第5話 始動

 第2回の課外活動がこのような状態に至った全責任は、疑いようもなく峰にある。

遡れば昨晩のこと。あの時、これは良い取引材料だと思っての行為だったが、裏を返せばそれは脅迫とも言え、交渉のテーブルに出されたとしても、田嶋が素直に首を縦に振るなど到底あり得なかった。

 高校生、厳密には18歳未満の者が10時以降に働くことは、労働基準法第61条によって厳しく規定されており、原則禁止である。当然、田嶋もそれは承知の上でのことで、そのため峰の話には乗らざるを得なかった。苦々しい表情で集合場所にしていた図書室にやってきた田嶋は、それはもう無愛想で、迎えた面々も苦笑い。メンバーが腰掛けているテーブルには座らず、隣のテーブルに着き、ふんぞり返った。

 そして、皆が唖然とするなかで開始された2回目の課外活動はメンバー紹介から始まる。峰が順々に紹介していく中、大江、国府田に続いて新見に差し掛かったところで、唐突に田嶋が噛み付いた。

「おいおい、冗談だろ」

 田嶋は嘲笑っている。

「そんな陰キャがボーカルなんてできるわけないだろ。俺はそいつのせいでこの話が頓挫するのに、千円賭ける。オイ⁉ 国府田。お前はいくら賭けるよ」

 田嶋は変わらず口元に笑みを浮かべていた。それは新見から丁度見える位置で、耐えかねた新見は瞳を潤ませて図書室を飛び出してしまった。

 優越感に浸る田嶋。大江が「あーあ。行っちゃった。田嶋くんのせいだからね」と咎めるも、「この程度の軽口で出ていくとか、情けないにもほどがある」と手酷く批判する。その他所で危うい立場の峰があたふたしており、当初から所在なさげにしていた国府田はと言うと徐ろに口を開いた。

「なんだ、田嶋⁉ 気合いの入った見た目のわりには賭ける額が情けないじゃないか」

 国府田の表情に変化はなかった。しかし、その声音には些かの対抗意識がみられる。一触即発の雰囲気に気が気でない峰と、ほくそ笑む大江。そして、睨みを利かす田嶋。

 いざ開戦というとき、田嶋から発せられた言葉はあまりにも意外なもので、すくなくとも峰は拍子抜けした。

「言うじゃねえか、国府田。見直したぜ。ただのガリ勉じゃねえんだな」

 煽り文句もいいところ。相手が国府田でなかったならば、どんちゃん騒ぎに発展してもおかしくなかった。しかしながら、そこは国府田である。表情ひとつ変えることはなかった。

