第22話 魔女には魔女の裁き方があるの。
ネリーが指揮者のように指を振れば、彼女の
ドロテが自棄になったように更に強く呪詛を練り上げようとするけれど、ネリーの
さらには。
「っ、これは……!」
「呪いが、解けていく!!」
黒いレースはドロテだけじゃなく、ドロテがこれまでにかけてきたたくさんの呪詛を目指し、風に乗って飛んでいく。
リボンのようにくるりと呪詛をかけられた人の手首や指、足、腰に巻きつくと、まるでシャボン玉が弾けるように、ぱちんとドロテのかけていた呪詛が消える。
その黒いリボンはエルネストの首にもくるりと巻かれて。
喜色にあふれる人たちとは反対に、弾けた呪詛は全てドロテに返っていくものだから、ドロテはたまったもんじゃない。
新しい呪詛を練り上げるよりも、呪詛返しをあしらう方に意識を持っていかれる。
「こんのっ……! あんた、その無差別解呪魔法どこで!」
【魔女の婚礼で必要だった、花嫁衣装のおまじないを組み込んだのよ! すべての業を浄化するおまじない! 穢れなき、純真無垢なる花嫁への祝福よ!】
ネリーの黒いレースが全て解かれると、純白のドレスが露出する。
ネリーがもう一度、指揮者のように指をふれば、ネリーの足元が光り輝いて。
【お姉さんが紡ぐ恨みつらみも! お姉さんに返ってくる呪詛も! わたしが全部受け止めてあげる!】
ネリーは、いまだ慕う姉弟子へ向けて腕を伸ばす。
ドロテへと向かって行っていた呪詛返しが、ネリーに引き寄せられて。
あまりにも強すぎる浄化の力に、ネリーのいる場所へと近づく前に、呪詛や呪詛返しが次々と浄化されていって。
さらには。
呪詛と浄化の魔圧で荒れる部屋の中、ネリーの元へと流星のように何かが飛んでくる。
それは、ネリーの欠片。
ドロテの首が、そこがつなぎ目だと言うようにほろほろと粒子となって瞬き、ネリーの首へと返ってくる。
ネリーがさらに指を振ると、導かれるようにして、壁にかかっていたドロテの帽子が彼女の手の中に飛んできて。
「――ねぇ、ドロテ。この顔は誰の顔? 慈しんでくれたあなたの顔は、誰の面影があるのか、ちゃんと覚えている?」
風になびく、
大きくてまんまるな満月の瞳は、いつだって喜楽を見つめていて。
顔を取り戻したネリーが、水琴鈴のような凛とした声で謡うようにドロテへ尋ねた。
そのネリーの腕には、まだ何者にも染められる前の生糸のように、真白な髪を持つ女性の頭。
ドロテの首を、ネリーは優しく抱きしめる。
拮抗していたはずの二人の魔女の力は、裁縫の魔女の力が上回り、呪詛の魔女の全てを、覆い尽くした。
❖ ❖ ❖
大きな満月が天上を越える。
魔女の力の奔流により荒れ狂っていた部屋が、ようやく落ち着きを取り戻す。
首をなくしたドロテは沈黙し、その場にくずれ落ちた。
ネリーもほっと息をつけば、途端に彼女の身体からも力が抜けてしまって、ふらりと身体が斜めに傾ぐ。
このままじゃ床に倒れちゃうわ、でも立つのも億劫だわ、と思っていたネリーの腰が、誰かに支えられた。
回された鉄の腕に、ネリーはついつい笑ってしまって。
「ネリー、さん?」
「ふふっ。そうよ、エルネストさん! 私が裁縫の魔女・ネリーよ!」
頑張って足腰に力を込めたネリーは、自分の二本の足でしっかりと立つ。
ドロテの首を彼女のとんがり帽子の中にしまいこみ、くるりと身体を反転させてエルネストの首へと腕を回すと、自分の体を支えさせた。
ネリーの満月の瞳がきらきらと輝く。
くるりと愛嬌のある瞳は、視線が近くなったことで、バイザーの奥に隠れているエルネストの青い瞳をしっかりと見つけ出した。
「ネリーさん、今のは」
「呪詛返しと魔女の婚礼で使うおまじないよ! 呪詛返しで返ってくるものをね、魔女の婚礼のおまじないで打ち消したの! 魔女の花嫁衣装には、魔女の業すら解いてしまうおまじないがかけられているのよ」
「すごい、ですね」
「そうなのよ、すごいのよ! ねぇ、エルネストさん? わたしったら、ちゃあんとできたのよ!」
感嘆の声をこぼしたエルネスト。
ネリーは満面の笑顔で、彼の兜に手を添えて。
ぱちんと金具が外れる音。
