第12話 お星様にお願いを

その夜、グレゴリオは不思議と妙な胸騒ぎを覚え、なかなか寝付けなかった。特にどうというわけではないのだが、何故だか眠れないのだ。こういう焦燥感を感じる時、決まって何かが起こると彼は経験則で知っている。


杞憂で済めばよいのだが、と起き上がり、夜の廊下を歩いて食堂に向かう。既に屋敷は寝静まっており、結婚式の日まで滞在して花を見極めると言い出した母も、うえーと顔を顰めていた花も既に眠っている頃だろう。


と、思っていたのだが。不意に人の気配を感じ、グレゴリオの足はそちらへ向かう。玄関の扉が、半開きになっていた。よもや泥棒ではあるまい。門番も警備の私兵たちも、そんな間抜けを雇ったつもりはない。


では誰が、と思い外に出てみると、庭の方に独り、ポツンと佇む人影があった。月明かりに照らされ夜空を見上げるその横顔は、この1週間ずっと彼の心を乱してやまなかった彼女のもの。


「花」


「グッチー?」


「一体どうした、こんな時間に」


「あー、うん。なんか、ちょっとおセンチな気持ちになっちゃって」


「おセンチ?」


「センチメンタルっていうか、感傷的っていうか。柄にもないのは分かってるんだけどさ」


花が両手に持ち、月にかざしていたのは傷チョコレートのような薄くて四角く、黒い板だった。ガラスが表面に貼られているようだが、派手に割れてしまっている。


あの日、あの聖女召喚の儀式が執り行われた広間で、グレゴリオの怒号によりヒビが入ってしまったことを彼は知らない。


「それは?」


「コレ? スマホ……って言っても分かんないか。電話は分かる? 遠くにいる相手と話ができる道具」


「伝声魔術を使った通信機のようなものか? それにしては随分と小さいんだな」


「まあ、そんな感じ。うちのいた世界じゃコレぐらい普通だよ。昔はもっと大きかったり、逆に小さかったりしたみたいだけど」


「そうか。君のいた世界には、我々の世界にはないものが数多くあったのだろうな」


「そうだね。その代わり、こっちの世界にあるものがうちらのいた世界にはなかったりもしたけど」


たとえば魔法とか、と花は寂しげに笑う。いつもの勝ち気で満開の花のように輝く笑顔とはまるで異なる、今にも泣き出してしまいそうなか弱い少女の笑みに、グレゴリオの胸は締め付けられた。


笑ったり、怒ったり、泣いたり、喜んだり。思えばグレゴリオの前で、花は随分と目まぐるしく感情を爆発させたものだ。それは、女性に全く縁のなかったグレゴリオにとって、新鮮な体験だった。


「そのスマホとやらは、そうやって月にかざして使うものなのか?」


「ううん、違う違う。ただ、電池が切れちゃって。電池は分かるかな? えっと、この道具を使うために必要なエネルギー、みたいな」


「魔力貯蔵器のようなものだろうか」


「たぶん、そんな感じ。これはね、電気……雷の力で動くの」


「ならば、雷を当てればまた動かせるようになるのではないか?」


「無理じゃないかなー。雷そのものを直撃させたら、たぶん黒焦げになって壊れちゃうから」


こんなことならもっとちゃんと科学とか物理の授業受けとけばよかったよね、とスマホを寝間着のポケットにしまう花。


「うちね、コレ使って友達とか、家族とかと連絡してたんだ」


「家族……」


ズキン、とグレゴリオの胸が痛む。彼女がこの世界に召喚されてから、ずっと考えないようにしていたこと。だけど、考えずにはいられなかったこと。


元の世界にいた、彼女の家族はどうなったのか。年頃の可愛い娘がいなくなったら、冷静でいられる筈がない。少なくともある日突然母が失踪したらと思うと、背筋が凍る程の恐怖が彼の胸を茨のように締め付ける。


「当り前っちゃ当たり前なんだけど、別の世界にいると元の世界とは繋がらないみたいで。写真とか、動画とか、見ないように見ないように我慢してたんだけど、やっぱどうしても、気になっちゃってさ」


