第6話! 花嫁はさらわれやすい!

花嫁に必要なもの。それは花婿とウェディングドレスである(異世界であることを踏まえ、神前式は考慮しないものとする)。清廉なる純白のドレスに身を包み、花嫁は新郎の元へとバージンロードを歩くのだ。


一般的な結婚式場で貸し出されるウェディングドレスの相場は大体10万円から30万円ほどだが、一生に一度なんだからうんと素敵なのを着たいの! と言い出すと40万、50万と吊り上がっていく。


して、レンタルでさえそんなにも値の張るウェディングドレスを、1からオーダーメイドした場合、果たしてどれだけの出費が嵩むのか。それが国一番の英雄の妻が身に纏う逸品となれば、猶更。


「うーわーマジ綺麗! マジ豪華! どれもすんごい綺麗すぎて、どうしよううち選べないかも!」


「フフ、ご安心なさってくださいまし。どれだけ時間がかかろうとも、必ずやご満足頂けるであろう、とびきり素敵なドレスをご用意させて頂きますわ」


ウェディングドレス専門店、『ジャンドゥー屋』。国一番の腕利きのドレス職人、エリザベス・ジャンドゥーとその姉カルミラ・ジャンドゥーが営む姉妹経営の有名店である。


プロティーン王国で一番のウェディングドレスを仕立ててもらいたいならココ! と数多の王侯貴族たちが太鼓判を押した老舗中の老舗。そんな名店で、花はウェディングドレスを縫ってもらうのだ。


彼女の目の前にお出しされたのは、そんなジャンドゥー屋の自信作である数多の華やかなウェディングドレスのサンプルたち。


もうコレ着て結婚式に出るー! と言ってもいいぐらいの、華やかなウェディングドレスが並ぶ店内を、夢見心地で歩き回る異世界人・花。


今日までにグレゴリオの花嫁となるべくやってきた女性がこの店に招待されたことは、ただの一度もない。そうなる前にエドワードやガーフィールドの手によって処断されたためだ。


よって、今回のハナ・フブキなる聖女に寄せられた期待はそれだけ大きい。人見知りな妹エリザベスに代わって接客と経営を主に担当する姉のカルミラは、その意味をよーく理解している。


ジャンドゥー姉妹は共に独身であり、グレゴリオの花嫁探しが大々的に行われた際に姉妹揃って『仕事に生涯を捧げる覚悟ですので』と辞退した過去があるのだが、グレゴリオのことは嫌いではない。


無論、旦那や恋人に、というのは謹んで辞退させて頂きたいが、彼の功績と存在感は、国内外に広く知れ渡っている。チャンドラー将軍がいなければこの国はとっくに陥落していただろう、とも。


故にこそ、護国の重鎮、騎士団の要石、この国の戦力の大黒柱とも呼べる彼の妻が着るウェディングドレスを任されたということが、どういう意味を持つのか理解できないほど愚かではなかった。


花屋の店主である老婦人と同じように、彼女たちはグレゴリオ・チャンドラー将軍にきちんと感謝し、敬意を払っている。故にこそ、イケメン眼鏡宰相エドワードもこの店を紹介したのである。


「ねえガーちゃん! 見てよコレ! 超綺麗じゃない? あ、こっちも素敵! うちがこんな素敵なドレス着てグッチーと結婚式挙げられるとか、もう激ヤバすぎっしょ! ほんっと夢みたい!」


「ええ、花様であれば、何を着てもとてもよくお似合いにならせられるでしょう」


「あ、いーけないんだ。女の子に『どれも似合うよ』って言うのは『どれ着ても一緒だろ』って言ってるのとおんなじなんだぞ! ……なんてね! ゴメンゴメン、そんな困った顔しないでよ」


ちょっと浮かれてはしゃいじゃっただけだからさ、ごめんね! と両手を合わせる花に鷹揚に頷きながら、ガーフィールドはニコニコと孫娘を見守るお爺ちゃんのような笑みを浮かべる。


実際、『旦那様を差し置いてわたくしが先に妻を娶るわけには参りません』とこの歳になるまで生涯独身を貫いてきたガーフィールドにとって、花はわりと父性本能をくすぐる存在であることは確かだ。


