第4話! 君に届けこの重い!

「グッチーごめん! うち、グッチーのことなんにも知らんくせしてグッチーに酷いこと言った! ほんとごめん! マジ謝る! 猛烈に反省してる! っていうかした!」


「あ、ああ。いや、俺の方こそすまなかっ」


「ううんいいの! 話はガーちゃんから全部聞かせてもらったから! 辛かったよね! 苦しかったんだよね! うちが来たからにはもうグッチーにそんな酷いことする女はぜってー近付けさせないから!」


「ガ、ガーちゃん?」


花束を抱いて帰宅するなり、玄関ホールで待ち構えていた花に抱き締められ……るのはさすがに体格差がありすぎて彼女の腕が背中まで回らず無理だったから、抱きつかれ涙ぐまれてしまったグレゴリオ。


グレゴリオが人並み外れた巨漢というのもあるが、花は花で普通の女子高生であるため割と小柄な方で、そうなると必然体格差は大学ラグビー部員と小学生女児ぐらいの犯罪的体格差になってしまう。


それに、だ。グレゴリオにとって物心ついてから初めてする女性とのハグは、破壊力があまりにも抜群すぎた。真正面から抱きつかれると必然彼女のその、胸が当たるのである。彼のその、下腹部辺りに。


カップだけでいうならグレゴリオの方が遥かに巨乳を通り越して爆乳、などと冗談を飛ばしている場合ではなかった。頭の中ではもうカンカンカンと戦時用の半鐘が高らかに鳴り響いてしまっている。


やわらかい、とか、いい匂いがする、とか。思考回路が完全フリーズしてしまい、花束片手に全身硬直して緊張でガチガチになってしまった世界最強のゴリラ将軍の姿は完全に形無しであった。


ガーフィールド! ガーフィールド! 助けてくれ! と縋るような視線を玄関ホールでふたりを優しく微笑んで見守る忠実な老執事に向けても、彼らは意味深に目配せするばかりでちっとも助けてくれそうにない。


「あー、いや、俺の方こそすまなかった! すまなかったから離れてく」


「ううん! うちが全部悪いの! だってグッチーはなんも悪くないし! うちがバカだったから!」


「そんなことはない。俺の器が小さかっただけだ。だから頼むから首を振る度にグリグリしないでく」


「違うって言ってんじゃん!」


「違わないと言っているだろう! いいから、頼むから一旦離」


「分かった! こうなったらお互いごめんなさいして綺麗サッパリ水に流すってことで手打ちにしよ! じゃないといつまで経っても終わんない気がする!」


これ以上言及するとまた口論になりそうな気配を察し、頷くしかない若干赤い顔のグレゴリオ。天下無敵、常勝不敗の最強将軍が剣も魔術も使えないただの女子高生に敗北した瞬間である。


天下は天下でも、カカア天下の気配がしますね、と冗談めかして茶化してくれる友人はまだお城で残業中だろうか、と思わず遠い目になってしまったが、花が一旦離れてくれて本当に助かった。


このままではとても気不味いことになっていたことは想像だに難くなく、いやでも彼女のは場合はむしろ喜んでくれそうな気がしなくもないが、まだ嫁入り前の清い関係性に亀裂が入るのもそれはそれで怖い。


「改めて、ごめんねグッチー」


「俺の方こそすまなかった」


「花」


「うん?」


「仲直りの印に、うちのことは花って呼んで!」


「……すまなかった、花」


「うん!」


再びグレゴリオの胸に飛び込んでこようとしたが、体格差があって無理だったのでお腹に顔を埋める形になった花。ここは俺も抱き締め返した方がいいのではなかろうか、と空気を読むグレゴリオ。


だがおっかなびっくり、恐る恐る彼女の小さな背中に腕を回そうとして、やめる。さすがに拒絶されることはないだろうが、だからこそむしろ、彼女を壊してしまったらと思うと、一瞬手が止まってしまったのだ。


