第2話! 恣意と憂の間に!

「グッチー! ちょっと待ってよグッチー! 朝ご飯ぐらい一緒に食べてくれたっていいじゃん! なんでうちのこと露骨に避けるの!? 繊細な乙女心が傷付いちゃうんですけどお!」


「うるさい! 変なあだ名で呼ぶんじゃない!」


「じゃあ、グレゴリオ?」


「気安く名前を呼ぶな、女!」


ギャル系女子高生のハナ・フブキが現代日本から異世界プロティーン王国に聖女として召喚され数日後。花はグレゴリオ・チャンドラーの住まう屋敷に滞在していた。


『とにかく夫婦になるのですから、まずは親交を深めましょうか』というイケメン眼鏡エドワードの発案により、結婚式までの間花の身柄はチャンドラー家の預かりとなってしまったのである。豪く一方的に。


ちなみにエドワードはこのプロティーン王国の若き宰相であるという。サイショーって何? コショーの親戚? と花には分からなかったが、とにかく偉い人だということだけは理解できた。


「女、女ってうちには花って名前があるんですけど! それともこれがツンデレって奴? 確かに最初に落としてから徐々に上げていくのは恋の常套手段だけど」


「うるさい! お前のような怪しい奴など女で十分だ!」


「怪しくないし! うちのどこが怪しいって言うのさ!」


「その態度だ! 初対面で俺のような男に惚れる女がどこにいる! バカも休み休み言え!」


「こ! こ! に! いるんですけどお!」


この国の戦力の最重鎮であるグレゴリオはこれまでの多大なる功績により、超広い屋敷と使えきれないほどの褒賞金を王様からもらっていたが、恋人だけは生まれてから一度もできたことはなかった。


そんな彼の前に、異世界からいきなり現れた花が好意全開で好き好きオーラを放っても、これまでの積年の女性不信で凝り固まってしまったグレゴリオからすれば、怪しいだけである。


何せチャンドラー家の屋敷に女性の使用人はひとりもいない。これは、『あの女に飢えた野獣に襲われそうで嫌』『襲われても揉み消されそうで嫌』と女性の使用人がひとりも寄り付かなかったためだ。


そういう扱いを、世間の若い独身女性たちから受けてきたのだ。救国の英雄だろうが護国の大英雄だろうがお構いなしにである。そういう点では現代日本と価値観がちょっと似通っていると言えなくもない。


「いいか! 何を企んでいるのかは知らんが、この俺を容易く謀れると思うな!」


「煙草がなんだって?」


「煙草ではない! 謀りだ! いいか! お前のように初対面で好意的な女には、絶対に何か必ず裏がある! 俺は経験則でそう知っているんだ!」


「何もないって! あ、うち彼ピの煙草は気にしないから普通に吸ってもらっていいよ? チューする時とかムードが壊れるから嫌って子もいるけど、うちはむしろセクシーだと思うっていうか」


「チュ、チュ、チュ、チューだと!? 貴様! なんとふしだらで破廉恥な! 神聖な口付けをなんと心得る!」


グレゴリオは初心である。ゴリラのような顔立ちのオヤジだが、まだ純情で純朴な少年のハートの持ち主である。よって、いかにもギャルっぽい見た目の花にはちょっと偏見の目を向けてしまっても無理はない。


何せいきなり初対面の女を『あなたの奥さんになる女性ですよ』と押し付けられたのだ。これまでの人生、彼はゴリラ顔とちょっとワイルドな体質(体臭とか体毛とか)のせいで碌な目に遭ってこなかった。


女性不信を通り越して、人間不信に陥っても何もおかしくはないのに、鋼の忠義で私情を抑え込み、この国のために尽くしてきたグレゴリオ。そんな彼には是非とも幸せになってほしいと、周囲は願っている。


「えーでも、うちの元いた世界じゃチューぐらい普通にみんなしてたよ? むしろラブラブっぷりをみんなに見せ付けてやれ的な」


「なんだと!? 未婚の男女が人前で口付けをするなど、どれだけ破廉恥な世界から来たのだ、貴様は!」


が、周囲の思惑と当人の気持ちとは別問題なのもまた事実。降って湧いた美少女といきなりの同棲生活に喜びよりも疑心暗鬼の気持ちが強まってしまったグレゴリオは、ここ数日ずっと花を避けていた。


