Phase 02 可能性はゼロじゃない

 数日後。僕は無事に退院することが出来たのだけれど、矢張り綺世は意識を取り戻さない。集中治療室のベッドの上で、綺世は瞼を閉じている。微かな呼吸音と、無機質に鳴り響く心電図の音が、辛うじて「綺世が生きている」事を僕に伝えている。

「綺世、ごめん。あれは僕の判断ミスだ。結果として僕は一命を取り留めたけど、綺世は意識を失ってしまった。もちろん、これは僕の責任だ」

 綺世に話しかけても、意識を取り戻さない限りはただの植物人間である。もしかしたら、綺世は死の淵で自ら戦っているのかもしれない。でも、僕にそんな事が分かるはずがない。なんとなく、僕は綺世の右手を握りしめる。それで「何か」が分かるかも知れなかったからだ。

 映像が見える。これが綺世の記憶なのだろうか。祖露門のメンバーとの密会が、「そこ」に映し出されていた。

「綺世、矢っ張りお前は怪しい」

「どういう事だ」

「肝心なときに限ってお前は表情が曇っている。田宮高校のスクールカウンセラーに薬物を渡したときも、『童顔少年団』のホストに毒物を提供したときも、お前はなぜか表情が曇っていた。もちろん、先日アイドル相手にオンラインカジノの宣伝を任せようとしたときも、お前の表情は曇っていた。これは一体どういう事だ」

「そ、それは……」

「言い逃れしても無駄だ。お前はもう『祖露門』のメンバーではない。つまり、お前は裏切り者として追放されるのだ」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」

 あれは、酒井任? そして、彼は馬乗りになって綺世の顔を殴っていた。鈍い音が、周辺に響き渡っている。殴られているスキを見て綺世は祖露門のアジトから逃げ出して、僕たちのアジトへと向かっていった。しかし、迫る追手から逃げ出すことが出来るのだろうか。映像の中とは言え、僕はそれが心配だった。やがて、僕たちのアジトが見えてくる。しかし、同時に火炎瓶を持った祖露門のメンバーもそこに迫っていた。そこから先は、あの火事の記憶へとつながっていく。僕が「ビルの窓から飛び降りる」と言い、綺世は僕に次いで飛び降りた。黒いゴミ袋が、地面へと近づいてくる。「ドンッ」という鈍い音が鳴り響いて、そこから先の映像は途切れてしまった。流石の僕でも、これ以上の映像を見ることは不可能である。手詰まりだ。


 集中治療室を後にした僕は、碧のマンションへと向かった。要するに「仮のアジト」である。碧が住んでいるマンションも所謂「ヤクザマンション」である。ヤクザマンションといえば、あの忌々しいホス狂い連続毒殺事件を思い出すが、事件現場となったヤクザマンションとはまた別のヤクザマンションである。当然、ワンルームなので僕と碧と律と拓実、そして彰悟の5人で部屋はぎゅうぎゅう詰めだった。

「新しいアジトを伝えたのはいいけど、矢っ張り5人も入ると狭いわね」

「仕方ないだろ。これで綺世が意識を取り戻すと6人になってしまう。なおさらぎゅうぎゅう詰めだ。ところで律、『相談窓口』は無事だったのか」

「多少の荒らしやハッキングはあったけど、無事だ。一応データのバックアップも取っていたから、アジトが焼け落ちてもサイト自体は問題ない」

「流石元システムエンジニア志望だけあって、リスク管理はしっかりとしているな」

「これぐらい、常識ですよ」

「そうだな」


 僕は、拓実にも話を振ることにした。そう言えば、最近会っていなかったな。

「薫、ちょっといいか」

「拓実、どうしたんだ」

「祖露門と颯天会は裏で繋がっているって話、前にしましたよね」

「残念ながらその時の記憶は忘れている」

「覚えといて下さいよ……。一応俺は組織犯罪対策部の刑事っすよ? 機密事項をお前らに話すのもコンプライアンス的にどうかと思うが、どうやら近日中に颯天会の本部で大きな集会が行われるらしいっす。もちろん、祖露門のメンバーもその集会に招待されていると思うっすよ」

