われたら絶対に迷う自信がある。だが先生には目的の杖がどこにあるのか分かっているのだろう。迷うことなく一本を選びとる。
「どうぞ、翠さん」
先生が渡してきたのは長さ三十センチメートル程の木製の杖。持ち手の先には鳥の彫刻が施されており、目の部分に緑色の石がはめ込まれている。
「これって……」
「そう。この鳥はカワセミ。目に埋まってるのはヒスイだ。君の名前にぴったりだろう? 気に入ってくれたかな」
「はい……はい! 凄く綺麗で、気に入りました!」
こんなにも素敵なものを今まで見たことがあっただろうか! カワセミの彫刻は今にも動き出しそうな程躍動感に溢れており、先生の職人としての腕の細やかさが見て取れる。深い緑色をしたヒスイもとても綺麗で、私も瞳を同じくらい輝かせた。杖としても持ちやすく、手に馴染む。何か起きるだろうかと試しに振ってみたら、ひゅんひゅんと空を切る音だけがした。これはちょっと残念だった。でも呪文を唱えていないから何も起きないのだろう、と私は自分を納得させた。よく考えたらここにある杖が吹っ飛ぶような事が起きたら困る。当たると痛そうだし。
「気に入ってくれて嬉しいよ。君みたいな人に使ってもらえるなら、そのカワセミもきっと喜んでいるよ。この杖を大切に使ってくれるかな」
「はい! あ、でも、お金……」
「ああ、お金は気にしないでいいよ。大切にしてくれるだけで充分だ。ただ……」
「ただ?」
「君は魔法の使い方を知らないから、その杖をただ持っているだけじゃ宝の持ち腐れになってしまうだろう? だから、もし君が良ければの話なんだが……こっちに引っ越してきてくれれば、魔法の使い方を教えてあげよう」
「魔法を……教えてくれるんですか?」
「ああ、もちろん。そこの桃がね」
「私ですか?」
突然の事に桃が素っ頓狂な声を上げた。
「だって僕はもう弟子がいっぱいいるからね。手一杯なんだ。君だってもう立派な一人前の魔法使いなんだし、弟子を一人作るくらい問題ないだろう。それに翠さんに最初に出会ったのは君だ。僕はそういう縁を大切にしたい」
にこやかな笑顔で言う先生に、桃は困った顔で返す。
「そうは言ってもですね、まず、翠ちゃんはまだ小学生なんですから、親の許可だっているんですよ? それに学校はどうするんですか? 引っ越すとなるとそうした手続きとか色々必要になってくるんですから、簡単に言わないでください」
まったくもう、と桃は溜息をつく。そんなやり取りを見ていた私は、自分のせいで面倒事を起こしてしまった気がして申し訳ない気持ちになった。魔法を教えてもらえるとしたらそれはとても嬉しいが、自分のせいで誰かをイライラさせたくない。
「あ、あの……私、やっぱり、教えてもらわなくって大丈夫です。魔法」
その言葉を聞いた二人は、はっとした表情で私を見た。
「あ……ごめんね、翠ちゃん。そういうのじゃないの」
桃はしゃがんで私の目をじっと見つめた。
「翠ちゃんに魔法を教えるのが面倒で言った訳じゃないんだよ。翠ちゃんに教えるのなら大歓迎! でも、私が翠ちゃんの家に行って教えるのは難しいし……お店もあるからね。だから本当に翠ちゃんが魔法を教わりたいって言うなら、引っ越してきてくれた方が私としては楽なんだけど、そうなるとやらないといけない事が沢山出てくるの。で、そういう事を何も考えずにああしよう、こうしようって言ってくるのが先生だから、釘を刺したってだけで……ああ、ごめんね。凄く言い訳してるみたいになっちゃったけど、本当に翠ちゃんの事が嫌で言ったとか、そういう訳じゃないの」
先生も膝をついて、私と目線を合わせる。
「僕もごめんね。嫌な思いをさせてしまったみたいで。思いつきだけで言うのも、僕の悪い癖だ。でも、魔法使いになりたい子に魔法を教えたいと思うのは、僕も桃も同じ気持ちなんだ。君みたいに素質のある子には特にね。だから、僕らを君の魔法の先生にさせてほしい。引っ越すのが難しければ、君の都合のつく日に僕らがそっちに行くし、もしこっちに引っ越してきたいと思うのなら、僕らが君の保護者を説得させてみせるよ。引っ越しに関する手続きも僕らが全部引き受ける。どうかな。僕らを君の先生にさせてくれるかい?」
こんなにも真剣に自分の事を考えてくれる人達と出会ったのは、私にとって初めての事だった。だからその真摯さに戸惑いもした。だが相手が真剣に考えているのなら、こちらも真剣に考えるべきだろう。私はどうするべきか考えた。その間、二人は黙って私を見守った。
実際には一、二分だが体感では一時間程時間が経った頃、私は決意を声に出した。
「私、魔法使いになりたいです! ずっと魔法使いに憧れて、自分もなりたいって思ってました。なので、魔法を教えてほしいです! 私の先生になってください! それと、家だとお父さんもお母さんも、その、魔法使ったらびっくりすると思うので、引っ越し、したいです」
もう少し正直に言えば、びっくりすると言うよりも嫌な顔をするのかもしれない。それにただでさえ存在を無視されているのに、魔法を教わっているという事が学校で知られたら、余計に扱いが酷くなるかもしれない。そういう意味でも引っ越しはしたかった。だが二人にいらぬ心配を掛けさせたくなくて、その事は黙っていた。
私の決意を聞いた二人は、その言葉を噛み締めるように頷いた。
「ありがとう、翠さん。君が一人前の魔法使いになれるよう、責任を持って僕らが指導するよ」
「私からもありがとう。ご両親の説得とか、引っ越しの手続きとか、そういうのは私達がやっておくから、何も心配しなくていいよ。どんと任せて!」
「はい……! ありがとうございます!」
こうして私は、魔法使いになる第一歩を踏み出したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます