第12話 魔女と仲良くしてくれると嬉しいわ!

 ジーニアスのキャラバンであるフェニックス商会の特産品は、魔女の工芸品だ。白夜砂漠の向こうには魔女がいる。その魔女たちの手細工を買っていく人々が、魔女を心の底から憎んでいるようには、ネリーはどうしても思えなくて。

 その真意を、エルネストはようやく教えてくれた。


「さっきも言いましたが、魔女への偏見は三百年の時を経てだいぶ薄れてきています。それはただ時間の流れだけではなくて、ジーニアスたち、白夜砂漠を渡るフェニックス商会の存在があってこそなんです」

【……どういうこと?】

「彼らが……正確にはジーニアスのお父君が、白夜砂漠の踏破をしたことが、皇国の中での魔女差別の意識改革に繋がったんです。彼らが初めて持ち帰った魔女の秘薬は、当時、死の病が蔓延したこのシャナルティン皇国を救いましたから」


 ネリーにとっては、外の世界から目新しいものを持ってきてくれる人たち、という印象だったジーニアスのキャラバン。

 それがシャナルティン皇国の救世主だったなんて。

 これで一つ、壮大な冒険譚ができるじゃない! とネリーの首から文字が垂れ流れた。

 でも、いやいや、そうじゃない、そうじゃないと、首を振って、雲の文字が形作られる前に消してしまうと、ネリーはもっと真面目なことを文字に変えて首からくゆらせる。


【わたし、ほんとうは、砂漠の向こうは怖いところだと思っていたのよ】

「なぜですか?」

【ラァラやスティラが言っていたの。砂漠の向こうには、魔女を騙す悪い奴らがいるって。でも、もう三百年も前のことだものね! 手配書もあるのに誰も見ていないのなら、わたしがちょっと魔女っぽいことをしても許してくれそうだわ!】


 うきうきとしたネリーの雲の文字が、エルネストのまわりを踊るように浮かぶ。けれどエルネストは、がしゃりと鎧を鳴らして小さく首を振って。


「……やめたほうがいいでしょう。魔女への差別意識が薄れたと言っても、手配書を撤回できるほどではなかったんですから」


 どういうこと? とネリーの雲の文字が凪ぐ。

 首を傾げるような仕草に、ネリーの首元に住んでいるライラックのチョーカーの女性も、不思議そうに揺れて。


「魔女は長寿と聞きます。ですので三百年経っても、未だ指名手配が解かれないんです」

【それよ! それが納得いかないわ! お師匠様が何をしたと言うのよ!】

「三百年前の悲劇……白夜砂漠を作るのに、何百人もの皇国騎士が殺されたと、皇国史ではそういうことになってます」

【まぁ! ひどいわ、ひどいわ! 自分たちのことは棚にあげて! 皇国の人たちが先に魔女狩りをしたのよ! エルネストさんなんか嫌いよ!】


 ネリーはラァラから昔、教えてもらった。

 白夜砂漠の悲劇は、皇国の裏切りによるものだったと。

 ネリーはおまじないを主流に使う魔女だけれど、ネルテやドロテ、ラァラなどは、魔法がとっても得意。

 そういった力の強い、魔法を使えるような魔女は限られていていたそう。三百年前はおまじないを使う、ネリーのようなちょっとした魔女がもっとたくさんいて、彼女たちの方が魔女として親しまれていたのだとか。

 かつてはそんな魔女たちが多く住む、小さな王国があったそうだけれど。

 ちょうど三百年前、シャナルティン皇国によって、戦争の火蓋がきって落とされた。

 きっかけは、当時皇国騎士の恋人だったネルテが、シャナルティン皇国皇太子の後宮入りの勅命を断ったこと。

 ネルテの美貌は魔女の中でも一目置かれるほどのもの。紡ぎたての真白の生糸のような白銀の髪に、意志の強い紅玉ルビーの瞳。そして何よりネルテは、呪詛を自在に操れるくらい、魔女としての能力も一等高くて。

 ネルテがこの勅命を蹴ったことにより、シャナルティン皇国は魔女狩りを始めた。いわく、人智を超える超常の力は人によって統治されねばならない、統治ができなければ、滅するべし、と。

 魔女たちの住む王国からは、当然抗議の使者が皇国に送られた。でも、皇国側と交渉の席についた王国の姫君すらも魔女だと処刑され、宣戦布告の書状と共にその首だけが祖国へと帰ったのだとか。