本来であれば花嫁の付き添いには女性を同伴させるべきなのだが、『なんか襲われそう』『襲われても泣き寝入りするしかなさそう』という理由でチャンドラー家に女性の使用人はひとりも寄り付かない。


そのため必然的に、花の付き添いと案内にはグレゴリオが最も信頼する男、老執事ガーフィールドがその役目を仰せつかっている。無論、護衛も兼ねて。


「わーウエストほっそ! こんなん着たら死んじゃう死んじゃう!」


「フフ、こちらはあくまで展示品ですので。実際には花嫁様の体格にピッタリと逢うよう誂えますからご安心くださいませ」


「それはよかったです! 結婚式当日まで死ぬ気でダイエットしなきゃいけないの!? ってちょっと不安だったんで!」


女店主カルミラ・ジャンドゥーに促され、花は店の奥にある採寸ルームへと連れていかれる。当然、男性陣はここで待機だ。陣といっても、店内に男はガーフィールドひとりしかいないが。


「それじゃあ、後でねガーちゃん!」


「はい。お待ち致しております」


この時、ガーフィールドに落ち度は何もなかった。店の前、裏手にはチャンドラー家が誇る腕利きの護衛ふたりが固めているし、彼らふたりよりもガーフィールドひとりの方が実は強い。


まして、うら若き乙女がこれから下着姿になって採寸をするのだから、まさかついていくわけにもいくまい。が、その紳士的な気遣いが今回は仇となってしまった。


 ☆


「キャアアア!?」


「ちょっと何何何!?」


「何事ですか!?」


採寸が始まってしばらくの後。いきなり店の天井が爆発したのだ。凄まじい轟音と共に爆風が屋根を吹き飛ばし、ガラガラと天井から瓦礫の破片が降ってくる。


何事かと周囲の野次馬が視線を向け、或いは悲鳴を上げて逃げ惑い。だが一番悲鳴を上げたのは当事者である花と、その傍にいたドレス職人エリザベス、カルミラのジャンドゥー姉妹であった。


「フハハハハハハ! 王国一番のウェディングドレス屋といえど、こうも警備が緩いと楽勝すぎてあくびが出ちまうぜ!」


「花様! ご無事ですか!」


不審者どころの騒ぎではない。いきなり店の天井が吹き飛ばされたのだ。慌てて待機していたガーフィールドと、店の表裏にいた護衛ふたりが駆け込んでくるも、賊の方が一足早かった。


彼は天井の大穴から飛び込んできたのだ。爆風になびく、燃えるような赤い長髪。ワイルドな魅力を放つ褐色の肌。端整な顔立ちとそれを飾り立てる眼帯。海賊風のコートを風になびかせ、降り立った色男。


「え? え!? え!? 何コレなんかのサプライズ!? フラッシュモブ的な何かなん!?」


「フハハハハハハ! あのゴリラ野郎が遂に結婚すると聞いて、どんなメスゴリラかと思って確かめに来てみれば、よもやこんな美しく可憐な少女だったとは! あのロリコン男、逮捕した方がいいんじゃないか?」


「花様!」


ここにいるのが花でなければ、思わず状況も忘れ見惚れてしまっていたかもしれない。それだけの荒々しくも美麗な魅力を放つ、ワイルドな赤髪のイケメン青年は、下着姿の花を抱き寄せサーベルを抜く。


そして未だ何が起きたのか呑み込めず呆然とする花の腰を抱き寄せ、その両腕を捻り上げて片手で鷲掴みにした。


誰よりも早く現状を理解したガーフィールドが踏み込もうとするも、花の喉にサーベルを突き付けられてしまっては迂闊に踏み込めない。


「おっと動くなよ爺さん! この女の命が惜しかったらなあ!」


「ちょっと! 人の体に勝手に触らないでよこの変態野郎! いきなりなんなのよあんた! さては悪い奴ね!?」


「ハッ! てっきり泣き叫ぶかと思ったが、この俺様相手に啖呵を切るとはいい度胸だ! 見た目のわりになかなか胆が据わってるじゃねえか! 気に入ったぜ、女!」


「あんたなんかに気に入られてもちっとも嬉しくないんですけど! この勘違い細マッチョ野郎が! 放せよ! 放せっつーの!」


「おっとそうはいかない! なんせ俺はあのグレゴリオ・チャンドラー将軍の噂の花嫁、つまりお前をさらいに来たんだからな! そう、この世界一の空賊、スカーレット・スコーピオン様がなあ!」


