第十六話 ちゃんとしたご家庭
壁の端に置いてあるパイプ椅子に成増さんと横並びに腰かける。
姿勢確認用の鏡に、少し上気した俺の頬と成増さんの黒い隈が映る。
「活動停止って、どういうことですか? 二人共スキャンダルを起こすタイプには思えませんが」
突然の報告に俺は目を丸くして言う。
「ええ、もちろんよ。本人たちというよりは、ご両親の方がちょっとね。最近、二人の学校の成績が落ちているのを心配しているみたいで、このままだと配信を辞めさせられちゃうかもしれなくて」
成増さんが口をへの字にして言う。
「部活禁止みたいなノリですか。まあ、真っ当な理由ですし、そういう事情なら仕方なくないですか?」
俺は天井を仰いで大きく深呼吸して息を整える。
そういえば、この前会った時も門限どうこう言ってたし、きちんと教育が行き届いているご家庭なのだろう。
「……でも、うちとしては、今はデビューの方に集中してもらわなきゃ困るのよ。こっちは商売なんだから、部活感覚でやってもらっちゃ困るわ」
成増さんが親指の爪を噛む。
「じゃあ配信回数を減らして、勉強時間を確保したらどうですか」
どれだけ頑張っても一日は二十四時間しかなく、有限だ。あちらを立てればこちらが立たず。それがこの世の真理である。
「それはダメでしょ! デビューするまでは頻繁に配信して、ファンの熱と勢いを維持しないと、アイドルデビューというコンテンツ自体が盛り下がってる感じになるじゃない! 今のV界隈なんて毎月、毎週新人が出てくる戦国時代並のレッドオーシャンなんだから!」
成増さんが自身の膝をバンバンと叩いて言う。
「確かに、こっちの理屈としてはそうですが、学生の本分は勉強ですし……」
ミルクコーヒーを口に含む。
甘ったるい人工甘味料が舌に絡みつく。
「もう水商売な業界に身を置いてるのになんでそうクソマジメなの三雲くんは! これじゃあ、狼っていうより犬じゃない! そもそも、勉強なんていつでもできるんだから、後回しにしてOKでしょ! でも、芸能活動はタイミングが命なのよ!」
そう叫んで地団駄を踏む。
まるで駄々をこねる子供みたいだ。
「いや、それはどうですかね。文系科目はともかく、理系科目は土台の積み重ねなんで、一個引っかかるとそこでゲームオーバーだったりするんじゃないですか」
個人的に、文系科目は覚えゲーだが、理系科目は格ゲーでいうところのコンボみたいなものだと思っている。
「ああいえばこう言う! 三雲くんはどっちの味方なの!?」
成増さんが俺の肩を揺すってくる。
「俺は同接数の味方です。あれ? そういう意味では、最大のライバルのシネが休止したら俺の独り勝ちでトップ安泰では?」
俺はとぼけた口調で言う。
「
成増さんが自身の胸を揉みしだきながら言った。
パワーちゃんのおっぱいと三雲さんのおっぱいでは全然価値が違うと思うんだけど。
このノリの悪魔め。
「それ普通にセクハラでコンプラNGですよ。っていうか、俺にどうしろって言うんですか。まさか、どこぞのラブコメ主人公のように二人に勉強を教えろという訳でもないでしょう?」
俺は肩をすくめた。
「もちろんよ。私はただちょーっとだけ三雲くんに豊橋さん所に家庭訪問してもらって、ご両親と楽しく小粋なお喋りして欲しいだけ」
成増さんが悪代官のように手をニギニギして言う。
「なんで俺が?」
眉を顰める。
「いや、私もあの子たちのご両親に話をしに行ったんだけどさ。あちらさんが管理職の私より、もっと立場の近い実際のVの話を聞きたがっていらっしゃるのよ。ほら、自分の子供は客観的に見られないから、他のVtuberの意見も聞いてみたいな」
成増さんはそう言って人差し指を振る。
「そこで俺って訳ですか」
「ええ。私が言うのもなんだけど、上の世代にとっては、Vって新しくてよく分からない文化でしょ。正直、ご両親の不安も分かるのよね」
ちょっと真面目な顔になって呟く。
「そういうことなら、行ってもいいですけど、本当に話すだけですよね? さすがに俺に豊橋姉妹のご両親の説得までは求められても困りますよ」
一応釘を刺しておく。俺はVtuberではあるが、ネゴシエーターでもなんでもない。
「わかってるわよ。そりゃできれば説得して欲しいけど、さすがに私もそこまでの無茶は言わないわよ。っていうか、他に適材がいる? 明璃も根は悪い子じゃないけど、対人的には、その、アレじゃない。関係性の薄い他のVを行かせる訳にもいかないし」
逡巡するような声で呟く。
「そうですね。確かに俺しかいなさそうですが、これ、いくらなんでも俺が契約上負う職務上の義務を逸脱しすぎてますよね。ここまでやらされるなら、ギャラの取り分交渉したいです」
俺はそう言ってミルクコーヒーを飲み干す。
「くっ、そ、それについては検討するんでちょっと持ち帰らせて」
胃の辺りを押さえて、呻くような声で言う。
「あっ、こういうのは本気で取り合ってくれるんですね。冗談ですよ。今でも金銭的には十分すぎるほど満足してます」
俺は微笑を浮かべて言った。
「は、はあ、マジでやめてよ。三雲くん、今やあなたはウチのトップタレントなんだからさ。洒落にならないのよ。ガチなら幹部会議のメインテーマになるわよ。最近、引き抜きとか色々あるんだから」
背もたれに身体を預け、大きく息を吐き出した。
「いいこと聞きました。これ、俺が他の三人を言いくるめて、グループまるごと移籍をチラつかせたらおもしろいことになりそうですね」
ミルクコーヒーの空き缶を床に置いて、真面目腐った顔でそう言ってみる。
「マジでやめて。本気で私の首が飛ぶ。ほら、なんならご褒美にチューしてあげるから」
成増さんが目を血走らせた迫真顔で、俺の肩に爪を喰い込ませてくる。
(……もしもしポリスメン?)
一瞬スマホを取り出しかけつつも、何とか通報した気持ちを堪える。
そして、数日後、成増さんが先方にアポを取り、俺の豊橋姉妹の御宅訪問が正式に決定した。
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