第三十二話 呉越造船

「よく知らせてくれたわね。あなたたちの勇気ある行動に敬意と感謝を表するわ」


 駆け込んできた黄金の林檎の面々に、成増さんはいつになく真剣な表情で頭を下げた。


「いえ。ただ報告しただけで、対応策もなく、丸投げする形で何もできないのが申し訳ないですけど」


 俺たちの前で、カワウソっぽい顔をした女性が深く頭を下げる。


 その立ち居振る舞いとよく通る声で、彼女がリーダーのヘラだと分かった。


 背の高い美人がディーテであることは明白だから、消去法で猫背の子がアテナか。


「いいえ、原因が特定されただけでもありがたいわ。ちょっと今から、ガイアの上と掛け合ってくるから待ってて。あなたたち三人の不利になるようなことにはしないと約束する」


 成増さんがそう言い残して、スマホを取り出して、俺たちに背を向ける。


「よろしくお願いします……」


 不安そうな顔でまた頭を下げる。


「成増さんは適当な所もあるけど、一番大事なところだけは間違えない人だから安心していい。――えっと、リーダーのヘラさん、でいいんだよな。それとも、レナちと呼んだ方がいいか?」


 俺はそう声をかけた。


 アウェイで気まずそうだし、競争相手とはいえ、これくらいの気は遣ってもいいだろう。


「どちらでも。――あなたが吠でしょう。ガワのイメージそのままね。すぐにわかったわ」


「そうか?」


 首を傾げる。


 あまり自覚はない。


 やっているうちにガワに引きずられたりするんだろうか。


「吠は音程は正確でよかったです。もうちょっと歌詞を読みこんで教科書的でない世界観の解釈をしてください。それと、強弱を意識すると良いかと思います。あ、さすがにいい音響機材を使ってますね」


 アテナの中の人が一方的にそうまくし立ててくる。


「あ、はい。どうも」


 俺は頷いて、軽く頭を下げる。


 褒められてるのか叱られてるのか。


「お久ぶりねー。あっ、それ、新作デイジーの新作でしょ? 私も持って――」


「気が散る。今、イベント中」


 ディーテの中の人は、タブレットでFPSをプレイ中の明璃に絡み、すげなく追い払われている。


 うちの子がすいません。


「あわわ、どうしよう、しねちゃん、本物の貞子Pとレナちですよー。これって、サインをお願いしてもいいんでしょうかー。マナー違反ですか!?」


「ルル、気持ちは分かるけど、今、そういう状況じゃないかも。でも、やっぱり本物のモデルさんはオーラあるよね。ユッキーも美人なモデルさんだけどゲーム大好きのイメージの方が強いし」


 周囲に遠慮しながらも、豊橋姉妹が静かに興奮している。


「……アンタゴは全員、余裕ですね」


「これは勝てないわね」


 アテナとヘラの中の人が、顔を見合して肩をすくめた。


「お待たせ! ガイアと話がついたわ。向こうのスタッフがとりあえず経堂を確保した。さすがに会場設営の派遣バイトを買収されてもそこまで監視できないっての――とかの諸々の清算は後回しにして、とりあえず現場の指揮権はぶん取ってきたわよ!」


 成増さんが手にしたスマホを振りながら戻ってくる。


「こうなると、Vのモデルを管理するPCは全とっかえですか?」


「そうなるわね。予備のPCは用意してあるけれど、さすがに今から機材の調整するとなると、二時間――いえ、ガイアのスタッフを引っ張ってきたら、一時間ちょいでいけるかしら。休憩時間を伸ばして、前半のダイジェストを流して――多少の観客が帰ることは覚悟しなきゃいけないけど、それでも中止よりは全然マシだと思うしかないわね」


 成増さんが目を閉じて、自身に言い聞かせるように語る。


「……そうですか。悔しいですね」


「いっぱい練習したのに、残念ですー」


「うん。でも、仕方ないよね」


「――そんなに時間が空くならノートPC持ってきとけばよかった」


 一名を除き、アンタゴニストみんなが下を向く。


「くそっ、もし俺が女だったら、時間を稼げたかもしれないのに」


 俺は唇を噛んだ。


 身長もプロゲーマーとしての才能もないない尽くしの俺は、不利な状況で戦うのには慣れている。さっきからあれこれ打開策を考えていたが、だが、それでもどうにもならないことはあるものだ。どうしてもパズルのピースが足りない。