盛大にぶち抜かれて風通しのよくなった天井の向こう、青空に浮かぶ一隻の飛空艇。猛烈に吹き荒ぶ風になびく、燃え盛る炎が如き赤い長髪。とびっきりのキラキライケメンフェイスと、イケボ声優めいた美声。


空賊スカーレット・スコーピオンと言えば、世界中でその悪名を轟かせている世界一有名なワイルド系のイケメン空賊である。


大胆不敵、神出鬼没、飛空艇『紅サソリ号』で七つの空を股にかけ、狙った獲物は絶対に逃がさない。これまでに奪ったお宝の被害総額も懸賞金も、天文学的な数字を叩き出す空の支配者。


そんな思わぬ大物の登場に、ガーフィールドはいつでも懐の武器を出せるよう身構えながら歯噛みする。まさか花が圧壊した瓦礫に潰されるリスクも承知の上で、飛空艇から爆撃してくるとは思わなんだ。


「貴様! 聖女様を放せ!」


「よせ! 彼女を盾にされたらどうする!」


護衛ふたりが腰の剣を引き抜いて斬りかかろうとするのを、ガーフィールドが制止する。1体1の勝負ならば、間違いなくこの程度の若造は問題なく倒せるだろう。だが、今は花という人質がいる。


「ですが執事長! このままでは逃げられますよ!」


「フハハハハハハ! その通りだマヌケな汗臭ゴリラのマヌケな子分ども! じっと俺様のショーを観劇していられないってんなら、主演女優の身の安全は保証できないぜ?」


学歴は不明だが間違いなく超高収入で、なおかつ高身長のイケボなイケメン空賊の不敵な高笑いが辺り一帯に響き渡る。


よく見れば彼の腰にはロープが巻かれており、それは滞空する飛空艇へと繋がっているではないか! 魔術により、巻き取りを指示すれば彼は一瞬で飛空艇へと姿を消すことだろう。その腕に花を抱えたまま!


「この卑怯者!」


「おっと、そう暴れてくれるなよ! なあ、あんたにとっても悪い話じゃない筈だぜ?」


「これのどこがよ!」


「フ! どこの誰だか知らないが、あんたみたいな美人をさらって無理矢理あの汗臭ゴリラ野郎のつがいに仕立てようって極悪非道の計画から救い出してやろうって言ってるんだ。嬉しいだろ?」


「ちょっと! シュガーレスだかグルテンフリーだかなんだか知らないけど、グッチーのこと悪く言わないでよ! あんたなんかより100億万倍いい男なんだから! そういうの、余計なお世話って言うの知らないの!?」


「フハハハハハハ! おい正気か? 笑わせてくれるぜ! え? 冗談じゃない? それはちょっと笑えねえけど、本気かお前? 本当に? うわあ……」


腕毛も胸毛も、指外すら生えてるゴリラオヤジが好きで何が悪い! と憤慨しつつ、ガルルルル! と歯を剥く美少女に軽くドン引きしながら、気を取り直して、と空賊スカーレット・スコーピオンは表情を引き締める。


「とにかく、だ! グレゴリオ・チャンドラー将軍の花嫁とやらは頂いていくぜ! ククク! これでアイツのメンツも丸潰れ! 世界最強の軍神の名声って最高にレアなお宝を、この俺様が頂きってわけだ!」


「そんなことのために誘拐されるなんて冗談じゃないわよ! あんた、一体グッチーになんの恨みがあるわけ!?」


「恨みなんてないさ! ただ俺様は誰よりも自由に! 誰よりも欲深く! そして、誰よりも面白いことが大好きでね! 金? 名声? そんなものはどうだっていい! 俺様の犯行動機はいつだって、楽しいことがしたい、だ!」


