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*****


 それから数日後の放課後。

 コーデリア様につかまって教室を出るのが遅れたジル様は、アリーシャと一緒に帰る約束を取りつけるべく、教員室に向かった彼女の後を追いかけていた。

 廊下の角を曲がったところで、ジル様がピタリと足を止めた。どうしたのかしら? と思ったのもつか、わたくしの目に信じられない光景が飛び込んできた。


『ええええ!?』


 思わず驚きの声をあげてしまって、その口をジル様にふさがれる。

 だって、だって……アリーシャと金髪の青年がキスしていたんだもの。

 いや、正確には少しかがんだ青年の顔にアリーシャの後頭部が重なって見えるのだけれど、ジル様の位置からはどう見てもキスしているようにしか見えない。

 声を殺してよくよく観察して見てみると、相手はくせのあるい金髪にはく色の目をしたクラスメイトのライアン・ケルディ様だった。


(ええ!? どういうことですの!? こんなことありましたっけ!?)


 半ばパニックになって、ぐるぐると思考をめぐらせ、過去の記憶を急いでこす。


(何でもいい。どんなさいなことでもいいから何か思い出さないと……!)


 この日のことをがんって思い出す。天地がひっくり返っても、ライアン様とキスしたなんてことはなかったはず────あ。

 一つだけ思い当たることがあった。

 そういえば先生からたのまれてノートを運んでいるちゅう、運ぶのを手伝ってくれていたライアン様が急に目が痛いと言いだして目の具合を見たことがあったような気がする。わたくしのたけではよく見えなかったからライアン様には屈んでもらったのですが、もしかしてこれがそれかしら?

 少しして、アリーシャとライアン様が何事もなかったかのように歩き出す。


「…………」


 ジル様はふらりと廊下の壁にもたれかかると、ずるずると座り込んでしまった。どうやらジル様は完全にアリーシャとライアン様がキスしたと誤解してしまったようだ。

 そういえば、生前ある時からやけにジル様の態度がよそよそしくなったような気がする。もしかして、これが原因だったりするのかしら? それでコーデリア様に気持ちが傾いたとか?

 そんなことを考えていると、ジル様が絶望のにじんだ声で呟いた。


「…………そんな……アリーシャがライアンと浮気していたなんて……」

(浮気!?)


 確かにジル様から見たら二人がキスしたように見えたのかもしれない。けれど、わたくしはそれが絶対にありえないことだと知っている。


(このままではアリーシャにいわれのない疑いがかかってしまいますわ!)


 それは困る。浮気を疑われたままだなんてまんならないと、わたくしはジル様にこうした。


『断じて違いますわ! ぜったい、ぜーったい、ありえません!』

「どこが違うっていうんですか……今のはどう見たって……!」


 みなまで言えずにジル様が拳を握りしめる。

 だめですわ……わたくしが何を言ったところでとうてい信じてもらえない。


『でしたら、直接確かめてみたらよろしいでしょう!』

「…………無理言わないでください。あんなの見た後で直接聞くなんて、僕には……」

『あんなの、ただのちがいかもしれないじゃないですか! ジルベルト様はあの子が婚約者がいる身でありながら他の男性にうつつを抜かすような子だとお思いなのですか!?』


 ジル様ははっと顔を上げた。ジル様の目は遠ざかっていくアリーシャとライアン様の背中を捉え、すくりと立ち上がった。


「違います。アリーシャは……僕のアリーシャは絶対にそんなことはしません!」


 そうして力強く一歩をみ出したジル様は、二人の背後に向かって呼びかけた。


「アリーシャ! ライアン!」


 ジル様の呼びかけに二人が振り返った。ジル様を見たアリーシャの顔がほころぶ。

 その表情からはどう見ても浮気現場を見られてしまったというような後ろめたさは欠片かけらほども感じられなかった。

 いつも通りのアリーシャの様子に、ジル様の体から少し力が抜けるのがわかった。そうしてジル様が本題を切りだそうと口を開きかけた時、ライアン様がしめた! という顔でアリーシャとジル様の間に割り込んできた。


「なぁ、ジルベルト。運ぶの代わってもらっていいか? さっきから目が痛くて……医務室に診てもらいに行きたいんだ」


 ジル様があっにとられたように「ああ」としょうだくすると、ライアン様は「助かる!」と言って両手に持っていたノートをジル様にわたした。

 足早にその場を去っていくライアン様の背中を見送ってから、アリーシャと顔を見合わせる。


「目が、痛くて……?」

「そうなんです。ノートを運ぶのを手伝ってくださっていたのですが、急に目が痛くなってしまったみたいで……先ほど目に何か入っていないか見てみたのですけど、特に何か入っているようには見えなくて……」

「そう……でしたか……」


 ジル様はぎこちなくあいづちを打ってあんの息をついた。どうやら誤解だとわかってもらえたようで、わたくしもジル様の中で安堵の息をつく。

 ノートを提出し終えて教員室を出ると、アリーシャが丁寧におをした。


「ありがとうございました」

「いえ。そういえば、ライアンとは途中で?」

「はい。うっかりノートを廊下にばらいてしまって。拾うのを手伝ってくださったんです」

「…………なんだ、そういうことだったんですね」

「え?」

「いえ、何でもありません。今度から荷物を運ぶときは呼んでください。僕がいつでも手伝いますから」


 きょとんと首をかしげたアリーシャに、ジル様は小さくかぶりを振って笑みをこぼした。


「そういえば、ジル様はだいじょうですか? 何かご用があったのでは?」

「あ! そうでした。あなたを誘いに来たんです──今日、一緒に帰りませんか?」


 当初の目的を思い出して、ジル様がアリーシャに一緒に帰らないかと誘うと、彼女は嬉しそうな顔をして二つ返事で頷いた。


 アリーシャをお屋敷に送り届けた後、二人きりになったタイミングでジル様から声をかけられた。


「先ほどはありがとうございました。あなたのおかげで変な誤解をせずにすみました」


 言われてから、自分が意図せず二人の仲を取り持つ手助けをしてしまったことに気づいた。

 浮気されたと思われたままなのはしゃくだと思ったけど、わたくしってばまた二人の仲を取り持つようなことをしてしまいましたわ……。

 うなれるわたくしのことなんて知るよしもなく、ジル様がじょうげんに続ける。


「先日もアリーシャとのことで助けてくださいましたし、実はあなたは天が遣わしてくれた守護霊なのではないかと思えてきました」


 都合のいいかいしゃくだつりょくかんを禁じ得ない。

 むしろなかたがいさせるつもりだったんですけどとは言えなくて、わたくしは力なく笑い返すことしかできなかった。

 それと同時にジル様が好きなのはやっぱりアリーシャなのだと確信した。

 ここ数日のすれちがいをきっかけに、わたくしは今まで何か大きな間違いをしていたのかもしれないと思うようになっていった。

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