ごめん、と花はグレゴリオに背中を向ける。月明かりを浴びて艶めく黒髪の向こうに消えてしまったその表情は読み取れなくとも、声の震えだけで彼女が泣きそうになっていることぐらい、分かる。


この世界に来て1週刊。人生で最も濃い1週間だったと思う。グレゴリオとの出会い。結婚騒動、誘拐されそうになったり、喧嘩して仲直りしたり、お姑さんと大喧嘩になったり。


きっと義母、という存在が、花の郷愁の念を強めてしまったのだろう。ハイテンションで騒いであまり深くは考えないようにしたいたけれど、やっぱりどうしても、パパとママ、弟、猫、それに友人たちのことを思い出してしまう。


「うち、グッチーのこと好きだよ。嘘じゃない。ほんとだよ。でも、でもね? 結婚式に、新婦側の席に誰も呼べないんだなーって思うと、なんか泣けてきちゃって」


「っ!」


堪らず、グレゴリオは背後から花の小さな体を抱き締めた。自分にその資格があるのか、なんて自責は、あまりに些細なエゴでしかないから。


「みんなにも、見せたかったなあ! うちの晴れ姿。一生に一度の、人生で一番幸せな日を、みんなにもお祝いしてもらいたかったよお!」


「すまない! すまない花! 俺のせいだ! 全部俺のせいだ!」


背後から回されたグレゴリオの傷跡だらけの腕を、震える両手で抱き締めながら、花はボロボロ涙を流す。後から後から溢れて止まらない涙がグレゴリオの腕に落ちて、花の慟哭を直に伝える。


「ごめん、ほんっとごめん。こんなこと言われても困るだけだよね。今日だけにするから。今日で終わりにするから、だから、今だけは許して」


「そんなことはない! そんな……すまない、本当にすまない花」


「うう! うあああ! 嗚呼あああああああああああああああっ!」


それから言葉もなく、頑なに泣き顔は見せずに、花は泣き続けた。泣いて、泣いて、目が痛くなるまで泣いて。


そんな彼女をずっと抱き締め続けていたグレゴリオも、胸が張り裂けそうな悲しみに、目頭を熱くする。だが、俺には泣く資格などないと、唇を噛んで堪える。今、泣いていいのは花だけだ。花と、その家族や友人だけ。


異世界から聖女を召喚する。随分と身勝手で、都合のいい手段だ。相手の迷惑など考えず、こちらの都合だけで一方的に誘拐・拉致も同然に呼び出し、要求だけを突き付ける。人権を度外視した、非道なやり口。


俺が彼女から幸せを奪った。彼女が送る筈だった人生をぶち壊しにして、彼女を大切に想う人々から取り上げた。たとえ儀式を勝手に執り行ったのがエドワードたちであったとしても、原因が俺なら俺の罪だ、と。


 ☆


「花。君にひとつ、言うべきことがある」


「何?」


泣き崩れた花が、立っているのも億劫なぐらいに泣き疲れてしまって。チャンドラー邸のよく手入れされた芝生の上に仰向けに寝転んだグレゴリオの腹の上で横になる。


夜空には月。そして、日本では田舎に行かなければ見られないような満天の星空。鎧も何もない、布越しでもハッキリと伝わる互いの体温と息遣い。グレゴリオが呼吸をする度にその分厚い胸板が上下し、その上に横たわる花の体も上下に揺れる。


「召喚術には、送還術と呼ばれる対の魔術がある。呼び出したものを、元いた場所に送り返すための魔術だ」


「それって」


「そうだ。それを使えば、君を元いた世界に帰せるかもしれん」


『あー、君。その、なんだ。このバカがすまなかった。すぐに元いた世界に君を送り返』


『……カッケエ!』


『うん?』


『超カッケエ! マジ激ヤバなんですけど!? うちコレと結婚すんの!? ヤベエー!』


『は?』


そうだ。あの時は花の目がハートになってしまったせいで有耶無耶になってしまったが、あの時確かにグレゴリオは「すぐに元いた世界に君を送り返すようコイツらに命じるから」と言いかけた。