戦場で、敵の背骨をベアハッグで圧し折って殺した経験は幾度となくある。グレゴリオが現代日本に逆トリップしたのなら、電柱ぐらい軽くその腕力と大胸筋と腹筋で粉砕できるに違いない。


そんな全身凶器の全身筋肉達磨である自分が彼女を抱き締めたりしたら、力加減を誤って傷付けたりしてしまったら。そんな恐怖が花を抱き締め返すことを彼に躊躇させてしまった。


が、その瞬間四方八方から鋭い視線が突き刺さった。なんといつの間にか玄関ホールの様子を物陰からコッソリと覗き見ていた屋敷の使用人たち(全員グレゴリオに心酔する男)たちからの視線である。


老執事ガーフィールドを筆頭に、使用人から馬車を車庫に入れてきた御者、庭師小屋で寝泊まりしている筈の庭師、果ては厨房にいるべき筈の料理人たちまで。


花とグレゴリオのまだ始まってすらいない恋の行方を見守りたい彼らが総出で、ふたりの様子を見守っているではないか。お前ら仕事に戻れ! と怒鳴り散らかしたい気持ちは間違いなく照れ隠しであろう。


(行きなさい旦那様! さあ! 今こそ勇気を出す時でございますよ!)


(し、しかしだなガーフィールド! 幾ら妻になる女性とはいえ、まだ正式な夫婦ではない女性の肌に軽々しく触れるというのは騎士として如何なものかと思うのだが!)


(いえ、いいえ! 断じて否でございます旦那様! ここは騎士ではなく、男を見せるべき時でございますよ!)


遠距離から目と目で通じ合いながら、『行け!』『早く抱き締めろ!』『ああもうじれったいな!』と慈愛に満ちた視線を四方八方から向けられ、微動だにしないまま直立不動で固まってしまうグレゴリオ・チャンドラー。


そんな彼に視線と指先だけでジェスチャーをしながら、いいからさっさと抱き締めなさい! と指示するできる老執事ガーフィールド。


50年間助成と全く接点のなかった彼に訪れた初めての恋の予感と、それに頭の中がパンクしてしまった主を誰が不甲斐ないと責められようか。


「とにかく飯だ! 夕飯にしようそうしよう! な! 腹が減っているだろう!? そうだよな、花!」


「え? あ、うん。確かに今日は少し早めのブランチと3時のティータイムしかしてないから、お腹は結構減ってるけど」


「よし! お前たちも、いつまでも仕事をサボっていないで持ち場に戻れ!」


花の肩を痛くないよう細心の注意を払いつつ、なおかつ慌ててガシっと両手で掴んで引き剥がし、そのやわらかでいい匂いのする感触を遠ざける。


照れ隠しなのか遠巻きにしている使用人たちへの叱責も飛び、注意された者らはは微笑ましさ全開のニコニコ笑顔でサっと身を引いたが、歴戦の勇士であるグレゴリオにはまだそこにいる気配を感じ取れた。


皆気さくでいい奴らなのだが、ノリが体育会系なのがタマにキズなのは屋敷でも職場でも変わらない。そんな男の世界で生きてきたからこそ、得たものもあれば失いそうなものもある。


いっそ鼻血を噴くぐらいならばまだいい。もっとこう、顔よりも別の部分に血が集まってしまいそうだったのだ。男して、ひとりの皆の主人として、チャンドラー家の当主としての尊厳は無事に守り抜かれた。


「そうだ花! 君に土産を買ってきたぞ!」


「え? うちに? マジ?」


「ああそうだ! これを君に受け取ってほしい!」


そう言ってグレゴリオは、紅色を長身に美しく彩られた綺麗な花束を差し出す。花に抱きつかれた時に咄嗟にきつく握り締めてしまったせいで少し包装が歪んてしまったものの、それも気にならない程の花束を。


喜んでもらえるだろうかという不安も、もしかしたら、という期待も、いきなりハグの衝撃ですっかり吹っ飛んでしまったせいで、却って自然に渡すことができたのは僥倖だろう。


