第3話 勧誘Ⅱ

「ホント、田舎だよね」

 大江が図書室からの景観を望み、ぼやいた。

 

 関西地方某県の中腹に位置する丹後市は、風光明媚な場所で春ならソメイヨシノ、夏は田園風景が広がり、秋なら紅葉、冬なら一面の銀世界。最近では移住者が増えているらしいが、出入率の割合を考えると、圧倒的に出て行く人間のほうが多いので人口は右肩下がりを極めている。

 そんな長閑な山間部に、峰を含む者たちが通う丹後高校はあった。

「なんだか不満あり気だね。都会に憧れでもあるの?」

 窓際に椅子を並べ、3人仲良く横並びで黄昏ている最中である。

「何がどうってわけじゃないけど、隣の芝生は青いって言うじゃない。インフルエンサーの1日のルーティンなんかを見ていると、田舎の民は都会の煌びやかさに心躍ることもあるんだって。ねえ、新見ちゃん?」

「そ、そうですね。都市部に行けば、大抵のものはありますから」

「だよね。オシャレなカフェだったり、服だったり、映えるスポットだってたくさんあるじゃん」

 見た目が垢抜けている大江とは言え、思考はしっかり田舎育ちである。

「それはそうだけど、田舎には田舎の良さもあると思うよ」

「それこそ隣の芝生は青いってね。峰ちゃんは移住者だからそんなことが言えるんだよ」

「私ってそんなに都会人に見える?」

「別にそんなことはないけど、転校生は都会から来るって言う、私の勝手なイメージ」

「なるほどな。まあ丹後市に比べたら都会か。私、以前は、谷山市に住んでたんだ」

「谷山って隣町の?」

「そう」

「またどうしてそんな近くから?」

「まあ、いろいろあったんだ」

「へー、そうなんだ」

 昼間の陽気と満腹の相乗効果により、峰と大江の瞼は重い。いつしか2人は窓際の本棚に項垂れて、夢の国へと誘われかけている。そこでただ一人、新見だけがまともに会話ができる状況だが、新見に至っては端(はな)からスムーズな会話ができない。コードブルーである。

 それでも頼まざるを得ないほどに襲い掛かる睡魔。抗うことのできない峰は意識が遠退く最中、言うのだった。

「新見さん。国府田くんが来たら起こしてくれる?」

「わ、分かりました」

「ありがとう。おね……」

 そこで峰の意識は途切れた。


「……m1<0よりm1=-1/2であり、m2=2である.②について解と係数の関係から……、なるほどな。間違ってる。だからバンドメンバーの話は無しで。じゃあね」

 気障にポーズを決めて、国府田は颯爽と駆けて行く。そのキャラに若干の違和感を覚えつつも、峰は国府田の背中に向けて叫ぶ。

「そんなわけないから。だって、三大予備校のサイトから見つけた解答例なんだから。待ってよ、国府田くん」

そして、意識が飛んだと思いきや、目の前には大江の美しい顔。峰は思わず口から零(こぼ)れる。

「女神か」

少し呆れた表情ですら好感が持てる、その美しさ。

「もしかして、まだ寝惚(ねぼ)けてる? 予鈴鳴ったよ」

「——予鈴⁉」

 強制的に現実に戻された峰。跳ね起き周囲を窺うと、確かに残響が残っている。そう長くない人生であるが、こんな失態があっただろうか。いや、ない。

峰は痛恨のミスに、唇を噛まざるを得なかった。

「国府田くんは? 帰っちゃった?」

「いやっ、それがね。私も寝てて知らないんだけど、新見ちゃん曰く……」

 大江が会話のバトンを新見へと渡した。

「お、お越しにならなかったようです。来たのはいつもの通り、あの方のみで……」

 新見の視線を追うと、そこには言うまでもなく田嶋の姿。椅子を3脚並べて簡易ベットを作り、予鈴が鳴ったにも関わらず未だ尚、完全に椅子に伏している。昨日にも増して寝る体勢に磨きがかかっていた。

