第23話 魔女に二言はないのよ!

 波乱の夜から一夜あけると、ドロテを魔女の集落へと帰すために、皇国騎士による少数精鋭の護送部隊が編成された。

 エニシダの杖で空を飛んでいけたら良かったけれど、なかなか事はそう上手く運ばないらしい。

 昨夜は皇城に泊めてもらったけれど、ドロテが首がなくとも脱走しようとしたりして、監視の目が厳しくなっている。そのたびにネリーが起こされて、ドロテとひと悶着起こしていた。


「最初っからこうしていれば良かったのよ。すっかり忘れていたわ。んもぅ、お姉さんのせいで寝不足よ!」


 ネリーは雪のように白い頬をぷっくりと膨らませながら、茶色い革紐をくくりつけた小瓶を首から提げる。

 ネリーの胸元に吊るされた小瓶の中では、ミニチュアのドロテがげしげしと瓶の内側を蹴っていた。ネリーを罵ってるのか、ドロテの首から勢いよく噴き出している雲の文字が瓶の中に充満していて、ちょっと曇っている。

 この小瓶は蠱惑の魔女から借り受けたものだ。生き物を中に閉じ込めることができる、魔女の小瓶。

 「これに入れて持ち帰ってきてよ」って言われたのを思い出したネリーは、言われた通りにドロテを小瓶に詰めた。とっても抵抗されたし、今も瓶の中で暴れているけれど、ドロテよりも格上の魔女の魔法だから、早々に彼女も諦めると思う。

 ネリーはとんがり帽子を被って、エニシダの杖を手に持つと、ぐるりと周囲を見渡した。

 皇城の裏手門。

 これからドロテがきちんと魔女の集落に送り届けられるのかを見届けるための護送騎士たちが、がちゃがちゃと鎧を鳴らしながら馬車や馬、荷物の確認をしている。

 兜を外して素顔を晒している彼らを眺めながら、ネリーは首をひねった。とんがり帽子がひょっこり傾く。


「あら? エルネストさんがいないわ?」

「あー。エルネストならこないぞ」


 白夜砂漠の案内人として同行することになっているジーニアスが、騎士たちへと荷物の指示を出すかたわら、ネリーの元へと歩いてくる。

 ネリーはとんがり帽子の下から、満月の瞳をくるりと瞬かせて、ジーニアスを見上げた。


「どうして?」

「あいつは魔女の里に行かない」

「まぁっ!」


 ジーニアスの端的な言葉にネリーは大きく開いてしまった口元を隠すように手のひらをあてた。

 それからくるりと身を翻して。


「わたし、エルネストさんに会ってくるわ!」

「おい待て、ネリー!!?」


 もう出発だというのに、ジーニアスの静止を無視して、ネリーは駆け出した。






 正直に言えば、ネリーはエルネストがいる場所を知らない。なのでエルネストがいそうな場所――騎士団を目指して走ったのだけれど。

 通りすがる人、すれ違う人、みんながネリーを見てはぎょっとしたように廊下の端によるし、酷いと怯えたように影に隠れてしまうし、土下座をしてくる人までいて、ネリーはすごく不思議だった。


「お城の人たちっておかしなマナーがあるのね?」


 ネリーが胸元の小瓶にいるドロテに聞いてみたけれど、ドロテはそれどころじゃないようで、必死にネリーへ何かを訴えてきていた。残念ながら雲の文字があんまりにもたくさん綴られたせいで、ドロテの姿が見えなくなるくらい小瓶が真っ白に曇ってしまっているから、一つも意味が伝わらない。走るネリーの胸元で、小瓶がぴょんぴょん跳ねる。

 皇城の敷地をかけて騎士団の区画の手前まで来たとき、騎士団のネリーは会いたかった人を見つけた。


「エルネストさん!」

「ネリーさんっ! どうしてここに?」


 抱きつくようにして飛び込んできたネリーを、エルネストが海色の瞳を大きく見開いて慌てて抱きとめる。

 硬い鉄じゃない、騎士団の制服を着た柔らかい感触。ネリーはそんなエルネストが新鮮で、なんだか嬉しくなってしまう。

 エルネストにひっついたままネリーが笑顔で顔をあげると、エルネストは困ったように眉を下げた。


「どうして、じゃないわっ? エルネストさんったら一緒に来てくれるとばかり思っていたのに、待ち合わせ場所にいないんだもの! 一緒に来てくれなくても、お見送りくらいしてくれないと寂しいわ。未来の旦那様ったら、さっそく愛想を尽かされたいの?」


 ネリーがむぅっと頬をふくらませて、怒ってるのよ! と、主張してみせると、エルネストがおもむろに口を開いた。


「そのことですが……ネリーさん、もう一度よく考えませんか?」

「考える?」


 なにをかしら、とネリーが首を傾げると、エルネストは困った表情になりながらも教えてくれた。


「婚礼は、もう挙げる必要がありません。ネリーさんは自由です」

「なんですって?」

「呪詛を解いてもらうため、魔女の婚礼を挙げていただくつもりでしたが、その必要はなくなりましたし。……それにネリーさん、ご自身の寿命のこと、気づいていたんでしょう?」

「まぁ」


 ネリーは満月の瞳をまんまるにして、驚いた。

 エルネストはいつ気づいたのだろう。

 自分の寿命が、ラァラやドロテたちのように長くないことを、ネリーが知っているなんて。

 彼の言うとおり、ネリーは自分の寿命が魔女と等しくないことに気がついている。

 ネリーは「しー」と唇に人差し指をあてると、内緒話をするように、声をほんの少しだけ小さくした。


「ふふ。気づいたのはつい最近よ? ラァラやお師匠様は、教えてくれなかったもの。でもね、わたしは拾い子だから完璧な魔女になれないのは知っていたのよ。だから、そんなに気にしてはいないわ」


