第8話! プロポーズ大作戦は突然に!

馬車の扉を閉め、ガーフィールドは御者と共に運転席へ。護衛のふたりは辻馬車を呼びに行く。走り出した馬車にガタゴト揺られ、帰路についた花とグレゴリオ。夕日に彩られたプロティーン王国の街並みは美しいが、生憎馬車のカーテンは閉められているためオレンジ色に染まった美しい光景を見ることはできない。尤も、今の花の目にはグレゴリオしか映っていないので関係なかったかもしれないが。


「怖かっただろう? 帰ろう、花」


「うん。あ、帰る前にスイーツショップ寄っていい? ガーちゃんオススメのマカロンが売ってるって話だから、終わったら帰りに寄ろうって話してたんだよね」


「さすがに今日はよした方がいいんじゃないか? 襲われたばかりだろう」


芯の強い女性であることは知っていたが、まさかあんなことがあった直後にケロっとしているとは思わず、心配と呆れと感心が1/3ずつ混じった複雑な苦笑を浮かべるグレゴリオ。怯えて泣きじゃくられてしまってはどう慰めてよいのか分からなかっただろうから、助かると言えば助かる。


「えー!? 折角グッチーとデートできるチャンスなのにい!」


「デートがしたいのならば、後日幾らでも時間を作るから、今日はおとなしく帰ろう。な?」


「ほんと!? やったー!」


「うん? あ! いや、今のは違うぞ! いや違わないが!」


ばんざーい! と両腕を伸ばして両手でガッツポーズをしながら喜ぶ花に、自分が何を言ったのかに気付いて真っ赤になる純情熟年。あたふたと慌てる姿は踊るダンシングゴリラだが、花にとってはとても可愛らしいものだ。


「約束だからね! ね! 約束!」


「う、わ、分かった分かった、分かったからくっ付いてくれるな!」


「なんで? さっきは抱き締めてくれたじゃん!」


「それはその、心配だったから思わず! とにかく、まだ正式な夫婦でない俺たちが人前で抱き合うなど!」


「それってふたりっきりならいいってこと? ここにはうちら以外誰もいないし、窓のカーテンも閉まってるよ?」


「……うう!」


大喜びで首に抱きついてた花を引き剥がそうにも、そうするためには相手の体に触れねばならず、真っ赤な顔であたふたあたふたしてしまう五十路間近の筋肉ゴリラ。


女性経験のなさも相俟って、花の好き好きオーラ全開攻撃にはどうにも弱いらしい。お手上げだ、と降参し、彼女の好きなようにさせてやる。


気付けば人目のない馬車の中、花はグレゴリオの膝の上、お姫様抱っこ状態で座っており、彼はその白くてやわらかな細い腕はグレゴリオの浅黒くぶっとい首に回されている。


どんな大軍やモンスターの大群を相手にした時よりも、緊張してしまう時が来るとは思わなんだ。相手はたったひとり。それも、まだ若い少女なのにこの手強さはなんなのだろう、とぼやくグレゴリオ君。


「あー、その、なんだ! いや、本当に……無事でよかった」


「……うん」


だからだろうか。もはや取り繕っている余裕もなく、素直な本音をポロっと漏らしてしまったのは。


「心配してくれたんだ?」


「勿論だ。爆破事件が起きたと通報があって出動してみれば、まさか君の行った店だとは。その事実に気付いた時、俺は人目も憚らずに叫んでしまいそうだったぞ」


これまで凄惨な戦場や殺戮の現場に居合わせたことは何度もある。将軍として、グレゴリオ自身が目を背け、耳を塞ぎたくなるような地獄絵図を作り出したことも、何度も何度もある。


だが、そんな彼であっても心を乱してしまった。もし、もしあの瓦礫の下に花がいて、掘り起こした時には人としての原型を留めていなかったらと思うと、縺れそうになる足が竦んだ。


