第27話
出勤すると、店の入口が二台のワゴン車によってふさがれていた。そして、見慣れぬ人間たちが、妙に
「何ですか、あの人たちは」
まるでこっちが邪魔をしているような格好で恐縮しながら店の中に入った後、控え室にいた蘭丸に尋ねると、
「テレビっす」
という、
「テレビがこの店に何の用ですか」
「ドキュメンタリー? よく分かんないけど、時々あるんスよ、こういうの」
「へぇ。警察二十四時ですか」
「そういう感じじゃなくて。世間の人は、こういう業界の舞台裏みたいなのを知りたいんじゃないスかね」
「お客さんがいない時のネズミの暴走ですか」
「そこは絶対知られちゃダメなとこっショ」
その時、控え室のドアが開いて、副社長が入ってきた。一呼吸遅れて、撮影スタッフの一人と思われる、
「蘭丸。すまないが、ちょっと外してくれ」
「へーい」
蘭丸が出ていったドアが閉まるのを確認すると、副社長は私の目を正面から見た。
この人は、どうも九〇度以外の角度を知らないらしい。
「レオン、きみに話がある。少し時間をもらえるか」
「はい」
「田之森さん、こちらがレオンです。レオン、こちらは映像制作会社『ゼロ』のディレクターでいらっしゃる、田之森さんだ。君を取材なさりたいそうだ」
「ぼくを、ですか。店を、ではなくて?」
「田之森と申します。よろしくお願いいたします」
「あ、すみません。レオンと申します」
「失礼ですが、こちらでいちばん日の浅いのがレオンさんだとうかがいまして」
「まあ、その通りですけれど、それが何か?」
「実は、新人ホストの悪戦苦闘、みたいなドキュメンタリーを撮りたいと思っているんですよ」
「はあ。
「おい、調子に乗るな。お前の仕事など、まだ言うほどのものではないぞ」
「え。そうなんですか?」
「はは。面白いな、すでに。しかもお聞きしたところ、ホストになる前は、全くイケてないオタク系男子だったとか?」
「オタクは、ここの先輩たちに勝手に押し付けられたキャラですけれど、イケてなかったのは事実です」
「ふんふんふん、そうですか、なるほどなるほど。しかし、イケてない男子の面影はもう外見上は見当たりませんね。もう少し早くお会いしたかったなぁ。ああ、タイムマシンがほしい」
テレビ業界など、無遠慮で虚栄心に満ちた、生まれない方がましだった人間の集まりだと思っていたが、この人は、さほど悪人ではないようにも思われる。しゃべり方は少々鼻につくが。
「レオン。ちょっと協力してさし上げたらどうだ?」
「はい。自分ができることなら」
「ああ、あっりがとうございますぅ。じゃあ、ちょっと時間を巻き戻す感じで、素人感丸出しの、イケてない接客なんてできませんかねぇ」
「いつでもできますよ。長年連れ添ったキャラに戻ればいいだけですから」
「本当ですか。うれしいな。じゃあ、メイクを落として、髪色を黒に戻して、イケてない服に着替えて、採用面接のカットから撮影を始めましょうか」
「撮影スタッフ集合ーっ!」
「こんなに
「眉毛がつながっていたことなど人生で一度もない」
「髪型が格好悪かったのは認めるが、決して不潔だったわけではない」
と、どれほど主張してもことごとく却下され、結局、髭森氏の
これはいわゆるヤラセなのではないかという割り切れぬ思いを胸に
ワゴン車を出て店内に戻ると、その場にいた人間たちの笑いの爆撃波を正面から食らった。
「誰か写メ撮れ、写メ!」
「おまえ、今日からそれで接客せえよ」
「何か足りない。そうだ。あの日は両手にペンライトを持ってたはずだ」
などと、無責任な言葉が浴びせられる。
誰一人味方はおらず、店のスタッフ全員が髭森氏の肩を持つというのは、実は不愉快ではない。その遠慮のなさは、珍しくこの自分がヒトの群れに受け入れられたことの
「開店は一八時でしたよね」
「そうです」
「よし。じゃあ、一発で決めましょう。採用面接のカットいきます。演者の方、スタンバイお願いします」
副社長と蘭丸、そして私が、実際の採用面接が行われたボックス席に腰かけた。
「では、お
余計気になる。
「そして、心の中を当日の状態に近づけてください。本当にこれから採用面接を行うつもりでやってください」
