第3話! 強いぞ末槍隊!

プロティーン王国騎士団。その選りすぐりの精鋭部隊、通称、末槍(マッソー)隊。『我らが破られれば全ては終いの末の槍!』と自負する、グレゴリオ・チャンドラー団長率いるエリート中のエリート部隊である。


何故槍なのかというと、グレゴリオ将軍が『剛槍のグレゴリオ』の異名を持つ猛者だからだ。下ネタではない。文字通り、電子柱の如き槍を軽々と振り回して戦場で大暴れするのである。


そんなグレゴリオに選抜された、指折りの騎士たち。その実力はまさに一騎当千。『1人で1000人倒せば、100人で10万の軍勢を退けられるな!』を地で行くヤベー連中。それがマッソー隊だ。


そしてもうひとつ厄介なところは、彼らの士気はいつもいつでもメチャクチャ高いということ。何故ならマッソー隊の隊員たちは、全員グレゴリオにかつて戦場で命を救われた者たちばかり。


『団長……俺のことはもういいんで……行ってください……この国にはあなたが必要だ……』


『何を言う! 救える部下を救わずして何が将軍か! お前もまたこの国に必要な人間であろうが! 俺を舐めるなよ! うおおおお! 退け退け退けえええ!』


『将軍……俺のことはもういいんで……魔力を少しでもゲフ、温存してください……その魔力は……敵を退けるために……』


『何を言う! 敵など殴れば死ぬ! それよりお前の命の方が大事だ! 諦めるな! 共に国を護ると誓ったであろう! うおおおお! ヒイイイイル!』


ある者は戦場で死にかけのところをグレゴリオに救われ、ある者は半死半生のところをグレゴリオの回復魔術で救われ、ある者は絶命寸前だったにも関わらずグレゴリオに背負われ奇跡的な帰還を遂げた。


そんな感じでグレゴリオに救われ、彼に心酔した者たちは、『団長のためなら死ねるけど、俺らが死ぬと団長は悲しんじゃうから死ぬ気で生き残ーる!』を合言葉に今日も気合い十分に職務に勤しんでいるのだ。


「おはようございます団長! 宰相殿から聞きましたよ! 遂に結婚ッスか!」


「おめでとうございます団長! 遂に団長のワイルドな体しゅ、ゲフンゲフン! 野生の魅力に耐えられる女の子が現れたんすね!」


「チクショー俺たちの団長をポっと出の女に奪われるなんて! でも団長が幸せになってくれるのならそれが一番ッス! 幸せになれないような女なら容赦なく潰しますけど!」


「ああ、ありがとうみんな。お前たちのような部下を持てて、俺は幸せ者だな!」


常日頃から人一倍どころか人の十倍ぐらい精力的に仕事と鍛練に勤しんでいるマッソー隊の男たちは、概ねいつもほんのり汗臭い。おまけに走り回っているせいで足もちょっぴり臭う。


だがそれは、日夜国(と敬愛する団長)を護るために熱心に頑張る騎士の証でもある。そのため、そんな彼らを嘲笑したりバカにするような不届き者は、このプロティーン王国にはいないのである。


少なくとも裏で陰口は叩かれたとしても、それを表に出すような愚か者はいない。それにだ。日本では汗は不潔で他人を不快にすると忌避されがちだが、マッチョの本場外国ではそうとも限らない。


確かに度を越した悪臭はスメルハラスメントなどと呼ばれ顔を顰められるには十分な公害にもなり得るが、愛を燃やす前にシャワーを浴びるなんて勿体ない、と言われるぐらい実はフェロモン扱いなのだ。


「団長の奥さんになる子ってどんな子なんすか?」


「異世界から来た聖女様なんですよね!」


「異世界から来たってことは、やっぱ普通の人間とは違う感じッスか?」


「ぬ、そうだな。なんというか……可憐な娘だ。外見は普通の町娘と大差はないが、線が細く、握り締めればそのまま壊れてしまいそうな儚さが……って、朝から何を言わせるのだ!」


「あ、団長照れてる!」


「可愛いッス!」


「コラ! 上司をからかうもんじゃないぞ全く!」


花も制汗剤の香るスポーツマンは嫌いじゃなかった。中学時代の歴代彼ピは柔道部員と野球部員と相撲部員だったし、高校時代になると今度は大学ラグビー部やプロのボディビルダーと付き合うようになった。


度を越えてキツイのはさすがに勘弁だが、やっぱり日焼け止めやヘアワックス臭のする色白のイケメンよりかは、太陽の下で爽やかに汗を掻き真っ黒に日焼けしたスポーツマンの方が魅力的だと彼女は思う。