「ん? どういうこと?」


 成増さんがパッと目を開ける。


「いや、そもそも、Vの挙動を管理するPCが壊されても、音響と照明機材自体は生きてるじゃないですか。会場を撮影して配信する設備も、モデルを管理するPCとは別ですよね」


 ウイルスだって万能ではないし、こちらとてなるべくスタンドアローンでいけるようなリスクヘッジくらいはしている。


「そうだけど、肝心の配信するコンテンツがなければどうしようもないじゃない」


「はい。だったら、今、即席でそのコンテンツを作っちゃえばいいかなって。改めて言うまでもないですが、うちの強みはVの技術ですけど、ガイアは2.5次元的な舞台が得意じゃないですか。だから、そのガイアのスタッフを使えるならワンチャンあるかと思ったんですよ」


「うーん、理屈としては分かるけど、アンタゴニストは2.5次元化なんて想定してないし、その訓練もしていない。だから、急にやっても忘年会の余興レベルのクオリティにしかならないでしょう。そんなものを観客に見せても盛り下がらない?」


 腕組みして首を傾げる。


「ですよね。だから、例えばですけど、多少荒があっても許される、それこそ余興的な立ち位置で――そう、例えば、ガイアの方ではセツとディーテさん――えっと、正確には明璃と鵯越さんにコスプレありのリアルファッションショーをやってもらうとか、うちの方では貞子Pさんに演奏してもらって、ルルかシネに歌ってもらって、俺が踊ればそれなりに見られるものになるかもしれないと思いました」


 俺は頷いてその場で軽くターンした。


「えっと、ほえルン、つまり、アンタゴニストと黄金の林檎でコラボするってこと?」


 籾慈が確認するように言う。


「うん。もうこうなったら、最初から今回の揉め事は全部、プロレスだったことにすればいいかなって。正直、現時点でもガチで対立煽りを真に受けてそうな過激なファンがちらほらいるし、その人たちも落ち着てくれるきっかけにもなりそうだし」


「……あの、私が口を挟めた義理じゃないかもしれないけど、それだと、対決を真剣に応援してくれたそれぞれのファンが冷めるんじゃない?」


 ヘラの中の人がおずおず手を挙げて言う。


「もちろん、冷める層もいるだろうけど、建前としては、中身とガワは別だから。バレバレだけど、ギリルール違反ではないかなと思ってる。今回の対決をプロレス的なエンタメとして楽しんでいる層と、ガチの戦争だと思っている層なら、正直、俺は前者に残って欲しい」


 正直に答える。


 本来、V好きならガイアだろうとシューティングスターだろうと、気に入ったVを応援するはずなのだ。事務所自体を応援するというファンもありがたいけど、あまりに帰属意識を持ちすぎているファンはちょっと怖い。


「えっと、よくわからないですけど、ルルは仲良しの方が好きなので、ボスに賛成ですー」


 咲良が両手を挙げてぴょんぴょんと跳びはねる。


「ありがとう。あ、でも、レナちさんも貞子Pさんも鵯越さんも勝手にこっちに協力してくれる前提で話してすみません」


 俺は黄金の林檎に向き直り頭を下げた。


「私は別に構いません。ちなみに、一度聞いた曲は耳コピできるんで、有名なボカロやアニソン曲や、既発表のアンタゴニストの曲は全部弾けます」


「ま、私もプロのモデルだから、どんな服でも着こなしてみせるわよ。ね、雪女さん?」


「服着て歩くだけでしょ? やってもいい。でも、対価は後できっちり払ってもらう」


 明璃がタブレットから目を離さないまま、悪魔のように無機質な声で言った。


「と、こんな感じで考えてみたんですよ。もちろん、失敗すれば両方の評判が落ちるリスクはありますけど」


「失敗したとしても明かに事故ったこと丸出しで、穴を開けるよりはマシね。ガイアはライバルだけど、全面抗争にはしたくないから、和解方向に持ってくのにも賛成だし。いいじゃない! 一体、なにが問題なの? これで行きましょうよ」