「いやはや、えらく寛いでるじゃん。じゃなくて。なんでどうして、国府田くん来てないの?」

 大江と新見は見合い、さあと言わんばかりに肩をすくめる。

「まさか、逃げたとか」

「まあまあ、峰ちゃん落ち着きなよ。国府田くんだって、遥か遠くに行ったわけじゃないでしょ。それに、場所の指定はしてなかったわけだから、案外教室で待ってたかも」

「んー、その可能性は否めない」

 自身の爪の甘さに、峰は再び唇を噛んだ。

「まあ、いる場所は分かってるんだからさ。放課後、直行しようよ」

「そうねそうね。そうしよう。新見さんは無理しなくてもいいよ。全然、自分の用事を優先してもらっていいから」

「だ、大丈夫です。大抵、放課後は暇しているので」

「よしっ。なら、放課後は国府田くんのクラスに突撃ね。今回は絶対に度肝抜いてやるんだから」

 意気込み、立ち上がった大江は椅子の後ろに回った。フンッと腹に力を入れて椅子を上げて、持って行くのは元の場所。それに倣って二人も腰を上げるが、峰は片づけに戸惑いワンテンポ遅れる。先では大江が「田嶋くん、予鈴鳴ったよ」と喚起しており、その後を新見が追う。

 乱暴に椅子を戻し、慌てて峰も連れ立っていくが、役目を果たせず上着のポケットに仕舞われた一枚のルーズリーフが不憫でならなかった。


時間は移ろい、影が東に伸びる。何処からともなく吹く風は冷たく、火照った頬をさらった。帰り支度を済ませ全校生徒が各々帰路に着く中で、峰を含めた3人の所在は未だ校舎内にある。

と、ここまでは昨日とほぼ差異はなく、国府田が所属する教室の前でおち合うというところまでも同じで、今は向かう最中だった。

峰の所属するクラスは3年7組。対して国府田は1組。だから、4組の大江、6組の新見に比べたら若干距離はあるものの、拾って行くと考えれば、大した苦ではない。

峰はスタスタと学校指定のスリッパを鳴らし、歩みを進めた。

放課後の解放感のせいで、廊下はどんちゃん騒ぎ。その間を、峰は闊歩していく。

隣の教室内を窺うも、新見の姿はなく、そこから2つ隣の4組の教室にも2人の姿はなかった。居ないということは既に、国府田のところに向かったということで、峰の歩みも速さが増した。

軽く息の上がった峰。前方には3年1組のプレートが見えていた。その付近に2人は居るものだと思い、峰は視線を巡らすが居たのは2組の教室の前。大江が合流のその時を待ちわびる最中、峰と目が合った。ハッと目を開く大江は途端に、大きなアクションで招く。その大袈裟な身振りに感化されて、駆け出す峰は完全に息が上がってしまった。整える間もなく、寄せられる肩。息の掛かる距離に峰は内心ドキドキしている他所で、大江は何やら機嫌が悪い。

「先客がいるみたい」

「友達がいるぐらいで、そんな目くじら立てなくても……」

「それが本当に友達ならね」

 大江は言葉に含みを持たせ、視線を1組の教室に向けた。見てきたらの意に違いない。

 峰は体を教室側に寄せ、国府田からの目線を切る。ゆっくりと戸口まで忍び、室内を窺うと確かに国府田はいた。引きつった笑みを浮かべて、隣を陣取る女子生徒と会話をしているが、お世辞にも楽しそうには見えない。右足の貧乏ゆすりは絶え間なく、右手にあるペンは目を回しているに違いなかった。そこまで見れば、峰も国府田が苛立ちを募らせていることぐらい見て取れる。これは徳を積むチャンスでもあったが、懸念されることもあった。国府田の隣にいる女子生徒。よくよく見ると、あの大江が顔を顰めたいつぞやの女子生徒ではないか。

