第13話 魔女の呪詛はね……

 ジーニアスの率いるキャラバンは、関所の街で解散した。

 解散したと言っても、一時的なもの。次の砂漠渡りまでに魔女の集落で買い上げてきたものを売り捌かないといけないので、それぞれの品物にあった市場を目指して別行動を取るのだそう。次の砂漠渡りの日程を決めると、キャラバンの隊員たちは各々の商品を担いで、次々とジーニアスのもとから去っていった。


 そのジーニアスといえば、子飼いの商人が商品を売るまで、いつも暇を持て余しているみたい。乗りかかった船ということで、ネリーとエルネストを皇都まで連れて行ってくれることになった。

 関所の街から皇都までは、徒歩で約十日。

 砂漠のように歩きづらくもなく、馬も馬車も使える旅はずいぶんと楽だったけれど、ネリーは馬車のあんまりにも硬い木の椅子のせいでお尻がとってもつらかった。


 放っておくと、ジーニアスが手配してくれた貸し切りの馬車の乗り心地の悪さについて、不満がつらつらと綴られるネリーの雲の文字。

 せっかく用意してくれたものに不満をこぼすなんていけないわ! とネリーはがんばって違うことを考えて気を紛らわしていたけれど、三日目にしてジーニアスが、ネリーの綴る脳内恋愛小説大劇場に音を上げてしまった。


「くっそ胸焼けがする! なんだこれ、なんだこれ! 俺はなんで半強制的に恋愛小説を読ませられてるんだ!」


 馬車の中でジーニアスが大袈裟なくらい仰け反って天井を仰いだ。ネリーはもくもくと、小鳥から生まれ変わった少年が、病弱な少女に熱烈な求婚を繰り返し、二人で逢瀬を重ねていく様子を雲の文字で綴っている。

 大人の階段から見下ろすことができるくらいに恋多きジーニアスはその淡くてぴゅあぴゅあな恋物語に耐えきれなかったようだけれど、逆にエルネストは興味深そうにネリーの綴る文字を読み耽っていて。


「ネリーさん、続きはどうなるんですか?」

【エルネストさんはどうなったらいいと思う? 次はどんなところでデートをしようかしら!】

「デートもいいですが、ここで一つ試練を与えるのもいいですよ。二人を引き裂こうとする悪。それを乗り越え、より深まる二人の愛」

【最高だわ!! エルネストさん、作家の才能があるわ! きっとあるわ! あぁん、わたしが読みたいわっ!】


 ばしばしとエルネストの肩を叩くネリー。銀色の甲冑からゴォンゴォンと鈍い音が鳴った。


「よぉーしネリー、そこまでにしておけ。エルネストもな? やめよう。この話題はやめよう。ついでだから真面目な話をしようぜ。俺には耐えられない」


 ジーニアスが手を打って、この後の物語はどうしたら素敵になるのかを談義していたネリーとエルネストの注目を集める。

 ネリーの体の向きが一切変わらないので、彼女の視線がジーニアスを向いてるのかは分からない。エルネストの兜がジーニアスへと向いたのに合わせて、彼は話題の提供者として現状の問題点を挙げてみた。


「ネリー。とりあえず皇都に向かってはいるが、この後のことは考えているのか?」

【この後のこと?】

「どうやってドロテに会うのか、とか。どうやって首を見つけるのか、とかだよ」


 もくもくと楽しそうにお話を紡いでいた雲の文字が、ふつりと途絶えた。

 それからネリーが手を叩いて。


【忘れていたわ! そうよそうよ! どうやって首を見つけましょうね?】


 やっぱり何も考えてなかったかとジーニアスが呆れたけれど、ネリーはもともと楽観主義だ。魔女の集落にいた時、うっかり何かをやらかしてしまったりしても、わりとどうにかなっていたので、ついつい今回のことも、何とかなるわ! の気持ちでいた。


【どうしましょうね?】


 まるで頬に手を当てて考えるような仕草をするネリーの首から、もくもくと雲でできた疑問符が浮かんでいく。天井にぶつかって霧散した雲の文字を見上げていたエルネストが、ふっと顔を正面に引き戻した。


「ドロテが自分の頭を隠した場所を特定するのは、かなり難しいと思います」

【どうして?】

「彼女は出会ったときから、ネリーさんの顔を使っていましたから。すでにドロテが自分の頭を隠した後ととなると……主君がドロテと出会った町から順に足跡を辿らないといけなくなります」


 エルネストの言うことは最もだ。

 出会った時にすでにネリーの頭がくっついていたのなら、ドロテの手元にはもう彼女の本当の頭がなかったと考えるのが妥当。

 だけど、ネリーもドロテも魔女だから。

 ネリーはちょっと考えるように、雲の文字を伸ばした。

 エルネストにどうやって説明すればいいのかしらと考えて、とりあえずはありのままに話そうと試みる。


【エルネストさん、魔女の力のお話をしましょうか】

「魔女の力?」


 エルネストが聞き返す。

 鎧ががしゃりと鳴って、銀色のバイザーがネリーの方を向いた。


【魔女の力はね、魔法とおまじない、二つの力があるのだけれど、呪詛はおまじないじゃなくて、魔法なのよ】

「どういうことですか?」


 魔女のおまじないとは、精霊に力を借りること。

 精霊の声を聞いて、彼らの望みを叶えるかわりに精霊の加護をもらう。それが魔女のおまじない。

 では、魔法というのは。


【魔法はね、魔女の中にある精霊の力を使って、森羅万象に干渉する力よ。精霊のように、自分の好きなように事象を書き換えることができるの。次の日、雨にしてみたり、空を飛んでみたり】


