第三十話 コンプレックス(2)
「あっ、ホエるん、洗い物くらいウチがやったのに。丸投げしてごめんね」
空になったシンクを見つけて言う。
「いや、大丈夫。洗い物は料理とセットだし、ルルも手伝ってくれたからな。あっ、冷蔵庫にサラダとカレーの残りを入れておいたから、明日の朝にでも気が向いたら食べてくれ。――成増さんの分も考えると、カレーは先着二人の早い者勝ちかなー」
「かしこまり。あー、今日のカレーおいしかったな。ホエるん、なにげに女子力高いよね。うちのルルも中々のものだけど、それ以上だと思う」
籾慈がソファーに身体を預けて言う。
「いや、カレーなんて誰でも作れるし。男女関係なく、一人暮らしなら最低限の家事はできるようになるよ」
俺は苦笑した。
「そういうものなんだ。配信の時はお友達感覚で話しちゃってるけど、こうしてみると、ホエるんってやっぱり大人だよね」
籾慈が感心したように言う。
「……それは暗に俺が子供っぽい外見だと揶揄している?」
俺は冗談半分に眉をひそめる。
「いやいや、普通に誉めてるって。ああ、えっと、ホエるんは下の階の別の部屋に泊まるんだよね」
籾慈が話題を変えるように言う。
「ああ、もちろん。さすがに成人男子が未成年の女子と同じ部屋で寝るのはヤバイからな。保護者役は成増さんにバトンタッチだ」
俺は成人男子のところを強調して言った。
合宿とはいえ、さすがに同じ部屋で寝泊まりはしない。
下層階に別の、ここよりはずっと狭いワンルームを借りてある。
「でも、なんか仲間外れにしているみたいでいやだな。こっそりこのまま泊まることにしちゃえば? ルルもその方が喜ぶだろうし、ユッキーもそういうの気にしなさそうだけど」
「まあ、そう言ってくれるのは嬉しいけど、李下に冠をたださずってやつだな。そもそもシネが良くても、親御さんは絶対にNGだろ。っていうか、むしろよく親御さんがこの合宿を認めてくれたな」
「ああ、うちの両親、ホエるんのこと信頼しているみたいだから」
籾慈が意味深な笑みを浮かべる。
「……そんなに信頼されるようなことしたかなあ」
ただちょっと話しただけだぞ。
「らしいよ。ま、あと、ウチもちょっと頑張ってお願いしたかも」
「そうか。あ、紅茶――はこの時間だとよくないな。ハーブティーでも飲むか?」
「ルルお手製のやつ?」
「うん。シネは飲みなれてると思うけど、俺は飲んだことないから付き合ってくれよ」
「いいよ」
籾慈が頷く。
俺はヤカンをIHコンロにかける。
コココココと、静かな音を立てて水がお湯へと変わっていく。
「……そういや、俺、一度、シネに聞いてみたかったことがあるんだが」
沈黙を埋めるように、俺は口を開いた。
「なに?」
籾慈が背もたれに首を預け、逆さまに俺を見遣る。
その拍子に、適度に日焼けした健康的なうなじが露わになった。
「いや、シネはどうしてⅤを目指したのかなって。ほら、俺、なりゆきでⅤになったタイプだからさ」
何となく、青臭い話をしたい気分だった。
咲良の話にあてられたせいかもしれない。
「んー、ウチ、前にも言ったと思うけど、怪我して部活引退したでしょ。でも、正直、不完全燃焼でさ。何かに思いっきり打ちこみたかったんだよね」
「それでVのオーディションに?」
「うん。ウチは勉強もできる訳じゃないし、ルルのお花や歌みたいに明確に好きなことがある訳でもなかったからね。何かできそうなことを探して調べたら、たまたま検索に引っかかったの。顔出ししての芸能活動は、学校的にも親的にもNGっぽかったから、Vならギリギリセーフでちょうどいいかなって思って。軽い気持ちで応募したんだよね。今考えればよく受かったなって」
「まあ、今のV界隈で配信経験のある前世なしに受かるのはかなり難しいからな」
「だよね? 成増さんには感謝だなー」
「でも、結果としては大成功だな。シネほど成功しているVなんて、片手の指で数えられるほどしかいないし」
