3章 アリーシャの誕生日

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 それから二か月ほどったある日の休日。

 このころになると、わたくしとジル様との関係は最初ほど険悪なものではなくなっていた。ジル様がうわをしていないことがわかったので、今はひとまずコーデリア様の挙動をけいかいしつつ、ジル様とアリーシャのことを見守る毎日だ。

 この日は、町で買い物がしたいというジル様にくっついて小さな雑貨屋に来ていた。

 ジル様は雑貨屋の店内をぐるりと見て回ると、今度はアクセサリー店に立ち寄った。

 きらびやかなアクセサリーを前にうでを組んで「うーん」と考え込むジル様。

 周囲にだれもいないことをかくにんした上で何を探しているのか小声でたずねてみると、ジル様は視線を宙にただよわせたあとで思い切ったように口を開いた。


「女性って、どんなものをおくられたらうれしいと思います?」

『…………はい?』


 何のまえれもなく投下された発言に目をまばたく。


(ん? 女性が贈られたら嬉しいもの?)


 きょとんとしてしまったわたくしの反応に、説明が足りなかったと思ったのかジル様があわてて付け加える。


「アリーシャの誕生日プレゼントなんですけど……」

『アリーシャの、誕生日プレゼント……』


 意外な内容に思わずジル様の言葉をはんすうする。

 言われてみれば、もうすぐわたくしの誕生日がきますわね。

 ジル様は学園卒業という節目の年に何を贈るかを決めかねているという。何を贈ったら喜んでもらえるだろうとしんけんに頭をなやませるジル様の姿に、むねの奥がじんわりと温かくなる。相手がわたくしでないとわかっていても、アリーシャに対してそう思ってくれることが嬉しくて、気分がよくなったわたくしはこのまま悩めるジル様の相談に乗ってみることにした。

 贈られる相手が過去の自分ということもあって、多少なりとも力になれる自信があった。要は自分がもらって嬉しいと思うものを教えればいいのだもの。

 ほしいもの。ジル様からもらって嬉しいもの──自分が喜びそうなものをおもかべてみる。

 ほしいものはいろいろあった気がするけれど、プレゼントでもらいたいというほどのものではなくて、これといったものが思い浮かばない。

 急に聞かれると、ほしいものって案外思い浮かばないものですわね。

 何か参考にできるものはないかと、今までジル様からいただいたプレゼントはどうだったかしらとおくかえってみる。ブローチにかみかざり、ブレスレット。こんやくしてからいただいたものはどれもわいらしくてしゅいものだったから、わたくしが意見を言わなくても問題ないように思えた。

 ジル様がどんなふうにプレゼントを選んでくれたのかを見てみたくて、わたくしはジル様に任せてみることにした。


『ジルベルト様が選んだものでしたら、どんなものでも喜んでもらえると思いますわ』


 自信をもって好きに選んでくださいと伝えると、ジル様は店内をぐるりと見回したあと、大きなハート形をした髪飾りを手に取った。


(それ!? よりにもよって、それですの!?)

「これくらい大きなハートなら、僕の気持ちも伝わるでしょうか?」

『…………』


 ジル様ははにかむように口元をゆるませたけれど、こちらは大いに反応に困っていた。


(…………これ、主張が強すぎてお洋服に合わせるのが大変そうですわね)


 もらったからにはちゃんとつけたいので、できればもう少しひかえめなもののほうがありがたい。今までジル様からもらったプレゼントで困ったことはなかっただけに、どうしてこうなってしまったのかしらと少しばかり遠い目をした。

 参考までに今までどうやって選んでいたのかを尋ねると、店員さんから人気の商品をしょうかいしてもらっていたことが判明した。

 せっかくジル様が選んでくださったのに、別のものを選び直したほうがいいとは言い出しにくい。これはもうアリーシャに髪飾りに合うお洋服を探してもらうしかないだろう。

 そんなことを思っていると、ジル様の視線が別の髪飾りにくぎけになった。

 四つ葉のクローバーとジル様のひとみと同じ色の石があしらわれた髪飾り──それを見たしゅんかん、生きていたころの記憶がフラッシュバックしてきた。


(──これ、前にジル様からいただいたものですわ)


 ジル様は手にしていたハートの髪飾りを置いて、四つ葉のクローバーの髪飾りをすくい上げると、店員さんに声をかけて代金をはらった。

 以前わたくしがもらった髪飾りも、こうやってジル様が選んでくださったのかしら?

