Phase 09 邂逅

 数分後。スーツを着た長身の男性が目の前に現れた。記憶を取り戻した今だからこそ分かるが、彼は明らかに酒井任である。

「僕だ。鯰尾薫だ。酒井くん、僕の事は覚えているか」

「もちろん、覚えている。まさか、薫が歌舞伎町のネズミだとは思わなかった」

「どうして、こんな事に手を染めたんだ。酒井くんは真面目で、頭も良かったはずだ。ヤンキーとの付き合いなんて、あるはずがない」

「まあ、なんていうか、成り行きかな? 就活に失敗して、歌舞伎町を彷徨っていた俺は、とある半グレ集団から『スカウト』を受けたんだ。確か名前は『川崎愚連隊』だったかな。名前から『川崎を拠点にしている半グレ集団だろう』とは思っていたが、その実態は半グレ集団と言うより犯罪集団だったよ。違法薬物の売買や闇カジノの運営、更には女性を犯すことも厭わなかったんだ。俺は正直こんな集団に骨を埋めるのが怖かった。けれども、メンバーの1人から『君の頭脳が必要だ』と言われた。確かに俺は高校を卒業した後、東都大学に進学した。しかし、東都大学での4年間はつまらなかった。次第に就職活動が始まっても、俺はそういうのに馴染めなかった。色々な企業の面接を受けたが、結局送られてくるのは『お祈りメール』だった。つまり、俺は誰からも必要とされていなかったんだ」

「だからって、犯罪に手を染める事に抵抗はなかったのか」

「それはなかった。犯罪だとも思っていなかった」

 その言葉に、僕は思わず酒井任を平手打ちした。乾いた音が、会議室に響き渡る。

「痛いな。俺は父親にすら殴られた事が無かったのに」

「酒井くん、君がやっている事は紛れもない犯罪行為だ。いい加減、目を醒ましたらどうだ」

「お前こそ、こんな探偵ごっこを辞めたらどうだ?」

「そうか、僕がやっていることは探偵ごっこなのか。上等だ。ならば、探偵らしく振る舞ってやるよ」

「それはどういう意味だ」

「くっ……」

 僕が発した言葉に、酒井任は黙り込む。当然だろう、彼は数多あまたの犯罪に手を染めてきた。僕から言える事は、もうないに等しかった。だからこそ、彼には罪を白状してほしかったのだ。数分の沈黙のあと、酒井任は口を開いた。

「そうだな。まずは、とある高校のスクールカウンセラーにMDMAを渡した話でもしようか。長い期間ニュースになっていたから、薫も当然知っているだろう」

「当たり前だ。その事件に関わっていたからな」

「そうか。ならば話は早い。スクールカウンセラーの名前は覚えているか」

「覚えている。川口蓮という名前だった。彼は田宮高校という高校のスクールカウンセラーを勤める傍ら、手押し業者として歌舞伎町で暗躍していた。僕がそれを突き止めて、お縄にかけたのは言うまでもない。何でも、彼は祖露門の一員だったらしい」

「矢っ張り、バレてしまったか。川口蓮は俺たちが用意した高収入バイトに引っかかった。歌舞伎町で手押し業者とくれば、報酬も弾ませてもらうからな」

「しかし、子供たちを薬漬けにすることに抵抗はなかったのか」

「そりゃ、俺は反対したよ。況してや、スクールカウンセラーとして学校にヤクの売人を送り込む訳だからな」

「矢っ張り、その辺の良心はまだ残っていたのか。なんだか酒井くんらしいな」

「らしいとはなんだ」

「真面目なところかな」

「そうか。俺は真面目なのか。生きていて今までそんな事を考えたことは無かったからな。寧ろ、それが当たり前だと思っていた」

「なるほど。なんだか半グレらしくないセリフだな」

「話題を変えようか。薫は、ホス狂いを知っているか」

「ああ、もちろん知っている。も知っているよ」

「クソッ……」

「その様子だと、『ホス狂い連続毒殺事件』に関わったのも祖露門だったわけか」

「そうだ。一連の毒殺事件の黒幕である雲雀丘彪流の本名は興梠雄介。そして、祖露門のNo.2は興梠篤人だよ。勘のいい薫なら気づくはずだが、2人は兄弟だよ」

「そうか。道理で何か違和感を覚えたはずだ」


 僕が「興梠篤人」という名前に違和感を覚えたのは、鎌田悦子に頼んで資料をコピーしてもらったときの事だ。

「薫くん、ちょっといい?」

「碧、どうしたんだ」

「『興梠』って名字、珍しいはずなのに祖露門に2人もいるじゃないの。もしかしたら、2人は血縁関係を持っているんじゃないのかなって思って」

「言われてみれば、そうだな。興梠という名字は九州地方に多いと言われている。手帳に書いてあったメモで思い出したんだけど、雲雀丘彪流という源氏名のホストがいたらしい。彼の本名のところに『興梠雄介』と書かれている」

「あの思い出したくもない毒殺事件の黒幕ね。確かに、雲雀丘彪流の本名は興梠雄介で間違いないわ」

「ありがとう。お陰で少しだけあの時の事を思い出せたような気がする。仮に興梠雄介が祖露門の関係者だとしたら、重要な手掛かりになり得る」

「そう? だったらいいんだけど」


「ご明察。興梠雄介は祖露門のメンバーでは無いが、関係者であることに変わりはない。彼は雲雀丘彪流という源氏名を引っ提げてとあるホストクラブに勤めていた。ホストクラブの名前は知っているか」