ネリーが何をしようとしているのか気がついたエルネストが慌ててその手を止めようとするけれど、ネリーは遠慮なく彼の腕に体重を預けているので、止めること能わず。
ネリーの手によって、エルネストの兜が外されてしまった。
兜の下から見えたのは、短く刈り上げられたお日様のような金の髪と、どこまでも広がる大海原のように深い青色の瞳。
ネリーは鉄の兜をぽいっと放り投げると、怯えたように視線をそらそうとしたエルネストの頬へとその手を添えて。
「もう一度、はじめましてをしましょう、エルネストさん! わたしは魔女のネリー。素敵な恋のお話と甘いものが好きで、お裁縫が得意なの。よろしくね!」
ネリーの笑顔が満開に咲きほころぶ。
エルネストは自分に向けられた笑顔に茫然としたように目を見開くと、何かを言いたげに口をしばらく開閉させて。
ネリーより大人なのに、子供のようにあどけなく見えるエルネストの表情。そのことがなんだか面白くて、ネリーはますます楽しそうに笑う。
ネリーの笑顔を映したサファイアブルーの瞳が、ゆっくりと瞬いた。
エルネストが、唇を震わせる。
「……エルネスト・フォーレ、です。シャナルティン皇国騎士団の近衛騎士で、皇太子殿下付きの部隊に所属してます」
「ふふっ、嬉しいわ! エルネストさんの瞳は海の色なのね! 海ってサファイアのように青いのでしょう? 素敵だわ!」
ネリーは宝石のように綺麗なエルネストの青い瞳に感激した。ネリーが今まで見てきたサファイアなんかよりもずっとずっと青い色。
とっても気高くて貴いその色を見つめていると、みるみるうちにエルネストの瞳に水の膜が張っていって。
「あら? あらあら? エルネストさんったら、どうしたの? どこか痛いの?」
「ちが、違います! どうして、俺、っ……!」
ぽろぽろと。
青い海から溢れ出した雫に、ネリーは優しく微笑んだ。
めいっぱい背伸びをして、ぐっとエルネストの顔を引き寄せて。
ちゅ、とその雫に口づけて、
「っ!? ネリーさん!?」
「ふふっ! お師匠様が教えてくれたおまじないよ! 悲しい涙は私が食べちゃったわ!」
エルネストの涙がひっこんだ。さらにはみるみるうちに、茹でダコのように真っ赤になってしまって。
「破廉恥です!!」
「あら?」
エルネストに怒られてしまったネリーは、どうして怒られてしまったのか分からずに、きょとんと首を傾げる。
ネリーがどうして破廉恥なのかと聞こうと口を開こうとしたとき、二人の間に割って入る声があった。
「エルネスト、悪いが泣いている暇はないぞ。やるべきことはまだ残っている」
ケイネスがネリーたちのいる寝室の方へとやってくる。
ドロテを見やったケイネスが、眉をしかめた。
「これは生きているのか……?」
ケイネスが疑問に思うのも無理はなく。
ドロテの首からは、今までのネリーがそうだったように、雲のような煙がか細く流れ出ていた。
「生きているわ。でも、この頭のもやが血に変わってしまうと、死んでしまうの。だから、そうなる前に……」
ネリーはエルネストの頬から手を離すと、ドロテの方へと歩き出した。
まだ多少ふらつくネリーの腰を、エルネストが支えてくれる。
ネリーはドロテの頭のそばに膝をつくと、自分の首に巻いていたカメオ付きの革紐のチョーカーを外して、彼女につけてあげた。
「お姉さん、聞こえる? ねぇ、起きて。起きましょうよ。この寝坊助さん。起きないなら、フライパンの鐘を耳元で打ち鳴らしてあげるわ!」
ネリーが手を打ち鳴らして脅すように言うと、びくんっと痙攣するようにドロテの身体が震えた。
それまで身じろぎもしなかったドロテの身体が、急に起き上がる。
そして開口一番――いや、口はないけれど、ドロテの雲の文字の一言目はネリーの名前を大きく綴って。
【ネリー! この野郎! あんたの仕業か! あたしの首を返せ!】
「駄目よ! お姉さん、目を離すと悪戯ばかりするから! この首はそうねぇ、ラァラのところへ先に運んでもらいしょう?」
ネリーは先の出来事で放り投げられていた自分のとんがり帽子を拾ってくると、その中から機械仕掛けの鳩を取り出した。
ぜんまい一回で一日飛んでくれる機械仕掛けの鳩は、錬金の魔女のお手製だ。ラァラが何かあったときのためにと、錬金の魔女のところからくすねてきてくれたもの。
