第5話! 結婚前に初夜!?
「グッチー! 開けてよ! お願い開けて!」
「ダメだ! 絶対にダメだっ!」
夜のチャンドラー家に木霊する花の叫び。ドンドンドンドンドン! と固く閉ざされた扉に打ち付けられる拳の音よりも、花の慟哭の方がよほど心に来そうだが、グレゴリオはそんな花の願いを拒絶する。
「なんで! どうして! うちら、解り合えたと思ったのに! さっきの言葉は嘘だったの!? ねえ、答えてよグッチー! お願い、ここを開けて!」
「……!」
「なんとか言ってよ! 無視しないでよ! どうして! どうしてなのよおおおおお!」
膝から崩れ落ち、固く閉ざされたドアに額を押し当てなが叫ぶ花。そんな花の泣き声に、耳を塞ぎたくなるのを懸命に堪え、拳を握り締める……素っ裸のグレゴリオ。
そう、ここはチャンドラー家の風呂場。どこの温泉ですか? と花を驚愕させた、手足を広々自由に伸ばし放題のお風呂である。
事の発端は、やはり花であった。
『どうせ奥さんになるんだから、ちょっとぐらいいいよね! 旦那様! お背中お流ししまーっす!』
語尾にハートマークでも乱舞してそうな勢いで、いきなり脱衣所に入ってくるなり服を脱ぎ始めた花を、グレゴリオは慌てて風呂場の曇りガラス扉を閉めることで遮断したのだ。
曇りガラスの向こうに、体にバスタオルを巻くというテレビ番組の温泉ロケの如き格好になるのも不自然だからと一糸まとわぬ花の肌色のシルエットが見えてしまい、それだけで情緒が崩壊しそうなグレゴリオ。
冷製に考えてみてほしい。女性不信になりかねない勢いで女運の悪さに悩まされてきた、それこそ玄関ホールで花にハグされただけでドギマギしてしまうような、純情で初心なグレゴリオ・チャンドラーがだ。
素っ裸でいるところにいきなり若くて美人な女子高生(18歳ですよ!)がいきなり乱入してきて、目の前でセーラー服をたくし上げ、ブラに包まれた巨乳を丸出しにされたらどうなるだろうか。
考えるまでもない。花の行動は幾らなんでも、あまりに刺激が強すぎたのである。無理もない、何せ相手は母親以外の女性と手を繋いだのは先程の花が初めてという、筋金入りの純情熟年。
思い立ったが吉日の権化、行動力の化身、好きになった相手にはノーガードでひたすら行け行けドンドン、押せ押せゴーゴーな花の考えた、『ご飯にして、お風呂にして、それからワ・タ・シ大作戦』は。
「嫁入り前の若い娘がそんな破廉恥な真似をするんじゃあない! みだりに男の前でその、む、む、む、胸をさらけ出すなど言語道断であろうが!」
完全に裏目だった。急いては事を仕損じるという言葉があるように、まだ女性と手を繋ぐだけでもドキドキもんの童貞熟年相手に段階を飛ばし過ぎるのは逆効果なのだ。
ムードとか、雰囲気とか。そういったものに漠然とした夢や期待や一抹の不安を抱く男の浪漫をぶち壊しにしてしまうのは、さすがに頂けない。
そんなだから高校の同級生たちから遊んでるとか、絶対パパ活してるとか、そんな風に勘違いされるんだぞ、吹雪花!