麻は朝早くから騎士団の仕事があるからといつもより早起きして家を出ることで花を避け、夜は騎士団の仕事があるからとわざと遅く帰宅することで花を避け。


これだけあからさまに避けられていると、さすがの花も気になってくる。そうして頑張って早起きして出勤前のグレゴリオに突撃するも冷たくあしらわれた結果、遂に花も我慢の限界を迎えたというわけだ。


「いやだって、うちら結婚するんでしょ? 夫婦になるんだからチューとかしても当たり前なんじゃないの?」


「ええい! 嫁入り前の娘がなんとふしだらな! 貴様、妙に尻の軽そうな言動が目立つが、よもや元いた世界では娼婦でもしていたのではあるまいな!? どうなのだ! 貴様は処女(おとめ)なのか!」


一瞬キョトンとした花だったが、すぐに言われたことの意味を理解して頬を膨らませる。並みの女子供であれば睨まれただけで足を竦ませ泣き出してしまいそうな強面の巨漢にも、一歩も引けを取らずに。


「うちは確かに年上趣味だったけど、パパ活とかしたことねーし! そりゃ確かに付き合ってた格闘家の元カレが既婚者だって発覚して大喧嘩になって別れたことはあったけどさ!」


「なんだと!? 妻子ある男を誑かすとは!」


「だーから、うちは騙されてただけの被害者なんだって! つーか、乙女かどうかなんて見りゃ分かるでしょ? どっからどう見てもピチピチの乙女じゃん!」


今時の女子高生はピチピチなんて言葉は使わないぞ、というツッコミはなしでお願いしたい。ただ年上マッチョの彼氏と付き合ってるうちに移ってしまっただけなのだ。


というか、問題の本質はそこではない。おとめ、の定義がふたりの間で微妙に食い違っていることに、気付けていないことが問題だった。


「うちよく誤解されるけど、みんながみんな思ってるほどそんな遊んでねーから! 好きになったらメッチャ一途だから!」


「ええい詭弁を!」


「あのさ! グッチーってひょっとして処女厨なわけ!? そんないかにも豪放磊落で細かいことは気にしない、小ざっぱりとした豪快な性格してそうな顔して童貞ムーブ丸出しとか、いい年して恥ずかしくないの!?」


「ぐぬ!?」


花の言葉がグレゴリオの繊細な心にグサっと突き刺さる。見た目は超好みなのに、とちょっと鬱陶しく&面倒臭くなってきて苛立ち紛れに放たれた花の言葉だったが、予想外にクリティカルしてしまった。


そう、グレゴリオは50間近にして童貞だった。団長として娼館に部下たちを連れていってやっても当人は『畏れ多いです!』とか『あなたのが入る子はうちにはいません!』とか言われて体よく断られてきたのだ。


そういう意味では、ここ数時の落ち着きのなさも頷けるかもしれない。何せいきなり超絶可愛い美少女がおうちにやってきたのだ。思春期男子のマインドを持つ純情男には些か刺激が強すぎただろう。


「グッチーのバカ! もう知らない! うちはこんなにもグッチーと仲よくなろうと一生懸命頑張ってるのに、グッチーが仲よくしてくれるつもりがないなら意味ないじゃん!」


「それは!」


目に涙を浮かべ、何故か着ていたエプロンを脱ぐと、丸めたそれをグレゴリオの顔に叩き付け、走り去る花。鼻の骨が折れるぐらい強く顔面を殴られたことなど何度もあるグレゴリオだったが、ちょっと痛かった。


その痛みはたぶん、罪悪感という名の心の痛みなのだ。だがそれを素直に認めるのは癪で、フン! と鼻を鳴らしたグレゴリオに、ひとりの執事が近付いてくる。


彼は長年グレゴリオ・チャンドラーの側近を務めてきた忠実なる老執事、ガーフィールドだ。グレゴリオからの信頼篤き老執事は、主人の足元に落ちた可愛らしい花柄のエプロンを丁寧に拾い上げる。