「あ、その包み、ひょっとしてお弁当ッスか?」


「ヒューヒュー! いきなり愛妻弁当とかラブラブじゃないッスか団長!」


「団長にそのサイズの大きさの弁当箱を渡す時点でちょっと俺らの団長への理解度足りてねーなその女とは思いますけど、でもそんなことしてくれる子は初めてなのでその点だけは好印象ッスね」


「頼むから、茶化してくれるな! ほらお前たち! さっさと仕事を始めるぞー!」


真っ赤になったゴリラ顔の団長に、わっと歓声を上げながら騒々しく持ち場へ散らばっていく騎士たち。今日もマッソー隊、プロティーン王国騎士団の賑やかな日常が始まる。


 ☆


「お疲れ様ですグレゴリオ。聖女の調子はどうですか? 大丈夫だとは思いますが、何か不審な動きが見受けられたりはしていませんか?」


「……うむ。実は今朝、ちょっとした喧嘩をしてしまってな。ちょっと気まずくなってしまったが、まあ、特に問題はない。今のところ怪しい点も見られないしな」


「おや、見た目とは裏腹に紳士的なあなたにしては珍しいですね。何か彼女の振る舞いに問題でも?」


「いや、その、なんだ……今まで女に好意的にされたことがないから、俺の方が戸惑ってしまってな。つい何か裏があるのではないかと疑って突っぱねてしまっているうちに、彼女を怒らせてしまったのだ」


「あなたのこれまでの人生とどうしようもない女運の悪さを思えば、それも無理からぬ話だとは思いますが」


午前中の職務が終わり、皆がめいめいに昼休みを取っている頃。団長室で花の手作り弁当を広げていたグレゴリオは、イケメン眼鏡宰相エドワードの訪問を受けていた。


吹雪花を召喚魔術で日本からこのプロティーン王国に召喚した張本人である。無論、召喚の儀式そのものはきちんとイッキ国王に許可を取ってのものだが。


どこか怪しげで胡散臭い雰囲気を漂わせているため、コイツなんか裏があるんじゃねーの? と周囲に疑われても無理もないような態度を常に崩さない飄々としたイケメンだが、実際には特に裏はない。


が、当人はそんな周囲からの疑念すらも利用して宰相の地位にまで上り詰めたのだから、なかなかに厄介な曲者と言える。


実際今回の一件でも、幾ら国王の許可を得てのこととはいえ国の危機でもないのに聖女召喚の儀を執り行ったことに関して一部の派閥から非難の声が上がっていた。


グレゴリオ将軍の花嫁探しという私的な目的のために執り行われたのだから、当然といえば当然の非難ではある。そんな非難を口八丁手八丁、あの手この手で封殺するのもまた彼の特技なのだが。


「とはいえ彼女はあなたへの嫁入りを嫌がるどころか、喜んで引き受けるほどの変人、もとい、清らなる心の持ち主。それを盲信せず何か裏があるのでは、と疑ってかかるあなたの判断は実に正しい」


「だよな? 普通、嫁入り前の若い娘がいきなり別の世界に無理矢理呼び出されて、俺みたいなむさ苦しいオヤジの妻になれとか言われたら普通は嫌がって然るべきだよな?」


ダン! と握り拳を執務机に下ろした拍子に弁当箱が跳ね、中身のサンドイッチが飛び出してしまいそうになるのを慌てるグレゴリオ。そのまま口に運ぶと、ピーナッツバター的な具の甘い味が口に広がる。


できる老執事ガーフィールドが毒見もしないものを主に手渡すとも考え難いので、その点に関しては心配していないのであれば、残る問題は味である。


味は無難に美味だった。ただ単にパンにピーナッツバターを塗って挟んだだけの代物なのだから美味いも不味いもないのだが、それでも美味しく感じてしまうのは、心が喜んでいる証拠なのだろうか。


何せ可愛い女の子から手作り弁当を差し入れてもらうのは初めてである。50を目前にして初めてのトキメキ。純朴な武人である彼の胸が予想外に高鳴ってしまっても無理はあるまい。


「おまけにその、なんだ。彼女は元の世界では色んな男に言い寄られていたようでな。確かにあの可愛さなら納得ではあるのだが、その、なんというか……純潔ではないかもしれんのだ」


「いえ、それはあり得ません。我々はきちんと『誰もが嫌がるグレゴリオ・チャンドラーの妻になってくれる、性格も容姿も人並み以上によくて浮気をしない一途な純潔の乙女』を召喚しましたので」


