2-2
*****
ジル様の浮気調査を始めて数日。とうとう浮気の証拠を摑む時が来た。
放課後、ジル様はコーデリア様から授業で作ったという
「午後の授業で刺繡をしたんです。よろしければもらっていただけないかと思って」
細い
自身が刺繡した小物を
これは立派な浮気現場といえるだろう。
ようやく
「すみません、コーデリア嬢。申し訳ないのですが、受け取れません」
(え!? 受け取りませんの!?)
てっきり
「……それは、婚約者がいらっしゃるからですか?」
「ええ」
「それは存じてますわ。でも、私……上手くできたから、ずっと
コーデリア様の目がみるみる
「すみません。それでも、僕はアリーシャを裏切るようなことはしたくないので────ああ、泣かないでください!」
「せめて見ていただくだけでもだめですか?」
「ええと……見るだけでよければ……」
ジル様の返事に、今にも泣きだしそうだったコーデリア様の顔がぱぁっと明るくなる。彼女は折りたたまれていたハンカチを開いて、もっと近くで見てくださいとジル様に体を近づけた。
赤やピンクの小さな花が左下と右上に
「綺麗な花ですね。これは何という花なんですか?」
「アネモネです」
花の名前を聞かれたコーデリア様がはにかむように
アネモネ。花言葉は確か【あなたを愛する】とか【はかない
そういえば、思い出してきましたわ。
確かこの授業、花言葉を調べてその花を刺繡したハンカチを誰かにプレゼントするという
ジル様が花言葉まで知っているかはわからないけれど、婚約者のいる相手に【愛してます】という花言葉の花を刺繡したハンカチを贈ろうとするなんて正気の
あまりのことに
その不安げな表情に、この時のことを思い出した。
帰りにハンカチをお
────でも、本当は違った。
ジル様はちゃんと婚約者であるわたくしのことを優先してくれて、きっぱり受け取れないと断ってくれていた。
時を
コーデリア様の長い
「アリーシャ……?」
ジル様が小さく呟きをもらし、教室内をぐるりと見渡す。目線の動きからアリーシャを
わたくしはアリーシャの場所を教えようと口を開きかけ、きゅっと口を結んだ。
かつてのわたくしがそうだったように、おそらく
ジル様は最後にもう一度アリーシャの席に目を向けると、そのまま教室を出て人けの少ない
移動教室で使った教室、図書室、医務室、食堂。
広い学園内を走り回るジル様を間近で見て、『どうして』と心の中で呟く。
どうしてこんなに
『もうとっくに帰ってしまったのではないですか?』
教室
アリーシャの机に
けれど、ジル様は「いいえ」ときっぱり首を横に振った。
「放課後、少し会えないかと言っていたんです。アリーシャが何も言わずに帰るなんてありえません」
傾いた赤い太陽が誰もいなくなった廊下を照らして、足元の
まだ学園内のどこかにいると信じてくださっているジル様に心を打たれ、わたくしは今まで黙っていたアリーシャの居場所を伝えることにした。
『…………中庭です』
「中庭?」
『中庭の、池の近く……おそらくそこにいます』
かつて、二人の仲を誤解したまま教室を出たわたくしが向かった場所がそこだった。
どこでもいいから人のいないところへと足の向くままに歩き回ったせいで、どういう経路を
ジル様は理由も聞かずに廊下の手すりを
きょろきょろとあたりを見回すジル様の視界が、風になびく銀の髪を
「アリーシャ!」
ジル様が駆け寄りながら声をかけると、木の幹に背中を預けるようにして座っていたアリーシャがびくりと体を
そうしているうちにジル様がアリーシャのもとにたどり着いてしまう。膝をついて正面からアリーシャの顔を
「アリーシャ、何かあったんですか!?」
アリーシャの泣き顔を見たジル様が彼女の両肩を揺さぶった。違う、というようにアリーシャが頭を横に振る。
「では、誰かに何かされて!?」
それも違うとアリーシャが頭を振って否定する。大きな
「……ど、して……? コーデリア様とご一緒だったのでは……?」
「確かにコーデリア嬢とは話をしていましたけど、放課後はあなたと約束をしていたでしょう?」
「……だから、追いかけてきてくださいましたの?」
消え入りそうな声で尋ねられ、ジル様は「ええ」と頷き返した。そうしていつまで
「見つけられてよかった……何があったんですか? 僕でよければ聞かせていただけませんか?」
ジル様が
「…………」
不安そうな彼女の表情からは、コーデリア様から贈られたハンカチのことを聞きたい、けど
誤解なんだからさっさと確かめてしまえばいいのにと、目の前でもじもじする自分にもどかしくなってくる。
(ああ、もう! じれったいですわね!)