「旦那様」


「ガーフィールドか。何の用だ」


「差し出がましいようではございますが、朝食のご用意ができております」


「この状況で、俺に飯を食えと言うのか、お前は」


「はい。食を食え、と言わせて頂きます。旦那様。よい1日はよい朝食から。子供の頃からずっと、そうお教え致しましたね」


「それは……確かにその通りだが」


子供の頃からチャンドラー家に仕え、グレゴリオが独立してからはこちらの屋敷に移り住み、ずっとずっと忠実に仕え続けてくれた彼に促され、グレゴリオは釈然としないながらに食堂へと足を運ぶ。


「……なんだコレは。料理長が熱でも出して倒れたか?」


食卓に載っていたのは率直に言って、将軍家の朝食には似付かわしくないみすぼらしい、よく言えば素朴な料理の数々だった。


ケチャップのようだが厳密にはケチャップではなく、だがケチャップと呼ぶのが一番近いのでここでは分かりやすくケチャップと表現したそれでハートマークの描かれた、ちょっといびつなオムレツ。


フレンチトーストという名前はフランスがない異世界でそう呼ばれるには不適当だがじゃあ他になんて呼べばいいんだって話なのでこう呼ぶのが一番分かりやすい、やや牛乳多めの湿っぽいフレンチトースト。


他にもカリカリに焼き上げようとして失敗したのかちょっと焦げてしまっている薄切りベーコンや、レストランで出てきたら前衛芸術かシェフの不在を疑ってしまうようなサラダ等々。


唯一まともなのはカップに注がれたホットミルクぐらいのものだが、それもすっかり冷めてしまっておりただの膜の張った牛乳になってしまっている。そもそも圧倒的に量が足りていなかった。


グレゴリオ・チャンドラーはその見た目通りの大食漢である。これっぽっちの量では全然物足りない。これでは1日を乗りきる活力が出ないではないか、と文句を言おうとしたところで、はたと気付く。


「お察しの通り、こちらは全て花お嬢様の手料理でございます。このお屋敷にいらしてから毎朝、旦那様のために気合いを入れて朝食を手作りしておられました」


「料理は料理長の仕事だ。妻の仕事ではない」


「ええ。ですが、一度でいいからどうしても愛妻料理を、と張り切っておられましたので、料理長も許しを出したのでございましょう」


「……どこの馬の骨とも知れん小娘が作った料理になど、何が入っているやも判らん。俺が毒殺されかけた回数を知らぬお前ではないだろう、ガーフィールド」


「ええ。ですので、料理長とわたくしめが、彼女の挙動に毎朝目を光らせております。少しでも不審な真似をしようものなら、即座に拘束できるように」


その結果として、こうしてテーブルの上に料理が並んでいるのだ。グレゴリオはガーフィールドにも料理長にも信頼を置いている。彼らが今更主を裏切るとは思わない。


叱られて不貞腐れた子供のように、憮然とした顔で引かれた椅子に座るグレゴリオ。その様を忠実なる老執事は微笑みながら見守る。


「そもそもなんだ、愛妻料理って。まだ正式な夫婦でもあるまいに」


「花様のいらした世界でも、料理人を雇えるような裕福な家庭はほんの一握りであり、平民と同じく平素の食事の準備は妻の役目だそうです」


「彼女が平民の出であるという話は聞いたが」


「そのため未婚の女性は料理の上手さを意中の男性にアピールするのだとか。ホホ、わたくしも若い頃は、結婚する前の妻に手料理をよく振る舞ってもらったものです」


騎士団の部下たちの世間話から、若い恋人同士がそうやってイチャイチャすることがあるということを知識としては知っていたグレゴリオだったが、自分がその当事者になるとは夢にも思わなかったであろう。


「フン、ならばまだ修行が足りんな。見ろ、この牛乳の入れすぎでビチャビチャになってしまっているフレンチトーストを。オムレツも火の通りにムラがあるし、砂糖を入れすぎだ。何より量が少なすぎる」