 先ほどのジル様と同じように真剣にプレゼント選びをしていたかもしれない当時のジル様を想像して、わたくしはくすりと口元をほころばせた。


 昔の思い出をそっと胸にしまって大通りを歩いていけば、わたくしが生前よく通っていた本屋さんが目に入った。なつかしさに思わず『あ』と声をもらしてしまい、ジル様の足が止まる。直接言ったわけでもないのに、ジル様はわたくしの気持ちを察してくれて、「寄ってきましょうか」と立ち寄ってくれることになった。

 店の中に一歩足をれると、大通りのけんそうは静まり独特の本のにおいが鼻をかすめた。


(懐かしい……)


 ジル様にたのんでれんあい小説のコーナーに足を運んでもらうと、昔ほしかった本のタイトルが目に入った。


『ああ! 前に買いそこねた本……! こちらも! 買ったけど続きを読まないままでしたのよね!』


 大量の本を前にわくわくが止まらない。ジル様がふっと笑った。


「どれがいいですか?」

『え?』

「相談にのっていただいたお礼に一冊プレゼントさせてください」

『よろしいのですか!?』

「ええ。あなたのおかげで僕もいいものが買えましたし、そのお礼です」

『えっと、えっと……』


 どれにしましょう……。買い損ねた本にするか、前に読んでいた本の続刊にするか……ほんだなを前に目移りしてしまう。悩んでいると、本棚を見つめたままのジル様が口を開いた。


「あなたは、どんな本が好きなんですか?」

『えっと、そうですわね……いろいろ好きですけど、恋愛小説ですと……一番下の左から二番目の【ななつのお願い】とか、上から三段目にある【あおひめ】も好きでしたよ……でも、そうですね……』


 一番好きな本は──。

 わたくしはジル様に二つ先の本棚に移動してもらって、その視界から目的の本を探した。


『……下から三段目の右から五番目の本』

「【アーティアス聖戦】?」

『ジル様。わたくし、この本がいいです』


 ずいぶん前に刊行されたその本は、買われずに長いことそこにあったせいか背表紙が少しいろせていた。横に並ぶ真新しい本と見比べながら、ジル様が本当にこれでいいのか確認してくる。

 わたくしは少し色褪せてしまった本を見つめて小さくうなずいた。


『わたくしの一番好きな本なんです』


 いくさによって国を追い出されたおひめ様が、敵国の王子様といがみ合いながらも心を通わせて国をもどしていく王道の物語。どんな絶望の中にいても決して折れないお姫様の姿に心を打たれて以来、何度も読み返してきた本だった。

 久しぶりに読みたいと思っていたし、それに何よりジル様といっしょに読んでみたかった。


 お気に入りの本を買ってもらってはずんだ気持ちでしきに帰ってきたわたくしは、ジル様がアリーシャのプレゼントを机の引き出しにしまおうとしているのを見て、ふと疑問をいだいた。


(そういえば、どうして四つ葉のクローバーに変えたのかしら?)


 あんなに気に入っていたハート形の髪飾りを手放した理由を、今聞いたら教えてくれるでしょうかと、ドキドキしながらジル様に声をかけてみる。


『あの、一つ聞いてもよろしいですか?』

「なんです?」

『どうしてそれをお選びになりましたの?』


 ジル様はれいにラッピングされた箱に視線を落として目を細めると、引き出しをそっと閉めて答えた。


「僕にとってはアリーシャとの大事な思い出、だから……かな」

『アリーシャとの、思い出……ですか』


 そういえば、アリーシャの手紙が保管されていた引き出しの中にじゅでできた四つ葉のクローバーのペーパーウェイトが入っていた気がする。あれも思い出の品なのかもしれない。

 けれど、わたくしにはどうしても自分と四つ葉のクローバーを結びつけられずにいた。

 一体いつ、どこで?