「ざっけんなゴラァ!」


「ぐが!?」


カッコつけて言ってるものの、要するにただの愉快犯である。他人の迷惑顧みず、身勝手な理由で人様に迷惑をかけるクソ野郎。無差別通り魔となんら変わりないその言い分に、花はキレた。


「さっきかr聞いてりゃ、勘違い野郎も大概にしやがれ! うちとグッチーはマジでラブラブなんだから! オメーなんかお呼びじゃねーんだよ! エッチンのやってる乙女ゲーかBLゲーに帰れ!」


「ぐえ!?」


ゴス! っと花の後ろ頭がイケメン空賊の顎に勢いよく突き刺さる。手も足も出ないのならば、頭突きを。治安の悪い繁華街で鍛えられた、ギャル流喧嘩殺法が見事に炸裂!


無力は筈の美少女人質から思わぬ反撃を受け、一瞬よろめいてしまったイケメンの顔面に今度は2発目のジャンプ頭突きが炸裂! 完全に緩んだ手を振りほどき、花は渾身の膝蹴りお見舞いする!


初手必殺は戦いの基本だ。まして相手は犯罪者、こちらは正当防衛で、なおかつここは過剰防衛の概念があるのかどうか分からない異世界。手加減してやる理由もなく。


「グギャアアア!?」


「ちょっと顔がいいからって調子乗ってんじゃねーよ! 毎日真面目に騎士団でこの国の人たちを護るために頑張って働いてるグッチーをなあ! オメーみてーな犯罪者風情が悪く言う権利なんてねーだろが!」


デリケートな部分に手加減なしの思いっきり強烈な一撃を叩き込まれたスカーレット・スコーピオンは、事前に頭突きをぶち込まれて鼻血を垂らしてしまった自慢のイケメンフェイスを青褪めさせて宙を舞う。


そのまま採寸室の壁に叩き付けられ、両手で股間を押さえながら泡を吹いて蹲るように倒れる世界一有名なイケメン空賊。その手から落ちたサーベルがカランと虚しい音を立てる。


そう、実は花わりと構強かった。幼稚園児の頃からマッチョマン目当てに空手道場や柔道教室、スイミングクラブにスポーツジム、果てはボクシングジムにまで入り浸っているうちに、自然と強くなってしまったのだ。


人は好きなものに夢中になっている間は存外辛さや苦しさを忘れてしまうものである。まして花は好きになったら一直線というか、猪突猛進というか、人一倍他のことが目に入らなくなりやすいおバカさんなわけで。


隣のレーンで代わる代わる泳ぐ水泳選手たちの練習を見つめている間に気付けば30kgは泳いでいたり、前を走るゴリランナーの躍動感を鑑賞すべく同じペースで走っているうちにフルマラソンを完走したり。


特に格闘技に熱を入れるようになったのは、逆ナンに使えると気付いてからだ。


『男子の部と女子の部、おんなじ優勝者同士、よければこの後飯でも行きませんか!』と大会の後に声をかける格好の口実になる。


特に真面目に練習に打ち込んできたせいで、女の子に全く縁のなかった野暮ったいイモ男ほど、花の邪悪な手練手管に引っかかりやすかったのも、成功体験を植え付けてしまう要因となった。


そんなわけで、高いモチベーションを維持したままありとあらゆる柔道大会や空手大会、剣道大会に水泳大会を総なめにした吹雪花という少女の体は、見た目以上に小さな体に大きなパワーを秘めているのだ。


ちなみに段や級の類いは一切取得していない。『お前に取らせると後々面倒なことになりそうだからやめておけ』と当時言い放った師範の先見の明が光った結果と言えるだろう。


「いいか覚えとけ! 人間見た目も大事かもだけど、中身はもーっと大事なんだよ! グッチーはなあ! オメーなんかより100億万倍はいい男なんだから! コレに懲りたら二度と舐め腐った真似すんじゃねーぞ!」


「今だ!」


「確保ー!」


ドスドスドスドス! と高速ストンピングで蹲るスカーレット・スコーピオンのわき腹に蹴りを入れまくる花にポカーンとしてしまったガーフィールドたちだが、いち早く我に返ったガーフィールドの命令で護衛が突撃する。