 ネリーも空を飛ぶけれど、あれはエニシダの杖におまじないがかかっているから。ネリーはエニシダの杖にをして空を飛ぶけれど、魔法で飛ぶ魔女は杖なんて小道具を使ったりしない。

 実は、魔女の集落でエニシダの杖を使って空を飛ぶのはネリーだけだ。他の魔女は皆、翼も杖も必要としないで空を飛べる。ネリーはそれがいつも羨ましくて、羨ましくて。


【わたしは魔法を使うのが苦手だけれど、ドロテはとっても上手なの。だからドロテは呪詛も得意。呪詛はね、おまじないじゃなくて、魔法のほうが向いているから】

「呪詛は、おまじないではできないんですか?」


 エルネストが不思議そうに聞き返すと、ネリーの雲の文字が「したり」と言いたげに大きくけぶる。ネリー自身は、胸の前でバッテン! と腕を交差させて。


【人を呪わば穴二つって言うのだけれど、おまじないで呪詛をするのはとても難しいわ! 精霊が嫌がるもの】


 精霊だって好き嫌いや得意不得意がある。

 大地に根づくような精霊は光を好むものが多いから、あまりそういった精霊たちは呪詛の手助けをしてくれない。自然体を愛するようにと、逆に魔女にお説教してくるくらい。

 でも、人の負の感情から生まれるような精霊は、そもそもが呪いのために生まれたものだから、こういう精霊は呪詛の手助けをしてくれる。でもそれは人が多く、負の感情が集まりやすい場所であればこそ。

 ネリーが住んでいた魔女の集落には、そんな負の感情を凝らせて、煮つめて、どろっどろにさせたような魔女はいなかった。なのでネリーは、呪詛のおまじないというのに触れたことがない。

 閑話休題、話を元に戻しましょうと、ネリーの首からくゆる雲の文字が話の流れを区切る。


【だからね、ドロテがわたしの首を持って行っちゃったのも、魔法の呪詛だと思うのだけれど】


 ネリーは自分の頭を指で差した。ネリーの首からもくもくと雲の文字が生まれていく。


【魔法で呪詛の力を届けるには、より近くにいるほうが、とっても都合がいいの】


 おまじないは、術者の代わりに精霊が行使してくれるから距離なんて関係ないけれど、魔法は違う。

 発動している限り、術者とのつながりが生まれる。行使中にそのつながりが途絶えてしまえば、呪詛は完遂されずに、倍になって自分の身に返ってきてしまうし、なによりドロテが自分の首を捨ててさえいないのなら。


【お姉さんが自分の首を捨てていなければ、そのすぐ側に首はあるはずよ!】


 わたしの名推理! と言わんばかりに、ネリーの雲の文字がおおきくうねる。

 エルネストもジーニアスも魔女の使う奇術についてはよく分からないから、目を瞠りながらも、ネリーの言葉を鵜呑みにしてそういうものかと頷いた。

 でもひとつ、気になったことがあったようで、エルネストが鎧をガシャリと鳴らして首を傾げる。


「ですがそれでは、ネリーさんが首を失った後のことを説明できません。ドロテとネリーさんの間には、白夜砂漠という物理的な距離があります。それでもなお、呪詛が維持できるのなら……」

【うーん、違うのよ、エルネストさん】


 ネリーの言いたかったこととエルネストの理解に、微妙な齟齬が生まれる。ネリーはもう少し、言葉を噛み砕いてみた。


【この呪詛はたぶん、『首』が対象なの。胴体は関係ないわ。だからドロテの手元に『首』があるかもって言えるの。だってわたし、もしドロテとの力のつながりを感じていれば、白夜砂漠なんかひょいひょいっと越えて、追いかけてみせたわ!】


 ネリーの胴体の方にドロテとの繋がりが残っていれば、追いかけるのは容易かったはずだ。でも実際のところ、ドロテとの繋がりなんてものは感じられないし、ただ置き土産のようにネリーの首に与えられた枷のようなカメオに、ドロテの力の残滓が残っているだけで。


【それでね? ちょっと考えたのだけれど】


 ネリーは考えた。一生懸命考えた。

 ドロテが得意だったこと、できることをひとつひとつ、指折り数えた。ドロテはきっと認めないけれど、姉妹として育ったからこそ、ネリーには分かることもあって。


【エルネストさん。ドロテはとんがり帽子を持っていたかしら?】


 ちょうど車輪が小石を踏んだのか、凸凹とした地面の上を通ったのか、ガタンと大きく馬車が揺れた。

 馬車の揺れに、ジーニアスはカーテンの隙間から小さな車窓を覗く。そのせいで彼はネリーの文字を見落としてしまったようだけれど、ネリーが話を振ったのはエルネストだったから、たぶんきっと問題はなし。

 エルネストは甲冑をガシャっと鳴らして腕を組んだ。


「とんがり帽子はなかったと思いますが……」

【魔女のとんがり帽子は、とんがってなくてもいいのよ! 確かお姉さんの帽子の色はネイビーで、もっちりしたパン生地みたいな形をしていた気がするわ!】

「あれかな……」


 どうやらエルネストには心当たりがあるみたいで、ネリーの雲が当たりくじを引いたかのような浮かれ方で、もっくもくと主張する。


【ドロテのとんがり帽子を探しましょう! 魔女のとんがり帽子は亜空間収納のおまじないをしてあるから、たくさんものが入るのよ! わたしの首もね!】


 とんがり帽子はとんがってないし、そんなに大切なものを鞄の中にしまうような感覚で帽子にしまう魔女のルーズさに、エルネストもジーニアスもお互いに顔を見合わせた。


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