「うわスゴ! マジ綺麗! マジ感動……!」


花束を受け取った花は、潤ませていた瞳からボロボロ涙をこぼしながら、大事そうにギュっとそれを抱き締める。これまでの人生で、彼ピに花束を贈ってもらったことなど一度もなかった。


別に花なんて欲しいと思ったことは一度もないし、小学生の頃に朝顔の鉢植えもプチトマトの鉢植えも水やりをすっかり忘れて枯らしてしまうような女だったが、それでも恋に恋するお年頃の乙女。


こういうロマンチックなシチュエーションに憧れがないといえば嘘になる。まして相手は花なんかまったく似合わないゴリマッチョオヤジ。それなのに、わざわざこうして自分のために買ってきてくれたのだ。


「グッチーありがとー! うち、超嬉しい! 一生大事にする!」


「一生はさすがに無理じゃないか? 生花だし。あ、いやそうではなく! その、そうしてくれると俺も嬉しい!」


咲き誇る大輪の紅い花は、思った通り花の長い黒髪によく似合う、とグレゴリオはその笑顔に見惚れてしまう。花も恥じらう乙女の、大輪の花のような満開の笑顔。


女性に全く縁のなかった彼が、これまでに一度として向けられたことのない感情。それを全身全霊でドストレートにぶつけられ、そして感動のあまりまた抱き締められ。


グレゴリオは臆することなく今度こそ、花の小柄な体を抱き止めた。理屈もでももだってもない。損得勘定抜きの、問答無用の純粋な好意がそこにはあった。


「こんな素敵なプレゼントもらったの初めて! なんか夢みたい! マジ感動! やだ涙が!」


「……そうか。俺も、女性に花束を贈って心から喜んでもらえたのは初めてだ」


夢見心地でジャンプして、ギュっとグレゴリオの首に飛び付いてしがみ付く花。ようやく自然な笑みを浮かべられるようになったグレゴリオは、彼女の体がずり落ちてしまわないよう抱き止めてやる。


やや遠巻きにその光景を眺めていたガーフィールドたちも、もらい泣きしたのか各々ハンカチや服の袖で涙を拭っていた。許されるならば、万雷の拍手喝采を響かせたかったことだろう。


それぐらい、花のやったことは彼らにとっても衝撃的な喜びだったのである。『異世界の聖女? そんな胡散臭い奴に旦那様を傷付けられちゃ堪んねえや!』的なスタンスだった者たちも、一様に涙ぐんでいる。


「ほんとにありがとね、グッチー! 枯れるまで大事にする! ううん、枯れそうになったらなんかこう、押し花とかドライフラワー的な奴にして、ずっとずっと大事にするから!」


「ああ、君の気が済むまで大事にしてくれ」


 ☆


「あのさ、グッチー」


「なんだ?」


遂に旦那様と聖女様が一緒にお食事を! ということで、張りきりまくった。料理人たちが腕によりをかけて拵えた豪華な夕食が次々と運ばれてくる食堂。


豪奢な家具に華やかな飾り付け、キャンドルはムード満点でありながら食事の邪魔をしない程度に素敵な香りをふんわり漂わせており、さながら王子様とお姫様のような絵面である。片方は完全に野獣だが。


そんなチャンドラー家の長ーーーいテーブルを挟んで、素敵に着飾った花とグレゴリオは向かい合った。ガーフィールドの見立てにより、ギャルっぽい女子高生からギャルっぽいドレス姿にメイクアップである。


いつもはその時の気分で結ったり下ろしたりしている長髪も、今宵は素敵な髪飾りと共にアップにされ、化粧もできちゃうできる老執事の手でほんのりと薄化粧を施された花はいつもより美人さんだ。


そんなテーブルの中央には、ガーフィールドがこの短時間で花瓶にいい感じに活けてくれたお土産の花束が彩りを添えている。ふたりの恋の始まりを祝すには、もってこいの完璧なディナー。


「うちさ、なんかいきなり知らない国に連れてこられて、グッチーのお嫁さんになれって言われて、じゃあなりまーす! なんて頭空っぽで言っちゃったことに後悔は全然ないんだけどさ」