「いいじゃん嫁入り相手はグッチーなんだし! それに背中流すんだよ!? 脱がなきゃ服が濡れちゃうじゃん! 結婚したら毎日一緒にお風呂に入るのに、今更そんなこと言われてもしょうがなくない!?」
「嫁入り前だからこそ、自分を大切にしろと言っている! 何事にも段階、順序というものがあるだろう! 貴様のいた日本という国では違ったのか!?」
「それに関しては個人差があるからなんとも言えないけどさー!」
グレゴリオにとって、生身の女体とは縁遠い代物だった。
娼館に行っても『将軍様のお相手なんて畏れ多いです!』『あなたの御立派すぎる(ピー)が(ピー)る子はうちの店にはいませんよ!』などとやんわりと拒否され、生まれてこの方触れたこともない。
そんなグレゴリオの元に、いきなり花のようにあけすけな好意全開の美少女が押しかけてきたのだから、それで理性を保てという方が難しい。
別にそんな無理して結婚後に拘らずとも、そのまま押し流されてしまえばいいのに、と当人以外の誰もが思っていたとしても、そう簡単には割り切れないのだ、長年身に染み付いた生き方というものは。
「とにかく何度何を言われようが、ダメなものはダメだ!」
「そんなー! 折角グッチーの芸術的な筋肉を間近で心ゆくまで拝ませてもらえるチャンスだったのにい!」
花はバカだが愚かではない。さすがにこれ以上強引に迫るのは逆効果かと、ションボリしながら服を着て脱衣所から出ていく。そんな彼女の気配を曇りガラス戸越しに感じ取り、グレゴリオはふう、と嘆息する。
本当に危なかった。油断も隙もあったもんじゃない。一体なんなんだ、あの無防備で無警戒な生き物は! 本当に俺が知る女と同じ生き物なのか!? と葛藤する余裕もないまま、ドっと疲れが押し寄せてくる。
全ての女性が花のような優しい子であればよかったのに、とつい先程まで思っていたが、全ての女性が花のように自由奔放だったら自分の心臓や理性の方が保たないかもしれない。
空気が読めないわけでもないだろうに、あえて空気を読まずに突貫してきた姿はこれまでにどんな戦場で受けた伏兵による強襲や夜襲よりも恐ろしかった。冗談抜きで。本当に心臓に悪かった。
『なーんちゃって! 油断したわねグッチー! そう! うちは花・吹雪! 誰よりも諦めの悪い女』
……などと舞い戻って来ないかをしばらく警戒していたが、さすがにそれはなかったようだ。念のため曇りガラス戸に鍵をかけ、グレゴリオは体を洗い流してから彼が5人は入れそうな広い湯船に浸かる。
「……ふう」
今日は本当に疲れた。早朝から花と口論になり、喧嘩をしてしまった気まずさを引きずったまま職場へ行けば愛妻弁当のことで部下たちから優しく温かく冷やかされ、帰宅すれば玄関ホールで待ち伏せに遭い。
人生で初めて体験するロマンチックな夕飯を終えようやく一段落したかと思えばコレだ。花のことは好ましく思いつつあるが、アレと結婚したら毎日がこうなのか? と思うと若干心臓に悪い気がしないでもない。
「……はあ」
ため息がひとつ、ふたつ。幸せが逃げますよ、と年下の戦友はよく苦笑しているが、逃げる程の幸せも残っちゃいない、とは常の弁だ。
だが、今は花という幸せが予期せず手元に舞い込んできた。さすがに彼女に逃げられたら辛かろう。自分を嫌う相手が去ってもなんとも思わないが、自分を好いてくれている相手が去っていくのは堪らなく辛い。
だからといって、なすがまま言われるがままではそれはそれで困る。ああ俺はどうすれば、とグレゴリオは両手で大量の熱いお湯を掬い、ザブンと顔を洗った。
グレゴリオは熱い風呂が好きだ。大体42度ぐらいがちょうどよく、大体43度ぐらいがちょっと熱いけど気持ちいい、と感じるレベルである。
魔術を利用して常に温度を一定に保つことのできる風呂に浸かりながら、全身傷跡だらけの巨漢の筋肉達磨は仰向けに寝転がり、全身をグレゴリオ好みの熱いお湯に浸す。