その事実を知りながら、大江を巻き込むのはいくら見切り発射の峰であったとしても、気が引ける。

 だから、シンキングタイムに入ろうと顔を下げようとした矢先、峰は救いを求める国府田と目が合ってしまう。助力を求める時間などはなく、行くしかなかった。

 姿勢を正し、身なりを整え、峰は教室へと入って行く。さも別の用事で来たというふうに。

 キョロキョロと架空の友人を探す素振りを見せているが、峰の足先はしっかりと国府田を向いている。

 そして、声を張らずとも会話が成り立つ程度まで近付くと、奇遇を装い峰は言うのだった。

「これはこれは、国府田くんじゃん。友達といるなんて、珍しいね」

 初手は挨拶代わりの軽いジャブ。

「大きなお世話だ」

 と躱され、

「それより今日は一人なんだ。あの二人には逃げられたのか?」

 と手酷いカウンターをもらう。しかし、その反撃に耐える峰は、渾身のストレートを繰り出した。

「決して逃げられてはないよ。何故だか入りづらいみたいで外で待ってる。逃げたで言えば、それは国府田くんの方じゃない? 昼休み、図書室に来なかったじゃん」

 脳震盪をも起こしかねない鋭い右ストレート。さぞかし堪えているだろうと峰は国府田の表情を窺っているが、一向に変化はなく、どこ吹く風というふうだ。

「まあ場所を指定していなかったじゃないかという言い訳は止めとくとして、イレギュラーな事態が起こったんだよ」

「というと?」

「彼女さ」

 目だけで視線を誘導する国府田。その先にいるには、隣に座る女子生徒。「どうも」と口元に笑みを浮かべて、手を振る様が心底鼻につく。

「で、彼女がどうしたの?」

「昼休みから絡んでくるんだよ。理由は知らないけど」

「隆くんったら、そんな言い方ないよ。私は一人でも多く、お友達を作りたいだけなのに」

 特徴的な鼻から抜ける声。峰にとって、それも鼻につく。

「そ、そうだったんだ。まあ何もなかったのなら安心したよ。それで例の件なんだけど」

「嗚呼、できたのか?」

「うん」

 昼休みより出番を心待ちにしていたリーズリーフが今、日の目を見る。上着のポケットから4つ折りの紙を取り出し、峰は恐る恐る国府田の机に置いた。心配そうに行末の見守る峰の傍ら、国府田は問題集から解答を探す。

 隣の女子生徒が絡むが、国府田は気にも留めない。該当するページを開き、ルーズリーフと問題集を交互に指でなぞる。不審点があればその都度止まるので、峰も気がきでなかった。

 真剣な眼差しで隈無く照らし合わせる姿に、峰は自身の不正に若干の罪悪感を抱くのだった。

 そして、国府田が用紙をなぞり終えて一言。

「よく出来てる」

 国府田は視線を峰に移し、続けた。

「証明の構成も素晴らしいし、完璧と言える答案だ。どうやら俺は、峰さんを見くびっていたかもしれない」

 手放しで褒める国府田であるが、一貫して表情は変わらない。そんな彼に直視され続け、峰も腹を探られているようでならなかった。

 緊張で掌が湿る。

「……ごめん、国府田くん」

 ついに観念した峰。堪らず深々と頭を下げた。

「私、ずるした。ネットに載ってた解答例をカンニングしちゃったの」

 それは言わなければ分からないことで、言わなかったとしても誰も傷付かないこと。にも関わらず、峰が口にするのは、国府田の真剣な眼差しが引っ掛かったからだ。仮に国府田の腹が断りたいだけで粗探しをしているのだとしても、それは峰の預かり知らぬところ。只、峰は自身の不誠実さを清算したかっただけなのだ。

