第25話

 葬儀が終わると、私の顔色が故人よりも悪かったらしく、それを見た人々に一様いちように心配され、急遽きゅうきょその日のシフトから外してもらった。

 用なしになった衣装を持って、なんとか自宅の最寄り駅に辿たどり着くと、駅前のマツキヨに寄り、液キャベを買って飲んだ。本来徒歩九分の道のりを二〇分以上かけてようやくマンションに到着し、エレベーターに乗って四階のボタンを押した。数秒間のエレベーターの上昇さえ三半規管さんはんきかんに影響し、気持ちが悪くなる。

 エレベーターを降りて自分の部屋に向かうと、ドアの前に人影が見えた。

 私の部屋のドアに腰の一点で体重を預け、体を「く」の字にして下を向いていたその人影は、私の足音に気が付くと、こちらを向いた。サーモンピンクのタンクトップワンピースに真珠のネックレスをし、ライムグリーンの厚底サンダルをいたそれは、シエラであった。

「お帰りなさい」

「どうしてここにいるの?」

「付き合ってるからです。待ちくたびれました。早くお部屋開けてください」

「冗談は、やめてくれないかな」

 衣装の入ったガーメントバッグを、床にたたきつけていた。

「どうしたんですか。なんだか、いつもと違いますよ」

「だろうね。今ぼくがどこに行ってきたか、分かる?」

「分かりません。どこに行ってきたんですか?」

「ケンちゃんの葬儀だよ」

「ケンちゃん?」

「岩盤浴の入り口で会った人。きみが、前に付き合っていた人」

「ああ、あのケンちゃんですか。知り合いだったんですか?」

「うん。ぼくも今日知ったんだけれど、うちの店の社長だったんだよ」

「ウケる。やっぱり歌舞伎町は狭いですね。ケンちゃん死んじゃったんですか?」

「うん」

「へぇー、早かったですね。もう少し生きるかと思ってました」

「ちょっと、人が一人亡くなったのに、それだけなの?」

「それだけって、どういうことですか?」

「あなたには、人の死を、いたむ感情って、ないの?」

「イタム? シエラの知らない言葉です。意味を教えてください」

「人の死を、しんで、悲しむっていう意味だよ」

「ふーん。ヒマですね、人間は」

ひまって、どういうこと?」

「生まれたら死ぬに決まってるじゃないですか。それをいちいち悲しむなんて、他にすることがないからなのかなぁって思いました」

「暇つぶしに悲しんでいるわけじゃないよ。信じられないな……。もうこうなったら、はっきり言わせてもらう」

「何ですか。なんだか緊張しますね」

「私は、もう、あなたとは逢わない」

「ヤバっ。どうしてですか?」

「理由を言う必要がある? あなた自身がいちばんよく分かっていると思うんだけれど」

「分かりません。教えてください」

「分からない?」

「ハイ」

「それなら、仕方がないから説明するよ」

「短めにお願いします」

「牛の展覧会で会った変な声の警備員、分かるよね」

「分かりますよ。変な声だから耳の奥が痒くなりました」

「あの人も亡くなったの、知っているでしょう?」

「知ってますよ。シエラのお仕事ですから」

「やっぱり……」

「ていうか、あのお仕事注文したの、そこのヒトじゃないですか」

 そう言って、シエラは私を指さした。

「え、ぼく?」

「そうですよ」

「ぼくがそんなこと注文するわけ……、あっ、もしかして……、ぼくの心の声を、キャッチして、それで、注文を受けたと、思っちゃったの?」

 確かあの時、心の中で止まれを激しくのろったような気がする、あまりに腹が立っていたから。


 ―― 魂の腐敗した人間である。

 存在無価値生命と言ってもよい。


 ―― 死神は

 このような人間からこそ

 命を奪うべきである。


「そうですよ。電波の強さ、まじヤバかったですよ。だから早くしないと後で怒られると思って、シエラ大急ぎでお仕事したんじゃないですか」

「怒るわけないでしょう。もう、本当かよ。参ったな。これじゃまるで、ぼくが人を殺したみたいじゃないか」

 頭をきむしる爪の音が、頭蓋骨を通して鼓膜に響く。

「あのね、人間はテレパシーで仕事を発注したりしないの、普通。心の中で言ったことがいちいち効力を発揮したら、人間社会は一瞬で破綻はたんするから。人間社会で意味を持つのは、声にして言った言葉と、文字にした言葉だけなの」