「自分で思っていた以上に、俺は君を喪いたくはないと、そう思うようになっていたんだな」


「グッチー……嬉しい……」


見知らぬ男に拘束され、顔にサーベルを突き付けられても怖がるよりむしろ怒っていた花の目に、うっすら涙が滲む。


破天荒な彼女に振り回されているうちに、知らぬ間に募っていた愛おしさ。心の距離と同時に、互いの顔が自然と近付いていく。


「……いいんだな?」


「……うん!」


ふたりの距離が、ゼロになる。グレゴリオにとっては生まれて初めての口付け。どうしてよいのか分からず、赤くなった顔で固く目を瞑り、唇を押し当てたまま微動だにしない彼の唇を、花の下がそっと割って入る。


舌も唇も、とても分厚い。顔の輪郭を覆うようにフサフサと生えた髭が、まるで筆のように花の顔をチクチクとくすぐる。だがそんなことなど全く気にならないぐらい、夢中でふたりは口付け合った。


最初はぎこちなく、だが徐々におっかなびっくり、恐る恐る花を抱き締め、決壊したように夢中でキスを貪るグレゴリオ。ずっと、誰かとこうしてみたかった。だが、裏切られ、拒絶され、傷付けられる度諦めていた。


一生自分には縁がないと思っていたもの。恋愛。誰かに惚れることはあっても、誰かに惚れられることはないと。そう諦め、失望し、絶望していた彼のために、異世界からやってきた女。


「……泣いてる」


「……ああ」


いつしかボロボロと、グレゴリオの頬に走る傷跡を伝うように、目から大粒の涙がこぼれていた。後から後から、ボロボロ涙がこぼれ落ちて止まらない。


温かい。やわらかい。温かい。愛しい。怖い、と思った。この温もりを喪ったらと思うと、怖くて怖くて堪らない。諦めることに慣れきって、傷付くのは日常茶飯事で。


だけど、だけど。生まれて初めて、本気で、誰かを愛しいと思った。彼女に拒絶されたら、自分はもう立ち直れないだろうと。そんなリスクを忘れてしまう程に、或いは承知の上で、最初で最後の、本気の恋をした。


「……好きだよ、グレゴリオ。本気で好き。本当に、世界で一番愛してる」


「っ!」


花の、グレゴリオのそれに比べれば遥かに小さくてやわらかな手が、彼の頬に触れる。


拭っても拭っても止まらない涙で、濡れてしまった指で、彼女は愛しい彼の頭を両手で包むと、そのまま膝立ちになって抱き締めた。


「うあ、うああああ! 嗚呼あああああああああああああああ!!」


地を震わすような慟哭。みっともない、みっともないと拳を握り締めながら、グレゴリオ・チャンドラーは、吹雪花の胸の中で、思いっきり泣いた。泣いて、泣いて、泣き続けて。声が枯れるまで、泣き続けた。


 ☆


「……落ち着いた?」


「ああ。すまない、みっともないところを見せてしまったな」


「ううん、いいの。それ言ったらうちなかった、初めて会った時からずっとみっともないとこばっか見せちゃってたし!」


気付けば馬車は停まっていた。チャンドラー邸に着いたのだろうか。だが、扉が開く気配はない。グレゴリオの膝の上で、しかし花はグレゴリオをその腕の中に抱き締めていた。


まるで大きな赤ん坊のようにすり寄ってくる彼のいかめしい顔を両腕に抱きながら、優しくあやすように、その大きな頭を撫で続ける。


不思議だね、と花の心は穏やかだった。自分はずっと、包容力のある、頼り甲斐のある、逞しいマッチョを求めていた筈だ。


逞しい腕で抱き締められたい。大きな体に抱きとめられたい。そんな風に思っていた筈なのに、こうして逆にグレゴリオを抱き締め、逆の立場で甘えさせてあげていることが、ちっとも苦じゃない。


それはグレゴリオも同じだった。女性の前でみっともなく号泣するなど、あるまじき行為だと今でも思うのに、不思議と心は穏やかだ。恥ずかしいとか、そういった感情は、欠片も浮かんでさえ来ない。


騎士団長である彼の双肩には、文字通り国がかかっている。もしグレゴリオ・チャンドラーがいなくなれば、たちまち他国は今が好機とばかりに攻め入ってくるだろう。


だからずっと、肩肘張って生きてきた。風邪を引こうが大怪我を負おうが、平気だ、俺は健在だ、大丈夫だ、と強く、強くあり続けた。どこまでも強く、誰よりも強く。


そうやって意地になって、或いは意固地になって守り続けた大事なもの。自分の中にそびえ立つ柱が、ポッキリ折れてしまった、とは思わない。むしろ、より強固に、より堅固に、揺るぎなくなったとさえ思う。