 子どもの頃ならいざ知らず、ジル様と出会った頃はすでに野原でクローバーを探すようなとしではなかったはずだ。必死に思い出そうとしていると、ジル様がちょう気味に笑った。


「思い出とはいっても、彼女は忘れていますからこれは僕の自己満足ですね」

『忘れてる……?』

「もうずっと昔のことですし、アリーシャが覚えていなくても仕方がないんです。思い出すきっかけになってくれたらと思うあたり、ちょっとしかったですね」

『ちょ、ちょっと待ってください!』

「ん?」

『そ、そのお話、くわしく聞かせていただけませんか!?』


 このままだと話が終わってしまうと思って、わたくしは慌ててジル様を引き留めた。

 なんとしてもアリーシャわたくしが忘れてるという話を聞かなくては。

 ジル様から小さく笑うような気配が伝わってくる。


「そんな大層な話じゃありませんよ?」

『それでもいいです! 聞かせてください!』


 わたくしが重ねてお願いすると、ジル様はプレゼントをしまった引き出しとは別の引き出しを開けて、中から四つ葉のクローバーのペーパーウェイトを取り出した。樹脂でできた小さなそれを夕日にかざしたジル様は、昔を懐かしむように話しだした。


「あれは僕が七歳の頃、母に連れられてレイ家のお茶会に行ったときのことです。母たちと座っているのにきてしまった僕が中庭に行くと、はなかんむり上手うまく編めないと言って泣いている女の子がいました。それが、アリーシャでした」

『七歳……』


 そういえば、確かわたくしもお母様に連れられて何度かどこかのおうちのお茶会に参加したことがありましたわね。

 お茶会に飽きてしまうと、お母様たちから中庭で遊んでおいでと言われて、人様のお屋敷の庭で当時友人たちの間で流行はやっていた花冠を作っていましたっけ。手先が不器用すぎて上手く編めるようになるまでだいぶ時間がかかりましたが。

 どうやらジル様はそんな折に幼いわたくしと出会ったようだ。

 思い返してみれば、確かに一緒に花冠を作ってくれた男の子がいたような気がする。


(もしかして、それがジル様でしたの……?)


 わたくしはジル様のお話からさらにヒントを得ようと耳をました。


「上手くできないと泣いている彼女の姿が妹に重なって、なんだか放っておけなくて一緒に作ることになったんです。アリーシャは何度も失敗しながらも最後まであきらめずに花冠を作り上げました。その時、一緒に作ってくれたお礼にと、アリーシャから四つ葉のクローバーをもらったんです」

『…………』

「その頃に比べたら、ずいぶん器用になったと思いませんか?」


 ジル様はペーパーウェイトを引き出しの中に戻して、今度はそのとなりにしまってあったしゅうのハンカチを取り上げた。こわものれるかのようにハンカチの刺繡部分をなでたジル様が口元にみを浮かべる。


『そんなに前から、ずっと……?』


 思いもよらなかった昔話に声がふるえた。

 信じられない思いで尋ねれば、ジル様は目を閉じて小さく頷いた。そのまぶたの裏に何が映っているのかはわからない。けれど、ジル様の声はとてもやさしい色をしていた。


「ええ、あの頃からずっと想い続けてきました。学園に入ってアリーシャと再会した時、彼女が僕のことを覚えていなかったのはショックでしたが、彼女は変わらずに努力家でがおてきな女性でした。だから、誰かにとられる前に彼女に婚約を申し込んだんです」

『で……では、わたく……アリーシャとは政略けっこんではありませんでしたの!?』

「そうですよ。もちろん、親をなっとくさせるために両家にメリットがあるようにいろいろと手は回しましたけど」


 当時のことを話すジル様は楽しそうだ。けれど、わたくしはその真実を知ってなみだが出そうになった。


(わたくし、ずっとジル様との結婚は家同士が決めたことだと思っていましたわ……)