「うん。これでもホエるんがくるまでは流星のトップだったからねー」
そう言って、ジト目で俺を見てくる籾慈。
「ごめん、いや、それはおかしいか。ドンマイ? 一緒に頑張ろう?」
どう言っても上から目線の発言にしかならない気がする。
「ははは、そんなに困らないでホエるん。冗談だから。あのね。実は、ウチは別に、同接数とか、流星の中の立ち位置とかにそこまで興味はないからさ」
「そうなのか?」
「うん。一つの目安にとして参考にはしてるけど、最終的には、ウチ自身が完全燃焼したなって満足できるかが大事だから。――でもさ! Vで完全燃焼って難しくない? スポーツみたいに大会で優勝とか、テストで何位とか、明確な区切りがある訳じゃないし、頑張り過ぎると良くないっていうかさ」
「まあ、V側に度を超えた必死感が透けて見えると客は引くよな」
頑張ってると思われるのはいいが、必死だなと思われてしまうとそれは悲壮感に変わり、視聴を遠ざける。
「うん。でも、ウチに必死感を隠すほどの器用さはないから、上手くやるには適度に手を抜かないといかなくてさ。あれ、これ結局不完全燃焼じゃない? って思い始めてたんだ。だから、アンタゴニストの活動が始まって良かったよ。目標ができた」
「そうか。正直、シネは無理矢理巻き込んでしまったんじゃないかと心配してたから、それを聞いてほっとしたよ」
お湯が沸いた。
ハーブを入れたポットに、熱湯を注ぐ。
「まあ、偉そうなこと言ったけど、ウチは足のことがあるし、歌も下手だから、あんまりアンタゴに貢献できなくて心苦しいんだけどさ。巻き込むでいうと、そもそもウチがルルをⅤ活動に巻き込んじゃってるからさ。これがルルの歌の才能をもっと多くの人に認めてもらえるきっかけになればって思ってる」
「巻き込んだ?」
ポットとカップ二つを手に、籾慈の座るソファーへ歩いていく。
「いや、多分、ルルはウチが部活を引退して落ち込んでいる所を気遣って、Ⅴの応募に付き合ってくれたと思うんだよね。で、成増さんもぶっちゃけ、ウチらがリアル姉妹だから取ったってとこもあると思うし」
「考えすぎじゃないか。いや、成増さんの方の思惑は否定しないけどさ」
ソファーの前のガラステーブルにポットを置き、二つのカップに均等にハーブティーを注いだ。
先ほどのルルの発言を聞くに、多分、少しでも姉の側にいたかっただけだろう。
物理的ではなく、精神的に。
もちろん、秘密だから詳細は話せないけど。
「そんなことないよ。だって、ルル――咲良はウチと違ってかわいいでしょ? ガワがなくても、例えば、中学から芸能活動OKのところに入ったらさ、すぐにKabachiみたいな歌姫になってたと思うんだよね」
籾慈がカップを吹いて冷ましながら言う。
いや、自己評価低すぎだし、咲良の評価が高すぎだろ。
っていうか、この流れさっきも見たぞ。
「……シネも十分、かわいいと思うけどな。姉妹なんだから遺伝子的に容姿のレベルも大差ないとは考えないのか?」
「えー、じゃあ、想像してみて? ペチャクチャうるさくてガサツでバレーで腕の皮膚もかっちかちのにぎやかしと、かわいくて優しくて守ってあげたくなる感じで、お花が好きで歌が上手くて多分、これからおっぱいもすごく大きくなると思う癒し系の女の子、どっちをお嫁さんにしたい? 今じゃなくて、二十歳になった姿で考えてみてよ」
籾慈はそう言い切ってから、ちょびっとカップに口をつけて、すぐに置く。
「正直、それぞれのお好みとしか言えない」
でも、どっちも男にモテるのは間違いない。
だからこそ、二人共人気Ⅴになれたのだ。
この質問は叙々苑と銀座九兵衛、どっちが好きですか? と聞かれてるようなものだ。
俺は言葉を濁してハーブティを口に含む。
涼しげな酸味とほのかな甘みを感じた。
「あー、逃げたー。はいはーい、お気遣いありがとうございまーす」
籾慈がすねたように言って、万歳した。
なんだこれ。これもしかして、俺、姉妹百合の尊さを見せつけられてるだけじゃないか?