「君が好きだ、花」


「うん、うちも好き」


「どうしようもなく、好きになってしまったんだ」


「うん、うちも大好き」


恥ずかしげもなく、惜しげもなく。小学生のような、不慣れな愛の言葉を囁くグレゴリオ。彼はガントレットを外し、涙を手の甲で拭って起き上がると、花の双肩を両手で掴んだ。


「花・吹雪……さん! どうか、俺と夫婦になってはくれないだろうか! ほんの数日を共に過ごしただけの男が何を、と思われても仕方ないとは思うが、嘘偽りなく、俺は君が好きだ! だから!」


花の目が見開かれる。泣き腫らして真っ赤になった目。泣き付かれて枯れてしまった、いつも以上に酷いだみ声。ロマンもムードもへったくれもない、けれど、心からの真摯な言葉が無を打つ。


「どうか、俺と! 俺と、結婚してくださいっ!」


「……そんなの」


言葉が詰まる。詰まって、出てこない。眦からボロボロと涙がこぼれ落ち、感極まって両手で口元と覆う。


「……そんなのイエスに決まってんじゃん!」


もう今日何度目かも分からないけれど。涙を流しながら、花はグレゴリオに抱きついた。


「花!」


「グッチー!」


『チッス! うち、吹雪花って言います! えっと、横文字風に言うならマイネーム・イズ・ハナフブキかな? とりまこの結婚、喜んで受けさせてもらいますんでマジよろしく!』


初めて出会ったあの日、あの時。グレゴリオと結婚してほしい、というエドワードからの要望を、花は1も2もなく受け入れた。見た目がとても好みだったからだ。


彼がどんな人間なのかも知らず、ただ漠然と、自分好みのゴリマッチョと付き合えるならなんでもいいと思っていた。結婚なんて、ただ漠然とした、小娘の憧れ程度の気持ちでしか考えていなかった。


でも、今は。今は、この人と一緒に、互いのことを知って、もっといっぱいデートして、うんと沢山甘やかされて、そして、それ以上に甘やかしてあげたい、と思った。


 ☆


とまあ、ここで終わっていればよかったのだが。あいにく人生は続くもの。馬車から降りなければならない時は来るわけで。


「お帰りなさいませ、旦那様。それに……奥様、とお呼びした方がよろしいですかな?」


「ぐ!」


「全然オッケー!」


馬車の扉を開けると、そこは無人の車庫だった。本来ならば主を乗せたまま御者が無言で立ち去るなど叱責されて然るべきだが、状況が状況なだけによくやった、としか言えない状況下で。


ふたり手を繋ぎ、チャンドラー邸の正面玄関から家に入ると、老執事ガーフィールドが素敵な笑みを浮かべてふたりの帰りを待ち侘びていたのである。


「貴様! よもや盗み聞きなどしておったのではあるまいな!?」


「とんだ冤罪でございます、旦那様。ええ、わたくし誓ってそのような恥知らずな真似は致しませんとも。ただ些かその……どんな様の号令は、戦場の端から端まで響き渡ると評判ですので、ええ」


長年の忠義を疑われるなど、わたくし悲しい、とばかりにヨヨヨと泣き真似をするガーフィールド。そう、グレゴリオは体もデカいが声もデカい。少なくとも車庫で声を張り上げれば、本館にもうっすら聴こえてしまう程に。


「ガアーフィールドオ!」


「グッチー、照れ隠しでもやつあたりはみっともないよ?」


「いえ、可愛らしゅうございます、旦那様。さあおふたりとも、お夕飯の支度ができておりますよ」


言ったー! とか。ブラボー! とか。車庫の方から響いてくる先のプロポーズを不可抗力で聴いてしまい、大盛り上がりだった使用人たちが、すれ違う度に満面の笑みを浮かべ挨拶してくる。