『どうして、それをあの子に伝えてあげませんの? あの子はあなたとの結婚を家同士が決めたものだと思っていますのよ』

「…………何度か伝えようとしました。でも、昔の話をしてアリーシャが思い出してくれなかったらと思ったら、こわくて言い出せなくて──それに僕……再会したばかりの頃、忘れられてたのがショックで彼女にそっけない態度を取ってしまったんです。そんな僕が幼い頃から好きでしたなんて言っても説得力がないでしょう?」

『それは……』

「婚約してから仲を深めていけばいいと思っていたけど、アリーシャが僕を好意的に見てくれるのは僕が婚約者だからで──僕はずっとアリーシャを好きだったけど、彼女はそうじゃない。それがわかるからこそ、時々おたがいの思いの強さに温度差を感じることがあるんです。僕だけがこんなにアリーシャのことが好きなのが知られたら引かれてしまうかもしれない。それなら、いっそ政略結婚だと思われていたほうがいいと思──」

『そんな! わたくし引いたりなんかしませんわ!』


 ジル様が言い終わる前に反論する。びっくりするとは思うけど、絶対に引いたりしないって断言できる。


「あなたが引かないからといって、アリーシャが引かない確証はないじゃないですか」


 言い返されてぐっと押し黙る。

 確証ならある。だって、アリーシャはわたくしだもの。

 けれど、ジル様はわたくしがアリーシャだということを知らない。そんなわたくしが断言したところで信じてもらえるはずがない。

 なにか……何かないかしら。何かアリーシャの気持ちを伝える方法は──。

 ふとジル様の手の中にあるハンカチの刺繡に目が行った。少しゆがんだナズナとブルースターの花が刺繡されている。花言葉は【あなたにわたくしのすべてをささげます】それから【幸福な愛】、【信じ合う心】──わたくしはかつてこれを作る際、政略結婚からでもかまわないから愛し合えるようなふうになりたいという願いをめた。

 ちがいなく、今世のアリーシャも同じ願いを刺繡に込めたはず……これなら信じてもらえるかもしれない。


『────その刺繡……』

「刺繡?」

『ナズナとブルースターというお花なんです』

「ナズナとブルースター……?」

『花言葉は【あなたにわたくしのすべてを捧げます】それから【幸福な愛】、【信じ合う心】──アリーシャはたしかにあなたとの結婚は家同士が決めたものだと思っています。けれど、結婚をきっかけに愛し合えるようなあいだがらになりたいと、そう願っていますのよ』

「そうだといいのですが……」

『このわたくしが言うのですから間違いありませんわ!』


 力強く断言すれば、ジル様がくすりと笑った。


「あなたのその自信はどこから来るんですか」

『だってそれは……!』


 わたくしがアリーシャだから──そう言いそうになって慌てて口を閉じた。危ない危ない。まだジル様に正体を知られるわけにはいきませんもの。

「それは?」と首をかしげたジル様に、わたくしは『ゆうれいの直感です』と言ってした。

 そのあと、ジル様は学園で再会してからのわたくしとの思い出を話してくれた。

 わたくしも覚えているものからすでに忘れてしまったさいなものまで、わたくしとの思い出を話すジル様はとても生き生きしていて、そこにコーデリア様のかげはなかった。

 この時間に戻ってきてからずっといだいていたかんの正体はこれだったのだと確信した。

 ジル様は間違いなくコーデリア様と浮気なんてしていなかった。

 …………では、なぜ? どうしてわたくしはジル様からこんやくされてしまったの?