この国に践祚代々伝わる聖女召喚の秘術とは、国が危機に陥った時にそれを解決してくれる聖女を降臨させるための召喚魔術である。


雨が降らないせいで国が飢饉に陥りそうな時は祈りで雨を降らせてくれる聖女を。魔物が大量発生して国が襲われて滅びそうな時は魔物を蹴散らしてくれる超強い聖女を。


術者の祈り・願いによって、呼び出される聖女の持つ『奇跡』は様々だが、共通して召喚される聖女は召喚者の願いを叶えるために顕現する者であるがゆえに、乙女を願えば必ず乙女がやってくる。


「……そんな話は聞いてないぞ」


「あなたが聞く耳持ちませんでしたので」


「てことはなんだ? 俺は無駄な取り越し苦労の挙げ句、彼女を疑って冤罪を吹っ掛けただけということか?」


「初対面の女にいきなり骨抜きにされるよりは健全な反応ですから、そう落ち込むことはありません。あなたのそういう慎重なところ、私たちは好きですよグレゴリオ将軍。あ、おひとつ頂きますね」


「褒められている気がせんな。ああ」


まさかそんな都合のいい女が本当に実在するとは思いませんでしたけどね、と涼しい顔でのたまいつつ、宰相エドワードは花が作ったという不格好なサンドイッチを一切れ手に取り、かじってみる。


「毒物・異物の混入はなし。まあ、あなたのところの有能な執事がそれを見逃すとも思えませんし。味はまあ……普通ですね。素人が頑張って作った代物以外の何物でもない、普通のサンドイッチだ」


「人様の作ってくれたものにケチをつけるもんじゃない。行儀が悪いぞエドワード。お前らしくもない」


「おや、それは失敬。何せ未婚のうら若き独身女性からあなたへ、普通に食べられる贈り物が贈られたという事実が感慨深くてつい」


ふたりは手に持ったサンドイッチを再度かじる。今までグレゴリオに近付いてきた美女は暗殺者かその地位か財産目当ての卑しい女ばかりだった。そうでない女は愛想笑いを浮かべ逃げていった。


だからこんな風に、なんの変哲もないごく普通の平凡なサンドイッチをいずれ妻になる予定の女性が作ったという事実は、ふたりの中でそれだけの意味を持つ。


「……そうだな。ああ、そうだ。普通の味だ。普通に……美味い」


「そうですね。苦い毒も、内臓を焼く辛味や酸味もない。本当に普通の、美味しいサンドイッチだ」


間もなく50のお誕生日を迎える国王イッキ・プロティーン59世とグレゴリオ・チャンドラー将軍が幼馴染みの親友ならば、グレゴリオと若き天才宰相エドワード・アドバンスは歳の離れた戦友である。


今は亡きエドワードの父とグレゴリオが戦友であったことをきっかけに、エドワードがまだ幼い頃から親交のあったふたりは、彼の父亡き後グレゴリオが彼の後見人となり面倒を看てやったのだ。


そのためエドワードにとってグレゴリオは、大恩あるもうひとりの父と呼べる存在だ。そんなグレゴリオのため、彼は国王陛下を説得してこの国に秘密裏に伝わる聖女召喚の儀式に手を出した。


全てはこの国を支える大黒柱でありながら、人並みの幸せすら得られぬままに国家への奉仕のみに生き甲斐を見出してしまった彼に、普通の幸せを与えるため。


幸せになってもらいたかった。ただそれだけのために。そして、それに同意し力を貸してくれる人間が、この国には大勢いた。花がこの世界へ呼ばれたのは、ただそれだけの結果なのだ。


「なあ、その、なんだ。教えてくれないかエドワード。女性を怒らせてしまった時は、何を贈って誤ればいい? お前さんなら女性の扱いはお手の物だろう?」


「ハハ! あなたからそんな質問が飛び出してくる日が来るとはね。いえ失敬。バカにしているわけではないのです。むしろ嬉しいぐらいですよ」


「ああ、分かっているさ。お前は世間的には鬼畜眼鏡だの血も涙もない冷血漢だの散々な言われようだが、本当は誰よりこの国の未来を憂い、憎まれ役を買って出られる強くて優しい子だからな」