 それがどんな結果を齎(もたら)そうとも——。

「やめてくれよ」

 ボソリと呟く国府田。対して、峰は「でも……」と弱々しく異を唱えるだけ。腰を90度に折り、顔だけを上げた峰は、国府田の浮かない表情を見る。そこに「やめてくれ」の意味も含まれているはずだが、側だけでは到底理解できず、峰は後の言葉を待った。

「謝られたら、こっちまで申し訳ない気持ちになるじゃないか」

「それは一体、どういう意味?」

 深まる疑問に頭を傾げる峰は、思わず問う。

「悪いと思ったんだけどな。謀らせてもらった。峰さんの人間性が知りたくて」

 首尾よく会話を展開する国府田であるが、峰の理解度と言えば3パーセントにも満たない。疑問を拭うことができず、返す言葉がなかった。ゆえに常時、国府田のフェーズである。

「この答案って、大井塾のサイトから拾ってきただろ?」

「うん、そうだけど。どうして分かったの?」

「そう難しいことじゃない。『大学名』と『2022年二次試験解答例』で検索したら、一番上に出てくるからな」

「そうね。確かにそうだった」

 峰は昨晩のことを想起する。

「最初は3人で通話繋いで、一生懸命考えてたんだよ。でも、どうしても分からなくて。それでよーく写真を見てみたら、問題集の隅にいつの問題かが書いてあるじゃない。だから、つい検索しちゃった。こんなことなら、言うんじゃなかった」

「そう悔しがる必要はない。そんなことをしてたら、正解だろうと断っていたからな。言っただろ、謀ったって。不正を働いても、正直に認めて自分から言い出せるかどうかが知りたかったんだよ」

 その言い分に、峰は笑うしかなかった。

「いい性格してるね、国府田くん」

「どうも」

「別に誉めてないけど」

 と峰はピシャリと言い切る。そして、続けた。

「でも、それだと私がより先のサイトを見ていたら、国府田くんは気付かないんじゃない?」

「まあ、それは警察の見ていないところでスピード違反している運転手と同じってことで不問に伏すしかないな」

「何よそれ。いい加減ねえ。それで——。どうして私、謀られたの?」

「それは決まってるだろ。これから関わろうとしている人間なんだから、知ろうとするのは当たり前じゃないか」

「……」

 峰はまじまじと国府田を見る。その瞳に偽りはなく、となると一つの仮説が脳裏に過ぎった。

「それってつまりは、問題を出す前から謀ろうとしたってことだよね。ということは、その時すでにメンバーに加わろうとしてたってこと? あんなに拒んでたのに……」

 峰は上がる口角を抑え切ることができず、憚ることなくニヤけ面になる。それを察した国府田。図星を突かれたと知り、視線を手元に落とした。

「なに——。よく言うじゃないか。隣の芝生は青く見えるって。直向(ひたむ)きに頑張ろうとする峰さんが、羨ましく見えたのかもしれないな。覚えてないけど」

「またまた、照れちゃって。昨日の今日だよ。忘れるわけないじゃん」

 峰は安堵から感情が溢れそうになるも、ここは公共の場。慎ましく笑うのだった。一方の国府田はと言うと、全くブレない。すでに視線を問題集とノートの間を、行ったり来たり往復させていた。

 総じて事は収束に向かいつつあったが、詰める話が山積していることも事実。ゆえに急務とされるのが連絡先の交換である。

 峰は上着のポケットにあるスマホを手にした、その瞬間。鳴りを潜めていた人物が唐突に声を上げる。

「ねえ、隆くん。私のこと無視しないでよ。さっきから何を楽しそうに話してるの?」

 あくまでも矛先は国府田である。発言権を持たない峰は口を真一文字に紡ぐばかりで、何も言えない。全権は国府田に委ねられていた。

 おもむろに国府田が心無く呟く、「ああ」と。始まりがそれであるから、続く言葉がハートフルなはずがない。

「すまん、忘れていた。まだいたのか」

 それは余りにも辛辣な言葉で、言われた女子生徒も開いた口が閉まらず、峰も途方に暮れるしかなかった。

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