 のうに刻まれて忘れることができないあの日の──婚約破棄された日のけんかんに満ちた表情をしたジル様に、心の中で問いかけた。



*****



 ジル様がクローバーの髪飾りを買って一週間。とうとうアリーシャの誕生日がやってきた。といっても、平日なのでつうに学校がある。

 ジル様はいつも通り制服にそでを通してたくを終えると、最後に机の引き出しを開けてアリーシャへのプレゼントをかばんに入れた。

 今日は放課後に町に出てパンケーキを食べに行く約束をしている。

 ジル様的にはかえぎわにプレゼントだけわたせればいいと思っていたみたいだけれど、さすがにそれだけではじょうちょがなさすぎると思って、ジル様にアリーシャを町にさそうようにアドバイスしたのだ。

 そんなジル様ですが、一見だんと変わらないようでも結構うきうきしているのがわかった。

 いつも以上にアリーシャのことをぬすていたし、いつもとちがってノートを取る手もどこかそわそわしていて、宙に漂わせたペンでアリーシャと書いているのも見てしまった。

 こんなに可愛らしい人だったなんて、前は全然気がつきませんでしたわ。

 わたくしはそんなジル様の様子をほほましく見守っていた。


 放課後。

 ジル様とアリーシャは真新しいカフェにやってきた。最近できたばかりだというカフェは、クラスの女の子たちの間で話題になっていて、ファンシーな感じにまとめられた店内は明るくて可愛らしい印象を受けた。


「可愛らしいお店ですね」


 テーブルをはさんで向かいに座るアリーシャが周囲を見回してにっこりと微笑んだ。そんなアリーシャの反応に安心したのか、ジル様のかたから力がけたのがわかった。

 できたばかりのお店だから心配していたけれどゆうだったようだ。

 気に入ってもらえてよかったと胸をなでおろしながら、向かいに座るアリーシャの様子をうかがってみる。彼女は店内の観察を終えると、テーブルの上に置かれたメニュー表に視線を落とした。ジル様はテーブルにほおづえをついて、にこにことその様子をながめている。

 ジル様、どれだけアリーシャが好きなのかしら。

 というか、わたくしもわたくしですわ。こんなに熱い視線を送られておきながら、なぜ全く気がつかないのかしら。どんかんにもほどがありましてよ、わたくし。

 こうして第三者側に回ると周りのじょうきょうを冷静に見れるから不思議ですわね。

 ジル様が一向に下を向いてくれないせいで手元にあるメニュー表が見えず、仕方なくアリーシャが見ているものを反対側からのぞかせてもらう。

 ふと、ジル様がアリーシャに尋ねた。


「アリーシャは何にします?」

「え? ええと、そうですわね……どれも美味おいしそうですが…………このベリーがたくさんのったものにしようかと」


 メニュー表のさしを指さして答えたアリーシャに、思わず『やっぱり!』と言いそうになった。

 彼女が選んだのはわたくしが一番食べたいものだった。好みが一緒だから選ぶものもかぶってしまうらしい。

「ジル様は?」と聞き返されて、ジル様の視線が手元のメニュー表に落ちる。ドリンクのラインナップを一通り見た後、ジル様が「僕はコーヒーだけで」と答えたのを聞いて耳を疑った。


(コーヒーだけ!? せっかくこんなに可愛らしいお店に来たのに、コーヒーだけとかどんなごうもんですの!?)


 パンケーキが食べたい一心でていこうを試みる。


『──コーヒーだけと思いましたが、やっぱりこのスフレのものを頼もうかと』

「まぁ! ジル様もやっぱり気になりました!?」


 わたくしが二番目に気になったスフレ生地のパンケーキを頼もうとしているのを知って、アリーシャは胸の前で手を合わせて興奮気味に声を上げた。

 スフレ生地に食いつくとは、さすがはわたくし。

 アリーシャのキラキラしたまなしを受けたジル様は、勝手に注文を増やしたわたくしに文句を言えなくなってしまい、コーヒーとスフレパンケーキを頼んでくれた。

 そうして運ばれてきたパンケーキはどちらもなかなかのインパクトだった。

 色とりどりのベリーがたくさんのったアリーシャのパンケーキは、四段に重ねられたうすめの生地の上に生クリームとベリーソースがたっぷりとかかっていて見ただけで食欲をそそられた。


「んー! 美味しいですね、ジル様!」


 一口食べたアリーシャがほおを押さえてうっとりとした。

 一方のジル様も厚めのスフレ生地のパンケーキが二枚重なったものをナイフで切り分けて口元に運んだ。口に入れた瞬間、シュワッとけてなくなった。感覚がにぶくなったとはいえ、体を共有するわたくしにもわずかながら甘みと香りが伝わってくる。


(んー! 味は薄いけど十分美味しいですわ!)