ジル様にはしゃべらないでくださいと言われていたけれど、このままでは
『一言だけ言わせてください──アリーシャ、ジル……僕はコーデリア嬢のハンカチを受け取っていませんからね』
「っ!」
なるべくジル様っぽく聞えるように伝えると、アリーシャは深い青色の目を大きく見開いて小さく息をのんだ。
「ほんと、に……? 本当にコーデリア様からもらっていませんの……?」
その一言でジル様はアリーシャがなぜ泣いていたのか察してくれたらしい。わたくしの言葉を
「ええ。渡されましたけど、受け取りませんでしたから」
「どうして……?」
「どうしても何も。あなたという婚約者がいるのに受け取るわけがないでしょう?」
ジル様はそう言うと、アリーシャから少し目をそらして
「その……アリーシャは僕に……」
「え?」
上手く聞き取れなくてアリーシャが聞き返すと、ジル様は意を決したように先ほどより大きな声で
「アリーシャは僕に作ってくれなかったんですか?」
「ふぇ!?」
「あなたも授業でハンカチに刺繡をしたのでしょう?」
「はい……あの、でも……わたくしの作ったものなんかで本当によろしいのでしょうか……?」
鞄からオフホワイトのハンカチを取り出してもじもじするアリーシャに、ジル様は
「ええ。あなたのがいいんです」
その一言を聞いて、アリーシャは
(うんうん、誤解が解けてよかったよかった──って、全然よくありませんわ! ああ、なんてこと……裏切られるってわかっているのに、これ以上二人を仲良くさせてどうしますの!?)
二人の楽しそうな会話を流し聞きつつ、わたくしはジル様の中で頭を
帰りの馬車の中で、ジル様はアリーシャからもらったハンカチを
ジル様はわたくしのがほしいと言ってくれたけれど、いざもらったらこんな下手な刺繡でがっかりしているんじゃないかしら? と心配になって聞いてみる。
『そんなにそれがほしかったんですか?』
『……コーデリア様のを断ってまで?』
「どうしてコーデリア嬢が出てくるんですか」
『だって、どう見たってコーデリア様のほうがお上手だったではありませんか』
「たしかにコーデリア嬢の刺繡はお店で売っていても
ジル様はそう言ってハンカチに刺繡された青い花をそっとなでると、ふと何かを思い出したように顔を上げた。
「そうだ、あなたにもお礼を言おうと思っていたんです。今日はありがとうございました」
『え?』
「アリーシャの居場所を教えてくれたでしょう?」
『べ、別にあなたのために教えたわけでは……』
わたくしはただ誤解したままのアリーシャが
(なによ。調子が
いなくなったアリーシャを学園中捜し回ってくれたり、ハンカチをもらって
そこまで考えてから、ふとある可能性に思い至った。
もしかして、ジル様とコーデリア様はまだ
本当のところどうなのかしらと聞いてみようかどうか迷っていると、「それにしても」とジル様が先に口を開いた。
「どうしてあなたはアリーシャが中庭にいるとわかったのですか?」
『それ、は……』
わたくしは答えに詰まった。かつての自分がそうだったからとは言えるわけがない。どうにかして誤魔化さなければと言葉を探したわたくしは、『幽霊だけが使える
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