第21話

 その日の接客で、人間にも脱皮があることを知った。一晩で三組の客を饗応きょうおうしたのだが、客のタイプに応じて、三種類の自分を演じ分けることに成功した。

 まず一組目は大相撲大好き女子、いわゆる「スーじょ」二人組であった。席につくと、彼女らと同じ土俵に立ってはいけないと早々に感知し、気は強いが体が弱くて寒がりというキャラ設定を思いついた。「オラオラ、ホストをナメるんじゃねえぞ」などと悪態をつきながら、体力の無さを遺憾なく発揮して、二人の女子と本気の腕相撲勝負をして、ものの見事に負けてみせたところ、その負けっぷりが大変好評であった。二人で九万円のドンペリを一本入れて、また来ると言って満足気まんぞくげに帰って行った。

 二組目は、合コンが不発だったうっぷんを晴らすためにダグザを訪れたという、女起業家とその参謀である女公認会計士の二人組だった。そのテーブルでは、沈黙恐怖症でとにかくしゃべり続けずにはいられない、そして、いくらすべっても何度でも立ち上がりボケ続けるという、サイコ・スポこん・お笑い複合キャラを演じた。二人のインテリ女は、私に対して「面白くない」「ウザい」「キモい」「黙れ」「帰れ」などとさんざん罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせつつ、私がボケるたびに、途中わざわざ店を出てドンキで買ってきたピコピコハンマーで私の頭をたたくことによって、計画通りガス抜きをすることに成功したようである。彼女らは一〇〇万円程の金を落として、すがすがしい顔をして帰って行った。

 その日の最終組は、AV女優三人組であった。そのうちの一人は私も知っている女優で、何を隠そう私の部屋には彼女のDVDが二枚ある。他の二人の顔は初めて見るが、とにかく三人とも目の奥が違うことを感じた。この女たちにはサイコキャラではとてもかなわないと判断し、戦隊ヒーローが大好きな、純粋で子供っぽくて酒が苦手なキャラを演じて、母性本能をくすぐる作戦に出た。このテーブルには蘭丸もついたため、キャラが少々重なってしまったが、まずまずの盛り上がりだったと思う。このテーブルでもヴーヴ・クリコという高級シャンパンが入った。

 一日の終わりには、副社長からも賛辞をもらった。蘭丸には天才だと持ち上げられ、ジオンからは授業料をよこせと脅された。ホモサピエンスとして生まれて二十七年目にして、ようやく社会に生きるヒトとして生まれ直すことができたような気がする。二十七年間も一体何を恐れてきたのだろう。もう人とのコミュニケーションは、怖くない。


 警備員時代もそうだったが、ホストになって昼夜逆転の度合いが増した。明け方に就寝して正午近くに起きる。起床すると、まずLINEをチェックする。お客さんからのLINEが来ていれば、すぐに返信する。LINEが来ていないお客さんに対しては、こちらからメッセージを送り、店に足を運ぶ方向へと誘導する。スマホは、ホストにとって絶対に欠かせない商売道具である。

 その一連の工程の中に、苦痛を伴う作業が含まれている。お客さんからのLINEに交じって、シエラからのLINEが毎日のように届いているのだ。奥歯をきしらせながら、返信せずに削除する。そのような状態が、もう十日あまりも続いている。

 シエラへの思いは本質的には変わらない。しかし自分の中で、止まれのことが尾を引いている。シエラに逢い続ければ、やがて自分にも止まれと同じような結末が訪れる。今までは単なる辞書的な概念でしかなかった「死」というものが、止まれの死によって、急に生々なまなましいにおいや湿しめや手触りを伴ったものとして、眼前がんぜんに迫って来たのだ。

 実は、シエラに逢うことを躊躇ちゅうちょさせる要因がもう一つある。それは、以前全く予期していなかった、自分自身の変化である。今の私は、生きることが楽しい。毎日色々なお客さんと接することが面白くて仕方がない。もちろん、時に退屈なこともあれば、心ない言葉に傷付けられることもある。しかし、状況に応じて最適な「自分」を制作し、用が済んだら潔く捨てるという、ジオンに教えられた処世術が、まるで新しいゲームのように新鮮で、しかも、いくらプレーしてもきることがない。お客さんは毎日違うのだから、このゲームソフトは、日々更新されているようなものなのだ。

 ジオン直伝のこの術が異彩を放っているのは、特に防御の合理性である。もし情緒にダメージを受けることがあったとしても、傷を負った「自分」をまるごと捨ててしまえば、魂には傷の影響がほとんど残らずに済むのだ。実際、相性の良くないお客さんにあたって不快な思いをした後は、頭の中にゲームオーバーの効果音が鳴り響く。そして、次のお客さんのテーブルに移動する時には、傷付いた自分を控室のゴミ箱に捨てると同時に、真新しい自分を用意して、リセットした状態で第二ゲームに臨むのだ。

 昨日も、こんなことがあった。

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