第一章 「ストーカー女」
「ごめんなさあああい…」
ガサッ! と、植え込みが揺れる音がしたと思うと、立ち上がろうとしていた僕の右隣で、震えた女の声が聞こえた。
え…?
再び、身体が硬直する。反射的に息を殺して、葉の隙間から外の様子を伺った。
佐藤恵奈の観察に夢中で気が付かなかったが、僕の隠れているツツジの植え込みには、隣人がいたのだ。
「ごめんあさああああいい…」
女の子…。
肩まで伸びた栗色の髪の毛。幼げな顔に、一五〇センチほどの小さな身体は、中学生を彷彿とさせた。身に纏ったカットソーと、控えめなレーススカートが全体的にぶかく見える。
誰だ?
僕の隣の植え込みに隠れていた女は、佐藤恵奈の剣幕に涙目になりながら「ごめんなさい」と繰り返していた。
謝罪する女に、佐藤恵奈は構わず彼女の栗色の髪の毛を鷲掴みにした。
「このクソ女! 人のことストーカーしてんじゃないわよ!」
「ごめんなさいごめんなさい」
「あ! これで盗撮してたのね!」
ぶちっという音がした。
女の首に下げられていた一眼レフの紐を、佐藤恵奈が引き千切ったのだとわかった。
「次、こんなことしたら、本気で警察呼ぶからね!」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
「もう私らの前に現れないで!」
次の瞬間、佐藤恵奈は、彼女から取り上げた一眼レフを、テラスのデッキに叩きつけた。
ガシャン! と、一眼レフが破損する音が響き渡る。欠けた破片が、僕が隠れている植え込みの中にまで飛んできて、僕の靴のつま先に触れた。一応、佐藤恵奈が触ったものなので、回収をしておく。
このくそ女! 佐藤恵奈はそう吐き捨てると、ゴキブリ男の方に戻っていって、手を繋いで店から出ていってしまった。
佐藤恵奈以外にこのカフェで食事をしていた者たちは、コーヒーを飲む手を止めて、「何事?」と、植え込みの中に突っ立っている女を見ていた。十秒もすると、この店のアルバイトであろう若い女の店員が「どうしたのですか!」と、注文票を片手に、女の元に駆け寄ってきた。
「あの…、お客さん…、ですか?」
「いや」女は栗色の髪の毛を揺らして否定した。「ちがいます」
「え、じゃあ、なんですか?」
こういったトラブルには慣れていないのだろう。若い店員はその場に立ち尽くしておろおろとしていた。
女は「ちっ!」と舌打ちをすると、植え込みから半歩身を乗り出して、デッキの上に散らばった一眼レフだったものを拾い上げる。
「あーあ、せっかく撮り溜めていたのに…、データ、復旧するかなあ? あ、だめだ、あのアバズレ、SDカードを持ち去りやがった…」
一眼レフにデータが残っていないことを確かめた女は、舌打ちとともに、拾い上げていた一眼レフ遺骸をぺいっと放り出す。
「うひひひ…、まあ、こんなに簡単に諦めてたまるかって話だもんねえ…、うひひひい…」
そんな気持ち悪い笑みを浮かべる女。
すると、髭を生やした、このカフェの店長らしき男が出てきて、女に言った。
「うん、警察は呼んだからね」
「ひえっ! それは御免だね!」
女はそう言い残すと、植え込みをかき分けて、向かいの道路に飛び出した。小柄な身体で、道行く通行人をさらりさらりと躱すと、歩道の向こうへと消えてしまった。
ふむ、何だったんだ? あいつ…?
僕は植え込みから、ワニのように頭の半分を出して、彼女の走っていった先を見た。
僕の隣に潜んでいて…、一眼レフカメラで、佐藤恵奈を盗撮。
む? 盗撮? むむむ! 盗撮!
ああ、なるほど、彼女も僕と同じ、佐藤恵奈に魅了された者の一人か!
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