九人の少女は愛する彼と結婚するために彼を全力で殺しにいきます

りつりん

第1話 怪獣と彼とヒーローと

 怪獣が世界からいなくなって早いものでもうかれこれ一年が経つ。

 時の流れはとは残酷なもので、怪獣を世界から殲滅したヒーローも時が過ぎればただの人。

 町で声を掛けられる回数も減り、サングラスが似合わないと気づき始め、持ち歩いていたサインペンもいつの間にか玄関の下駄箱の上に置きっぱなし。

 非日常だったはずの「日常」が日常となっていく。

 アツアツだったはずのお風呂が徐々に温くなっていくような感覚。

 まあ、平和も平和でいいもんだと思う。

 ただ、平和には刺激がない。

 物心ついた頃から怪獣と戦うというアドレナリン出っぱなしの刺激的な毎日を送ってきた彼、坂本千早にとって、平和という引っかかりどころのない滑らかな球体を思わせる日々は退屈そのものだった。

 だからこそ、だろうと彼は後に考える。

 だからこそ、あんなことになってしまったのだろうと。

 もしそうなることが分かっていれば、平和に流れていくなんでもない日々にもっと感謝し、有意義に生きていたであろうと。



 その日は突然訪れた。

 なんの前触れもなく。

 なんの予兆もなく。

 静かに訪れた。

 その日は朝から体が重く感じた。

 ベッドから起きるのも辛いくらい体が重かった。

 それでも皆勤賞まっしぐらの千早は休むわけにはいかないと自身への責任感を抱えながらリビングのある一階に下りて行った。

「おはよう。姉ちゃん、今日学校まで送ってってくれない? なんか体重くてさ」

「なーに甘えたこと言ってんのよ」

 ダイニングテーブルに座りながら化粧をしていた姉は、呆れたような声を出しつつ情けないことをいう弟を叱咤するために視線を向ける。

「皆勤賞は自身の手でつかみ取らないと意味ないでしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 姉は叫んだ。

 朝から激しく揺らされたくない鼓膜が悲しそうに揺れる。

「いや、うるさっ。朝からなんて声出してんだよ」

「いやいやいやそれはこっちの台詞よ」

 目ん玉飛び出すのかなってくらい目を剥く姉。

 そんな姉のリアクションにビビる弟。

 姉である香苗は基本的に冷静沈着である。

 そんな姉が見せた動揺。

 弟も動揺せざるをえまい。

 協調性。

「顔怖い怖い。どうしたんだよ」

「ちょちょちょちょ、千早なんだよね?」

「は? 何言ってんだよ姉ちゃん。俺は俺に決まってんだろ。それよりも体ダルいから学校に……は?」

 姉は化粧に使用していたミラーをこちらに向ける。

 その小さな鏡の中に映っていたのは実に怪獣らしい顔をした誰か。額の少し上から短めの角が生え、目は鋭く上に向かって尖り、口から覗くのはおよそ人間のものとは思えない牙、そして何よりも柔らかな皮膚のある表面に存在するのはまるで岩のような固さを有しているように見える皮膚。

