第23話 どこにいても、何を見ても
スナック「ゆり」で働くようになって、もう1年が経とうとしていた。
季節は1年前と同じ、寒い冬が訪れていた。
ゆりさんが明日は一日店を閉めると私に告げた。
スナック「ゆり」は基本定休日を定めていなかった。
ゆりさんの都合と気分次第で突然店は休みになる。
だから前日から休みを教えてもらえたのは初めてだった。
「ゆりさん、どこかお出かけするんですか?」
上機嫌な様子で鼻歌を歌うゆりさんに私は尋ねた。
「ふふふ。まあね。」
「もしかしてデートですか?」
「それは内緒。」
「もう。教えてくれたっていいじゃないですか。大鶴さんとデートでしょ?」
最近になってゆりさんと大鶴さんの関係がなにやら進展しているのを、私もなんとなく感じていた。
大鶴さんの熱烈なラブコールに、どうやらゆりさんも心を動かされているようだ。
「だから内緒!そうだ。りおもどこか出かけてきなさいよ。アンタ、休みの日でも家に引きこもって本ばかり読んでるじゃない。」
「別にいいでしょ?私は本が友達なんです。」
「たまには外へ出かけてらっしゃいよ。桐谷さんにもよく誘われるんでしょ?」
「はい・・・。」
常連の桐谷さんは優しくて真面目な人で、私を気に入ってくれている。
それはとてもありがたいことだけれど、どうしても心が動かない。
自分でも新しい恋を見つけた方がいいと頭では判っていても、いつも心の真ん中には凌がいて、もう二度と他の男の人を好きになんてなれないと思うのだ。
「じゃあひとりで宇都宮の街を歩いてみたら?りお、ここに来てまだ一度も宇都宮を観光したことないでしょ?ここはいい街よ。綺麗な景色を見て、美味しいものを食べて、気分をリフレッシュしてきなさい!」
「そうですね・・・。」
ゆりさんの言葉に押されて、私は宇都宮の街を一日かけて巡ってみることにした。
白いセーターにジーパンを履き、ダウンジャケットというラフな格好をすると、久々にりおではなく本当の私である伊織に戻れた。
ショルダーバッグを肩にかけて、私は店の外へ出た。
まずは宇都宮駅を出発点とする。
駅の近くにある、宇都宮特産の大谷石を使って彫られた「餃子のビーナス」を見に行くことにした。
有名な現代彫刻家がデザインしたそうで、餃子が擬人化されていて、なかなかユーモラスな像だった。
「ふふっ。可愛いかも。」
私はパシャリとスマホで写真を撮った。
次に街へ出て、餃子専門店に入った。
宇都宮は餃子の街というだけあって、沢山の餃子専門店がある。
私はなんとなく目についた店へふらりと入り、餃子定食を注文した。
しばらく待つと、綺麗に並べられた餃子と白飯が私の前へ運ばれてきた。
焼き目がこんがりとしていて、形もよく、見ているだけで食欲がわいた。
「いただきます。」
私はいつものように手を合わせてそうつぶやくと、ひとつずつ餃子を口の中へ入れていった。
肉と野菜のうまみが詰まっていて、ジューシーな味だった。
「美味しい!」
宇都宮餃子を食べたのは初めてではなかったけれど、お店で食べる味は格別だった。
凌も餃子が好きだった。
ふたりでラーメン屋に入ったときは、必ず餃子も注文してたっけ。
この美味しい餃子を凌にも食べさせてあげたい、と思った。
食べ終わり店を出ると、二荒山神社へ向かった。
二荒山神社は宇都宮の中心部明神山と呼ばれる小高い丘に鎮座する。
パワースポットとしても有名な歴史ある神社だ。
大通り沿いにそびえ立つ大鳥居があり、そこをくぐると95段の石段がある。
息を切らして石段を上った先には美しい神門が現れた。
桜の木は冬空へその枝を伸ばし、来るべき花を咲かせる春を待っている。
手水舎で手を洗い、お賽銭を投げて、拝殿へ向かい手を合わせた。
目を瞑って、参拝し祈りを捧げる。
スナックゆりの繁盛、ゆりさんやお客様の健康・・・そして凌がいつまでも元気でいてくれますように、と神様にお願いした。
その後、境内をゆっくりと散策した。
神聖な空気が漂い、心が清らかになっていくような気がした。
最後に可愛いおみくじを引いてみた。
小吉が出た。
可もなく不可もなくでホッとしたような少し物足りないような気持ちになった。
そして最後に宇都宮城址公園へ向かった。
宇都宮城は関東七名城のひとつと言われる城だ。
高い土塁の上に櫓と土塀がある。
私は広い園内を散歩コースに沿ってゆっくりと歩いた。
歴史を感じさせるその景色が私の瞳に映りこむ。
この綺麗な景色、凌にも見せてあげたい。
・・・駄目だ。
どこにいても、何を見ても、凌のことばかり考えてしまう。
元気にしてる?
風邪ひいてない?
仕事は忙しい?
どんなに心で問いかけても、もう凌の声を聞くことは出来ない。
凌・・・一目だけでも会いたいよ・・・。
こんなに苦しい思いをするのなら、私達出会わなければ良かったのかな。
ううん。
やっぱり出会えて良かった。
こんなにも愛せる人と、ひとときでも過ごすことが出来たんだもの。
忘れるから。
今度こそ忘れるから。
だから今だけ泣かせて。
私はお堀の水を眺めながら、頬に流れる涙をぬぐった。
束の間の小旅行を終え、私は家路を急いだ。
駅のトイレに入り、鏡で自分の顔を見ると、沢山泣いたからか、少し目が腫れている。
こんな顔で帰ったら、またゆりさんに心配かけてしまう。
私は洗面台で顔を洗い、タオルで拭いてから、入念にアイメイクを施した。
スナック「ゆり」で働きだしてから、私は化粧が上手くなった。
ママのヘルプといえど、一時のやすらぎを売る客商売だ。
いつも身綺麗にしていないと、ゆりさんに叱られるし、お客様にも申し訳ない。
目のふちにアイラインを入れ、アイホールにアイシャドウでグラデーションをつける。
こうすれば泣き腫らした目も誤魔化せるはずだ。
駅を離れバスに乗り、店の近くまで帰りついた。
車も通る大きな通りの端っこにある歩道を歩いていると、目の前を小さな女の子がひとりで歩いていた。
髪をふたつに結わき、赤いリュックを背負っている。
リュックにはクマのマスコットが揺れていた。
ひとりで大丈夫かな、危ないな、と思いながら見ていると、おもむろに女の子は歩道から車道を挟んだ向こうの歩道へと横切ろうとした。
向こう側の歩道では、女の子の父親らしき男性が、何かを叫んでいた。
その時、白いセダンがスピードを上げて車道を走り抜けようとしていた。
「危ない!」
考える間もなく、私は歩道から車道へ飛び出し、女の子の身体を突き飛ばした。
私の身体に車がぶつかり、強い衝撃が身体全体を襲った。
コンクリートの地面に私の頭が打ち付けられ、強い痛みが脳と全ての神経に走った。
薄れゆく意識の中で、私は思った。
この先の長い人生、もう二度と凌に会えないのなら、今ここで死んでもいいや・・・と。
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