「ふーん、ずいぶんめんどくさいんですね、人間っていうのは」

「ケンちゃんが亡くなったのも、きみの仕業しわざでしょう」

「そうですね、最近は全然会ってませんでしたけど。だいぶ命は縮んでたと思います」

「やっぱり」

「もうシエラに逢わないっていう話と、ケンちゃんの話と、どう関係があるんですか?」

「関係大ありだよ。死ぬのが怖いんだよ、普通に」

「ええっ、ホントですか? ダサっ」

「ダサくて結構だよ。あと、もう一つ言ってしまうけれど、ぼくは生きるのが楽しくなっちゃったの。これは自分でも驚きだけれど」

「ええっ。ウザっ。キモっ。やめてください。全然似合ってませんよ、そのセリフ」

「大きなお世話です。だからあなたとはもう二度と逢いません。終わり」

 止まれの死以来ずっと心の中にめていた言葉を、全て吐き出した。

「あなたとか、キっショ。どうして突然、生きるのが楽しくなっちゃったんですか?」

「ダグザで人と仲良くなる方法をマスターしたんだよ」

ひかえ目に言って、バカなんですか? それは、前にも言ったじゃないですか。人間が生きるためにあらかじめ組み込まれてるただのプログラムだって」

「もう、またそれか。何、プログラムって」

「要するに、生き物は生きてえる、ただそれだけのために存在してるんですよ。分かりますか、それは」

「だけっていうのは抵抗があるけれど。およその意味は分かるよ」

「だけ、なんです。でも、生きることも、殖えることも、大変なエネルギーを使う大仕事なんですよ。分かるでしょ、これは」

「うん、それは分かる」

「だから神は、生きるために必要なことと、殖えるために必要なことをする時には、それに成功すると脳内で快感物質が分泌するようにプログラミングしたんですよ。分かりますか?」

「ちょっと、考えてもいい?」

「いいですよ」

 その時、隣の部屋のドアが開いて、人が出てきた。そして、ドアノブに手をかけたまま、私たちをじろりと見た。隣に住んでいるのに、まともに顔を見たのは初めてだ。日本に百万人くらいは居そうな、芸のない顔をした中年男である。

「ねえ、あなたがた、いい加減にしてもらえませんかね。さっきから何時間そうやって外でくっちゃべってるんですか。迷惑なんですよ」

「あ、ああ。すみませんでした」

 中年男はものすごい目で私たちをにらんでから、自分の部屋に引っ込んだ。

「怒られちゃいましたね」

「うん。そういうわけだから、悪いけれど帰って」

 先ほど床に投げ捨てたバッグを拾い上げて、ほこりを払った。

「きみのことは好きだけど、ぼくは、もっと生きたい。命は、他の人からもらってよ」

「えっ。それは困ります。オジサンがいいんです」

「なんでよ。キスもしたくない、名前も呼びたくない、そんな男でしょ、ぼくは。人間は何十億人もいるんだから、別にぼくじゃなくたっていいでしょう」

「イヤです。そこのヒトがいいんです」

「もう、意味が分からないよ。そもそもあの変な声の警備員のことは、名前で呼んでいたの?」

「呼びましたよ、何十回も」

「ふーん。キ、キスは、したの?」

「たくさんしましたよ」

「ふ、ふーん。その、先のことは?」

「その先って何ですか?」

「裸で、抱き合うとか。セ、セックスとか」

「ハイ、しましたよ。一日に何回もしたから疲れちゃいました」

「もういいよ。ちょっとはきみからも好かれているのかな、なんて思っていた自分が馬鹿だったよ。やっぱり、嫌われていたんだな」

「嫌われるとかいうのは、ちょっと違います。大嫌いですけど」

「え。そんなに嫌われてはいないってこと?」

「まぁ、そうです。大嫌いですけど」

「じゃあ、ぼくと、セ、セ、セックス、してくれる?」

 その時、また隣の部屋のドアが開いた。

「てめえら、いい加減にしろ! ぶっ殺すぞ、コラァ!」

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