文句を言いながらも、花の作った手料理をようやく食べ始めた主に、老執事ガーフィールドはニコニコを優しい微笑みを向けた。


容姿が原因で若い独身女性からは嫌われがちなグレゴリオに手料理を振る舞ってくれるような女性はこれまでにほとんどおらず、ましてまともに食べられるものを用意した女性は花が初めてなのだ。


男しかいない使用人たちの間でも、花に対する視線や態度は今のところ半信半疑ではある。『ようやく旦那様にも春が!』と喜ぶ者と、『絶対何か裏がある! 怪しい!』と疑う者。彼はその両方だ。


「……まあ、不味くはなかった。これでアイツの気も済んだだろう」


「それはどうでしょうか」


やがて朝食を終え立ち上がったグレゴリオに、ガーフィールドより小さな包みが手渡される。可愛らしいスミレ色のハンカチに包まれた、グレゴリオの傷跡だらけの武骨な手にはあまりにも小さな包みだ。


「旦那様、よろしければこちらを」


「なんだコレは」


「花様より、愛妻弁当、だそうです。こちらも朝食同様、毎朝早起きしてお作りになられていたのですよ。折角作ったのに勿体ないから、と専らご自身で昼食に召し上がられておりました」


今度こそ、グレゴリオは黙ってそれを受け取るよりなかった。


 ☆


一方花は、自分にあてがわれた部屋で不貞寝をしていた。チャンドラー家の広く豪華な屋敷に似付かわしく、天蓋付きの巨大なベッドは花が5人ぐらい乗ってもまだ余りそうなぐらいに広くフカフカである。


日本で使っていた枕や布団よりも100倍はふわふわなそれらに顔を埋め、ゴロゴロしながらあーとかうーとか面白唸り声を上げながら、花は後悔と自己嫌悪に苛まれる。


(あー、あり得ない。マジあり得ないっしょ。うちが一体何したってゆーのさ。グッチーのバカバカ! ちょっとうちの好みド真ん中の筋肉だからって、調子に乗らないでよね!)


いつもは無駄にハイテンションなのに、或いはその反動か、不貞腐れモードでやや知能が低下しつつある花は布団に包まりながら鬱屈とした気持ちで右にゴロゴロ、左にゴロゴロ。


ベッドの端から端まで転がっていくのに結構な時間がかかるぐらい広いベッドなだけに、落っこちる心配はなさそうだ。あーとかうーとか引き続き唸りながら、花はバフン! と大の字になって天蓋を見上げる。


まるでお姫様みたいな豪奢な天幕に最初のうちはメチャクチャテンションが上がったものだが、数日もすれば左程そこまで喜ばしいものでもなくなってきた天幕に手を伸ばし、細い指先でイジイジと弄くる。


(うち、こんなんでグッチーと上手くやっていけんのかな。いきなり出てけー! とか言われたらどうしよ。行くあても帰れるあてもないってのに。てか、うち一文なしじゃん。電子マネーは使えるわけないだろうし)


電池を節約するためにここ数日オフにしていたスマホの電源を入れる。グレゴリオの怒声で画面がヒビ割れてしまったそれは、当然ながら圏外なわけで。カメラと電卓アプリぐらいしか使えそうなものはない。


(今頃みんな心配してんのかな。パパ、ママ、エッチン……うち、魔法とかのある異世界に来ちゃったよ。エッチンなら大喜びかもね?)