 久しぶりのパンケーキの味に幸せをみしめていると、ふとアリーシャがちらちらとこちらを見ているのに気がついた。

 何かしら? と思って視線を追ってみれば、彼女の視線はジル様の食べているパンケーキに注がれていた。それだけでわたくしには彼女がどうしたいのかわかってしまった。

 アリーシャの前で勝手にしゃべらないでほしいとは言われているけど、ほんの少し彼女の気持ちを代弁するだけと思って口を開く。


『アリーシャ、食べたいのですか?』


 ジル様の口を借りてアリーシャの言いたいことを代弁すると、彼女ははしたないと思ったのか顔を真っ赤に染めて首を左右に振った。


(ふふ、図星ですか。そうですか、食べたいですか。というかですね、アリーシャ。わたくしもあなたの食べているパンケーキが食べたいのですが)


 どうしたら食べさせてくれるかしらと次なる言葉をす。


『僕もアリーシャのを食べてみたいのですが、一口こうかんしませんか?』

「なっ!?」

「ふぇっ!?」


 ジル様とアリーシャが全く同じ反応をして固まった。ジル様はそこで反応してはダメでしょう。

 今だけはじゃされたくなくて、わたくしはジル様のぼうがいが入る前に口を開いた。


『すみません。あなたがあまりにも美味しそうに食べているものだから……いえ、ダメなら仕方な──』

「ダメじゃないです! わわ、わたくしもジル様のものを食べてみたかったので、よろしければ交換していただけると嬉しいですわ!」


 ダメ元での発言にいい返事をしてくれるかどうかは五分五分でしたが、なんとかいい返事を引き出すことに成功したようだ。


(やりましたわ! ジル様、あとはがんって!)


 きんちょうしたアリーシャがかくを決めたようにナイフとフォークを使ってパンケーキを切り分ける。


「では、わたくしから……ジル様、どうぞ」


 耳まで赤く染めたアリーシャがパンケーキのさったフォークをこちらに差し出してくる。その様子に、ジル様がごくりとのどを鳴らした。


「い、いただきます……」


 やや緊張気味にジル様が口を開くと、アリーシャが座っていたから少しだけこしを上げてジル様の口にパンケーキを運んでくれた。

 ほのかなベリー風味くらいしかわからなかったけど、それでも一口なのがしいと思うくらい美味しかった。

 わたくしが嚙みしめるように味わっていると、ジル様がアリーシャに食べさせるためのパンケーキを切りにかかった。それを同じようにアリーシャの口に運んであげると、彼女は目をかがやかせて左手を頰に当てた。


「んっ! やっぱりこちらも美味しいです! 一口なのが惜しいくらいですわ」

「でしたら、もう一口どうぞ」

「わ、わたくし、そんなつもりじゃ──」


 ねだるつもりじゃなかったと顔を真っ赤に染めてわたわたするアリーシャに、ジル様がもう一口分切り分けたパンケーキを差し出す。引っ込みがつかなくなったアリーシャがもう一口食べて、ジル様とはにかむように笑いあう。

 ああ、なんて素敵な日……。

 わたくしも一歩踏み出していたら、ジル様とこんな未来があったのかしら?