「花様! ご無事ですか! いえ、ご無事なのは見て分かるのですが、その、色々と!」


「ハッ!?」


清らなる乙女、異世界より舞い降りた聖女がしてはいけない顔になっていた花だったが、ガーフィールドに声をかけられ我に返る。なんとも言えない一瞬の気まずい沈黙。褒めるべきか? いやでも、さすがにこれは。


「やーだもーマジ怖かったー! 異世界って超物騒! いきなり男の人に襲われて刃物突き付けられるとかうち、怖すぎて涙出ちゃいそうだったんですけどー!」


「御無事で何よりでございます」


数秒続いた沈黙と葛藤の末、両者が選んだのは何も見なかったことにする賢い選択だった。何事もなかったかのようにガーフィールドの胸の中に飛び込んでかわいこぶる女でも、できる老執事は受け止めてやる。


強い女はあまりモテない。特に『暴力系ヒロインはこのご時世特にダメよね!』と脳内栄子ちゃんに言われるまでもなく、もうすぐ結婚する彼ピのご家族……ご家族? に見せるべき姿ではなかったと花、ちょっと反省。


昔キックボクシングジムで出会った元カレとあまり治安のよろしくない夜の繁華街でデートしていた際に、変な輩に絡まれたので彼ピにかっこいいとこ見せてもらおうと思ったら、3人がかりでボコられた記憶が蘇る。


やむなくその後自分で蹴散らしてから警察を呼んだ結果、色々あってその時の彼ピとは別れるハメになってしまった苦い記憶は花の中で思い出したくもない黒歴史となっている。


やべーどうしよう! みんなにドン引きされてグッチーにまで『うわあ』と思われたらうちもう生きていけないかも! と内心冷や汗ダラッダラになりながらも、何食わぬ顔でか弱い乙女の演技(無理がある)を続ける花。


(このお方は一体……底がまるで知れませぬ)


一方のガーフィールドは、ドン引きするどころかむしろ感心していた。執事の嗜みとして、格闘術や暗殺術を体得している彼の目からしても、花の身のこなしは素人のそれとは思えなかったのである。


あの一切の情け容赦のない本気の一撃。アレはちょっと格闘技を齧っただけの素人が繰り出せる代物ではない。あきらかに喧嘩慣れしている者のそれだ。


まさかタチの悪いナンパ男やチンピラ退治、或いはギャル同士の抗争・縄張り争いで鍛えただけなんですう! などと知る由もない彼にとって、今回の一件は彼の中で花の評価を見直すに値する大事だった。


これまでの花は、いい意味で『御しやすい、無力な小娘』だった。少なくとも、余計なことはできないだろうというその一点においてはとても都合がよかったためだ。


それは即ち、『花がグレゴリオに危害を加えられる可能性』が浮上したということ。やるやらないは別として、できるできないの問題は家臣たちの中ではかなり大きい。


あの護国の大英雄グレゴリオ・チャンドラー将軍が小娘ひとりに後れを取るとは思いたくないが、男女の仲とは戦争とはまるで違う領域。ましてグレゴリオは女の子に全く免疫のない童貞熟年である。


最悪の可能性とは常に想定して然るべきものだ。杞憂であればそれでよし。そうでなければ備えが生きる。そんな風に、花を慰めながら何食わぬ顔で計算を働かせていたガーフィールドだったが。


「あ! そういやカルミラさんとエリザベスさんは無事なの!?」


「ええ、お二方とも花様が人質に取られている間に建物の外へ避難させましたので、ご無事でございますよ。お店の方は……さすがに無事とは言い難い惨状ではございますが」


「そっか、よかったー! お店はまあ、可哀想だけど、命があっただけ儲けもんだよね! まさかいきなり天井が爆発して吹き飛ばされるとは思わなかったもん! 押し潰されて死んじゃうかと思ったー!」