「……む!?」
何に気付いたのかは、騎士の情けにより割愛。
☆
「あーあ。グッチー意外と草食系なのかー。ま、そうと判ればそれはそれでやりようはあるんだけど、それでもやっぱお背中お流ししてあげたかったなー。あの超広い背中存分に流したかったなー! なー!」
「ホッホッホ。花様は積極的であらせられますな」
「まーね。うち、恋に妥協はしたくないんで。女の子はいつだって好きな相手にはフルスイングでフルスロットルでフルチャージでフルバーストなんだぞっ!」
「そこまで深く愛されていると知れば旦那様もさぞお喜びになられますでしょう。今はまだ照れや羞恥心が素直になられますことを拒んでいるようではございますが、ええ、時間の問題かと」
風呂から追い出された花は、こうなったらヤケ食いだー! と食堂にとんぼ返りして、夕飯の後片付けをしていたガーフィールドに頼んで食後のデザートを用意してもらう。
デザートそのものはちゃんと食べたのだが、そこは乙女。甘いものは幾らでも食べられちゃうのだ。突然の無茶振りにも笑顔でソツなく対応してくれたできる老執事が、紅茶とアイスクリームを運んでくる。
「わ、アイスだー! 凄くね!? この世界にも冷凍庫とかあんの!?」
「氷の魔術で食材を冷凍保存する技術がございますので、夏場でも氷の浮かんだお飲み物やアイスクリームをご用意させて頂けますよ」
「スゲー! 異世界スゲー! そんでうま! マジで美味い! 無限に食べられちゃいそう!」
「それはようございました。おかわりは沢山ございますので、どうぞご遠慮なくお申し付けくださいませ」
魔術を応用して保温・給湯がなされている風呂もそうだが、魔法が発達したこの世界の技術はナーロッパ風の世界観にしてはそれなりに発達している方だ。
水の魔術によりトイレも水洗で綺麗だ。シャンデリアに揺れる炎も魔術で灯されているからとても明るく、風の魔術で扇風機に似た道具を、氷の魔術で冷房に似た道具を作り出してもいるのだから、驚きである。
そこまで凄いんなら雷の魔術でスマホの充電とかできないのかな、とも思ったが、さすがにスマホが感電して黒焦げになっちゃうような気もする。さすがにまだそんなお願いをできるだけのあても伝手もないし。
白桃果汁で風味付けされたアイスクリームと温かい紅茶に舌鼓を打ち、花はハア、とため息を漏らした。アンティークショップでしか見たことのないような豪奢な西洋風の椅子にもたれかかり、天井を仰ぐ。
「ねえガーちゃん」
「はい、なんでございましょう花様」
「グッチー……グレゴリオさんってどんな女の子が好みのタイプなの? 髪は長い方がいいとか短い方がいいとか、太ってる方が好きだとか痩せてる方が好きだとかさ」
「真に申し訳ございませんが、存じ上げません」
「マジ? ずっとグッチーのところで働いてきたのに?」
背もたれに寄りかかって天井を仰いでいた姿から一転。ガタ! っと勢いよく前のめりになった花に見上げられ、老執事ガーフィールドは瞼を伏せる。
「えらくマジでございます。旦那様はこれまでに、女性の好みについて我々の前で言及したことが、ただの一度もございませんので」
「そんなにないの?」
「ええ、そんなにございません」
旦那様が我々に内緒で密かに蒐集なさっている、いわゆるちょっとエッチな本の内容から推察することはできますが、とは言えないできる忠臣ガーフィールド。
どれだけ綿密に隠しているつもりでも、意外とバレるのだ、その手のものは。当然、たまにバレかけても見て見ぬフリをしてあげるだけの優しさが、チャンドラー家の使用人たちには完璧に備わっている。
「ならしゃーない。その辺は後々本人に直接訊くとして、とりあえず草食系男子の落とし方について真剣に考えねーと。今までうち、草食系男子とか一度も相手したこともしたいと思ったこともねーからなあ」