最初のうちこそ理想のゴリマッチョと結婚しろと言われて舞い上がってしまったのだけれど、冷静に考えればだーれも頼れる相手のいない異世界で独りぼっちというのはなかなか精神的にクるものがある。


失恋したショックで衝動的に世を儚んで自殺しようとしていた自分が言えた義理ではないが、もうちょっと家族を大切にすればよかったとか、友達と遊んどけばよかったとか、後悔は募る一方だ。


が、次第にもっとポテチ食っとけばよかったとか、チョコ食いてえとか、もう二度とカレーライスもラーメンも食べられないのかな、などと雑念にシフトしていくのが実に吹雪花らしいと言えばらしい。


「誰ー? ひょっとしてグッチー?」


そんな風にメソメソしていると、不意に花の部屋のドアがノックされる。布団に包まったまま、よいしょっと、と起き上がり、ベッドの上でお姫様座りだ。


「申し訳ございません花お嬢様、ガーフィールドでございます」


「ガーちゃんか。いいよ入って」


「失礼致します」


恭しく入室してきたガーフィールドの手には、グレゴリオと喧嘩して食べ損ねてしまった朝食の代わりか、焼き立てのマフィンや紅茶の乗った銀のトレーが携えられていた。


ぐう、と腹を鳴らした花を笑うこともなく、微笑を浮かべたままの老執事はテーブルの上にそれらを置くと、丁寧な手付きでポットからカップに温かな紅茶を注ぎ始める。


チャンドラー家ご用達の最上級茶葉の香りが湯気と共に室内にふわっと広がり、滅入っていた花の気分をちょっとだけよくしてくれた。花はギャルだが、タピオカティー以外の紅茶も結構いけるクチだ。


「旦那様がご出勤前に、朝食をお召し上がりになられましたよ」


「マジ?」


「はい。表面上は感情を表に出さぬように努めていらっしゃいましたが、お喜びであらせられました」


「マジ? ほんとに喜んでくれた?」


「勿論でございますとも。お弁当のサンドイッチの方も、お持ちになられました」


「そっか……よかった」


人一倍勝ち気で負けん気が強い性分であるため、普段口では強がりを叫びながらも、根は小市民な女、花。あからさまにホッとした様子でベッドにコテンと斃れる彼女を見つめるガーフィールドの目は優しい。


いきなりこことは異なる世界から召喚されたという見知らぬ若い女を屋敷に招き入れざるを得なかった時は警戒したものの、数日接しているうちに彼は花という人間がそこまで悪い人間ではないと見抜いていた。


厳密に言えば、皆の警戒の目を盗んでたいそれた悪事が働けるほど頭がよくないことに気付いた、とも言えるのだが、そこは言わぬが花。変な小賢しさのない素直な若造というのは存外好ましいものである。


「異なる世界より遠路遥々お越し頂きましたのに、肝心の旦那様が無礼を働いてしまい真に申し訳ございません。」


「いや、いいって。ガーちゃんが謝ることじゃないし」


ベッドから下りて、椅子に座り、ガーフィールドが用意してくれたブランチにありつく花。焼きたての熱々マフィンはしっとりとやわらかく、甘く優しく強張った花の心を溶かしてくれる。


そしてガーフィールドが淹れてくれた紅茶。今まで紅茶と言えばペットボトルか紙パックの紅茶しか知らなかった花にとって、達人が淹れてくれる淹れたてのお味はかなりの衝撃だった。


「僭越ながら、旦那様が処女(おとめ)に拘るのにはそれ相応の理由がございます」


ガーフィールドいわく。もう10年以上続いてきたグレゴリオ・チャンドラーの花嫁探しの途中で、演壇や見合いがまとまりかけたことも実は何度かあったのだという。


が、なんてことはない。不審に思いエドワードやできる執事のガーフィールド、グレゴリオ団長を慕う騎士団の者たちが調査した結果、フタを開けてみれば知りたくもなかった酷い真実がボロボロ出てくるばかり。


チャンドラー家の莫大な財産と将軍の妻という地位だけが目的の欲深い女たち。結婚だけしてその後はチャンドラー家の財産を食い潰しながら浮気する気満々の狡賢い女たち。


結婚はするが別の男の子を産んでその子供にチャンドラー家の遺産を相続させようとするどころか、中には他の男の子供を妊娠した状態で嫁に来ようとする厚かましい女たち等々。


誰ひとりとしてグレゴリオという男には目を向けないどころか、汚らわしい、醜いと顔を背けるような地雷物件としか言いようのない、碌でもない女たちの悪事には枚挙にいとまがなかったそうな。