「あれ? 怪獣ってもういなくなったんじゃないっけ?」

 ミラーに映る存在とその意味を理解できずに千早は頭の上に疑問符を植え付ける。

「いやいやいやいや、これ、あんたなんだって」

 姉はさらに動揺を深める。

「……え?」

 ここでようやく現実に思考が追いついた千早は改めてミラーを覗く。

「これが、本当に俺?」

 頷く姉。

「これは、怪獣だよな?」

 再び頷く姉。

「うえええええええええええええええええええええええええええええええええええい!」

 叫んだ。

 千早は叫んだ。

 しかしその声は普段の声とは異なり、異様に濁って聞こえた。

「てか、あんたさ、皆勤賞とか言ってる場合じゃないって。とりあえず今日は家から出ない方がよくない?」

 少しだけいつもの冷静さを取り戻した姉は心配そうに千早に声をかける。

「あ、ああ、そう、かも……」

 千早は姉からの提案の意味を即座に理解する。

 そう、時代は今、怪獣喪失時代。

 初めて地球上で怪獣が観測されたのはおよそ二百年前。

 当時の怪獣は人間程度の大きさしかなかったものの、時代を経るごとにその大きさを増し、ついにはビルほどの大きさの怪獣がやたらと出現するようになった。

 四六時中。

 昼夜問わず。

 そんな怪獣に対抗するために日本政府は国民総ヒーロー計画を打ち出した。

 現在存在する市民、そしてこれから生まれてくる子どもたちすべてにヒーロー遺伝子の注入が義務づけられたのである。

 国民はそのヒーロー遺伝子により、特異な能力に目覚めていく。

 ある者は体から火を発現させ、ある者はまるで大型恐竜のような膂力を獲得し、ある者は自身の体をいくつにも分裂させることができるようになった。

 そしてそれらの発現した能力を武器に、多くの国民が怪獣との戦いに日夜明け暮れることになった。

 ある者は仕事の合間に、ある者は学校からの帰り道に、ある者は夕飯の買い出しの途中に怪獣との交戦を余儀なくされた。

 そう、この二百年をかけて人々の日常に怪獣殲滅という行為が当たり前に組み込まれていったのである。

 そんな地球を揺るがす怪獣頻出の原因はすぐに判明した。

 それは宇宙人による地球の侵略であった。

 地球の資源などもろもろをとにかく欲しい。

 邪魔するなら怪獣増やす。

 そんなシンプルなメッセージだけを人類に投じた宇宙人はしこたま怪獣を送り続けた。

 さて、さきほどのヒーロー遺伝子だが、その能力を開花させることができるものは全体の九十九・九パーセント。

 さらに、単独で大型の怪獣を倒せるほどの能力を開花させることができるものは全体の一パーセント。

 さらにさらに、大型の怪獣を複数体同時に相手にできるものは、そう、千早の家族だけであった。

 そのため、千早の家族である父と母と姉、そして千早は国民総ヒーロー時代にあって特別な存在感を放っていた。

まさにヒーローの中のヒーロー。

 特別な存在。

 国民にとってのヴェルタースオリジナル。

 こんな時代がずっと続くんだろう。

 千早たちはそう考えていた。

 しかし、地球侵略をもくろんでいた宇宙人が突如として怪獣を送り込むのをやめ、地球から撤退したのが一年前。

 理由は「なんでこんなに投資してまでこの星を侵略しようとしたのかよくわからない。これからは自身の星のために投資する方がいいと判断した。環境問題、貧困問題、お互いに抱えている問題は同じですね」ということらしい。

 そして地球からは一切の怪獣の姿が消えてしまった。

 平和にはなったものの、一方で人々のフラストレーションは溜まりに溜まっていった。

 怪獣を倒すために生まれたときから訓練をしてきたすべての国民がそのフラストレーションの行き先を失ってしまっていた。

 慰め程度の怪獣殲滅ゲームが発売されたり、政府による怪獣消失記念減税が実施されたりしたものの、全くもってガス抜きにはならず人々の心はただただ怪獣を欲していた。

 そう、つまり今現在、宇宙人による侵略が収まってからの一年間の間、地球上に怪獣と呼べる存在はいないのである。

 いや、いなかったのである。

 今朝までは。

「そうだよ。外に出たら確実に倒されちゃう……倒して、いいの?」

「は?」

 唐突な姉からの提案。

 姉の目には不穏な光が瞬いていた。

「いや、倒すって、俺弟だよ」

「わかってるよ。でも今は怪獣だよね? 怪獣は倒すもんだって、小学校でも習ったでしょ?」

 椅子から立ち上がり一歩、千早との距離を詰める姉。

 一歩、距離を取る千早。

 最強ヒーロー一家の名に恥じぬ姉からの極上のプレッシャー。

 その彼女の手に青い炎が揺らめき始めている。

 その青い炎が、その圧倒的な熱が、多くの怪獣を屠ってきたことを証明するかのように、それを見つめる千早の額には大粒の汗が滲みだしていく。

「あんたもわかってるでしょ。今目の前に怪獣が現れたら我慢できないってことくらい」

 香苗は弟に向けてはいけない淫靡な目線を送る。

 まるで発情しているかのように、体を覆う空気が妖しく揺れ、唇が麗しく跳ねる。

 口の端からも妖艶な青い炎が溢れ出し始めている。

「落ち着けって。その気持ちはわかるけど、俺は人間だって」

「そんななりして何言ってんのよ。赤の他人にヤられる前に私がヤッてあげるから安心なさい」

 さらに一歩、距離を詰める香苗。

 手から漏れる炎がさらに青く、大きくなっていく。

「待ちなさい」

「父さん……」

 姉弟の緊迫感溢れるやり取りを無視するかのように静かに新聞を読んでいた父が顔を上げた。

「本当に千早なのか?」

 父の鋭い眼光に千早と香苗は思わず背筋を伸ばす。

「もちろん」

 千早は父へしっかりと言葉を届ける。

「そうか。千早なんだな」

 父は新聞を丁寧に折りたたんでテーブルに置き、お茶を一口。父から次に飛び出す言葉が自身の運命を決める。

 そんな予感が千早の中に存在した。

 父は偉大だった。

 幼き頃から怪獣を倒すために絶え間ない努力を続けてきた父。

 どんなに苦境に立たされようとも決してあきらめることなく戦い続けた父。

 仲間を、家族を、街を守るために時には自身すら犠牲にしてきた父。

 日本を背負っていたといっても過言ではない父。

 そんな父だからこそ、そんな父から発せられる言葉であるからこそ千早は受け止める覚悟を決めた。

「父さんな、来週誕生日なんだ」

 言葉の意味を捉えきれなかった千早はフリーズする。

「ああ、いや済まない。言葉が足りなかったな。その、あれだ、来週誕生日だから少し早いがそのプレゼントとして怪獣になった千早を倒させ……」

「いや、倒させないよ! 何誕生だから倒させてくれてもいいジャン的な目でこっち見てんだよ。ふざんけんなよ!」

 父は偉大だった。

 そう過去形である。

 今まさに威厳のある父像は千早の中で崩れ去ったである。

 父だって人間だ。

 物心ついてから倒し続けてきた怪獣が急にいなくなったのである。

 さみしいに決まっている。

 だって、人間だもの。

「プレゼント、期待しているわけじゃないからな」

「いや、アプローチ変えても無駄よ? 俺は怪獣として倒されるつもり毛頭ないからね」

「じゃあ私が……」

「いや、もう、うるさいな! 俺は絶対倒されるつもりないからな!」

「待ちなさい!」

「父さん、五十五になるんだぞ!」

 二人の静止を振り切り、千早は外へと飛び出していった。

 そこで待つ過酷な試練にも気づくことなく、飛び出していった。

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