「お帰りなさいませ旦那様!」


「お帰りなさいませ奥様!」


「やーんまだ気が早いっていうかー! でもそのうちそうなるのは確定事項だしいー!」


「花、頼むから勘弁してくれ! 顔から火が出そうだ!」


「やーん真っ赤になっちゃってグッチーったらかーわーいーいー! でもそんなところも好き!」


無論、もし花があれだけ本気の熱量の籠もったプロポーズを断っていた場合、二度とこの屋敷の敷居は跨げなかっただろう。いずれにせよチャンドラー家は今、屋敷を挙げてのフィーバー真っ最中である。


ガーフィールドが気を利かせて止めなければ、今頃あちこちに『旦那様結婚おめでとう!』の垂れ幕が飾られていたに違いない。


もう10年前から用意されていたが一度も使われなかったチャンドラー家使用人一同手作りの垂れ幕が、遂に日の目を見る時が来たが残念ながら今回はスルーされてしまったのである。垂れ幕君は泣いていい。


「それでは、花様はこちらへ。夕食の前にお召し替えを」


「そうね! さすがにこのカッコじゃなんだし!」


後でねグッチー! と幸せいっぱいの投げキッスを残して、ガーフィールドと共に去っていく花を見送る。廊下に独り残されたグレゴリオは、それこそいたたまれない気持ちになって、俯きがちに足早に自室へと向かう。


「旦那様」


「なんだっ! お前もこれ以上俺を辱めたいのかっ! この意地悪どもめ!」


「いえ、お召し替えのお手伝いを、とガーフィールドさんに命じられまして」


若い使用人の青年に困ったように微笑まれてしまい、グレゴリオはすぐ傍にある壁に猛烈に額を打ち付けたい気分になった。


「よかったですね、旦那様。本当に、よかったです。おめでとうございます」


「……ああ、すまない。ありがとう」


思えばこの10年、使用人たちには気苦労をかけっぱなしだったなと思う。ダメかもしれない、いやでもダメじゃないかもしれない、と碌でもない女ばかりを連れ込んでは、多大な迷惑をかけてしまった。


それを思えばこそ、少しぐらいからかったり冷やかしたりしたくなる気持ちも理解できなくはない。非常に不本意だが、彼らに悪意がないと理解している以上、少しぐらいは我慢して、甘んじて受け入れるべきだろうか?


いやいやいや、絶対無理だ。恥ずかしくて憤死してしまいそうだ、とグレゴリオは足早に自室へと逃げ込むように入る。他の誰でもない、


グレゴリオ自身が『何柄にもなく浮かれているんだお前は』という気持ちを制御しきれないせいで、さっきから顔の火照りと心臓の高鳴りが止まらないのである。


「う! ぐ!」


着替える前に軽く湯浴みを済ませてから部屋に入ると、晩餐用の着替えと姿見が既に用意されていた。鏡は嫌いだ。自分の顔が嫌いだからだ。鏡に映る、デレデレとだらしなく締まりのない表情を浮かべた浮かれポンチゴリラを直視したくなくて、顔を背けてしまう。


だが、いつまでもそうしているわけにはいかない。ソソクサと着替え、鏡の前に立つ。勇気を出して、直視する。そこに映るものに変化は何もなかった。いつも通りの、いやいつも以上に酷いことになっている自分の顔。


だが、だけど。


「……」


花が『好きだ』と言ってくれた顔。グレゴリオ・チャンドラーは自分の顔が大嫌いだった。もう少しまともに生まれてこられなかったのか、と自分で自分を詰ったこともある。天を呪い、恨み、他ならぬ自分自身を憎んだ。だけど、今は。


ほんの少しだけ、この顔を好きになれるかもしれない。彼女が好きだ、と愛してくれたこの顔を。もしかしたら俺も、昨日までよりほんの少しだけ、好きになれるかもしれない。


初めて彼女と夕食を共にしたあの夜にも着た、クローゼットの中で一番上等な正装に着替え、ネクタイを締める。ただ飯を食うだけだというのに大袈裟な、と思いながら、櫛で髪と髭を整えてもらう。


鏡の前で、ニっと笑ってみる。そこにいたのは、人間様の真似をした、傷だらけの髭ゴリラ。かつては人様に決してお出しできるものではないと、忌み嫌ったもの。今はちょっとだけ、ちょっとだけ好きになれたもの。


「御武運を。いえ、違いますね。素敵な夜を」


「ああ」


――行ってくる。

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