同時にそれは、そんな女たちをグレゴリオの周囲の人間たちが排除してきた歴史でもある。彼は女運は最悪だが、友人や部下、使用人たちにはかなり恵まれたらしい。よかったね、と素直に思う。


「さすがに酷すぎない? うちの元いた世界でもその手の話は結構あったけどさ、さすがに身近なところでそんなことがあったんだと思うとドン引き不可避なんですけど!」


「はい。振り返れば思い出したくもない酷いお相手ばかりでした。それ故に、旦那様はご自分が女性から愛される筈がない、と頑なに心を閉ざしてしまわれたのです」


それこそ妻が妊娠したところで、本当にそいつは俺の子なのか、と疑ってしまう程に。現代日本と違って異世界であるプロティーン王国にはDNA鑑定の方法などない。


もし花が黒髪黒目の子供を産んだ場合、グレゴリオの実子なのかを確かめる術は彼らにはなく、花がどれだけ言葉を積み重ねたところで、それを信じられなければ意味はないのだと。


「だからあんなに口煩くて、おまけに疑り深かったんだ」


「ええ。女性経験のなさから来る余裕のなさ、というのもございますが、それを含めて旦那様は本当に世の独身女性たちからは酷い仕打ちを受け、傷付くばかりの人生を歩んで参りました」


花は吹雪花という女が世の男たちから尻軽っぽい目で見られていたことをよく知っている。頭もお尻も軽いギャル、と不良っぽい生徒たちからちょっかいをかけられて揉め事になったことも一度や二度ではない。


もしグレゴリオの目からもそう見えていたのであれば、なるほどどれだけ言葉を取り繕っても彼からすればとてもじゃないが信じられなかっただろう。


人は見た目が全てではないが、見た目も大事であることは恋多き女花にとって百も承知である。とはいえ、じゃあどうすればよかったのよ、と口を尖らせる権利も彼女にはあった。


「……うち、グッチーに酷いこと言っちゃった。謝らなきゃ」


「花様、旦那様は今晩、いつもよりお早めにお戻りになられると仰っておられました」


「それってつまり?」


「はい。今晩こそはお夕飯をご一緒に、とのことです」


「やっ、たー!」


念願の一緒にご飯に、思わず両手を上げてガッツポーズの花。そんな花に対する疑いが完全に晴れたわけではないが、それでも彼女の笑顔はガーフィールドにとっては好ましいものだった。


屋敷の使用人たちは皆、主グレゴリオの幸福を心から願っている。彼が傷付いた分だけ、同じように傷付いてきた者たちなのだ。だからこそ、花には疑いと同時に期待も向けている。


もし彼女が本当に、今度こそ、今度こそ旦那様を幸せにしてくれるのならば、そのための手助けや協力は惜しまないだろう。


「って、喜んでる場合じゃなかった! グッチー!」


「はい。特別な、初めてのディナーに向けて、是非とも素敵にお洒落を」


「いやいやそうじゃなくて! いやそれも大事だけど! うち、テーブルマナーとか全然分からんのよ! フランス料理とかフランスパンとスイーツぐらいしか食べたことねーし!」


チャンドラー家の食堂はかなり豪華だった。そこでここ数日供された料理も、銀食器が眩い高級料理ばかりだ。


独りで食べる分にはテーブルマナーなど気にするまでもなかったが、グレゴリオとの大切な初めてのディナーで恥を掻くのはあまりによろしくない。


「お願いガーフィールドさん! うちにテーブルマナーを教えてください! これ以上グッチーにガッカリされたくないの!」


「ホホ、それはそれは。とてもよいお心掛けですが、わたくしのレッスンは些か厳しゅうございますよ?」


「う! いやでも、ビシバシお願いします! とりあえずグッチーの奥さんとして恥ずかしくないような立ち振る舞いを覚えねーと、恥掻くのはうち以上にグッチーだもんね!」


数十分後、花は自身の発言を猛烈に後悔するハメになる。が、付け焼刃とはいえテーブルマナーを身に着けられることと使用人たちからの好感度がガッツリ上がることを考えれば、間違いなくよい選択だった。

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