ちょっと腹が立ってきた。
「……俺は今、二人のリアル画像を公開してどっちをお嫁さんにしたいかのアンケートを取りたい衝動に駆られているよ」
「はは、なにそれ。っていうか、ホエるんの方がどうなの?」
「どうって?」
「いや、ガワの中の人が逃げたから、急遽抜擢されて、自分の意思でⅤになった訳じゃないんでしょ? それなのに、すごく真面目に活動しているから、どういうモチベーションなのかなと思って」
「俺も最初はそこまでⅤ活動にのめり込むつもりはなかったよ。でも、俺は、学生時代、運動でも勉強でも人気でもなにもパッとしなくてさ。夢だったプロゲーマーとしても大成しなかった。だから、努力したら努力しただけ成果が出るⅤ活動が楽しくなっちゃってさ。そういう意味ではシネの動機と似てる部分はあるんだけど、俺は欲深いから、この一位は譲りたくないんだ。当然、アンタゴニストもそのために成功させたい。偶然手に入れた地位のくせに現金だよな」
熱さにも構わず、一気にカップのハーブティを飲み干す。
多分、俺が一番になれる仕事は、後にも先にもⅤ以外にない。
だから、いつかは誰にも相手にされなくなったとしても、できるところまでは走り続けるつもりだ。
「ウチのバレーは、ホエるんの夢とは同列扱いできないよ。そっか、その重さの違いだね。
ウチがホエるんに負けたのも当然な気がしてきた」
籾慈が深く頷く。
(俺だけがやる気で空回りしているのかと思っていたけど、違った。思ったよりも、ずっと、アンタゴニストに賭けられた願いは重い)
熱いなにかが胸の奥から湧き上がるのを感じる。
(やっぱり、浅い所でVを舐めてる奴らには負けたくないんだよな)
黄金の林檎のメンバーからすれば、俺たちは遊びで音楽に手を出した浮かれた集団にしか見えないだろう。でも、それはお互い様で、俺には彼女たちが真剣にⅤと向き合ってるようには思えない。
ヘラは嫌々やってる感を隠せてなかったし、ディーテはキャラを守る気がない。
アテナは唯一まともな感じだったが、あれはただこなしているだけであって、キャラを咀嚼するまでには至ってない。
キャラを守る気がなくて、Ⅴを舐めているという意味ではセツもそうだが、彼女自身は初めからⅤとしてやる気がないということを公言している。プロゲーマーとして最高の条件を得るために仕方なくやっているとということを、視聴者にも隠していない。傲慢かもしれないが、ある種の誠意はある。
「あ、いた。何してるの? ダベってる暇があるなら、さっさと私の練習に付き合って欲しいんだけど」
噂――いや、思考をすれば影。
配信部屋のドアから顔を出した明璃が催促してくる。
「いや、そんな当然みたいに言われても、俺もうそろそろ寝るし」
「は? あんたとの練習時間が増えないなら、私がここにいる意味ないでしょ」
苛立たしげにこちらを睨みつけてくる。
こいつはマジで合宿を放棄しかねないからな。
「……成増さんが帰ってくるまでな」
「ホエるん、ご愁傷様です」
籾慈に肩を叩かれる。
俺は片手を振ってそれに応え、配信部屋と吸い込まれる。
結局、成増さんは日付が変わるまで帰ってこなかった。
みんなお疲れ。
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