「ないのか……いや、そこは普通、もっと悩んだり少しは悔やんだりするべきではないかとも思うが、君がそう決めたのなら俺としては嬉しく思う」


「うち、普通じゃないってよく言われるし。い意味でも悪い意味でも。で、うちはグッチーのことすっごいかっこいいと思うし、結婚してもいいなーって思ってるんだけど、グッチーの方はぶっちゃけどうなん?」


「ぶっちゃけ、とは?」


「だからほら、グッチーなんかマジで可哀想なぐらいモテないらしいけど、だからっていきなり初対面の女と結婚なんてーとか思ったりしない? うちだけじゃなくて、グッチーにも選ぶ権利はあるんだからさ」


「俺に選ぶ権利、か。この容姿で選り好みができるほど贅沢は言ってられんさ」


「そう! そこなんよ! それって要するに、うちのことが好きだからうちと結婚してくれるんじゃなくて、うちとしか結婚できないからしょうがなくうちと結婚したーみたいな感じでなんかヤじゃない? モヤモヤしない?」


分厚いステーキ肉を丁寧に切り分け、完璧なマナーで口に運んだところまではよかったが、ものを口に含みながらお喋りするという点でガーフィールド先生からの赤点は免れないだろう。


だが会話の内容が内容なのと、このふたりの今のいい感じのムードに水を差してしまうことは憚られたのか、特に叱責の視線が飛んでくることもなく。


たとえ飛んできていたとしても気付かないであろう程に、花は真剣な眼差しでグレゴリオを見つめる。彼女は真剣だ、と悟ったグレゴリオはナプキンで口を拭き、ナイフとフォークを置いた。


「エドワードの奴にも言われたと思うが、俺はこの世界のありとあらゆる独身・やもめの女性からノーを突き付けられた男だぞ? むしろ、君のような可憐な少女が俺を好きになる理由の方が理解できん」


「え?」


「誰もが忌み嫌う俺を、君は好きだと言う。おかしいとは思わないか? その根拠も理由も判らない方が、よっぽどモヤモヤしてしまうぞ、俺は」


「あー、なんというか、価値観の違い? うちの元いた世界じゃ、グッチーみたいな顔の怖いマッチョなおじさんが好きー! ってタイプは結構いたと思うよ。それこそ男女問わず」


うちの元カレとか、と思わず思い出したくもない失恋の痛手を思い出してしまった花は、うえーという表情を浮かべながらワイン……ではなく水の注がれたグラスを口に運ぶ。


この世界では20歳未満でも普通にお酒を飲めるため、最初はウッカリ口に運んでしまってあわや噴き出しかけた後に、慌てて事情を説明して取り替えてもらった冷水で、苦い経験を流し込む。


「そう、なのか?」


「うん。だから、世界中でたったひとりうちだけがグッチーのこと好きになるってわけじゃないと思う。その中からうちが選ばれた理由は謎だけど、うちは選ばれてよかったと思ってるよ」


だってグッチー、かっこいいもん! と臆面もなく言い放つ花が、嘘を吐いているようには思えない。そもそも、嘘が吐けるだけの器用さがあるようにもグレゴリには感じられな……ゲフンゲフン。


「それは随分と、優しい世界だな。俺も君と同じ世界に生まれることができたなら、今とは違った人生を歩んでいただろうか」


「そうかもね。でも、もし今の見た目のまんまでおんなじ世界で出会ってたとしても、うちはたぶんグッチーに一目惚れしてたと思う」


それからふたりは、食事の手を動かすことも忘れ、多くの言葉を交わした。吹雪花という少女は、昔からゴリゴリのゴリマッチョやガチムチ体形の肉厚な男が大好きだった。


初恋の相手は弟が通っていた空手教室の先生で、妻子持ちだったために速攻で失恋したこと。同年代の少女たちが細身のイケメンアイドルに熱をあげる中、花だけはそういった青年たちには興味を示さず。