「知っている。童顔少年団だろう?」

「矢っ張り、記憶を取り戻したお前は何でも知っているんだな。2週間の記憶しか保てないという足枷あしかせがあったほうが良かったのではないのか」

「それは流石に困るな。ともかく、童顔少年団に雲雀丘彪流、もとい興梠雄介を送り込んだ祖露門は、童顔少年団ごと祖露門に引っ張り込む気だったんだな」

「そうだ。興梠雄介を媒介にしてまるごと祖露門の傘下にするつもりだったからな」

「童顔少年団は歌舞伎町でも最大規模を誇るホストクラブだ。彼らを祖露門に引き込めば、客は知らず知らずのうちに祖露門に対してカネを落とすことになる。童顔少年団としても、祖露門としても、これはWin-Winの関係になる。つまり、そういうことだろう?」

「正解だ。ホストクラブは俺たちにとってスポンサーになり得る存在だ。少しでもスポンサーを獲得できれば、活動資金もこちらに回ってくる。もちろん、雀の涙程度だが颯天会にも活動資金が回ることになる」

「そして、ライバル店に『推し変え』した客を怨恨で殺害したと」

「そういうことだ。客が減ったらこちらとしても売上が減ることになる。それだけは避けたかった。だけど、彼女たちはこの店を裏切った事になる。だから死んでもらった」

「それだけの理由で、人を殺したのかッ!」

「冷静になれよ。俺が殺したわけじゃない。殺したのは飽くまでも興梠雄介だ」

「それは分かっている。けれども、人殺しは赦されざる行為だッ!」

「まあ、興梠雄介はおりの中で反省しているところだろう。次の話だ。プリティ・プリンスの一連の騒動を、薫はどう思っているんだ」

「君たち祖露門が関わっていると分かった上で話すが、プリティ・プリンスのメンバーは元ヤンで構成されていたのは分かっていた。しかし、弱みに付け込んだのはとても卑劣な行為だと思っている。この手でプリティ・プリンスを掌握したことになるからな」

「俺も、正直現役アイドルを巻き込むことには反対したが、とある暴露系インフルエンサーに脅されてから焦っていたんだ」

「その暴露系インフルエンサーって、もしかして西谷和義のことか」

「よく知っているな」

「君たち祖露門にとっては残念な話だけど、西谷和義と歌舞伎町トラブルバスターズはコネクションを持っている。つまり、どう足掻あがいても祖露門に勝ち目は無いってことだ」

「どこで西谷和義とコネクションを結んだんだ」

「依頼が入って来たんだよ。調という依頼がね。この動画を見たら、善く分かるんじゃないのかな」

「……見せてもらおうか」

 仕方ないので、僕は酒井任にスマホでにっしーチャンネルの動画を見せることにした。


「どーも!暴露系インフルエンサーのにっしーですっ! 今日は、あの人気アイドルグループ『P』に関する続報を伝えたいと思います。この続報は、今日が最終回となります! もう、僕から話す事は何も無いからです。結局のところ、『P』が半グレ集団である『祖露門』とコネクションを持っていたのは紛れもない事実でした。先日の謝罪会見、見ました? 頭を下げる『J.M』の情けない姿が、とても滑稽でしたね! アンチは『ざまあみろ』と思ったじゃないでしょうか? それはともかく、『J.M』は『Y.I』と共に動画サイトで新たなチャンネルを立ち上げたようです。そこで、僕に対して恨み辛み語っていたようですが、正直僕は屁とも思っていません。寧ろ、当然の報いだと思っています。この話は、もうおしまいにしましょう。それでは、チャンネル登録お願いしますね!」


「ネズミとゴキブリが手を組み合うとは、けがらわしいな」

「そうか。僕たちがネズミだとしたら西谷和義はゴキブリか。上手いたとえだな」

「そうだ。アイツは俺たちの周辺を嗅ぎ回っていたゴキブリのような存在だ。常に監視されているような気がしていたからな。それで、話すことはもう無いのか」

「無いな」

「じゃあ、死んでもらおうか」

 僕の額に銃口が突きつけられた。酒井任は、勝ち誇ったような笑みを浮かべている。そして、僕は「答え」を返した。

「そうだな。僕に生きる価値なんてない。それは24年生きていて常に思っていた。だから、死ぬことは怖くないし、死んだところで誰も僕をとむらってくれない。どうせ弔ってくれるとしたら、君ぐらいだ」

「そうか。しかし、俺は半グレ集団のメンバーだぞ? 薫とは正反対の存在じゃないか。どうせ葬儀でも出禁を食らうのがオチだ」

 心臓の鼓動が、早鐘を打っている。これが、「死ぬ間際」の感覚なのだろうか。それとも、僕は「死ぬということ」を恐れているのだろうか。拳銃の引鉄が、引かれていく。カチャリという音が、会議室に響き渡る。僕は、瞼を閉じた。もう、どうなってもいい。その時だった。会議室のドアが、開かれた。

「待ってくれ! 鯰尾君は、まだ死ぬべきではない!」


 ――律が、息を荒げてこちらを見つめていた。

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