5.

 彼女が「スキャンダラス・バニー」を出たのは、23時7分だった。

 終電には余裕で間に合うが、人に電話をかけるには遅い時間だ。でも、彼女は大通りに出ると、それまで切っていたスマホの電源を入れ、ためらわずに目的の番号を呼び出した。

 相手はすぐに電話に出た。

「さ、さ、斉藤おおお~~~っ!あ、あ、あんた、今どこにいるのおおおっ!!」

 彼女か電話をかけたのは、働いているアパレルメーカーの社長である。

「も、持ち出したお金はどうしたのっ?まだ持ってるのっ?あ、あ、あんた、何てことしてくれたのおおおっ」

 社長のそばに、専務がいるらしい。社長、落ち着いて。今は責めちゃダメです。という声が漏れ聞こえてくる。

 少しの間があって、今度は専務が電話口で話し始めた。

「斉藤さん、お金のことだけど、返してくれるなら警察には届けない。だから、今から会社まで来て欲しい。僕と社長はまだ会社にいるから」

 専務は、彼女がビルの屋上か、線路の踏切にいるのではないかとびくびくしているのだった。

 また社長がしゃべり出した。専務をならって、今度は猫なで声である。

「そうよ。今すぐ会社に来て。話し合いましょう」

「変な気を起こすんじゃないよ。大丈夫だから。何も心配しなくていい」

「斉藤さん?聞いてる?斉藤さん?こっちから迎えに行こうか?」

 社長と専務が、二人で電話を取りあっているようだ。

「会社に行きます」

 彼女は抑揚のない声で答えた。

「お金も返します」

 それだけ言うと、彼女はプツリと電話を切って、駅のほうに歩きだした。

 どうしてこんなことをしてしまったんだろう。今なら少しは冷静に考えられる。でも、やってしまったことを、ないことにはできない。

 きっと長年溜めこんできたものが爆発したんだと思う。だけど、そこまで我慢してしまったのは自分だ。

 そう思うと胸が少し苦しくなったが、もう彼女は泣きも立ち止まりもしなかった。


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