その②

 蜘蛛のことを諦めた僕は、気を取りなおして、机の本棚に立てかけられたアルバムを抜き出し、パラパラと捲る。計十三冊にも及ぶそのアルバムには、この半年の間に僕が撮りためた佐藤恵奈の写真が収められていた。

 うーん、どの佐藤恵奈も美しい。本物はもっと美しい。

 あのストーカー女にデジカメを壊されたものの、幸いSDカードは無事だった。パソコンにスキャンしてみたが、全部残っていて安心したよ。彼女の写真は一枚たりとも逃してはいけない。彼女の生きている証だからね。思い出の中に閉じ込めるんじゃなくて、僕はちゃんと形として残したかった。

「さて、そろそろ時間か…」

 僕はスマホの時計を見てそう言うと、アルバムを本棚に戻した。

 待っていてくれよ。帰ったら、撮った写真を現像しよう。そして、「佐藤恵奈写真集第十四巻」を刊行しようじゃないか。

 いつもの議式を済ませた僕は、スキップしそうな勢いで、部屋を飛び出した。

「わはははは! 待っていてくれよ! 佐藤恵奈!」

        ※

 昨日の教訓を生かし、僕は自転車を使って、佐藤恵奈の住むアパートに向かった。

 すぐ近くの公園に自転車を停めて、カチンと鍵を掛ける。

 公園の遊具の傍に寝転ぶ薄汚れたホームレスを片目に、公園を出て、路地を少し進んだ先にある佐藤恵奈のアパートの前に立った。

 ええと…、佐藤恵奈の部屋は、二〇五号室か…。

 空を仰ぐようにして上を見るが、この位置からだと扉しか見えない。

 僕は一度アパートの裏に回り込み、そこから佐藤恵奈の部屋を見上げた。

 カーテンがされた窓から、蛍光灯の白い光が洩れ出ていた。狭いベランダには、佐藤恵奈がよく好んで着ているワンピースやTシャツ、ジーパン。それに、ブラジャーやパンティが干されていて、朝の生温かい風に吹かれてそよそよと揺れていた。

「…うむ、眼福かな」

 世には、憧れの女性の下着を盗むという輩がいるらしいが、僕はそんなことはしない。ブラジャーにパンティは眺めているだけで十分だ。それに、僕が盗ってしまったら、彼女が困るからな。僕は犯罪には手を染めないと心に決めているんだ。

 僕は、初めての小学校に目を輝かせる小学生のように、ベランダに干してあった彼女の衣類を見つめる。赤色、赤色、赤色。うん、美しいな。

 彼女の肌に触れるだけで、そんなブランドの服だろうと、スーパーで買えるような安物だろうと、それは唯一無二の代物に変わる。彼女の身に纏った布は、捨てられて燃やされると、灰となって空に舞い上がり、天国へと続く道のレッドカーペットとなるのだ。

 せっかく、宝物が目の前にあるんだ。手にはとれないにせよ、せめて写真を…。って、昨日、あのストーカー女に壊されたんだっけな。

 写真が撮れないことを思い出した僕は、ぐっと目を見開いて、佐藤恵奈の衣類を見つめた。せめて瞼に焼きつけておこうとした。

 その時、僕はベランダに干された彼女の衣類の中で、明らかに彼女が身に着けないようなものが紛れていることに気が付いた。

「うん?」

 佐藤恵奈の下着の横…。黒いボクサーパンツが吊られている? 

 それだけじゃない。その横には、男用のTシャツが、彼女のスポーツTシャツと一緒に仲良く並んで風に揺れていた。

「な、なんだ? あれは…?」

 佐藤恵奈が、男用の下着と、Tシャツを干している? なんで? まさか、男装趣味でもあるというのか? いやいやいや…、うん、ありえないかもしれないが…、悪くはないな。男装をして、ボーイッシュに振舞う佐藤恵奈…、うん、最高じゃないか。

 僕は佐藤恵奈のどんな姿でも、こう、大海原のような広い心で受け止めてやろう。

 その時だった。

「うひひひひ…」

 聞き覚えのある女の声が、僕が立っている場所から少し離れている電柱から聞こえた。

 僕は電気に触れたようにその場から飛びのき、身体を電柱の方に向ける。

 電柱の陰に隠れるようにして、昨日のストーカー女が立っていて、「うひひひひ」と悪役のような笑みを浮かべながら、佐藤恵奈のアパートを見上げていた。

「あ!」

 思わず声が出る。女の方も僕に気が付いたようで、「あ!」と声をあげた。

 それから、お互いに「「しー!」」と言い合う。

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