あんなキノコ頭のモヤシみたいなガリガリ君たちのどこがいいんだ? と全く理解できずずっと不思議で、互いの好みのタイプについて同級生たちと口論になったこと。


やがて思春期を迎えるにつれ、花の世界が学校と家を中心とした狭いものから、もっとずっと広い大きな世界に広がるにつれ、少しずつ彼女はより多くのことを知り、学んでいった。


たとえば日本では失笑や物笑いの種とされる筋肉マッチョが、海外ではむしろかなりモテるのだというようなことを。


例を挙げるならばハリウッド男優。海外進出を目論む日本の俳優やアイドル歌手なんかが真っ先に挫折する要因となるのがそう、筋肉のなさだ。


日本でならトップを目指せるだけの素質があっても、筋肉のない男は売れない。どれだけ金をかけて売り出そうとしても、筋肉不足のせいで鳴かず飛ばずに終わることなど珍しくもないという。


ダンサーを目指して渡米したけれど、オーディション予選落ちばかりで結局挫折して帰国した、的な記事を色々読んだ時、花にとってはスコーンと頭をハンマーで打ち抜かれるような衝撃を覚えたのである。


ナヨナヨした色白の細身のイケメンよりも、色黒マッチョなタフガイの方が断然好き、なんて花の趣味嗜好は、なんてことはない。日本ではマイナーでも海外ではメジャーな趣味嗜好だったのだ。


「うちね、そん時ようやく気付いたんだ。みんなが好きなものだからって、自分も好きにならなきゃいけないわけじゃないって。誰に何を言われても、自分の好きなものは好きだって胸を張っていいんだって」


「それでバカにされ、後ろ指をさされて嘲笑されてもか?」


「だって関係ないじゃん? うちの人生のことに他人が口を挟んでこようが、うちの人生の結果に責任を取ってくれるわけじゃない。むしろ無責任にアレコレ文句言ってくる奴は、ぶっ飛ばしてナンボだって」


「俺が思っていたよりずっと強いんだな、君は」


「まーね! うち、強い男が好きだからさ! 強い男に守ってもらうばっかりの、弱いメソメソ女にはなりたくなかったんだよね。むしろ隣に並び立てるような、強い女になりたくて、これでも色々頑張ったんだから!」


趣味が悪い、変わってる、と周囲から嘲笑されて育った花は、徐々に徐々に自分に自信を持つようになっていった。強い男、逞しいに惹かれるのは決して間違いでも悪趣味でもないのだと。


輝かしい活躍を残すプロのスポーツ選手、未来を夢見て懸命に部活に励むアマチュアアスリート、流々とした筋肉を誇らしげに誇示するプロレスラーやボクサー、果ては東西ボディビルダーに至るまで。


買い与えられたスマホを駆使し、各種メディアを通じてありとあらゆる筋肉を摂取する歓びに目覚めた吹雪花はもう無敵だった。


西でプロレスの興行があれば行って黄色い歓声を上げ、東でハリウッドスターが来日すれば行って黄色い歓声を上げ、地元でマラソン大会などが開催されればいい男がいないか応援しつつ目の保養をし。


同時に自分の好きを否定されたくないからこそ、他人の好きを否定してもいけない、と気付いたのもその頃だ。


人は皆誰もが何かを好きになる。その何かが他人と同じでなければならない道理などない。みんなそれぞれ違うものを好きになっていいし、嫌いになってもいいんだと。


そのお陰で、オタク少女の栄子という親友もできた。オタクだろうがなんだろうが、自分の好きなものを愛し、推しを推して、推しのために金と時間を費やす姿は花のそれとなんら変わりはなかったから。


「うちはグッチーの見た目好きだよ。顔もメッチャタイプだし、体はもっとタイプ。あのお城で初めて会った時、夢見てるんじゃないかと思ったぐらい」


「そんなにか。女性にそこまで好意的な言葉を言われたのは初めてだ。自慢じゃないが、むさ苦しいとか、その、臭いとか、罵られることばかりでな。身だしなみに気を遣ってはいるのだが、どうにも」