 精霊や妖精の力が宿るものを加工することでおまじないを使うネリー。

 自分の身の内の力だけで魔法が使えるドロテ。

 魔女としての能力の差は昔から顕著で、ドロテにできてネリーにできないことはたくさんあった。

 ネリーが裁縫のおまじないにこだわるのはそれが理由。本物の魔女のように身の内の力が使えなかったネリーにとって、森羅万象の力を使うための方法が刺繍だったから。そうは言っても、おまじないを通して魔女の力を使えるネリーは間違いなく魔女で。

 でも、ふと考える。ネリーにとってそれは当たり前のことだったけれど、魔女のことをよく知らないエルネストから見たら、ネリーは偽物の魔女に見えるかもしれない。


「ねぇ、エルネストさん? わたしは完璧な魔女じゃないけれど、魔女の婚礼は挙げられたのよ? だってあれはおまじないだもの。魔法じゃない。もしかして、騙されたと思った? それなら、ごめんなさい」


 しゅんとしてネリーが謝ると、エルネストは走ってきて乱れてしまっていたネリーの紫水晶アメジストの髪をそっと手ですいてくれて。


「ちがいます。そんな風に思ってはいません。ただ、ネリーさんはもっと、世界を知った方がいい。あなたに相応しいひとが、きっとどこかにいます。それこそ――」

「どこかのいけ好かない皇子様とかかしら?」


 どこか切なげに目を伏せたエルネストに、ネリーは思ったことをそのまま告げた。


「わたしの髪、とっても珍しいものね? 三百年前に滅んだ、魔女の国のお姫様と、同じ色」


 雲の文字ではなく、音として伝わるネリーの言葉は、エルネストが目を伏せたってその耳に届く。

 だからネリーは、唄うように言葉を紡いで。


「でも、知っているかしら? 魔女の国の王族は、魔女のように長寿じゃなかったのよ。だって、人間とたくさんたくさん、交わったから。魔女の国と言われたあの国に生きていた長寿の魔女は、本当はすっごく少なかったそうよ。今生きている魔女だって、十一人だけ」


 魔女の寿命は永遠とも言われるけれど、不死じゃない。

 三百年前の魔女狩りで殺された魔女も多くいた。

 白夜砂漠ができて、生き残った魔女はその果てで集落を作ったけれど、この三百年でネルテやセラのように魔女の婚礼をあげ、鬼籍に入る魔女もいた。

 そんな魔女たちの営みの中で、ネリーが気づいていたことと、魔女の国のお姫様のお話をつなげれば、答えは簡単に見つかるもの。


「ねぇ、エルネストさん。わたし、ラァラたちみたいに長生きはできないけれど、魔女の素質はちゃあんとあったのよ。ふふっ、そう思うと素敵ね?」


 ネリーはいつだって前向きだ。

 秘密を暴かれたって気にもとめないし、エルネストがとっても無責任で失礼なことを言っているのに気づいていても、それを否定しない。

 その代わり、自己主張がとっても激しいので。


「素敵って……」

「ラァラが言っていたもの! エルネストさんはわたしの運命だって。わたしが魔女じゃなかったら、エルネストさんに出会えなかったし、本当に長寿の魔女だったら、きっとエルネストさんと結婚しようとも思わなかったわ!」


 笑顔でそう言い切ったネリーにエルネストが面食らったような表情になる。

 ネリーは微笑んで、エルネストの頬の輪郭をなぞった。


「わたし、エルネストさんが好きよ。正直で誠実なところや、とっても優しいところ。あなたの手はいつだってわたしに優しく触れてくれる。あなたがいたからわたし、今、ここにいるのよ」


 ドロテの呪詛でネリーが死にかけてしまったとき。

 暗闇の中で聞こえた道標の声は、他の誰でもないエルネストの声だった。

 あの声が、エルネストが、ネリーを肯定してくれたから。

 ネリーは今、ここにいる。

 たとえあれがネリーの幻聴だとしても、目覚めたときに感じたエルネストの安堵の声は本物だった。


「待っていて頂戴ね。わたし、とびっきりの花嫁修業をして、またエルネストさんに会いに来るわ! 今更返品だなんて許さないわ、未来の旦那様。幸せにしてくれる約束でしょう?」


 ネリーの好きな恋物語で、主人公たちは恋に落ちる瞬間をことさら大事にしていたけれど。

 恋に落ちる瞬間なんて、ネリーは分からなかった。

 でも今、ネリーの胸からとめどなくあふれてくるこの気持ちは、たしかに「愛情」と呼べるような形をしていると感じていて。

 ネリーが笑顔でエルネストに言い寄れば、エルネストは天を仰いで、お手上げだというように諸手を上げた。

 しばらくそのままでいたエルネストだけれど、やがて満足したのか、両手をネリーの腰にあてて、ぐっと抱き上げる。

 お転婆な魔女を抱き上げた騎士は、顔をくしゃくしゃにして笑って。


「待っていますよ、素敵なレディ。こんな俺で良ければ、末永く幸せにして差し上げますから」

「ふふっ。嬉しいわ!」


 ネリーは顔がぐっと近くなったエルネストの額に、ちゅ、と口つけた。

 ネリーからのキス。

 エルネストは目を見開いて固まった。

 そんなエルネストの腕からひょいっと飛び降りたネリーは、手を振ってまた駆け出す。

 その白皙の頬は、熟れた苺のように真っ赤に染まっていて。


「またね、エルネストさん! 春の匂いがする頃にはきっと、青い薔薇も咲いているから!」


 そう託けて、ネリーは魔女の集落への帰路へと旅立った。


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