その③

 次の日も、僕は、夏休みを堪能する佐藤恵奈の観察を続けた。その次の日も、また次の日も、どんなに暑かろうが、どんなに大雨が降っていようが、観察を続けた。

 五日目後のことだった。その日、僕は近所の電器屋で買ったデジカメを片手に、佐藤恵奈のアパートへとスキップで向かっていた。

 昨日の大雨で、水はけの悪い路地には黒い水が溜まり、それが、子供が絵の具でめちゃくちゃに塗ったような空を映し出している。大雨の後の地面に現れた大きな鏡の上を踏みつけながら、僕は走った。裸足にサンダルなので、濡れることには抵抗はない。むしろ、ひやっとした液体が足の裏に染み付く感覚が心地よかった。

 さてさて…、早速、新しいデジカメの効果を確かめるとしますか!

 首に下げたストラップに着いたデジカメケースから本体を取り出す。

 最新型なだけあって、なかなか高かったが、コンパクトで握った時の感触も良い。ベランダの蜘蛛で試し撮りしたが、画質も申し分なかった。

 ふふふふ…、これで佐藤恵奈の写真を…。

 不敵な笑みを浮かべてアパートの裏に回り込む。

 もう工事は終わったのか、「この先工事中」の看板が無くなっていた。

 その看板があったところに、五十嵐伊織がビニールシートを敷いて腰を掛けていた。

 僕が駆け寄ると、彼女はうつらうつらしていた目を開けて、ひょいっと手を挙げた。

「よっす! ヨシアキ!」

「おはよう、五十嵐伊織」

 なんか、会ったらこういうことをする関係になってしまったな。

「最近、来てなかったけど、どうしたの?」

 この五日間、彼女の姿を見なかったことを言うと、五十嵐伊織は気まずそうに頭をかいた。

「いやあ…、お母さんが部屋に押し掛けて来てねえ…、『お前がストーカーしてるって噂を聞いた』って…、ぼこぼこに怒られちゃったのよ」

「え…、大丈夫なのか?」

 僕が真っ先に心配したのが、ゴキブリ男の盗撮写真だった。

「ああ、大丈夫大丈夫。咄嗟に、圭太君のグッズは押入れに隠したから、捨てられたりはしてないからね」

 五十嵐伊織はむすっとして、腕を組んだ。

「お母さんも、あのアバズレも、私の圭太君に対する愛情を甘く見過ぎなんだよね。私は、圭太君の全てが大好きなのよ。彼の足の指先から、頭の渦まで大好き。圭太君のおしっこなら飲めちゃうね」

「急に汚いこと言うなよ…」

「あんたも、佐藤恵奈のうんこは食べられるでしょ?」

「いや、佐藤恵奈はうんこなどしない」

「どこかのアイドルかな?」

 それは置いておいて、五十嵐伊織はいつものポシェットに手を入れると、何かを取り出して僕に渡した。

「はい、頼まれていた写真!」

「おお、待ってました」

 僕は頬を緩ませて、彼女が差し出してきた写真を受け取った。

 うひひひ…、この五日間待っていた…、佐藤恵奈の写真…。

 見た瞬間、身体が氷像のように凍り付く。

「いやあ、やっぱデジカメだから、画質は荒いね。一眼レフがあればよかったんだけど…」

「いや、なにこれ?」

「写真だけど?」

「そうじゃなくてさ」

 僕は彼女の童顔を殴りたくなるのを抑えて、写真の端を指さした。

「これなに?」

「アバズレ」

「じゃねえだろ!」

 彼女が渡してきた写真の中央に、ベランダに立つ半裸のゴキブリが写っていた。その隣には、本来なら佐藤恵奈が写っているはずなのだが、そこだけ、修正液を塗りたくったように真っ白になっていたのだ。

「なんで消した!」

「いや、だって邪魔だし…」

「僕に渡すときは残しとけよ!」

「簡単よ? パソコンに取り込んで、編集ツールを使えば、簡単に消せたわ。存在も消えてくれたらよかったのに」

「おい戻せ! 今すぐ戻せ!」

 僕は五十嵐伊織の胸ぐらを掴むと、上下に揺さぶった。

「え、ちょ…、や、やめて…、あ、だめ、酔う」

 数回揺さぶっただけで、彼女は目を回して、その場に膝まづいた。一瞬口を抑える素振りを見せたが、次の瞬間、口をぷくっと膨らませて、その場に戻した。

「うええええええええ…」

「三半規管弱すぎだろ…」

「う、うひひ…、か弱い女子は、男子に持てるのよ? うひひひひおええええええええ…」

「道端でげろ吐く女子はモテないと思うけどなあ…」

「失礼な…、圭太君なら、私の吐いたゲロくらい、喉を鳴らして飲んでくれるわ」

「さっきからやめろよ! 気持ち悪いんだよ!」

 僕は、佐藤恵奈の部分だけが真っ白に染め上げられた写真を五十嵐伊織に突き返した。半裸の男子の写真をもらったって嬉しくない。

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