椅子に座ったままでなおエドワード青年の頭にも簡単に手が届く巨漢のグレゴリオに頭を撫でられ、宰相エドワードはくすぐったそうな笑みを浮かべながらもそれを受け入れる。


ゴツゴツした傷跡だらけの武骨な手だ。多くの敵を葬り去り、この国に勝利をもたらしてきた英雄の手。血にまみれていると彼自身が自嘲する、偉大な騎士の大きな手。


「私ももう幼い子供ではないのですがね。幾つになってもあなたの前ではまだまだ子供、ということでしょうか」


「ああ、すまん、つい、な」


「いえ、構いませんよ。あなたのその手が、私を思い上がったガキから引き戻してくれると思えば、まあ悪い気はしません」


その後マッソー対の隊員たちに冷やかされながら仕事を終えたグレゴリオは、エドワードのアドバイスに従って帰りに花への贈り物を買って帰るべく大通りに繰り出した。


宝飾品や貴金属の類いはまだ関係性が浅いため却下。飲食物は彼女の好みが判らないためリスクが大きいからと今は保留。ここは無難に花束がよいでしょう、と助言をもらったため、花屋に寄る。


『女性に花を贈れば喜ぶという発想は安直ですが、だからといって女性に花束のひとつも贈れないような男は頂けません。何、デートに持参してデートの間中持ち歩かせるような真似をしなければよいのです』


エドワードに悪気はなかっただろうが、過去の思い出したくもない女性絡みでの失敗をダイレクトに抉られてしまったグレゴリオは、愛想笑いを浮かべ誤魔化しながら色々ともらったアドバイスを反芻する。


「いらっしゃいませー。っと、これはこれはチャンドラー将軍! お久しぶりでございます!」


「ああ、しばらくだな店主殿。実は、食事の約束をしている女性に贈るための花束を頼みたいのだが」


「まあまあまあ! なんとなんと! 噂の聖女様でございますね?」


「おいおい、もう広まっているのか? 誰だ、お喋りな奴は」


「あら、わたくしとしたことが失礼。巡回にいらした騎士団の皆様が、それはもう嬉しそうに教えてくださるものですから。どうかお叱りにならないであげてくださいね」


その代わりといってはなんですが、うんと素敵な花束を腕によりをかけてお作りさせて頂きますわ、と微笑む上品な老婦人が娘夫婦と3人で営む花屋は、過去に何度か利用したことがある。


この世界のほぼ全ての女性から厭われている、と思われがちなグレゴリオだが、それは誤解だ。気は優しくて力持ち。雄々しく逞しく勇猛な、天下無敵の護国の英雄ということで、敬われてはいるのである。


特に、既婚者である熟年女性や老婦人からの評判は上々なのだ。いい人だし、結婚したいかと言われればノーだけど、友人知人として付き合う分にはこの上なく申し分のないいい男として好かれている。


その好きがライクであってラブではないだけで、『うちの旦那もチャンドラー将軍ぐらい強くてしっかりしてくれりゃあいいのに!』などとむしろ評判はとてもよい。大衆とはいつの世も勝手なものだ。


「さあさ、おかけになってくださいな!」


「いや、気遣いはありがたいが俺が座ると椅子が壊れてしまうからな。立ちで結構だ」


ご機嫌取りというわけではないが、詫びの感謝の意味合いを込めて花束を贈る、という考えはグレゴリオにもあった。だが、花束には苦い思い出しかなかった。


コイツ苦い思い出しかないんかと思われるぐらい、グレゴリオの女運はよろしくない。女運が悪いということはつまり、女絡みで思い出したくもない記憶も増えやすいということだ。


花嫁探しが行われたこの10年近く、打算的な理由と目的でグレゴリオに、いや、グレゴリオ・チャンドラー将軍という看板にすり寄ってきた女たちとデートや食事をしたことは、実は少なからずある。


その際にキザったらしいかなとは思いながらもスーツを着用し、花束を持参したことは幾度となくあったのだが、表面上は礼を言いつつも彼女たちが彼の真心を喜んでくれたことは一度としてなかった。


いわく、気持ちは嬉しいけど持ち歩くのに不便。香りが苦手。花粉がドレスに付着するのが嫌。花粉症、あの顔で大真面目に花束なんか持ち出されたら、お腹が攀じれちゃうわ等々。


折角見繕ってもらった花束もグレゴリオ自身も、幸せな末路を迎えたことはなかったのだ。自分だけが傷付くのならまだしも、罪なき綺麗な花たちが無下に扱われることにグレゴリオは耐えられなかった。


それ故に、花屋そのものが若干トラウマになりつつあったのだが、そう意味では花という女を見定める試金石としては恐らく丁度よいかもしれない、とも思う。花だけに?


