閑話3 木馬
黄色い歓声の鳴りやまぬまま、ステージが暗転する。
「……どう?」
配信環境がオフになっていることを確認した麗奈は、隣の小柄な人影にそう問いかけて、のど飴を口に含む。
「多分、ライブ会場に来ている人数では勝ってると思います。でも、ネットの有料ライブ視聴者数では厳しいですね」
鷲木がタブレットを操りながら首を横に振った。
「やっぱりそうよねー」
鵯越が肩をすくめた。
「まるでわかっていたような口ぶりですね」
鷲木がジト目で鵯越を一瞥する。
「だって私のファンは、現実生活で役に立つようなファッションを知りたいんだもの。いくら私が監修したとはいえ、リアルで着られないような衣装のVのライブなんて観に来ないわ」
鵯越が自虐と自負の入り混じったような声で言う。
「ならなぜそもそもこの案件を引き受けたんですか。今更ですけど」
「全員があの雪女さんみたいな感じなら、私でも倒せるんじゃないかと思ったのよ。悪い?」
鵯越が開き直ったように鼻を鳴らす。
「――確かにアンタゴニストの配信は狂気じみていました。毎日毎日、朝から就寝直前まで私生活を垂れ流し、かつ全てを最低限観られるクオリティに仕上げるなんて、はっきり言って頭がおかしいです」
鷲木が身体を震わせる。
Vtuberに限らず、配信業は精神労働である。
常にファンからの好奇の視線に晒され、誹謗中傷や悪意はもちろん、時にはズレた好意すら、心を削っていく。
その配信を苦も無く数ヶ月ぶっ通しでできるのは、紛れもなく選ばれし者だ。
「……私も想定が甘かったことは認める。結局、どのジャンルでも、プロはプロね」
麗奈も事前の敵情の分析を怠っていた訳ではない。
アンタゴニストのリーダーが計算高いプロフェッショナルタイプであることはわかっていた。だが、他の三人は素人の延長線上のパフォーマンスでしかないと思っていた。だから、それぞれが各ジャンルの第一線で活躍するプロである黄金の林檎なら、平均値で勝ることができるはずと思ったのだ。
(でも、違った)
私が侮っていた三人は確かに黄金の林檎のように一芸に秀でてはいなかった。でも、ただそこにいるだけでいいという才能があった。
他愛のない会話だけで視聴者を心地よくさせるという才能。その才能を、リーダーの機転と気配りが「おもしろい」と言っていいレベルにまで昇華させている。
結局、黄金の林檎は個々の力の足し算にすぎず、アンタゴニストは掛け算だった。
「え、なんですか。ちょっとみんな暗くないですか。お通夜じゃないんですから」
向こうからガムをクチャクチャ噛みながら経堂がやってきた。
「元々私たちが明るかったことはないかと思います」
鷲木が表情を変えずにマジレスを返す。
「いや、でも、ほら、諦めたらそこで試合終了って偉い人も言ってるじゃないすか。頑張れば幸運の女神が微笑むかもしれないじゃないですか。女神ならお三人のお仲間ですしね。あ、今、俺上手い事言いました?」
経堂がヘラヘラと笑う。
「はい。どちらにしろ、今日観てくれるお客様のために全力を尽くします」
麗奈は経堂の寒いギャグに鳥肌をこらえながら、愛想笑いを浮かべる。
「それですよ。さすがリーダー。がっつりやっちゃってください」
経堂がシャドーボクシングでジャブを放った。
「そうね。次のステージに備えましょう。じゃ、リフレッシュするために、私たちもたまには女の子らしく、一緒にトイレでもいかない?」
鵯越がいきなりそんなことを言い出す。
「……腹でも殴られるんですか?」
鷲木が怪訝な表情で一歩後ずさった。
「あんたの中での私のイメージどうなってるのよ」
鵯越が顔をしかめる。
失礼ながら、麗奈の脳内でも個室トイレの上から水をぶっかけられるイメージが展開されていた。
(何かここでは話せないことがある?)
