第十七話 お宅訪問(1)

 平日の昼下がり。


 豊橋家は都内の閑静な住宅街に堂々と鎮座していた。


 木造の二階建てで、庭には色とりどりの花が咲き乱れている。


 住所としては二十三区の端の方ではあるが、都内でがっつりガーデニングができるくらいの広さの庭付きの一戸建てを所有できるのだから、世間的に言えば上級国民の分類になるのだろうか。


 ちなみに、明らかに建売ではなく、事務所兼居宅のデザイナー住宅である。


 成増さんによると、豊橋パパは建築士らしいので、さもありなんと言った感じの落ち着いた色合いながらも洒落た意匠だ。


(こういういかにもまともな社会人と会うの、やっぱり緊張するなあ)


 別に何も悪い事をしている訳ではないのだが、Vは広義の意味での水商売であるので、正業の人には、何となく引け目を感じる自分がいる。


 一応、スーツを着ているし、手土産も用意してきたし、名刺も会社持ちでV用のものを新調させてもらったが、正直、こなれてない感は自分でも否めない。


(ま、最終的には成増さんの責任だし、気楽に行くか)


 深呼吸一つして、腕時計を一瞥する。


 約束の時間になったことを確認し、俺は豊橋家のインターホンを押した。


「ごめんください。三雲健人と申します」


 俺は努めて低い声でそう告げた。


「はいはい! 今開けるので、ちょっと待っててちょうだいね」


 すぐに返答がきた。


 パタパタパタという足音がして、やがて玄関の扉が開く。


「お待たせしました。今日はわざわざご足労かけてごめんなさいね。うちの人のわがままで」


 品の良さそうなボブカットの中年女性が笑顔で言った。


 俺の背が低いせいで視線がどうしても胸にいく。


(ルルママの巨乳は遺伝か……)


「いえいえ、そんな。こちらこそご挨拶が遅れて申し訳ありません。あっ、これ、もしよろしければ」


 俺は視線を変えるようにお辞儀をして、手土産を差し出す。


「あらあら、ご丁寧にどうも。それでいきなりで申し訳ないんだけれど、うちの人、先に入っている打ち合わせがちょっと長引いているみたいなの。だから、ちょっとだけ待っててもらっていいかしら。あ、コーヒー派? それとも紅茶派?」


 豊橋ママがエアカップを口に含む仕草をしながら尋ねてくる。


「あ、はい、えっと、では、紅茶でお願いします」


 そのひょうきんさにちょっと気圧されつつ答えた。


 リビングに通された俺は、テーブル席に腰かける。豊橋家のペットのゴールデンレトリーバーとじゃれ合ったり、マダムが淹れてくれた久しぶりのパックではない紅茶で喉を潤したり、手土産で持ってきたフィナンシェを口にしたりしていると、やがて新たな人の気配がした。


「こんにちは。わざわざ来てもらったのに、待たせてしまってすまないね」


 イタリアのブランド物っぽいカジュアルスーツの中年男性が、鷹揚に手を挙げて言う。


 爽やかなイケオジと言った感じで、身長も180cmを超えてるのではなかろうか。


 人権ありありで今の俺に何一つ勝てるところはない。


「いえ。初めまして。三雲健人と申します。よろしくお願いします」


 俺は椅子から立ち上がり、名刺を取り出す。


「こちらこそ初めまして。豊橋海桐とべらだ」


 さっと豊橋パパと名刺交換を済ませ、向かい合う形でまた席についた。


「じゃあ、後は二人でごゆっくり」


 豊橋ママはパパにコーヒーを出すと、さりげなく奥に引っ込んでいった。


「ママ、よろしく。安藤さんの案件以外はつながなくていいから」


 なるほど、てっきりこのまま会話に参加するものかと思ったが、豊橋ママが事務とかをしているパターンか。


「それで、えっと、本日は俺がVtuberの話をする、ということでよろしいでしょうか?」


 改めてそう話を切り出す。


「ああ。ぼくなりに調べたはみたし、成増さんからも説明してもらったんだけどね。教科書的な解説ではなくて、本質的な部分で得心したくてね。現場の人にも色々聞いてみたいと思ったんだ」


 海桐さんがにこやかに頷く。


「なるほど。とはいえ、俺もまだまだ新人なので、語れることはあまり多くないのですが」


 はにかんで言う。俺のような成り行きでVになったような人間が偉そうにVについて喋るのはちょっと不遜な気がする。


「いいんだよ。裏事情というよりは、生の人の声が聞きたいんだ。娘たちに聞いても、『楽しいよ』くらいの答えしか返ってこなくてね。まず、健人くんがなんでVtuberになったか、教えてもらってもいいかな?」


「ええ。とはいえ、実は成り行きなんですが――」


 俺はVtuberになった経緯をかいつまんで伝える。


「なるほど。元はプロゲーマーだったんだね。ぼくはその界隈には全く詳しくないけど、スポーツと名がつくからには、アスリートなんだろう。他人様にお金を払ってもらえるレベルのパフォーマンスができるなんて、純粋に尊敬するよ」