 少しだけ切なくうずいた心を誤魔化すように、わたくしはジル様が口に運んでくれたパンケーキを味わうように嚙みしめた。


 楽しい時間はあっという間に過ぎて、わたくしたちを乗せた馬車はメイベル家のお屋敷にとうちゃくした。

 ジル様が先に外に出て、中にいるアリーシャに向かって手をべる。アリーシャはジル様の手にそっと自分の手を重ねると、ゆっくりとタラップを下りてくる。しかし、最後の一段を踏みはずしてアリーシャの体が前方にバランスをくずした。


「キャッ!」

「アリーシャ!」


 ジル様が重ねたままになっていたアリーシャの手をとっさににぎって自分のほうに引き寄せた。もう片方の腕で彼女の腰を支えて、抱きしめるような形で事なきを得る。

 どちらからともなくあんの息をついてから、近すぎるきょに慌てて体をはなした。


「す、すみません!」

「いえ、こちらこそ……はありませんか?」

「はい、ジル様が抱きとめてくださったおかげでなんともありませんでしたわ」


 くるりとターンして怪我がないことをアピールするアリーシャに、ジル様の頰が緩む。


「よかった────あ、そうだ。わたしそびれるところでした」


 はっとなったジル様が一度馬車の中に入っていき、小さな箱を手に戻ってくる。

 手のひらに収まるくらいの小さな箱は、アリーシャに今日渡すはずだった誕生日プレゼントだった。い緑のリボンが結ばれたあわい緑色の小箱をアリーシャに手渡して、ジル様が微笑んだ。


「改めて、誕生日おめでとうございます。アリーシャ」

「わぁ! ありがとうございます! ────開けてみてもいいですか?」

「どうぞ。気に入っていただけるといいのですが……」


 ジル様が緊張しているのが伝わってくる。

 リボンがほどかれ、小箱のふたが開けられると、そこには数日前と寸分違わぬ四つ葉のクローバーの髪飾りがちんしていた。アリーシャは壊れ物をあつかうように髪飾りをすくい上げると、はじけるような笑顔をジル様に向けた。


「とっても素敵です! 大切にしますね! せっかくですから今つけてもいいですか?」

「僕がつけますよ────うん、よく似合ってます」

「ふふっ、ありがとうございます」


 ジル様につけてもらった髪飾りをそっと指で触れて、アリーシャがはにかむように笑いかけてくる。

 生前のわたくしもおそらく目の前のアリーシャと全く同じ反応をしたはずだ。

 やはり四つ葉のクローバーの思い出話に触れられることはない。

 それはつまり、目の前のアリーシャも幼い頃のことを思い出さなかったということを意味していた。

 気づかれない程度にジル様のまゆじりが下がったのがわかったけれど、アリーシャがそれに気づいた様子はない。ジル様は無理に思い出させるようなことはしないと言っていたので、きっとこのままアリーシャに四つ葉のクローバーの真相が語られることはないだろう。

 わたくしが何かきっかけを作ってあげられたらよかったのだが、先日ジル様から思い出話を聞いてもぼんやりとしか思い出せなかった。きっと少しヒントを出したくらいでは思い出すことは不可能だろうと思い、あえて何も言わずに二人を見守るだけにとどめた。


 アリーシャと別れた後の馬車の中はとても静かだった。

 馬車の小窓に映るジル様の顔はどこかさびしそうで、なんとかしてはげましてあげたかった。けれど、どんな言葉も今のジル様には届かないような気がして、浮かんだ言葉はのどもとにつかえたまま言葉にできなかった。

 アリーシャが覚えていない分、代わりにわたくしが覚えているから……だからジル様、そんなにがっかりしないで。

 ねぇ、ジル様。ずっと気づかなくてごめんなさい。

 浮気してるなんて疑ってごめんなさい。

 わたくし、こんなにあなたからおもわれていたなんて知りませんでしたの。

 たくさんの言葉が浮かんでは消えていく。

 こんなに想ってくださる方と結婚できていたらどんな未来になっていただろう。

 時をさかのぼってきた当初はどうやってアリーシャから婚約破棄をきつけさせようかと思っていたけれど、今の二人を見ていたら自分がしようとしていることがひどく間違っているように思えて仕方がなかった。

 過ぎ去ったあの日、どうして婚約破棄を言い渡されたのかはいまだにわかっていない。

 けれど、もし婚約破棄されなかったら──?

 わたくしはその先の未来を見てみたいと思ってしまった。

 この日、わたくしは二人が別れる未来ではなく、婚約破棄されない未来をおうえんしようと心に決めた。

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