その③
僕は女の方に駆け寄り、声を押し殺して言った。
「おいおい、こんなところで何をやっているんだ」
「なにをって…、そりゃあ、圭太君を見に来たに決まっているじゃない」
へへんと鼻を鳴らして、堂々と言う。
僕は彼女が寝ぼけているのだと思い、丁寧に説明してやった。
「馬鹿か。ここは佐藤恵奈のアパートだぞ? ゴキブリがいるわけないじゃないか。無論、本物のゴキブリもだ。彼女の吐く息は全てを浄化するからな、彼女の部屋は無菌状態なんだよ」
「うん、多分、馬鹿なのはあんただと思う」
「あ?」
「ほら、見なさいよ」
女は小さくて細い指をアパートのベランダに向けた。
「あの、佐藤恵奈のパンティの横にある…、ほら、あの黒いボクサーパンツ」
「おうおう。あれだな」
「あれ、何かわかるでしょ?」
「佐藤恵奈が男装に使ってる」
「うん、馬鹿だね」女は呆れたように肩を竦めた。「あれは、圭太君のパンツ!」
「は? ゴキブリでもパンツを穿くのか?」
「だから、ゴキブリじゃないから…」
女は、「やめてくれる? 話がいちいち進まないのよ」と、僕を恨めしく見た。
「昨日、あんたと別れてからも二人の観察を続けたんだけど…、圭太君はね、佐藤恵奈のアパートで一夜を過ごしたのよ」
「え…」
佐藤恵奈の部屋に、あのゴキブリが泊った?
女は悲しそうな、でも、どこか嬉しそうに、にまっと笑った。
「この意味がわかるでしょ?」
「ああ、わかる。佐藤恵奈の無菌空間にゴキブリが入ったってことだろ? あいつ…、消滅するぞ…」
「うん、馬鹿だね」
女はため息をつくと、女にはあるまじき卑猥な言葉を使い始めた。
「セックスよセックス。性交渉。あの二人は、生まれた時の姿で抱き合って、もう、イチャイチャし合ったのよ」
「おまえ…、なに卑猥な言葉を使っているんだよ…」
そういう話に免疫が無い僕は、顔が赤くなるのを感じながら女の口を塞ごうとした。
そんな僕を見て、女は面白そうに笑うと、さらに続けた。
「じゃあ、言葉を変えてあげる。子作りね! 圭太君の陰核が、佐藤恵奈の膣に挿入されて、上下動するときの刺激で、二人は快感を覚えて…、そして、絶頂! 解き放たれた精子は、佐藤恵奈の子宮に向かって泳ぎだして」
「うん、やめろ」
僕は女の頭をぽかっと殴った。女は「うへ!」と悲鳴を上げて、その場に蹲る。涙目になりながら顔を上げると、しつこく言った。
「とにかく…、あの二人は、セックスしたの!」
「そうか…、ゴキブリと佐藤恵奈がか…、人間とゴキブリの子供って、なんだ?」
「うん、馬鹿だね」
まったく話が通じない僕に、女は飽き飽きしながら言った。
「圭太君の童貞は私がもらうつもりだったけど…、まあ、圭太君のパンツの色を確認できただけ良しとするわ」
手に持っていたファンシーなメモ帳に、「圭太君のパンツの色は黒」と記入する。
例えゴキブリとは言え、大好きな男の貞操を他の女に奪われたというのに、女はどこかさばさばとしていた。僕はその様子が気になって聞いた。
「いいのか?」
「そりゃ、嫌だけど…、最終的に、圭太君の陰核に貫かれるのは私だしい? そのために、処女護ってるしい? 今は見向きもされていないけど、『最後に勝つのは私』だしい?」
「そうなのかだしい?」
「うるさい、人の真似をするな」
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