たぶん勝手に持ち出したのはラァラが素直に怒られてくれるはずなので、ネリーは遠慮なくその鳩にドロテの首が入ったとんがり帽子ごと託した。
【てめぇ……!】
「だめよ、だめよ。口が汚いわ。首を返してほしいなら、魔女の集落に帰りましょう?」
ドロテの首から刺々しく雲の文字が噴出する。
ネリーが頬に手を当て、困ったような仕草をしていれば、それを止める人もいて。
「連れて行かれるのは困るな。彼女は色々とやりすぎた。皇国の法に則って裁きを受けさせる」
ケイネスの主張に、ネリーはむっとした。
「まぁ。いけないわ、いけないわ! 自分たちのことは棚に上げて、わたしたちのせいにして!」
「なんだと?」
ぴくりと片眉を上げるケイネス。
エルネストが遠慮がちに彼女を止めようとしたけれど、怖いもの知らずのネリーは堂々と皇太子に言い返した。
「三百年前、魔女の国のお姫様を殺して、魔女狩りをしたのはどなた? 白夜砂漠が何でできているのかを、忘れてしまったの?」
「それとこれとは違うだろう」
ネリーの言いたいことを切り捨てようとしたケイネス。ネリーはふるりふるりと首を振った。
「おんなじよ。三百年前に魔女ネルテが最愛の人と結ばれていれば、ドロテはもっともっと早く生まれていて幸せに暮らしていたし、魔女の国のお姫様が殺されなければ白夜砂漠はできなかったから、魔女はもっと身近にいたはずよ。わたしだって、魔女狩りに怯えるお父様やお母様に捨てられなかったかもしれないわ?」
これは三百年前から続いていた、皇国と魔女の間にある業だ。
一つ一つ、誰もが幸せだったなら、起こらなかっただろう出来事。
三百年前の人たちの罪を、今の人たちに背負わせるのことの無意味さをネリーは理解しているけれど、それでもたった一人の家族を見捨てるなんてこと、できやしない。
「ドロテは連れて帰る。魔女には魔女の裁き方があるもの。魔女狩りなんてさせないわ!」
それにそもそも、ドロテが彼らの手に負えるわけがない。
彼らが上手にドロテを断罪できていたのなら、エルネストはネリーの元へとやって来なかったし、皇太子が操られて国が傾くなんてこともなかったはずだ。
ネリーに痛い腹をつつかれて、ケイネスは苦々しそうに口元を歪める。
「……魔女狩りとは、人聞きの悪い」
「あら、違うのかしら? それならなぜ、魔女ネルテの指名手配書がまだあるの? もう三百年も経ってる。街の人はネルテが生きてるなんて思ってないし、ネルテはもうこの世にいないのよ!」
「……知っているのか」
「ふふっ。わたしったら、とっても目がいいんだから!」
ネリーが笑顔で自分の満月の目を指させば、皇太子は深くため息をつく。
「魔女ネルテの指名手配書は撤廃するが……ドロテの罪が消えるわけじゃない。彼女は人殺しこそしなかったが、その行為は国家転覆に類いするもの。そういう者は、皇国法で皆等しく断首だ」
重々しくそう告げるケイネス。
でもネリーはさっきからネリーやケイネスを罵倒する雲の文字を垂れ流しているドロテを見て、それからケイネスを見て。
「ドロテの首はないけれど、皇国の人はどうやってドロテを断首するの?」
「……なんというか、魔女というものは本当にめちゃくちゃだな。まさか首がなくても生きてるなんて、だれも思わんよ。あれほどの力を見せつけられて、魔女と対等にやりあおうとも思わん」
とうとうため息をついたケイネスは、一度天井を仰いでまぶたを閉じると、為政者としての顔になる。
これが、本来の皇太子の姿。
「ドロテの沙汰はそちらに任せる。ただしドロテは皇国より永久追放とする。それだけは譲れない」
ケイネスの譲歩に、ネリーは手を叩いて喜んだ。
「分かったわ、魔女の長スティラにも伝えましょう。 ……あっ、でもドロテの手配書を作るなら、私の顔はやめて頂戴ね! わたし、皇国のケーキを食べてみたいから、堂々と街歩きをさせてもらえないと悲しいわ!」
「……なんというか、そなたは自由だな」
「魔女ですもの!」
長い一日が、ようやく終わりそうだ。
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