「確かにちょっとワイルドすぎるかもだけど、でもうちは気にしないし! むしろ好きだし! だってそのモリモリの筋肉で、敵をやっつけてこの国を護ってるんでしょ? マジリスペクトじゃん! 超尊敬する!」


「……俺はそんな風に言ってもらえるような人間ではないさ」


傷跡だらけのこの手は、数えきれないほど多くの血に塗れている、とは言わなかった。ゴツゴツした武骨な手の平を結んで開いて、思わず遠い目をしてしまうグレゴリオ。


人を殺す感触にはもう慣れてしまった。この手で命を直に刈り取る感触に。向けられた感謝や憧憬と同じ分だけ、怨嗟や憎悪も向けられていることだろう。


事実、グレゴリオ・チャンドラーの名は他国の子供たちの間では、日本における鬼のような存在として子供たちに語り継がれている。悪い子にしているとグレゴリオ・チャンドラーが殺しに来るぞ、と。


「いいの! うちが勝手にリスペクトしてるだけだし!」


「そうか。君は……変わった子だな」


「まあね! じゃなきゃわざわざ違う世界にまで呼ばれなかったと思う」


花は椅子から立ち上がると、長ーーーいテーブルの端から端まで歩いて、グレゴリオの傍に立った。椅子に座ったままでなお、花より背の高い巨躯の熟年男が、困ったような笑みを浮かべる。


「グッチーって、意外とナイーブというか、ネガティブ?」


「そうかもしれない。何せこの顔だからな。顔も、体も、傷跡だらけだ。恐ろしいだろう?」


「全然? それだけ頑張ってみんなを護ってきた証拠じゃん」


「どれだけ香水を付けても、獣臭いと言われる」


「臭いを香水で誤魔化そうとすりゃそりゃ悪化するでしょ。ここまで近付いても、うちはぜーんぜん平気! 全く問題なし! 大丈夫!」


「顔もそうだが、地響きのような大きなだみ声が恐ろしいと子供に泣かれることもしょっちゅうだ」


「ボソボソ小声で喋って何言ってるのか全然聞き取れないような男よりずっとマシだと思う」


「もうすぐ50だ。君のような若い少女の未来を奪っていい歳じゃない」


「日本じゃ70・80の金持ち爺さんが10代20代の美人の奥さんもらうなんて普通だったよ。今時の年の差婚なんて珍しくもなんともないっしょ! 大事なのは当人たちの間に愛があるかどうか」


「俺たちの間にそれがあると?」


「少なくとも芽生えかけてはいる。そうでしょ?」


花はグレゴリオの手に躊躇なく手を伸ばした。咄嗟に引っ込めてしまいそうになったグレゴリオだったが、花がその手を取る方が早い。その気になれば目にも留まらぬ速さで敵を素手で撲殺できる男の手を握る。


岩のような手だった。硬くてゴツゴツしていて、指の太さは花の細い手首ほどもある。その気になれば、花の腕などお菓子のように容易くポッキリおられてしまうに違いない手だ。


「うちは今、ぜーんぜん怖くないよ。怖くない。グッチーの目には、うちがビビって腰が引けてるように見える?」


「いいや。少なくとも虚勢を張ってるようには見えない」


恐る恐る、グレゴリオの指が花の指を包み込んだ。やわらかく、温かな、少女の指を。


「折角夫婦になるんだから、お互い色んなこと話し合おうよ。そんで、お互いのこと知り合お! うち、もっとグッチーのこといっぱい知りたいし、うちのことグッチーにも知ってほしい!」


焦る必要はないから、ゆっくりいい感じの仲になってけばいいじゃん、と太陽のように快活な笑みを浮かべる花に、グレゴリオは眩しそうに目を細めた。この子は本当に、聖女なのかもしれないな、と思う。


熱くなった目頭を拭いたかったが、男の意地で堪える。この子はきっと、俺が涙を流しても笑わないだろう、という確信があったが、だからこそ涙を見せたくはないと感じたのだ。


「……花・吹雪さん。不束な男だが、よろしく頼む」


花もまた、逆じゃん! とは言わなかった。

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