この世界に来てからもずっと履いている学校指定のローファー靴を脱ぎ、椅子の上でお行儀悪く胡坐を掻きながら、口にくわえたスプーンをピコピコ上下させる花。
これまでに彼女が付き合ってきた歴代の彼ピッピたちは、皆一様に肉食系だった。趣味で運動をしたり、運動部に所属していたり、わざわざジムに通って筋トレをするような人種ならば、当然かもしれないが。
男子の進退における健康とは即ち、筋肉量に比例する。これは統計学に基づくちゃんとしたデータである。体を鍛えている男は、鍛えていない男に比べ、格段にパワフルでエネルギッシュなのだ。
そのためグレゴリオほど凄まじい威圧感を放つ全身筋肉達磨であれば、さぞ雄々しさだって満ちていように、まあ、グッチーならしょうがないか、と花ははたと気付く。
彼女は後先考えないバカだが想像力の欠如した愚か者ではない。グレゴリオ・チャンドラーという人間がこれまでに歩んできた人生についてこれだけ詳しくなれば、どうしてああなったのかは自ずと理解できる。
「肉食獣が草食獣通り越して、絶食獣にならざるを得なかったのなら、そりゃ辛いわな」
憐憫と、彼をそんな状況に追いやった者たちへの怒り。グレゴリオのことを好きになればなる程、彼の身に降りかかった不運不幸や理不尽について、怒りを叫びたい気持ちになる。
きっとガーフィールドたちはずっと主人の近くでこんな気持ちを味わい続けてきたのだろう。それはとても辛いことだと思う。何せ、他ならぬグレゴリオ自身が怒りを吐き出さないのだから。
なれば家臣である彼らがグレゴリオを差し置いて、怒りを爆発させるわけにはいかなくなってしまうではないか。むう、と頬張った最後のアイスの冷たさでも、煮立った花の頭の熱冷ますことはできない。
花に言わせれば、恋愛とは駆け引きである。相手の顔色を窺って何もできないのは問題外だが、だからといって自分の都合や欲望だけを一方的に押し付けてはいけない。それではただのエゴである。
相手への思いやりなくして、仲を深めることなど不可能。少なくとも一方的に自分の都合ばかり押し付けてくるような男は、花だったら願い下げである。その逆もまた然りと考えるのは、自然な流れ。
つまりはそう、今一番優先すべきことは、グレゴリオに嫌われないこと。純朴で初心なグッチーをからかうのはとても楽しいけれど、だからといっていつまでもからかわれっ放しでは彼も嫌になってしまうだろう。
「とはいえ満更でもなさそうだったんだよね。ガチ嫌がりのそれじゃなかったっつーか、メチャクチャパニクって顔真っ赤になってたし。本気で無理ならうちの胸ガン見したりもしないだろうから、脈はあると思う」
聞かなかったことにして、花の前から空っぽのアイスクリーム用のお皿とスプーンを下げるガーフィールド。花の愚痴を遠巻きに聞いている使用人たちを睨んで退散させることも忘れない。
「花様、紅茶のおかわりはいかがですか?」
「あ、お願いします。ミルクと砂糖はなしで」
「かしこまりました」
本来ならば。本来ならば、チャンドラー家の妻として迎えられる花の行儀の悪さを咎めるべきではあるのだろうが、有能な執事であるガーフィールドがそれを見逃すのには理由があった。
正直なところ、花には、いや、異世界から召喚された聖女に、グレゴリオ・チャンドラーの妻としての振る舞い、即ち社交を中心とした貴族間での人付き合いなどは一切求められていなかったのである。
もう真っ当に旦那様を愛してくれるのなら誰でもいいからとにかく結婚して、あわよくばお世継ぎを、ぐらいの、ぶっちゃけて言えばダメ元で異世界人試してみようか、ぐらいの感覚でいたのだ。
ガーフィールドを筆頭に、この屋敷で働く使用人たち(全員男)は皆グレゴリオという人間に心酔している。もし彼のために命を捧げなければならない時が来たら、喜んで擲つだろう。
それだけの覚悟を持って日々お仕えしている彼らからすれば、やはり旦那様の幸せが第一。贅沢は言わない。良縁に恵まれなかった旦那様に、幸せな結婚を、と願い、望み、そして裏切られ続けてきた。