「ういっス」
「蘭丸がどうしているんだ?」
「あの時もいたじゃないスか」
「そこにどうしてお前がいたのか、という意味だ」
「それはその時に訊いてくださいよ」
髭森氏の口の端から、吐息が漏れる。
「よろしいですか。セリフは必ずしも当日のままでなくとも構いません。だから、三人のうち誰かが当日言わなかったようなことを言っても、他の二人は気にせず、その言葉に自然に対応してください」
なるほど。それなら気が楽だ。さすがに全てのセリフは再現できない。
「では、始めますよ。レオンさんは今日生まれて初めてホストクラブという場所に来た。副社長さんはこの地味な男の値打ちを見定めようとしている。蘭丸さんはなんだかよく分からないけどそこにいる。はい、カメラ回りましたぁ。三人の呼吸が合ったところで、適当に始めてください」
三人で目を見交わし、互いの気を読み合う。
副社長が小さく空気を揺らした。
「ではまず、この仕事について、説明させていただきます」
あの時の記憶がよみがえる。
「はあ、よろしくお願いします」
そうだ。あの時、副社長の
「一言で言えば、お客様に夢を売る仕事です」
「はあ、ゆめですか」
この人の直球はあの時から少しも変わらない。お願いだから角度をつけてほしい。ほぼ当日のままだ。自分は緊張で顔が
撮影は思いのほか愉快だった。俳優という職業も面白いのかもしれない。
現場の空気をうまく温め、採用面接のカットをカメラ二台の長回しワンテイクで済ませた髭森氏は、きっと有能な監督なのだろう。世の中には、こんな仕事もあったのだ。人として生きるということは、案外面白いことなのかもしれない。
その日の撮影は、採用面接のワンカットのみで終了となった。接客のカットは後日撮影することになった。
その日の勤務は、副社長の命令でオタクのコスプレのままやらされた。
日は改まって、接客のシーンである。
自分がホストになって初めてついた客であるアキラとミオに、LINEで事情を説明し、出演を依頼した。顔と声にモザイクがかかり、無料で酒を飲めると知った二人は、大乗り気でやって来た。
この日はオタクのコスプレから一転、ホストに変身し直し、二人を出迎えた。
「キャー、ますます男前になっちゃって、お姉さんうれしいわっあ~ん」
アキラがそう言って、黒いストッキングに包まれた長い脚を私の脚にからめると、「そこは俺のポジションだ」と、ジオンが不服を申し立てた。
アキラ、ミオ、ジオン、私、と本人が四人
新人ホスト覚醒のカットはまた後日、と言って髭森氏率いる撮影隊は帰って行った。後日何の罪もなく顔面を張られねばならない者の気持ちも知らずに、業務終了後、ジオンはパンツ一丁で鏡に向かって横ビンタのフォームを入念に確認していた。
その後、髭森氏は朝に晩にと、私の部屋にまでクルーを引き連れてやってきた。そして、何が面白いのか分からないが、明け方に就寝する様子やら、昼起床して布団の上でお客さんからのLINEをチェックする様子やらを撮っていった。高校の卒業アルバムを見つけて大はしゃぎする髭森氏の姿を見たときは、ああ、我慢して高校を卒業しておいてよかった、としみじみ思った。
こうして出来上がった『密着ドキュメント 新人ホストの長い一日(前編)』が、ついにオンエアされた。
各種メディアの乱立によって地上波の力が衰えたと言われるが、全国ネットの影響は依然大きい。オンエア以降、新人レオンへの指名が爆発的に増えた、のは良い。しかし、ヤフーのトレンドワードに「よろがいおねします」が入っていると人から聞いた時には、さすがに薄気味の悪さを感じた。
番組から画像や映像が切り取られ、SNSで拡散されてもいるため、テレビに興味のない層にまで、ファンとアンチが勝手に広がっているようだ。(アンチ優勢だと、訊いてもいないのに蘭丸は教えてくれた。)エゴサーチをすれば、アンチからの攻撃にメンタルをやられる恐れがあるので、決してSNSには手を触れない。ジオン直伝の術を備えて立ち向かっても、その領域にはまだ、対応し切れないような気がするのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます