紫野原魔法探偵事務所
みーこ
第1話
「オレはディサエル。神だ。妹を探すのを手伝ってほしい」
そう言ってソファに座りながら、出した覚えもない紅茶を優雅に飲む目の前の人物を見て、私——紫野原翠は戸惑うしかなかった。
(新手の宗教勧誘か?)
ここは開業一日目の探偵事務所である。とある事情から大々的に宣伝はしていないし、私は名前が売れている訳でもない新人だ。その為、初日から客が来るとは思ってもいなかった。だが己を神と名乗る人間が来るなんてそれ以上に思ってもいなかった。
(でも妹を探すのを手伝ってほしいって言ってるから、依頼人なのか?)
この恐らく依頼人と思われる人物は、褐色の肌に漆黒の髪、シャツまで真っ黒なスーツに黒いツヤのある革靴と、あれこれ黒づくめだ。しかし瞳の色と、それに合わせたようにネクタイの色の二ヶ所だけが赤い。それに加えての神発言に出所不明の紅茶である。勧誘に来たにせよ依頼を持ってきたにせよ、そして本当に神であるにせよ、ディサエルと名乗ったこの人物がどんな人なのか気になった私は、ひとまず当たり障りのないところから質問する事にした。
「妹さんは行方不明なんですか? 警察には相談しましたか?」
「行方不明と言えば行方不明なんだろうが、この街にはいるはずだ。あと警察には行ってない。警察に相談できないことを相談する為に、この探偵事務所が存在しているものだと思っていたんだが……違うのか?」
「ああ、ええ。まぁ」
警察に相談できない事を相談する場所を作る為にこの探偵事務所を作ったのはその通りだ。それは大々的に宣伝していない事情にも繋がっている。だがその事情を知るのは私を含めて数人しかいない。その中にディサエルは当然含まれていない。何故それを知っているのか、どこでそれを知りえたのかが分からず、生返事をするしかなかった。
「て言うか、お前の力を必要としているからここに来ることが出来る。そういう場所だと思っていたんだが?」
「まぁ……確かに、そうです。そういう場所です」
この人物は何をどこまで知っているんだ?
「そういう訳だから、手伝ってくれるよな?」
ただひたすらに事実だけを——神だというのも事実だとすればだが——述べていくディサエルに、私はただひたすらに圧倒されていた。この場を制しているのはこの事務所の主である私ではなく、目の前でソファにゆったりと座り紅茶を嗜む自称神、ディサエルなのだ。相手が第一声を発した時点から、相手のペースに飲まれていたのだ。そのことに漸く気がついた。
「手伝うかどうか決める前に、いくつか質問してもいいですか?」
「もちろん」
ディサエルはニヤリと笑った。まるで今からどんな質問をされるのか、全て分かっているかのように。
「まず、本当に神様なんですか? ディサエルなんて名前の神様、聞いた事ないんですが」
「正真正銘、本物の神だ。だがこの世界の神じゃない。別の、幾つかの世界で神と崇められている。ああ、もちろん妹も神だ。双子の神なんだよ」
「別の、幾つかの世界?」
そういう設定でも考えてきたのか?
「異世界とか、マルチバースとか、聞いた事あるだろ? 世界は無数に存在する。その中の幾つか……幾つだったかは正確には分からないが、とにかくオレと妹は、幾つかの世界で神と崇められている。まぁ中には破壊神と創造神だとか、女神と魔神だとか、話が伝わる過程で神話の内容も変わったのか色々好き勝手に言われたりもするが、神は神だ。証拠もあるぜ」
ディサエルがそう言うと、机の上に本が数冊現れた。どれも見た事の無い文字でタイトルが書かれており、装丁もバラバラ。本がひとりでに開くと、そこにはどれも私には読めない文字が並んでいる。
「これに書かれているのはオレと妹が世界を創造した、という話だな。こっちはオレが世界を滅ぼして、妹が修復した話。これは妹が良い行いをした人を神にしてやる話。おお、頭が三つもある怪物にオレがなってる話もあるぜ」
どうやら破壊神とか魔神とか言われている方が来てしまったらしい。私は己とこの街がどうか無事でありますように、と近所の神社で祀られている神に願った。
「おいおい、目の前に神様がいるってのに、他の神様にお願い事か? 寂しい事してくれるじゃねぇか」
「え……?」
私はぞくりと寒気を感じディサエルの顔を見ると、目の前の神はニタニタと恐ろしい笑みを浮かべていた。
「こんな至近距離にいるんだ。神に何か願えばすぐ感じ取る事ができる。それがオレ以外の神への願いでもな。安心しろ。この街を破壊したりなんかしない。言っただろ、好き勝手に言われたりするって。好き勝手に解釈して書かれたのが神話だ」
「……そんな言い方したら、他の神様に怒られませんか?」
「大丈夫だ。大体みんなそう思ってる……はずだ」
「はぁ……。えっと、それじゃあ、破壊神ではないんですね?」
「破壊しようと思えばできるがな」
答えになってないし不安しかない。
「まぁ、とりあえずオレが神だって事は信じてくれたな?」
この会話でどう信じろと言うのだろうか。だがわざわざこんな設定を考えてまでここに来るメリットは無いはずだ。それに近所の神社の神に向けての願いがすぐにバレた。ここまできてしまっては、一切信じないというのも無理がある。
「半信半疑、ではありますが……」
「それでいい。少しでも信じてくれるなら、オレとしてはありがたい。信仰心がないと力も使えないからな」
「信仰心?」
「ああ、信仰心。人間でいう栄養素みたいなものだ。それがないと生きていられない。力も出ない。オレが神として崇められている世界であれば信仰心は勝手に集まるが、ここはそうじゃないからな。誰かオレを信じてくれる人間がいないと力が使えないんだ。信じる力を魔法に変換する魔法使いなら、この話は理解できるだろ?」
そう言うと、ディサエルは私の目をじっくりと見た。なるほど。次はこの質問をしろ、という事か。ならば質問してやろう。
「何で私が魔法使いだと知ってるんですか?」
待ってました。とでも言わんばかりにディサエルは唇の端を釣り上げた。なんだかやけに鼻につく表情をする神様だ。
「それはオレが神だからだ……と言っても答えにはならないよな。簡単に説明すると、オレ達も魔法使いで、その人が魔法使いかどうか見分ける事もできる。魔力の痕跡を見つけたり、誰が使った魔法なのか見分けたりもな。だからお前が魔法使いなのも、この事務所に魔法が掛っていて、お前の魔法の力の助けを必要としている者だけ入れるようになっている事も、その魔法を掛けたのがお前とは別の魔法使いだって事もわかる。これで納得したか?」
「……はい」
そう、ここは探偵事務所は探偵事務所でも、〝魔法探偵事務所〟である。ディサエルが神として君臨している世界ではどうなのか知らないが、この世界では魔法使いの存在は多くないし、認知度も低い。その為魔法絡みの事件が起きた際、警察へ相談しても取り合ってくれない場合が殆どで、そうした人たちの為に私はこの魔法探偵事務所を設立した。大々的に宣伝していないのは認知度の低さが主な要因だ。それに魔法使いの中には自分が魔法使いである事を周囲に隠したり、その存在が公になる事を嫌う人もいる。だから私も魔法使い仲間数人にのみ開業を知らせ、魔法の使い方を教えてくれた恩師に協力をお願いし、私の力を必要とする人だけここに来られるように魔法を掛け、ひっそりと事務所を構えた。
「魔力の痕跡から、誰がその魔法を使ったのか見分ける事ができるのは私も同じで、それもあって事務所を開く事にしたんですが……オレ達、と言いましたよね? 妹さんも同じようにそれができるなら、お互いの痕跡を辿れば探し出せるんじゃないですか?」
魔法使い、と一口に言っても、誰にだって同じ魔法が使える訳ではない。もちろん誰もが使えるポピュラーな魔法もあるが、その人の素質や得手不得手によって使える魔法は大分変ってくる。魔力の痕跡を探る探知魔法もその一つで、これは生まれつき痕跡が見える人もいれば、訓練しても全然習得できない人もいる。私は前者である為苦も無く痕跡が見える。そこから誰が使った魔法なのかを探るのはそれなりの集中力が必要になるが、神であればそれだって難なくできるのだろう。であれば人探しは簡単なはずだ。
「それなんだがな……」
ディサエルは苦い顔をして言葉を続ける。
「オレ達にも色々事情があって、お互いの痕跡を探るのができないんだよ。そういう罰を下されたっていうか……。だから探すのを手伝ってもらう為にここに来たんだ」
罰、とは何だろうか。神を名乗るくらいだし、他の神から神罰でも下されたのかもしれない。だがそれよりも気になるのは……。
「でも、さっきこの街にはいるはずだって言ってましたよね? 何でそれは分かるんですか?」
「ああ、それはオレ達を追ってる奴らがこの街にいるからだ」
「追ってる? お二人は誰かに追われてるんですか?」
どうやらいよいよ事件性を帯びてきたようだ。出会ってすぐ「神だ」と言ってきたせいで話半分に聞いていたが、これは真剣に聞いた方がいいだろう。
「そうなんだよ。よりにもよって、オレ達が神と認定してやった奴にな。さっきも言ったが、オレと妹は幾つかの世界で神と崇められている。で、世界によって、神話によって、神の姿形は変わる。昔、ある世界で妹は善良な心を持つ人間を導く女神として崇められ、オレは世界を滅ぼす魔神として恐れられていた」
やっぱりヤバい方の神様が目の前にいるのか。と思いはしたが、口には出さなかった。
「その世界のとある王国に、とある王子がいた。集団を纏めるのが上手い奴だったから神にしようかとも思ったが、性格に難ありだからやめておこうって話になった。だがそいつは自分を神にするようしつこく言ってきて、段々それを面倒に感じてきたオレ達は仕方なく神にしてやったんだ。で、そいつを神に認定したその日、そいつはオレのことを人の心を惑わす邪悪な魔王だとか言って、集団を率いて倒しにやってきた」
「それは災難ですね……」