今更ながらに怒り以外の感情が爆発したのだろう。恐怖、安堵、落胆。目まぐるしく百面相を浮かべ、ガックシと項垂れる花。


「あーあ、こんなんじゃウェディングドレスどころの話じゃないよね。グッチーとの結婚式、延期しなきゃダメかなー」


「残念ながら。ですが、延期になるだけで中止されるわけではございませんよ、花様。次回は警備をうんと厳重にしましょう」


「そうだよね! うちもカルミラさんたちも、生きてりゃまた来れるし! ガーちゃんたちも無事で何よりだよほんと!」


思ってることがすぐ顔に出るし、思ったことはすぐ口に出すし、嘘を吐くのはド下手で、腹芸なんてできっこなさそうな、こことは異なる世界から来た小娘。


幸い脱衣カゴは無事だったため、瓦礫を掻き分けてその下から引っ張り出してきた服を、パンパンと粉塵を払い着始める花の後ろ姿を見つめながら、老執事ガーフィールドは顎を擦る。


少なくとも彼の目には、花は結婚式の延期を本気で悲しんでいるように見える。人を見抜く目には自信があるつもりだが、それでも警戒を緩めないのはさすがの忠臣といったところか。


だがそれでも。それでも、彼女のことを、信じたいという気持ちがあるのだ。ここ数日チャンドラー邸で生活を共にしているうちに、そういう気持ちが芽生えてしまったこともまた、揺るぎない事実なわけで。


「ん? 何? 地震?」


「花様! いかん! お前たち、すぐに撤収だ!」


建物が崩れるぞお! とガーフィールドが叫ぶと同時にグラグラと揺れ始めたジャンドゥー屋が崩壊を始める。天井を飛空艇から発射された砲弾で盛大に吹き飛ばされたのだ。


建物が崩落しないよう手加減して撃った、というのもあるだろうが、それでもやはり長くは持たなかったのか。或いは花が先程スカーレット・スコーピオンを壁に叩き付けた衝撃が、今更響いてきたのか。


ドドドドドドド! と崩れ落ちるジャンドゥー屋。プロティーン王国内で最も格式高い、老舗のウェディングドレス屋の倒壊に、周囲に集っていた野次馬たちが悲鳴を上げながら散り散りになって逃げていく。


「イヤー! わたくしたちのお店がっ! 先祖代々受け継いできたジャンドゥー一族の牙城がっ! エリザベス渾身の力作たちがーっ!」


「お姉様落ち着いて! お店も大事だけど、命の方がもっと大事よ! ドレスならまた作ればいいじゃない!」


とりあえず店の前でプロティーン騎士団の到着を待っていたジャンドゥー姉妹が、目の前で崩れ落ちていく自分たちの家兼職場を前に悲鳴を上げながらふたりで抱き合う。


「花様! ガーフィールド様!」


「クソ! って、おいアレを見ろ!!」


一足先に縄でグルグル巻きに縛り上げられたスカーレット・スコーピオンを店の外に連れ出し、プロティーン騎士団の到着を待っていたチャンドラー家の護衛ふたりも呆然と店を見上げ、叫ぶ。


「うおおおお!? と、飛んでるううう!?」


「いえ、跳んでいるだけでございます!」


「だからとんでるじゃんかああああ!」


間一髪、グシャっと潰される寸でところで天井の穴から飛び出してきたのは、制服姿の花を俵担ぎした老執事ガーフィールドだった。ドアから出るより早いと、魔術で強化した脚力により跳躍したのである。


ガラガラガラ! と完全に廃墟と化した瓦礫の山の前に、スタっとスタイリッシュに着地するガーフィールド。お姫様抱っこならば絵になったかもしれないが、俵担ぎではイマイチ様にならない。


とはいえ、彼女をそうしてよいのはグレゴリオ様だけですので、とこんな時まで気遣いを欠かさない老紳士。彼は担いでいた花を丁寧に地面に下ろすと、失礼致します、とハンカチでその顔の汚れを拭ってやった。


「ヤベー! マジヤベエ! 死ぬかと思った!」


でも、と花は笑う。


「凄い凄い! 映画みたい! 怖かったけど、す」


すっごいドキドキした! と言おうとして、花は隣で途方に暮れた様子のジャンドゥー姉妹の姿を目に入れてしまい、慌てて両手で口を噤む。


「す、死傷者が出なくてよかった!」


「ええ、本当に。何よりでございました」

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