「そうか。つまり、その集会を叩けば祖露門を壊滅に導けるのか」

「ビンゴっす。颯天会を壊滅に導けるかどうかは分からないけど、半グレ集団ぐらいなら壊滅出来るっすよ」

「じゃあ、僕はその手に乗るよ」

「ありがとな。俺も一応『歌舞伎町トラブルバスターズ』の一員っす。情報提供ぐらいはいくらでもしてやるっすよ」

「助かるよ」

 そして、僕は拓実とグータッチを交わした。ふと見ると、拓実の腕に赤いバンダナが巻かれている。これは、僕に何かを伝えるためだろうか。僕は、拓実に話を聞くことにした。

「拓実、そのバンダナは何なんだ」

「あぁ、ただのゲン担ぎっす。特に意味はないっすよ」

「そ、そうか……」

 恐らく、このバンダナは拓実にとってのお守りなのだろう。もしかしたら、彼のプライベートにも関わる話だし、詮索はやめておくことにしよう。


 相変わらず、俺は鯰尾薫という人物が善く分からない。いい人なのは分かっているのだけれど、なにか裏の顔があるのではないのか。まあ、こんなところで仲間割れを起こしても不都合が生じるだけだし、俺は俺らしく自分の責務をまっとうとするだけだ。それに、颯天会を壊滅させるなんて理論上不可能だ。最悪の場合俺たちが壊滅させられるかもしれない。それでもいいのだろうか。まあ、こんな事を考えても野暮なので、俺は黒いコーヒーを一口飲んで警視庁へと戻っていくことにした。


「薫、この部屋狭くないっすか?」

「彰悟、それは仕方ない。ここは一応ワンルームマンションだ。ところで、彰悟からは何か颯天会や祖露門に関する情報は持っていないのか」

「うーん、特にこれといった情報は無いなぁ」

「そうか。なら、仕方ないな」

「まあ、そもそもの話僕は昔勤めていたホストが颯天会のフロント企業でしたからね」

「その時に、気になるホストとかはいなかったのか?」

「あー。そう言えば、源氏名しか覚えていないんですけど、北条結弦ほうじょうゆづるというホストが怪しいなと思っていました」

「北条結弦か。そう言えば、テレビで良く見るカリスマホストもそんなような名前だったな。彰悟、まさか彼が颯天会の組員と言いたいのか」

「どうなんでしょうね。正直僕にも分からないですよ」

「そうだ、ちょっと颯天会に潜入してくれないか」

「いきなりなんですか!? 僕にそんな任務が務まるんですか!?」

「イチかバチかだ。北条結弦の素性を調べて欲しい」

「……分かりました。やってみます」

「そうだ、その心意気だ。ちなみに、颯天会の本部は分かるな?」

「分かりますよ。確か……六本木の一等地にビルを構えていたような」

「正解だ。少々ハードな任務になるが、報酬は弾んでやる」

「ありがとうございます!」

 そして、僕は彰悟を「ヤクザ」として六本木に送り出すことにした。今どきのヤクザはインテリヤクザが多いので、恐らく彰悟のような身なりでも通じるだろう。健闘を祈る。


 僕は碧と2人きりになったので、綺世の事について話すことにした。

「ところで、綺世くんは意識を取り戻したの?」

「残念だが、未だに意識を取り戻していない。これから、病院へ行ってくる」

「行ってらっしゃい。なんだか厭な予感がするから、これ持っていって」

「何だこれ?」

「怪獣のぬいぐるみよ。どうやら、綺世くんはそのぬいぐるみを大切にしていたようね」

 緑の怪獣のぬいぐるみが、僕に手渡される。これは、ガゼラのぬいぐるみか。確かに、子供の頃から綺世は常にそのぬいぐるみを大事にしていたような気がする。

「そのぬいぐるみ、どこから見つけてきたんだ」

「ゴミ置き場かな? 例の雑居ビルから飛び降りたときに置かれていたわ。随分とボロボロになっていたから、アタシの方で直しておいたわよ」

「もしかしたら、このぬいぐるみを見せたら綺世は意識を取り戻すかもしれないな。まあ、気休め程度だけど」

 こうして、僕は綺世が眠っている病院へと向かった。もちろん、例のぬいぐるみを持って。それがどんな結果に繋がるかはさておいても、綺世には生きて戻ってきて欲しい。ただ、それだけの話だ。

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