「ああ。恩を仇で返されたって感じだ。だがオレは優しいからその時は倒されたフリをしてやったんだ。オレは不死身だから死ぬ心配は無いし、悪役を演じるのも楽しいからな。その後はそいつと会わないようにしていたんだが……どうもオレが生きているのがバレたみたいでな。また倒そうと躍起になってるようだ。しかもそいつはオレと妹が一緒にいるところを見て「女神の心が魔王に操られている!」とか何とか言って、女神を救おうとこれまた躍起になってるから面倒な事になってきてな……。一先ずオレ達はそいつから離れようと別の世界に渡ったんだが、そいつまた集団を率いて追いかけてきて……ああ、面倒な奴を神にして後悔してるぜ」
ディサエルは大きな溜息をついた。
「こうなったらオレ達が元々存在していない世界に行った方が安全だろう、と思ってこの世界に来たのがつい最近の事なんだが、考えが甘かったみたいでな。信仰されていない世界なら相手も大した力は使えないだろう、と思っての事だったんだが、集団を率いてるから、相手は魔法が使えるんだ」
「あ、つまり、魔法が使えれば二対多数でも勝てるけど、魔法が使えないから負けた……って事ですか?」
その通りだ。と言ってディサエルはゆっくりと頷いた。
「魔法が使えないと、成人男性の集団を相手に戦うのはオレ達には不利すぎて負けたよ。そして女神を保護するとか言って、妹が連れ去られた」
その声音からは、後悔や憤りが感じられた。きっとディサエルは妹の事をとても大切に想っているのだろう。
「オレ達は互いの痕跡を探れないが、奴らの痕跡なら探れる。だから奴らがどこにいるのかは分かるが、この世界にオレを信仰してくれる人間がいないと大した魔法が使えない。そこで信仰してくれそうな人を探す事に決めたら……なんとびっくり。この世界にも魔法使いがいるときた。だったら魔法使いに協力を仰いだ方が、一緒に戦ってくれるかもしれない。と思いついた所で見つけたのが……」
「この事務所、ですか」
そうだ。と首肯するディサエル。なるほど。話が見えてきた。
「ここまで話した所でもう一度言うが、オレはディサエル。神だ。妹を探すのを手伝ってほしい」
燃え盛る炎のような赤い瞳がこちらを見据えてくる。この神を信仰し、力を与え、他の神に連れ去られた妹を探し、必要に応じて共に戦う事。これが記念すべき第一回目の依頼内容か。こんな依頼が来るとは露ほども考えていなかったが、こんなにも面白そうな依頼を受けずに他に何の依頼を受けろと言うのだろう!
「その依頼、お受けいたします!」
こうして私はディサエルと手を組む事になった。
「それで、ディサエルさん」
話を切り出そうとすると、ディサエルが待った、と手を挙げる。
「呼び捨てでいい。無理に敬語を使う必要もない」
神様相手に呼び捨て且つタメ口とは畏れ多い気もするが、本人がそう言うのであれば従った方がいいのだろう。そもそも知らない世界の神に対する礼儀作法も知らない。
「あー、うん。オッケー」
「オレもお前の事は下の名前で呼んでいいか? 何て名前だ?」
「翠」
「翠だな。よし。それで、何の話だ?」
「妹を探すと言っても、どうやって探せばいい? 私は妹さんの事も、二人を追ってやってきた人達の事も知らないから、痕跡も分からない」
「ああ、その事か。追ってきた奴らの痕跡ならオレが分かるから、街に繰り出せばこれが痕跡だと言ってやれるんだが……」
ディサエルはそこで言葉を切って、難しそうな表情を浮かべる。
「奴らが街のどこに潜んでいるか分からないからな……。下手に動いて奴らに見つかると、力の足りないオレじゃまた負けるだけだ」
なるほど。それは最もな事だろう。相手がどんな強さを持っているのか知らないが、一度負けている本人がこう言っているのだ。何も対策を立てずに一緒に行動するのは、返って不利になる可能性が高い。
「だから、そうだな……。オレの力がある程度蓄えられるまで、ここでお前と一緒に住んでもいいか?」
「うん……え⁉」
一緒に住む⁉ 今日初めて会った人(神)と⁉
「ここ事務所兼自宅だろ? 空き部屋無いか?」
「あるにはあるけど……マジで言ってる?」
魔力が溜まるまで大人しくしている為だとしても、何故そうなる。そんな「ちょっと今からそこのコンビニまで行こうぜ」的な軽いノリで言われても困る。
「大マジ。外に出ると危ないんだから、仕方ねぇだろ」
いくら神とは言え、要求する側にしては態度がデカすぎやしないか。
「それも……そうだけど。急に言われても……」
「迷惑掛けてる事くらい分かってる。だがオレの身の安全も大切な事だ。それにオレを信仰してくれる人間が近くにいた方が、魔力も早く溜まりやすい。だから頼む。ここに住まわせてくれ」
そう言ってディサエルは頭まで下げだした。ここまでされると(神なのもあって)無下にはできない。
「仕方がないから……いいですよ」
「ありがとう」
こうして何故か、ディサエルと一緒に住む事にもなった。
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