好敵手を見つけたと言わんばかりに、田嶋は笑みを浮かべている。対して国府田は「それはどうも」と涼しい顔。

その温度差に、不満を募らす田嶋は「けっ。空かしやがって」と吐き捨てるのだった。

 ——ガガッ。

 けたたましい音が室内に響く。田嶋の仕業だ。活動が進展をみないまま田嶋は席を立ち、すでに歩は出口に向いていた。

 迷うことなく出口に向かうその背中に、峰が声を掛けるも聞く耳を持たず、結局、田嶋はドアの向こう。思いがけず立ち上がっていた峰は、力なく席に着いた。

「……行っちゃったね」

 大江がしみじみと呟くと、やるせなさから峰は困惑を隠しきれず、「ンー」とテーブルに突っ伏してしまった。

「開始早々、トラブル続きね」

 見ると大江の表情が明るい。

「なんだか面白がってない?」

 峰は、突っ伏したまま大江に苦悶な表情を向ける。

「……」

 返答のない大江。その顔を峰は凝視し続けた。すると、観念した大江は、謝罪の意を口にはするものの、表情は意に反して。そして、取り繕うように言った。

「でもさでもさ。収穫はあったじゃん」

「収穫って?」

 疑わしい峰は眉を顰(ひそ)める。

「新見ちゃんだよ」

「新見ちゃんなら、さっき出て行ったじゃん。もう、思わせ振りなこと言わないでよ」

 峰は再び項垂れる。

「峰ちゃん、そこだって」

「そこって、どこよ?」

「もう、察しが悪いな⁉ そもそも新見ちゃんってボーカルやる気なかったじゃん」

「……」

 視線をスーッと左斜め上に移し、思案する素振りを見せた峰。しかし思い当たらず、すぐに視線を大江に戻すのだった。

「うん。それが?」

 なおも合点がいかない峰に、穏やかだった大江も堪らず語気を強める。

「だから。やろうともしてないことでムキになって、出て行ったりしないでしょ?」

「あー。なるほどね」

大江を気にも掛けず、ようやく理解した峰は表情を晴らす。それは同時に彼女の悪癖が発揮される瞬間で、言い終わった頃には腰が浮いていた。

「こうしちゃいられない。新見さん追いかけなきゃ」

「えっ⁉ ちょ、ちょっと待ってよ」

「ああ、二人はこのまま活動を続けててもいいし、解散してもらっていいから」

「いやっ、そうじゃなくて……」

「ゴメン。任せた」

 切実に大江が訴えるも、時すでに遅し。合掌をした峰は、大江に背を向けている。

「田嶋はどうするんだ?」

 終始だんまりを決め込んでいた国府田が、さも興味無さそうに聞くも、「私がなんとかするから」とだけで取り付く島もなかった。

 一歩、また一歩とせせこましくドアに近づく峰の姿を、大江はまじまじと眺め、国府田は視界の端で追うなかで、峰がついにノブに手を掛けた。

残される二人は心していた。椅子の引き方然り、歩く勢い然り、絶対にドアを閉める際に配慮はないと。

——ガチャッ

勢い衰えず、峰はドアを開ける。そして、

「……」

 肩透かしをくらったのはドアも同じで、峰は閉めることなく出て行ってしまった。

「嵐のような子ね」

 呆気に取られた大江がぼそりと呟き、国府田が「だな」と短く同意する。

やたらと耳には部活に勤しむ生徒たちの声が届き、懸念していたことが現実となった今、大江ははたと困った。いくらコミュニケーション能力に長ける大江とは言え、関わりの薄い男子と二人きりにされたら若干の気まずさだって覚える。

だから、急場凌ぎの時事ネタだった。

「そう言えば、来月からウィルスが5類に引き下げられるみたいだけど、国府田くんはどうするの?」

 大江にとって常套句と言える切り出し方であったとしても、一方の国府田が同じとは限らない。受け取ったボールはしばらく国府田の手元にあった。

「……どうするとは?」

 国府田は止むを得ず質問で返すが、大江は表情ひとつ変えずに言った。

「いやー、常々思ってんたんだよね。このマスク邪魔だなって」

「ああ。そういうことか。ならとればいいじゃないか。確か、学校はつける必要なかっただろ?」

 日常トーク宛ら答える国府田の問いに対して、大江のアンサーはなく、気になった国府田は、大江に視線を向けると眉を寄せている。流石の国府田も首を傾げざるを得なかった。

「何か気に障ること言ったか?」

「いやっ、別に」

 そう言う大江の表情はやはり不満気だ。

「ひどく簡単に言うなと思っただけ」

「簡単も何も、マスクをとるだけなんだから難しくないだろ」

 国府田は至って平常運航だった。だから、大江から溜息が返ってきたときには、流石の国府田も顔を顰める。

「何だよ⁉ 感じ悪いな」

「ホントに国府田くんって、勉強だけしてきたんだね」

 大江の呆れ顔も相まって、いくら鈍感な国府田でさえもそれが皮肉であることは分かった。しかし、そこまでだった。

「なにが言いたいんだよ?」

 言葉に反して語気は弱く、攻勢は大江が有利だ。

「私たちって、入学した時点でマスクしてたわけじゃん?」

「ああ。それが?」

「分かんないかな、この気持ち。乙女に限ったことじゃないけど、好きな人に素顔見られるわけじゃん。ガッカリされたらどうしようって思うの。普通ならね」

 国府田はしばし視線を泳がせ考える素振りを見せるが、力及ばず、ばつの悪そうな表情を大江に向けるのだった。

「俺は別に思わないが」

「だろうね」

 如何にも落胆しきった表情だった。

そして、極め付けに溜息を吐かれた時には、流石の国府田も内心憤慨したが、決してそれをおくびにも出さない。いや、出せないと言った方が正しいのか。

それが国府田隆という男子生徒であった。

後に、大江の言葉はなく、徐にスクールバッグを漁ったと思いきや、悪びれる様子も見せずにスマホを取り出した。

親しき中にも礼儀あり。ましてや、知り合って間もない国府田と大江であるなら、尚更重んじなければいけなかった。万が一、時間を確かめるだけという可能性もあったが、図書室には据え付けの時計があるため、その線も薄い。