 皇国騎士が国境に迫り、戦争にまで発展した。皇国の訓練された騎士に、魔女たちはその不思議の力で対抗したけれど、さらなる悲劇がおこった。

 シャナルティン皇国の残酷さを、温厚な魔女たちは気づいていなかった。

 ネルテの恋人だった皇国騎士が、魔女と密通している裏切り者として、その首がさらされた。

 その瞬間に、ネルテの魔女の力が暴走して。

 白夜砂漠はその副産物。

 ネルテの恋人の騎士の首を晒す騎士たちと、騎士によって殺された魔女の死体が骨となり、脆く崩れて砂となる。

 その骨砂に触れた大地も白砂となり、白夜砂漠が生まれた。

 王国はネルテの白夜砂漠に飲み込まれ、我が身を守ることができるような、力の強い魔女たちだけが生き残った。

 ラァラはそう言っていたのに、それをまるっと否定するようなエルネストの言葉に、ネリーの雲の文字は憤るように刺々しくなる。


「きっと、事実はネリーさんの言う通りだったんでしょうね。ですが皇国の上に立つ者ほど、歴史を学ぶことで魔女の力の強大さを恐れる傾向にあります。魔女の秘薬で命が救われた平民よりも、彼らを統率するべき者たちの間ではまだ、魔女は恐ろしいものだという意識が残ってるんですよ」

【それは、エルネストさんも?】

「私は……」


 一瞬、逡巡するようにエルネストは言葉を区切った。

 だけど彼は言葉を濁すことなく、ありのままの本心をネリーに伝えてくれる。


「……ここだけの話ですが、実は皇国にも、魔女はひっそり生き残ってるんじゃないかと、思うんです」

【まぁ!】

「私の曾祖父が言っていたそうです。彼は魔女に救われたことがあると。落石に巻き込まれた際に大怪我をして、足を斬り落とすかどうかの瀬戸際で、魔女は曽祖父の足を元の通りに治してしまったそうです」


 エルネストの曽祖父いわく、それは伝え聞く魔女の力そのものだったそう。触れもしないのに風が動いて、岩が一人でに浮き上がり、まるでダンスをするように落石を退かしてしまったと。

 そうして大岩に潰れて無惨になった曽祖父の足を、時間を巻き戻すかのように元の足に治してしまったとか。

 曽祖父はこの話をすると、いつも格言のようにその子、その孫に、こう話していたそうだ。


「魔女の力は諸刃の剣だと。悪にもなるし、正にもなる……騎士の剣と同じだと話したそうです。全ては使うものの心次第、その志の持ち方次第ではと。白夜砂漠は、皇国の悪ではなく、教訓とするべきなのだと」


 ネリーは雲を細くたなびかせた。

 エルネストの言葉を反芻するように、ぽつりぽつりと【曽祖父、魔女、剣】と小さな雲の文字が浮き上がる。

 エルネストがちょっと照れるように頬をかく素振りを見せたけれど、バイザーにこつんと指先があたって、結局その手はネリーと同じように居ずまいを正した彼の膝の上へと置かれた。


「だから私はドロテを悪だと断罪しますが、魔女に助けを求めたんです。白夜砂漠の向こうには、かつて魔女の秘薬を分け与えてくれた優しい魔女がいるはずだと。故に白夜砂漠を越えて交易をしているジーニアスのキャラバンに連れて行ってもらうよう、頼み込んだんです。私が信じた通り、白夜砂漠の向こうには、優しい魔女がたくさんいましたね」

【……んもぅ。そんなこと言われてしまうと、嫌いになれないわ。好きよ、エルネストさん!】


 刺々しかったネリーの雲の文字が、てれっと蕩けた。

 ネリーは真っ直ぐな好意にとっても弱い。恥ずかしくて、嬉しくて、胸の奥がくすぐったくなる。その気持ちが雲の文字になって、形になってしまう。

 エルネストがくつくつと銀色の兜の向こうで笑う気配がした。ネリーが頬に手をあてるような仕草で照れていれば、エルネストはさらに言葉を続ける。


「私の個人の意見はそうですが、やはり皇城に近づくにつれて魔女の差別が強まるのは事実です。それに、魔女への差別がなければ、ドロテの横暴は更に助長していたのかもしれませんから、一重に悪いとも言い切れません」

【どういうこと?】

「ドロテの奇術を恐れるからこそ、彼女の周りには最低限の人しか近寄らなかったのです。元々、彼女の周りでは不思議なことが起きていて、私たちは彼女を只者ではないと疑っていました。それこそ、魔女だと囁かれるほどに。だからまだ、国は保っていられた」


 エルネストは肩を落とす。

 ネリーが彼の言葉の続きを待っていれば、彼はぎゅっと膝の上でこぶしを作って。


「……それも、時間の問題ですが。魔女としての本性を、ドロテはもう隠していない。魔女を知らない今の皇国では、彼女を止められない。今は宮中で留まっているドロテの暴挙がいつ外へと向いていくか……まともな人間は皆、常にそのことに怯えています」


 エルネストの悔しそうな声に、ネリーも真面目に考える。


【首を取り戻しましょう。取り戻して、お姉さんにお説教しなくちゃね】

「……はい」


 せっかくいい方向へ、来ているのだから。

 ネリーは怖いことを考えるよりも、みんな仲良くしていたいし、物語の主人公のように普通に街歩きをしてみたい。

 魔女だからと言って、再び白夜砂漠の向こうへ閉じこもるのは違う気がする。

 だからこそ、ネリーはドロテの暴挙を止めるべきだと強く思ったし、何より。


【……お姉さんもちゃんと、この国を見て歩けるようにしてあげないとね】


 街の壁に張られたネルテの手配書を思い出し、ネリーは強くそう思った。


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