「すまない。俺は……俺は卑劣な男だ」


この1週間、グレゴリオは花に色々言ったが、一度として「帰れ」とは言わなかった。意図的に意識の外に追い出していたのではなく、無意識のうちにその言葉を思い出さずにいたのはきっと、彼女に惹かれてしまったから。


要するに。楽しかったのだ。花と過ごした日々が。賑やかで、かしましく、華やかで、騒がしい彼女に振り回される時間が、今まで一度として女性とそんな駆け引きをしたことのなかったグレゴリオの心を躍らせた。


滑稽な、独り善がりだったと思う。バカな男が、自分の心に踊らされていただけの話。そのせいで、彼女をこんなにも泣かせてしまったのだから、救いようがない。


「本当にすまない。俺は、卑劣な男だ。本来なら真っ先に、君にそう伝えるべきだったのに。そうすれば、君をこんなにも悲しませてしまうことにはならなかっただろう。……罪深いな。俺は愚かだ」


こんな卑怯者に騙されて結婚させられる前に、君は帰るべきだ、と口を開こうとして。グレゴリオの腕の中で横たわっていた花が、むくりと起き上がる。


彼女はそのまま仰向けに寝転んで夜空を見上げるグレゴリオの体の上で四つん這いになって、彼の顔を覗き込んだ。逆光になって薄暗いが、不思議と互いの顔がハッキリと見える。


「それって、一度日本に帰った後でも、またこっちに戻って来られるの?」


「分からない。異なる世界を繋ぐ召喚魔術は、使用例が少ないんだ。何百年も前に聖女が召喚されたという伝説こそ残ってはいるが、当時の文献は王族でもなければ閲覧できないようになっているからな」


しばし無言。先に口を開いたのは、泣き腫らして真っ赤な目を細めた花の方だ。


「……帰らないよ」


「花?」


「もし帰れるんだとしても、うちは帰らない。約束したじゃん。グッチーのお嫁さんになるって」


「だがそれは」


「帰らない! 誰がなんと言おうと、うちは帰らないっ!」


「花!」


「なんでそんなこと言うの! 言ったじゃん! 結婚してくださいって! イエスって言ったじゃん! それなのに!」


「だがそれは! ……君を騙していたようなものだからだ! 選択肢は公正に与えられるべきだからだ!」


「そんなの知らないよっ! もう二度と家族に会えなくても! スマホの使えない世界でも! うちは! うちはグッチーのお嫁さんに……なりたいよ!」


魂の叫びと共に、花がグレゴリオの首筋に顔を埋める。震えながら、もう涙も出なくなって、声を枯らしながら、しがみ付く。放したくない。放さないでほしい。どうか拒絶しないで、受け入れて、と。どんな言葉よりも雄弁に、彼女の心が、温もりが、グレゴリオの心に伝わってくる。


伸ばしかけた腕を硬直させ、だがそれでも、グレゴリオはありったけの勇気を振り絞って、今度こそ彼女を抱き締めた。震える傷跡だらけの手で、強く、優しく、抱き締めた。


「……俺なんかで、本当にいいのか?」


「グッチーがいい。グッチーじゃなきゃヤダ」


「嘘吐きの、卑劣漢でも?」


「毛むくじゃらで、ちょっと臭って、髭ボーボーで、分からずやでも。うちはあなたが好きです。初めて会った時はただの一目惚れだったかもしんないけど、今は、見た目も中身もひっくるめて、ぜーんぶ好き!」


無粋な言葉は、もういらなかった。


月明かりの下で、ふたりは口付けを交わす。


「結婚しよう、花」


「……うんっ!」


後々ふたりは思い知るだろう。草木も寝静まる真夜中に庭先でこんな大声出していたら、家の人々どころか近隣住民にまで全部丸聞こえだと。


だが、それがどうした。グレゴリオ・チャンドラーと花・吹雪は、真の意味で今夜本当に互いを愛したのだ。その大事に比べれば、第2次プロポーズ丸聞こえ事件など些細な問題でしかない。そうだろう?






ゴリラに花吹雪を!!~召喚ギャル聖女は純情ゴリラ将軍を溺愛する~


第1部

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