これまでに幾度となく、財産目当て、将軍の妻という地位目当ての卑しい女がこの屋敷の門を潜り、そして追い出されてきたか。
グレゴリオには逃げた、或いは出て行った、ないしは行方を晦ました、と報告しては来たものの、その実態は、たとえば盗みや横暴を働こうとして、有能な使用人たちに排除された、というのが正しい。
愛のない、勘違い女は出ていけ、というのが彼らの鉄則である。裏を返せば、愛のある女性なら、バカだろうが無能だろうがウエルカム。平民だろうが貴族だろうが、孤児だろうが奴隷だろうが関係ない。
もしそんな女性にミッチリ花嫁修業だの社交界での礼儀作法だのを叩き込もうとして万が一にも嫌気が差して逃げられてしまえば、それこそ取り返しがつかないだろうから。
率直に言ってしまえば、求められているのはお飾りの妻なのだ。何もできなくていい、むしろ余計なことはしないでほしい。ただ純粋に、旦那様と愛し合って、幸せを提供してくれればそれで。
「好みのタイプが判らないんじゃ攻めようがないよね。今更お清楚系狙おうにもこれまでの言動で中身はほぼ全部バレてるようなもんだし」
「花様の振る舞いは裏表のない素直なものであらせられますゆえ」
「ありがとう。ここはやっぱ王道の、男子って自分が好きになった女子より自分を好きになってくれた女子を好きになるよね作戦で行こうかな。ガーちゃんはどう思う?」
「よろしいのではないでしょうか」
それに、とガーフィールドはぐでーんと机に突っ伏した花の後ろ頭に視線をやる。護国の鬼神、常勝不敗、天下無敵の最強将軍グレゴリオ・チャンドラーには熱心な信奉者や味方も多いが敵も多い。
他ならぬグレゴリオ自身が懸念していたように、『あんな汗臭くてむさ苦しい、傷物ゴリラ男に手籠めにされた女』という好奇心や、悪意に満ちた花への風当たり、風評被害はかなりのものになるだろう。
人間とは実に身勝手なものだ。グレゴリオがいなければこの国の立場はもっと悪化していただろうに、そんな前提も恩も忘れて社交界ではいつだって裏では面白おかしく彼を噂の、笑い話の種にする。
もし仮に、そんな悪意渦巻く魔窟へ花を放り出したらどうなるかは、火を見るよりあきらかだろう。『ふっざけんな!』と激情のままに相手の胸倉掴み上げて、大惨事を引き起こしてしまうに違いない。
それはそれで、酷くスカっとする光景だろうな、とは思う。むしろ見てみたくすらあった。が、本気でグレゴリオのことを好きになりつつある花と、そんな花を好きになりつつあるグレゴリオのことを想えば。
やはり花を、ハナ・チャンドラー夫人をあまり屋敷の外に出すわけにはいかない。いずれ産まれてくるかもしれない子供たちもだ。守護らねばならない。どんな手を使ってでも、彼女らの心が傷付かないように。
「要は旧きよき古典的な王道少年漫画めいた健全なお色気を目指せばいいのかな? ひとつ屋根の下、少年少女のドキドキワクワク、ハラハラドタバタ展開だけど、やりすぎない一線を引いた誘惑をせえと」
「古来より、過ぎたるは及ばざるが如しと申しますものね」
「タルタルソースは超美味いけど、かけすぎると逆に不味くなるからやめろ的なことわざだよね。この世界にそういうのあるんだ」
女の方からグイグイ来られるのが苦手な男もいるということを、花はちゃんと知っている。特にギャルっぽい外見や口ぶりでいると、そういった嫌悪や偏見の滲んだ目で見られることも珍しくはなかったから。
自分たちは性欲由来の下心丸出しのくせに、逆をやられると嫌がるだなんて、男って身勝手な生き物だなあ、と思いつつも、それならそれで利用させてもらうだけだけど、と意外に知恵は回るのだ。
(うっし! うちは絶対グッチーのこと諦めないかんね! あんな極上の筋肉、日本どころか海外でだって出会えないでしょ! こんな千載一遇の絶好のチャンス、逃して堪るもんですかい!)