 海桐さんが嫌味のない口調で言った。


 こうやって素直に人を褒められるところは、豊橋姉妹と似ていると思う。いや、彼らが姉妹を教育したのだから当然といえば当然か。


「いえ、まあ、万年補欠みたいなものだったので、俺はプロゲーマーの代表面はできないんですが」


 俺は軽く頭を下げた。


「それでもすごいよ。でも、健人くん。ぼくはね。Vtuberをプロゲーマーと同じような職業には捉えてはいない。正直に言うと、若干の嫌悪感すら覚えている」


 海桐さんがすっと目を細めて、声を険しくした。


「どうしてでしょうか? 配信でお金を稼いでいるという面では、eスポーツのプロと大差ないかと思いますが」


 俺は小首を傾げる。


「外形だけを捉えればそうだけど、Vtuberは、ラジオ的――というのかな。異性の視聴者にユーザーが身近な存在だと錯覚させた上で、擬似的な恋愛感情を抱かせて貢がせる 商売に思える。ぼくはそういう人間のプリミティブな欲望に付け込む商売が好きじゃないんだ。これは、おじさんの偏見かな?」


 海桐さんが笑顔のまま切り込んできた。


 一瞬、「この人、糸目で丁寧に毒舌を吐くV」になったら人気出そうだな、などと失礼な想像が頭をよぎった。


「いえ。Vには色んなタイプがいますが、シューティングスターがアイドル路線である以上、収益的におっしゃるようないわゆる『ガチ恋』のユーザーをあてにしている側面は否定できないかと思います。全くそういう要素がないなら、そもそもファンの男女比は半々にならないとおかしいはずですしね。でも実際はそうじゃない。まあ、これはVに限らず、アイドル業全般に言えることですが」


 まあ、世間一般のVの認識は豊橋パパのようなものだろう。


 光と影の影の側面だけ切り取った形ではあるが、ないことにはできない。


「では、健人くんは、そのような欺瞞性を自覚した上で、Vtuberをやっているということでいいのかな? かなり失礼な質問で申し訳ないけど、こういう機会でもないと聞けそうにないから、許してくれ」


 海桐さんはそう言うと、拝むように手を合わせて頭を下げる。


 俺は別に気にしない。


 わざわざ呼ばれている時点で、この程度の質問は覚悟している。


「うーん、そうですね。質問を質問で返すようで申し訳ありませんが、海桐さん、今日、コーヒーを何杯召し上がりました?」


 俺はコーヒーカップを一瞥して尋ねる。


「ああ。えっと、四杯目くらいかな。子供が生まれたのを機にタバコは辞められたんだけど、カフェイン中毒気味なのは治らなくてね」


 自嘲気味に笑って、ブラックコーヒーに口をつける。


「なるほど。かくいう俺も、プロを辞めた今でも、一般の人から見たらゲーム中毒と言われても仕方ないくらいの時間、ゲームをしています。と、そんな風に、人は多かれ少なかれ、何かしらに依存しなくては生きていけないものなのではないでしょうか。もちろん、度を超すと病気ですが、ある程度の浪費や逸脱は人生を潤すものだと思います。えっと、例えるなら、多少脂肪があった方が風邪を引きにくいと申しますか、矛盾しているような表現になりますが、多少不健全な方が健全なのだと思います」


 よくアンチはVをネットキャバクラと呼んで馬鹿にするが、それはさすがに暴論だろう。


 風俗のように露骨に肉体的快楽を金銭と引き換えてる訳でもなければ、キャバクラのように個人に対して恋愛感情を持っているような素振りをして勘違いさせるようなこともしない。


 ファン全体に対して幻想を売っている側面はあるが、キャラと中の人を同一視して、身の丈以上の投げ銭をして破滅したと言われても知らんがなとしか言いようがない。


 『じゃあ、ASMRとかどうなん?』とか突っ込まれると色々めんどくさいけど、少なくとも吠もシネもルルもセツもエロ絡みの配信は避けてるからな。


「ふーむ、確かに住宅もいかに『遊び』を見積もるかが大切だからね。もし全ての人が規格の統一された建売住宅で満足してしまうなら、ぼくの仕事もあがったりだ。ありがとう。正直に答えてくれて」


 お茶目に肩をすくめる。


 予想外にあっさり引き下がってくれた。


 色々追撃を想定して反論を考えていたのだが、空振りに終わったようだ。


 どうやら、海桐さんは真面目そうではあるが、思ったよりもカタブツ感はない。


 まあ、よく考えたらそもそも、ガチのカタブツなら、娘たちのV配信に難色を示すどころか普通に禁止してるよな。


「いえ、お役に立てたならなによりです」


 俺は若干拍子抜けした気分で頷いた。

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