第2話 瑠々
千早は家を飛び出してから無我夢中に走り続けた。
体は怪獣になったとはいえ、その身体性能は国民的ヒーローらしく市街地を駆け抜ける姿は誰の目にもとまらぬほどのスピードであった。
そして走り続けて数分。
「はあはあっ……」
千早はとある敷地内にある建物の物陰に腰を下ろした。
身を隠すように。
いつもより重い体。
高い体温。
なんだか生臭く感じる息。
その全てが今まさに自身が怪獣なんだということを知らせてくる。
「一体なんでこんなことに……」
どうしようもなくなって空を見上げるがそこに答えがあるわけもなく、ただただ彼の存在すらも吸い込んで消してしまいそうな青が広がるだけであった。
夢であってほしい。
シンプルに彼は思う。
「あれ? 千早」
そんな意気消沈モードの彼の耳に聞きなれた声が届く。
「瑠々?」
視線を右に向けるとそこに立つのは可憐という言葉をその身で体現してしまったような少女。
その腰まである黒髪は揺れていないのにまるで揺れているような柔らかさを醸し出し、その手足は細いながらもどこかに芯を感じさせる力強さがあった。
「あ、ここは殲女だったか」
そう、千早が入り込んでしまったのは、怪獣殲滅女学園大学附属怪獣殲滅女学園高等学校、通称・殲女であった。
怪獣殲滅のために作られた小中高大一貫の女学園。
その高等部である。
「って、瑠々は俺のこと俺だってわかるのか? 今の俺の姿、そのなんだいつもと違い過ぎるだろ」
肩を竦める彼女。
「当り前じゃない。何年あんたの幼馴染やってると思ってんのよ」
瑠々は千早の幼稚園の頃からの幼馴染で、家同士も歩いて数秒のところに存在していた。そのため幼少の頃より遊び遊ばれ振り振られてはいないけれども、家族ぐるみでの付き合いをしてきた仲である。
「そっか。瑠々は俺だってわかるのか」
千早は思わず目頭を熱くする。
幼馴染っていいな。
千早は素直にそう思えた。
この瞬間は。
「もう、なんで泣いてんのよ」
瑠々は千早の頭を優しく撫でた。
その温かさが千早の疲れた心と体に染み込んできた。
「それでさ、千早」
「うん?」
「もちろん、あなたを私が倒していいのよね」
先ほどまでの半分が優しさでできてますといった笑みはどこへやら。
獲物を前にした肉食獣のように鋭い眼光が千早に突き刺さる。
その圧に千早は口角を上げてアヒル口をすることしかできなかった。
殲女。
日本屈指のお嬢様学校であると同時に、ヒーロー養成機関としても日本随一の名門である。
そんな学校に通う彼女が、瑠々が、目の前に存在する怪獣に対して我慢できるわけもなく。
「怪獣は倒すべきものでしょう。そして千早は私の幼馴染で大事な大事な
思わない、そう言いたくて口を開けるも乾いた呼吸音が排出されるのみ。
そもそも、と千早は思う。
いつから俺は君のお婿さん候補になったんだよ、と。
彼女の周囲の空間が歪み始める。
彼女の能力は『
任意の空間範囲に存在するすべてを消し去る能力である。
ヒーロー遺伝子の最たる特徴は、性格、その中でも特に尖った部分をもろに反映した能力を開花させることである。
そして瑠々の能力に影響を及ぼしたのは彼女の圧倒的な『独占欲』。
幼馴染である千早を一目見た三歳の時、彼女は一生この幼馴染と生きていくことを決めていたのである。
怖くはない、愛が深いのである。
ただ、深すぎて一度落ちると上がってこれないというだけで。
それを本能的に感じていた千早は、幼馴染という距離感から詰め寄ろうとはしなかった。
もちろん、彼に対して献身的な彼女の姿に何度も絆されそうになったが、それでもあと一歩のところで踏みとどまってきたのである。
だって、落ちたら終わりだから。
落としたら餌を窒息するまで与えるタイプ。
それが瑠々である。
死にたくないのは皆同じ。
ヒーローは強ければ強いほど変態じみている。
世の中の共通理解である。
「大丈夫。痛くしないから」
可憐な少女から溢れる涙。
その雫一粒一粒に、幼馴染である千早との思い出、そして彼への思いが詰まっている。
と、彼女は感じている。
それを見た彼は、涙に触れたら終わりなような気がして何歩も後ずさる。
「私があなたを消すことで、私の中であなたは生涯消えない存在となれるのよ。あとうちの財力で渋谷駅の前に銅像立ててあげる」
「いや、勘弁しほてしいな」
「さようなら。ありがとう」
彼女の能力が発動する。
千早を取り巻く空間が歪む。
ああ、終わったな。
彼はあっさりと諦めた。
なぜなら結局彼も瑠々のことが嫌いではないから。
怪獣になってしまった今、確かに彼女に殺されるのはありかもしれない。
銅像は嫌だけれども。
そう、彼は能力発動までの瞬きすら許されない時間の中で結論に達したのである。
しかし、そんな切ない決断をした彼が消えることはなかった。
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