女性に限った話ではなく、グレゴリオは花や食べ物を粗末にする人間は苦手だ。子供がアイスクリームを落としてしまって泣いている姿に、可哀想、ではなく可愛い、と言い出す感性の持ち主が嫌いだった。


「聖女とやらの噂はそんなにも広まってしまっているのか?」


「それはもう。遂にチャンドラー将軍にも春が来たんですもの。素敵な結婚式になるとよろしいですわね」


結婚式。その言葉を聞くと、胃の辺りがズシっと重くなるような気がする。恐れ知らずの勇敢な騎士グレゴリオだったが、いざ自分が本当に結婚するのかと思うと、マリッジブルー的な感情が疼いてしょうがない。


本当に、本当に俺なんかが結婚してしまっていいのだろうか。いや、自分のことはいいのだ。容姿を理由に笑われることには慣れてしまった。慣れたくもなかったが、心は既に強靭になってしまった。


だが、妻になる女性はそうではない。産まれてくる子供はそうではないのだ。あのグレゴリオに嫁いだ女、というだけで、意地悪な社交界で妻の立場がどのようなものになるのかを想像すると耐え難くなる。


間違いなく、露骨に嘲笑されるだろう。表立っては温かく歓迎されたとて、裏ではあのグレゴリオに抱かれた女として一生後ろ指を刺され笑い者にされるであろうことを考えると、怒りも湧く。


将軍であるグレゴリオ・チャンドラーとその妻に向かって面と向かって指をさせる人間はひとりもいないだろう。だが彼らは表立っては笑みを浮かべながらも、裏で陰口で盛り上がっていることを知っている。


もし産まれてきた子供が女の子で、それが父親似だったら目も当てられない。いや、男の子でも父親にはダメだ。自分のような辛い人生を、子供たちには歩んでほしくなかった。


いや、本当は恐れているのかもしれない。お父さんのせいで、と我が子に泣かれ、嫌われ、恨まれることが。お父さんなんか大嫌い、と詰られるところを想像するだけで、彼は臆病になってしまいそうになる。


「……軍。チャンドラー将軍?」


「あ、いや、すまない。大丈夫だ。ちょっとボーっとしてしまった」


花屋の店主である老婦人に声をかけられ、現実に引き戻されたグレゴリオは曖昧な笑みを浮かべる。無性に体を動かしたいな、と思った。悪い想像に囚われてしまった時は、体を動かし汗を流すのが一番だ。


とはいえ今から城に戻るわけにもいかず、まして家では花が彼の帰りを待ちわびている……と思うのだ。早く帰ると言った手前遅くなるわけにはいかないし、汗だくで帰るなど論外である。


「花は……彼女は花というんだが、黒髪黒目の華奢な少女だ。年齢は18歳と言っていた。それで、どんな色や花が好きかはまだ知らぬ。ただ、彼女には赤が似合う、と思った」


「花様。素敵なお名前ですわね! それでは赤を中心に、黒に映えるものをご用意させて頂きますわ」


清楚なお嬢様タイプではない。気は強い方だと思う。髪は長い。花がどんな人間なのか、店主とやり取りをしながら彼女のイメージに似合う花束を作ってもらう。


そうして完成した世界にたったひとつだけの、花・吹雪という少女のためだけに作られた赤を基調とした非常に鮮明で華やかな花束は、なるほど彼女によく似合うだろうな、と思えた。プロの花屋って凄い。


「ありがとうございました。チャンドラー将軍、どうか幸運を!」


「ああ、こちらこそ礼を言う」


美しい紅色の花束を手に、グレゴリオは花屋を出る。道中、そんな彼を物陰から笑う視線にも出くわしたが、全くもって気にならなかった。ゴリラが花束を持ち歩いて何が悪い。誰かに好意を示して何が悪い。


果たして花は喜んでくれるだろうか。頭の中はそれだけでもういっぱいだ。今までの女たちのように、表面上は礼を言いつつも、秒で汚物のように扱われたりはしないだろうか。


痛みに慣れることはできても、傷付かないわけじゃない。何度も傷付き傷跡だらけになって、ゴツゴツと武骨になった手の平と同じだ。グレゴリオ・チャンドラーとて人の子、ひとりの人間なのである。


好意を踏み躙られるのは辛い。勇気を振り絞るのは疲れる。だから、見極めようと思った。異世界から来た、花・吹雪という人間を。もし今回もダメだったなら、その時は二度と女性に夢を見るのはやめようと。


世界中、ではない。ここではない別の世界から、たったひとり、唯一人グレゴリオのためだけに呼ばれた彼女でダメだったなら、その時はもう、己の愛すべき女性などどこにもいないのだと、諦めがつくから。

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