第22話

「レオンさぁん、お願いしますバウッ。六番テーブルですアゥフ、アゥフ」

 控室のドアが開いて、お客さんにもらった犬耳カチューシャと犬鼻マスクをつけた蘭丸が、顔をのぞかせた。

「はい。どんな人たちですか?」

「たしか、大学の先生か、ストリッパーのどっちかだったと思います」

「方向性が全然違うじゃないですか」

「どっちだったか忘れました。すいやせぇん」

「分かりました。行きましょう」

 テーブルについてみると、待っていたのは映像制作会社のプロデューサーと、フリーのディレクターの二人組だった。蘭丸には、もう二度とものを訊くまいと、神に誓った。

「こんにちはあ、レオンでぇす。よろしくお願いしまぁす」

「ウウウッ、バウワウ! バウワウ!」

「コラッ、蘭丸。お客さんに吠えちゃダメでしょ。ハウス」

「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」

 蘭丸は舌を出して、ソファの上でお座りのポーズをした。

「なあ。蘭丸くんは狂犬病の予防注射打ったはんの? 噛まれへん?」

 金髪ショートシャギーのディレクターが靴を脱ぎ、ソファの上にあぐらをかいて尋ねた。

「ボトックス注射なら打ちましたが」

「飼い主ダメじゃん」

 ボブでオンザ眉毛のプロデューサーが、私の太腿ふとももをパチンとたたいたあと煙草をくわえた。カルティエのライターで火をつけながら、私は尋ねた。

「そういうお二人は、男日照おとこひでり予防注射を、もう打たれましたか?」

「あかーん。忘れた。ナオちゃん、アンタ打った?」

「私も打つの忘れてたぁ。だから男日照りなのかぁ」

「困りますね。年一回きちんと打ってもらわないと。男日照りは、伝染する恐ろしい病気なのですよ」

「アホか。なぁ、なんか飲ましてよ。こんなおもんない漫才しに来たんとちゃうねん。ウチら飲みに来てんから」

「この前入れた黒霧島EXはぁ? ねえ、カヨちゃん、確か残ってたよね?」

「うーん、どうやったっけ。ウチ酔うてたから覚えてへん」

「ウウッ、ワンワンワンワン!」

「蘭丸くん、犬はもういいから、ボトル残ってないかどうか見て来てよ。『ナオカヨ』って書いてあると思うから」

「クゥ~ン、クゥ~ン、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」

「あかんわ、こいつアホ過ぎるわ。レオンくん、アンタ見て来てよ」

「カシコマラジャー。レオン一号、発進」

「キャイ~ン」

 フセをしている蘭丸の背中に、越中詩郎こしなかしろう式のヒップアタックを見舞った後、ボトルを確認するためにテーブルを離れた。

 ボトルの並べられた棚を見ると、「ナオカヨ」と書かれた芋焼酎のボトルが確かにあったが、中身は残りわずか一センチ半ほどであった。

 ボトルを持ってテーブルに戻ると、ナオとカヨのくわえたチョコポッキーを、蘭丸がさかんに口で奪おうとしていた。

「レオン一号、恥ずかしながら帰って参りましたあ」

「ほら、黒霧島EX。私の言った通りでしょ」

「ほんまや、ナオちゃんの記憶力恐るべし」

「よっこいしょういち」と言いながら、私はソファに腰かけて、ボトルをテーブルに置くと見せかけつつ「あ、こんなところに、不発弾が。処理作業を開始します」と叫ぶと、ボトルの軌道を変えてラッパ状にくわえ、残った芋焼酎を一気に飲み干すという冒険を敢行した。

 一瞬の沈黙の後、「ふざけんといてよ、コラァ」などと言いながらナオとカヨは、ボトルを抱いて亀になった私の頭と背中を、二人がかりでひとしきり殴打した。蘭丸は犬のくせに天龍源一郎式のダイビングエルボードロップを投下してきた。見えてはいなかったので、技の種類に関してはたぶんだが。

「警察呼ぶでぇ、ホンマにぃ。もうしゃーないから、なんか適当なん入れて。ああ、甘いのはやめてな、飲み過ぎてまうから」

「へい。十万円のコルドンブルーでよろしゅうござんすね、姉御あねご

「十万? レオン、おまえ重度のアホか。一万円までのにして」

「へい。合点がってん承知しょうちすけ

「ああ、十万のでもいいよ。あたしボーナス出たから」

「気ィ狂ぅたんか、ナオちゃん。アンタ、ボーナスなんぼもろてんのん?」

「うーん、これくらいかな」と言って、ナオは人差し指を立てた。

「一〇〇万? ああ、ウチも会社員しとけばよかった」

「なに言ってんの、カヨちゃん。フリーで稼ぎまくってるくせに。今一緒にやってるCMのギャラ、この人いくらもらってるか教えてあげようか」

「やーめーて」

「いくらッスか?」蘭丸が人間に戻った。

「三〇〇万」とナオは小声で言った。

「すげーっ。蘭丸、お手。蘭丸、おまわり。蘭丸、チンチン」

「もう、やめてって言ってんのにぃ。

ウチは、こう見えても臆病やねんから。いつ仕事が来なくなるかと思って、いつもビクビクしてんねん」

「その割にいつも御贔屓ごひいきにしていただいて、あざーッス」

「やかましいわ、蘭丸。おまえはお手でもしとけ」

「お手」と蘭丸が言って、逆にカヨにお手をさせた。そしてボケに乗ったカヨの手の甲を、蘭丸はすかさずペロリとめた。

「ああ、次ぼくの番。次ぼくの番」

 と言って、私は抜け目なく蘭丸の後ろに並んだ。

「ああ、ちゃんと整理券もらってから並んでなぁ、ボク…って、違うやろ。アホか、おまえら」

 ………

 という具合に、四人で酒(一人はコーラ)を飲みながら下らないコントを延々と閉店まで続けた。かなり癖の強い客だったので、なかなかツボが見つからず背中に汗をかきかき、途中何度もキャラを変更しながら、どうにかこうにか切り抜けた。

 「自分は作るもの」「自分は使い終わったら捨てるもの」という文化は、地下茎となって、ダグザのホストたちを一つにしていた。蘭丸でさえ、時にはワルを演じたり、王子様を演じたりもするのである。お客さんをすばやく観察して、瞬時に作り出したオーダーメイドの「自分」が、狙い通りそのお客さんにはまった時には、も言われぬ快感が全身の神経を駆け抜ける。

 なお、この手法は、ダグザ店内に限られる必要はなく、社会生活全般に適用できるものである。もしこの技術を、たとえば小学生の時に持っていたなら、自分の人生はずいぶん違ったものになっていただろう。


 そんなことをつらつらと思いながら、黄金比のコーヒー牛乳を味わっていた時、インターホンが客の来訪をげた。私の部屋を訪れる者は、新聞の勧誘か、宗教の勧誘か、かつての同業者である生命保険の勧誘のいずれかに限られる。営業のつらさは分かるので、断らねばならぬ胸の痛みを前払い的に感じつつ、インターホンに出た。

「はい、どちらさまですか?」

「………」

 反応がない。聞こえなかったのかと思い、声を一回り大きくした。

「はあい。どちらさまですかあ」

 すると、プラスチック製の受話器の無機質な穴から、なじみのある響きが漏れ出て来て鼓膜をくすぐった。

「シエラです」

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