今後の身の振り方を考えるべく、国府田は視界の端で一部始終を観察する。

「……なんだか熱視線を感じるんですけど」

 不意に目を向けれた国府田は、思わず視線を逸らしてしまう。

「もしかして、国府田くんって校内でスマホの使用禁止とか言うタイプの人?」

「まあ、そんなに目くじらを立てるつもりは無いがな」

 国府田は言葉を濁す。

「そん(・・)な(・)に(・)ってことは、思うところがあるってことだよね」

 と、察しはついている口ぶりだが、大江の興味は専らスマホ。

「……」

 図星を指され、国府田の口は一文字。

「でもさ⁉」

 そう端を発す大江であるが、声音に抑揚はなく視線はスマホにあった。

「大目に見てよ。少なくとも秋までは密に関わるわけなんだからさ。そう堅苦しいこと言われたら、息が詰まっちゃうわ。それに国府田くんも嫌でしょ。聞いてももらえないことを言い続けるのは」

 その歯に衣着せぬ物言い。潔し。

「俺も極力無駄なことはしたくないからな。無礼講で行こうじゃないか」

「そうそう。気楽に気楽に。……おっ⁉ 来た来た」

 終始単調だった大江の口調に色が付く。

「どうやら今日は解散でいいみたいよ。ほらッ」

 躊躇(ためら)うことなく、大江は手元のスマホを国府田へと向ける。マット加工が施された画面に表示されていたのは、SNSアプリ上でのやり取り。にもかかわらず、躊躇せずに見せるということはそういうことで、国府田も遠慮なく覗き見た。


                 —昨日—


21:34 <明日、放課後。会議をするから図書室に集合ね。

     あと、新メンバーも来る予定だから、楽しみにし

     てて。じゃあ、よろ。


                           21:35 <OK。よろ。


                 —今日—


16:42 <どこいるの?             

     国府田くんと二人きりで気まずいんだけど。


                      16:45 <新見ちゃん、見つけた⁉

                        ゴメンだけど、今日は解散で。


16:46 <ナイス⁉


 最後の“ナイス”という言葉のあとに、大江はやたらとテンションの高いスタンプを送っていた。アプリ既存のスタンプで、金髪白人がサムズアップしているものだ。

それはきっと新見を見つけたことに対してのコメントなのはずだ。国府田もそう思いたかった。しかし、どうしても穿った見方をしてしまい、声のトーンも心なしか下がった。

「気まずくさせて、わるかったな」

「あっ」

 察した大江は声を漏らし、苦笑いを浮かべるとゆっくりスマホを返す。

「これは失敬失敬」

 大根役者さながらの仕草で、大江はさらに続ける。

「でも、やるねえ、国府田君。このコミュニケーションの化け物である私を気まずくさせるなんて。誇っていいよ」

 大江は得意げにそう言った。

一見すると強者のそれであるが、虚勢であることは一目瞭然。コミュニケーションの化け物だなんて如何にもな表現であるものの、強がるところは年相応で、目の前の大江という少女の一端を国府田は垣間見た気がした。

夕焼け小焼けで 日が暮れて……

どこからともなく聞こえてくる『ゆうやけこやけ』が。哀愁を誘い、日本人をホームへと誘うことで知られている。それに例外はなく、感情の起伏が乏しい国府田であっても気持ちが自宅に向いた。

 何しろ国府田には昨晩録画したオカルト番組が待っている。エリア51、ネス湖のネッシー、雪山に生息すると言われるイエティなど、深夜番組にふさわしいラインナップに興味本位で録画ボタンを押してしまった。

 そして、今に至るまで脳裏にはオカルト話の真偽について考察を繰り返したわけだが、人知の域を出ず、堂々巡りをしていた。

ゆえに大江のその言葉は鶴の一声となり、国府田も即答するのだった。

「帰ろっか」

「そうだな」

 時刻は17時過ぎ、グラウンドでは顧問の声出しの怒号が飛んでいた。

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青春脳共は、隣の芝生の青さを知る SAhyogo @SA76

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