彼女は無意味な馴れ合いを好むタイプではない。
短い付き合いでも、それくらいのことは分かっていた。
「どのみちトイレは行くつもりだったんで、いいですよ」
麗奈は頷いた。
「まあ、それもそうですね」
鷲木もあっさり同意する。
三人連れ立って、トイレへと向かう。
こういう会場の女子側のトイレは、大体いつでも混んでいる。
ただ、極会議は同じ時間に複数個所でイベントをやっているので、トイレ客が集中しないのでまだマシの方だ。
鵯越は近くのトイレを覗き、なぜかそこには入らず、別のトイレを探し始める。
「トイレにこだわりが?」
鷲木が首を傾げる。
「はあー、察しの悪い女ね」
鵯越ため息をつく。
「東側の端にあるトイレがいいと思う。ちょうどイベント中で、うちのライブ会場から一番遠いんで人が少ないはずだから」
麗奈は小声で呟いた。
「さすがリーダー、話が分かるー」
鵯越が歩速を上げる。
そして、東側のトイレに着いた後は入り口にたむろして他の客が入り辛い雰囲気を出しつつ、今中にいる数人が出てくるのを待った。
「普通に邪魔じゃないですか?」
「いいから、次のステージの確認をしない?」
「その調子ー、で、あれはあるかなっと。あったあった」
やがて人が途切れた瞬間を見計らって、用具入れから清掃中と書かれたプラスチックの置物を取り出して、躊躇なく入り口を封鎖した。
そのまま私たちをぐいぐいトイレの奥にまで引っ張っていく。
「……one more kissは名曲ですが、私は紅い百合の方が好きなので悪しからず」
鷲木が謎の呪文を繰り出す。
「は? 何言ってるの? ――んで、時間もないから単刀直入に言うけど、経堂、やってるわ」
「やってる? 何を」
麗奈が小首を傾げる。
「不正行為。っていうか、アンタゴニストへの直接的な妨害行為」
サラッとそう言い放つ。
「……本当ですか?」
鷲木が髪をかき上げた。麗奈は初めて彼女のはっきりした顔を捉えた。
あ、この子、素材は悪くないタイプか。くそ、同族だと思っていたのに。
「ええ。あいつのスマホに入れてある監視アプリの位置情報を見たんだけど、アンタゴニストのエリアに侵入してる」
「それが証拠? ライバルとはいえ、挨拶に行ってるだけかもしれないじゃない」
「じゃあ、これも聞きなさいよ」
鵯越がスマホをスワップする。
『でも、あいつらって流星のトップクラスなんでしょ? 本当に絶対勝てるの?』
流れ出す鵯越の声。
ああ、『いざとなったら、トロイの木馬やっちゃうんで。余裕ですよ』
答える経堂。
「盗聴ですか。さっきから、あっさりと犯罪行為を自白しますね」
「だって、あいつ、ナルシストで、口説いてきてキモかったんだもん。自衛のために酔い潰して監視アプリくらい仕込むでしょ。あと、盗聴自体は犯罪じゃないのよ? 経堂のやったことは完全に犯罪だけど」
「スマホに勝手に監視アプリを入れるのは違法になりましたよ」
「セクハラの証拠も持ってるからいざとなったらそれで相殺――って、今はそこじゃないでしょ」
「これ、だいぶ前のでしょ。知ってて放置したの?」
麗奈は目を細める。
「いや、まさか本当にやるなんて思わないでしょ。リスクとリターンが見合ってないし、普通冗談だって思うじゃない。まさかこんなにヤバイ奴だとはね」
鵯越が顔をしかめる。
「そういえば、私も色々調べたんだけど、経堂がテレビ局を辞めたの経費を使い込んだり、ライバルPのネガキャンがバレたかららしいの。だから、Ⅴ業界に可能性を感じて入ってきたっていうのも怪しいと思ってた」
麗奈も白状する。噂で人を中傷するのが嫌だから黙っていたけど、こうなってまで隠しておこうと思わない。経堂にそこまでの恩はない。
「こっちもそういう黒い噂は知ってたんだけどねー。ダーティプレイでも結果を出す男なら構わないと思った。だから、煽り凸をやる役目を受けたんだし。でも、ギリギリのラインを見極められないし、結果も出せない無能に用はないわ」
鵯越は親指を突き出し、首を掻っ切る仕草をした。
「やっぱりあなたが経堂と結託してたんだ。ま、そうよね」
デビュー時の暴走は鵯越の独断ではなかったのだ。
ガイアの上はシューティングスターと揉める気はないが、経堂の主導で炎上商法に舵を切ったと言う訳だ。
「妨害工作をして黄金の林檎が勝ってもただの不戦勝じゃないですか。そんなの何も嬉しくないです。しかも、私の曲だけでは勝負できないと思われてたってことですよね。それも許せません」
鷲木が嫌悪感を隠さずに言う。
「そうね。勝っても黄金の林檎の評判は大して上がらないでしょうし、もし、これが黄金の林檎のせいだってバレたら、それぞれの本業の方に悪影響が出そうでしょ。私はそれが一番嫌。リーダーはどう?」
鵯越がこちらに視線をくれる。
「私は売れるためにはなんでもやるって誓った。でも、枕と他人の足を引っ張る行為だけはやらない。それをやると、私の夢が汚れるから。だから、この件は絶対に潰す」
躊躇なく言い切る。
麗奈は自身の歌で勝負したいのだ。
綺麗ごとではなく、夢を達成できた暁に、麗奈自身が自分の実力だと確信できなければ意味がない。
「よかった。初めてぴったり意見の一致を見たわね、私たち。それで、これからどうしようかしら」
「普通に警察か、ガイアのコンプライス部門に通報しないんですか?」
「警察沙汰は流星にとってもガイアにとってもイメージ的にマイナスでしょ。ガイアに通報しても、すぐに対応はできないから、流星のライブを壊してしまうのは確定。それに、最悪、経堂に事実確認とかで事情聴取が始まって、そこでホラ吹かれると泥仕合の長期戦になるし」
鵯越が肩をすくめて言う。
彼女が一人で抱えきれない問題であるということはよくわかった。
麗奈と鷲木を巻き込んだという判断も理解する。
でも、麗奈たちは所詮は出役であり、使われる立場の人間だ。
できることはさほど多くない。
なら、もっと上を巻き込まないとダメだ。
ガイアの上に相談している時間はない。
ならば――。
「――なにも、木馬が一体である必要はないんじゃない?」
麗奈は意を決して口を開く。
「やっぱりそうなるわよね。いいじゃない。私好みよ」
鵯越がにやりと笑う。
「……さすがに分かりました。賛成します。神話はタブーと裏切りの積み重ねです。ある意味、黄金の林檎らしいかもしれません」
鷲木が頷く。
「じゃあ行きましょう」
麗奈たちはトイレから出ると、清掃用の置物をしまう。
そして、人目を避けながら、ガイアとは真反対にあるブースへと駆け出した。
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