 成増さんが喜色を浮かべて膝を打つ。


「いや、だって、2.5次元をやるには、双方のステージに、それぞれのグループから最低一名、生身で顔を晒して出られる人間を確保しなきゃいけないでしょう。そうしないと2.5次元的な『コラボ』にはならない。黄金の林檎からは貞子Pさんと鵯越さんに出てもらうとして、アンタゴで出せるのはセツ――明璃だけです。シネとルルは中の人が顔出しNGだし、そもそもリアルだとVのように合体できないので物理的にダンスをすることが不可能です。だから、どうやっても成立しないんですよ」


 俺は肩を落とす。


 もし俺が女だったら、このアイデアは成立していた。


 だけど、こればかりは、俺自身の意思ではどうにもならないことだ。


「確かに、籾慈と咲良は未成年だし、親御さんとの約束だし、顔出しはできないわね。でも、三雲くんがいるじゃない」


 真顔で言ってくる。


「は? いや、なにを言ってるんですか。だって俺、男ですよ。男バレしたら、吠の中性的なキャラが否定されることはもちろん、女性Ⅴだけのシューティングスターというイメージが崩れます。大スキャンダルですよ!」


 思わず声を荒らげる。


「……なら、女の子になればいいじゃない」


「はい?」


「だから、三雲くんが女の子になればいいじゃない!」


 成増さんが俺の肩を掴み、血走った目で言ってくる。


「成増さん。狂いました? みんな、何とか言ってやってくれ」


 俺はアンタゴニストの仲間たちを見遣る。


「……」


「……」


「……」


 三人が一斉に目を背けた。


「すいません。私、今まで普通にボーイッシュな女性かと思ってました」


「私も最初見た時は正直――あ、でも、大股開きの立ち居振る舞いで男の子だって分かったけど」


「その中性的な顔、惜しいわね。背さえあれば、あなた、今のモデル業界で無双できたかもしれないのに」


 黄金の林檎の三人が追撃をかけてくる。


「いや、冗談言ってる場合じゃないだろ。真剣に考えてくれ」


 確かに俺は男にしては声が高い自覚はある。っていうか、そうじゃなきゃ吠はできない。でも、ほら、骨格とかさ、股間とか、無理があるじゃん。あるよな?


「至って真剣よ。そもそも、声は折り紙付き、ダンスは女性用の振り付けでしょ。バレる要素がないわ。衣装はうちのコスプレ班から借りてくればいい。吠は幸い、犬耳と尻尾と付け牙とショートパンツだけあれば十分だし。ついでに、ここにはメイクのプロもいる」


「任せておいて。私、女装企画やったこともあるしねー」


 そう言って、鵯越はひらひらと手を振った。


「え、いや、だってそんな。白を黒と言い張るようなものじゃないですか」


「ねえ、三雲くん」


「なんですか!?」


「覚えてる? 私、言ったわよね。三雲くんに吠を任せる時に、『このガワは演技する必要もないくらい本質的に三雲くんって感じのキャラだから』って」


「いや、それは聞きましたけど。でも、あれは俺に引き受けさせるためのお世辞だったんじゃ……」


「もう諦めなさい、三雲くん。これは天命よ」


 成増さんが静かに首を横に振る。


「わあー、ボスがリアルボスになるんですねー。絶対かわいいですよ! 一緒に写真とってくださいね!」


「ウチもウチも!」


「……天然モノの男の娘って実在したんですね」


「こういう自覚のない子を女装で目覚めさせるのって快感なのよ」


「あなたも色々大変ね」


 あっという間に四方を囲まれる。


(え、え? え? 嘘だろ? こんなの、嘘だよな? 誰か嘘だと言ってくれえええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!)


 徐々に狭まっていく包囲網の中、俺の心の叫びは誰にも聞き届けられることはなかった。


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