Phase 02 修羅場

 というわけで、薫くんから受け取った軍資金は100万円。アイツに言わせれば「これだけあればホスト1人は釣ることが出来るだろう」ということだった。でも、ホストクラブなんか入ったこと無いし、アタシがやろうとしていることは飽くまでも「潜入捜査」だ。実際にホストを捕まえてみつぐという訳ではない。くだんのホストクラブは歌舞伎町の一等地にあった。店名は「Official Huge Dandy」だったかな。島根の田舎町から夢を掴んだどっかのバンドみたいな名前だなぁ。


 店内に入ると、まばゆいばかりのイケメンたちが出迎えてくれた。けれども、恐らくこの中に「亜由美殺し」がいるかもしれない。その危険性を察知しつつ、アタシは気になるイケメンに声を掛けた。黒い髪にやや痩せぎすの長身で、その割に気さくな人だったかな。源氏名は「露草つゆくさ玲央れお」と名乗っていた。


「碧ちゃん、こんな俺を指名して良かったのかい?」

「うん! ずっと気になっていたから!」

 掴みは順調。あとは、貢ぐだけだ。アタシは、財布の中から大量の1万円札を取り出す。それはまるでプロレスラーが降らすかねの雨のように、宙に舞っていった。少し気が緩んでいたのか、アタシはボトルで30万円相当のスパークリングワインを注文した。もちろん、相手の気をよくするためである。グラスに注がれる薄紅色のスパークリングワインは、儚い夢のように気泡を出している。

「もしかして、俺の事が好きになっちゃったの?」

「それはそうなんだけど、少し気になることがあって……」

「それは何だい? 怒らないから教えてくれよ」

「実は、ここの常連客が不審な死を遂げたって聞いて……」

「もしかして、アユミちゃんのこと? 確かに、最近見かけないとは思ったけど」

「矢っ張り、知っていたのね」

「いや、俺は何も知らない。それに、碧ちゃんには関係のないことじゃないか」

「そうだけど……」

「うーん。じゃあ、『店長』呼ぶから、詳しい話は彼から聞いて」


『店長』と呼ばれる人は、絵に描いたようなカリスマホストだった。なんというか、今どきのアイドルみたいに目鼻立ちが善いと感じた。アタシは、『店長』に例の変死事件のことを聞くことにした。

「アユミちゃんねぇ。確かに彼女はココの常連客だった。華奢な体格に不釣り合いな胸が目を引くと思っていた。腕には自傷行為リストカットの傷痕が残っていて、『苦労人なんだな』と思ったよ。あぁ、僕の名前は竜胆りんどう霞音かのん。玲央が言っていた通り、この店の店長だ」

「竜胆さん、あなたはアユミちゃんについて何か知っていたの?」

「そうだなぁ……。アユミちゃんはシステムエンジニアをやっていると聞いていて、稼ぎはかなり良かったらしい。でも、システムエンジニアが月に30万稼ぐと言ってもホストに対して貢ぐのはだいたい50万円から多ければ100万円だ。副業として何かをやっているとしか考えられない」

「その『副業』が、であることは考えられないの?」

「あぁ、その可能性か。確かに、彼女は華奢な見た目に豊満な胸を持っているけど、まさかシステムエンジニアとして働くかたわら躰を売っていたのか……?」

「そうです。アユミちゃんは恐らくシステムエンジニアという本業の他に風俗嬢という裏の仕事で生計を建てていたんじゃないかなって思って」

「そ、それは流石に考えられない。してや、アユミちゃんは18歳の少女だぞ」

「大卒のシステムエンジニアが、あんな質素な暮らしをしているはずはないじゃないですか」

「まさか、アユミちゃんの家に行ったのか!?」

「はい。申し遅れました。私の名前は毛利碧と申します。実は、この店の看板ホストから『常連客の不審死を調査してほしい』という依頼が舞い込んできて、私が調査を行うことになったんです」

「看板ホストって、桜庭紫苑のことか! アイツ、余計なことをしやがって! 店の評判が落ちても良いのかッ!」

「竜胆さん、落ち着いて下さい。確かに桜庭さんがやっている事は店の評判を落とすかもしれませんが、この不審死が殺人事件だとしたら大変なことになります」

「そ、そうだな……。僕も少し頭を冷やす必要があるかもしれない。とりあえず、この金は玲央に渡しておくから、今日は帰ってくれ」

「分かりました……」


 こうして、アタシは店から追い出されてしまった。なんだか、モヤモヤした霧のようなものが、アタシの心を包んでいく。この不審死は、ただの不審死なんかじゃない。事件性を持った不審死の可能性が高いかもしれない。そんなことを思いながら、アタシは渋々「歌舞伎町トラブルバスターズ」のアジトへと戻っていった。


「碧、戻ったのか」

「はいはい。戻りました。店から追い出されちゃいましたよ」

「そうか。仕方ないな」

「仕方ない? どういう事?」

「僕も独自であの不審死について調査していたが、どうもあの死体は不審な点が多すぎる。首に索条痕さくじょうこんも見当たらないし、打撲の痕も見当たらない。自傷行為による失血死も疑ったが、冷静に考えてみたら自傷行為で致死量の失血をすることはまずあり得ない。事件は振り出しだ」

「そうなんですね……。ところで、アタシ、ホストを釣ることは成功しましたよ」

「そうか。出来でかした。それで、源氏名はなんと名乗っていたんだ」

「確か、露草玲央と名乗っていました。ちなみに店長は竜胆霞音という源氏名です」

「なるほど。露草に竜胆か。そして依頼人は紫苑。これは何か繋がりがありそうだな」

「繋がり?」

「露草も竜胆も紫苑も日本における植物の名前だ」

「言われてみれば、そうですね。だからって、事件とは何の関係性もないじゃないですか」

「じゃあ、日本で一番有名な毒殺事件は?」

「もしかしてそれって……トリカブト?」

「正解だ。保険金目当てで夫が妻を殺すのに使われたのがきっかけで日本でも有名になった。致死量は0.2グラムで、服毒してから30分ぐらい経つと心停止に至る」

「そういえば、そんな事件ありましたね。子供の頃だったからよく覚えていませんが……」

「つまり、堂安亜由美は

「まだ、そうと決まったわけじゃないですか」

「もしかして、碧はホストをかばうつもりなのか」

「そんな事はないですけど……。仮に露草玲央が犯人だとしたらアタシがショックを受けます」

「そうだな。ホストが犯人じゃないことを祈るしか無い」

「鯰尾君、毛利さん、大変です!」

「律、どうした」

!」

「それはどういう事だ!」

「ヤクザマンションで堂安亜由美と同様に、

「分かった、直ぐに向かう。碧には刺激が強いからそこで待っていろ」

「はーい」


 ――あの殺人事件の頭に、が付くことになった。

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