小学生の頃、花の将来の夢はその頃が全盛期だった有名なプロレスラーのお嫁さんだった。中学生になり、海外のマッチョな映画俳優たちと偶然恋に落ちる妄想をよくして周囲に呆れられたものだ。
とはいえそのお陰で熱心に外国語を学んだお陰で、今でも英語をはじめ幾つかの外国語を喋ることはできるので、無駄にはならなかった、と思いたい。異世界で使う機会はほぼ100%ないだろうが。それでも。
そんな花の前に突然現れた、100万点どころか100億点満点の男、グレゴリオ・チャンドラー。あんな人間離れした最高の筋肉には、これまでお目にかかれたことはない。しかも生身で、目の前でだ。
筋肉増強剤をこれでもかと使いまくった海外の重量級ボディビルダーが裸足で逃げ出す程の、天然の重戦車。むしろ婚約話などなくとも、花の方から結婚を前提としたお付き合いを願っていただろう。
しかもこの手の男にしては珍しく、自分の容姿や外見、筋肉に自信があるわけでもなく、女慣れもしておらず一途で純情っぽい。こんな極上の物件を逃したら、死んでも後悔する。絶対する。間違いなく。
「そう考えると無駄なことはしないで、結婚式当日までおとなしく待ってりゃいいってのは間違いないんだろうけどね。下手に余計なことして地雷踏んじゃったりして怒らせちゃったらそれこそ意味ないし」
「結婚式までの日取りはそう長いものでもございませんものね。それまでの辛抱でございます」
「でもだからって、何もしないでボーっと待ってるってのは柄じゃないというか。どうせならちゃんと好き合って結婚式挙げたいじゃん?」
栄子知識だと貴族の結婚と子作りは義務で、恋愛は愛人とするものとかいうふざけた習慣があるらしいけど、うちはそんなの絶対ヤだし! と口を尖らせる花にガーフィールドは『おや?』と片眉を上げる。
「花様は既に旦那様をお慕いしていらっしゃるのでは?」
「そりゃ見た目は大好きだけど、でもどういう人なのかはまだあんまよく知らないわけじゃん? 顔と体は120点満点だから多少甘めの採点にはなっちゃうだろうけどさ、どうせなら中身好きになれたらいいなって」
人は見た目じゃない、中身だ! とはよく言ったものだが、見た目がいいに越したことはないのもまた揺るがない事実。
多少性格がアレでも見た目がいいから許せちゃう、なんて浮かれて結婚すると、お互い歳を取って見た目が変わっていくにつれ徐々に許せなくなっていって、なんて事例は世間に多々転がっているわけで。
「とりあえずアレでしょ? 一緒にお風呂がダメなら、お風呂からあがったらベッドの上でうちが三つ指突いて待ってましたーなんてのもたぶんダメっぽいでしょ?」
「幾ら花様といえども、旦那様の寝室に許可なくお通しするわけには参りません」
「だよねー。しゃーない、まずは必殺・見た目はギャルだけど中身は意外と一途ないい女なんだよ作戦でいくかー。んじゃアイスとお茶ご馳走様! メッチャ美味しかった! ありがとね!」
「それはようございました。料理長にもお伝えしておきます」
ひとしきり入浴失敗の愚痴を吐き出してスッキリしたのか、爽やかな笑顔でドタバタと食堂を去っていく聖女の背中に、ガーフィールドは優雅に一礼する。
「聖女様、すげえアグレッシブッスね。個人的にはああいう子嫌いじゃないですけど」
「ああ。アレがいい方向に働いてくれることを願うばかりだよ」
親しい使用人に耳打ちされ、ガーフィールドは頷く。役に立ってくれとは言わない。邪魔をしないでくれるだけでいい。そのためならばあの程度、迷惑でもなんでもない。
我らが愛すべきグレゴリオ様の安寧な生活を妨げずにいてくれるのならば、それだけでよいのだ。願わくばあのふたりに幸福な結末を、と彼らは天に祈った。
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