その⑦
「あんたが、佐藤恵奈を奪ってくれたら、私は圭太君にアタックできるわけ! あんたは佐藤恵奈と付き合ってハッピー、私は圭太君と付き合えてハッピー! 二人は幸せにいつまでも暮らしましたとさ! 大団円! ってなるでしょう?」
「ほうほう、なかなか面白い話じゃないか」
この女があのゴキブリと付き合えるかどうかは別として…、僕と佐藤恵奈は付き合う…、ちょっと幼稚だな。つまり、「恋人同士」になるという運命は、神によって決定づけられている…!
「君がわざわざ僕に願う必要は無い。だって、付き合う運命にあるんだから」
「ああ、そう、それなら安心」
女はめんどうくさそうな顔をして頷いた。
僕は、女の趣味の悪さを笑った。
「しかし、お前も変な趣味をしているな。あのゴキブリが好きだなんて」
「あ?」
「ゴキブリと付き合って何をするってんだよ。真心籠った残飯でも振舞うのか?」
すると、今まで顔を引きつらせて何かに耐えていた女が、顔を真っ赤にして叫んだ。
「ああもう! さっきからゴキブリゴキブリって、むかつくわね! 圭太君はそんな人間じゃないっつーの!」
がばっと立ち上がると、汗臭い身体で僕に飛びついた。
まるで子供の癇癪のように、僕の髪の毛をむずっと掴み、頭皮をひっかく。
「いたっ!」
「圭太君はねえ! 王子様なの! 私の王子様! シンデレラとか白雪姫なんて屁でもないわ! 彼が呼吸するたびに、日本に飛来する黄砂が無くなるの! 北朝鮮のミサイルだって、彼のウインクで簡単に打ち落とせるの! あんた、圭太君に見つめられたらどうなるのかわかってるの? 心臓ばくばく! 血流がよくなって、肌荒れ改善! ストレスフリーで毎日充実!」
女は「ほら!」と言って、僕に自身の顔をぐいっと近づけて来た。
確かに、ニキビ一つ無い綺麗な肌だ。ってか、白いな。こいつ、ちゃんと飯食っているのか?
暑苦しいので、とりあえず引っぺがした。
それでも女は、ぎりっと歯を食いしばり、僕に詰め寄る。
「私の王子様は! 圭太君なの!」
「だったら、僕のお姫様は佐藤恵奈だ!」
「だから!」僕の顔を、両手で挟み込む。「あんた、絶対に佐藤恵奈をものにしなさいよ」
「お前がゴキブリと付き合おうが、どうなろうが、僕に関係無い」
「きい! この男むかつくう!」
女はヒステリックを起こしたように叫ぶと、その場で髪の毛を掻きむしり、地団太を踏んだ。
その時だった。
「おーい、ちょっといいかな」
聞き覚えのある声。僕と女は怒りを忘れて、一斉に路地の出口に目を向けた。
路地に差し込む陽光を背に、先ほどのお巡りさんがにこやかに立っていた。
「いやあ、逃げられたかと思ったけど…、ここから喧嘩する声が聞こえたから、見つけられたよ。もしかして、わざとやっている?」
なんだろうな? このデジャブは。
僕と女は、油切れを起こしたロボットのように首を動かして、お互いに見つめ合った。
お巡りさんが言う。
「とにかく、話を聞かせてくれないかな? 誰が女神さまで、誰が王子様なのか…」
次の瞬間、僕と女は蜘蛛の子を散らすように走り出した。
三度目の全力疾走は、心臓と肺に悪い。
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